それぞれの道
「空……どうした?
怪我してんのか?
大丈夫かなのか?」
僕はハッと我に返り、捲し立てるように彼女に聞いた。
「な、なんでもない。大丈夫だから」
声がとても苦しそうだ。大丈夫な訳がない。
「今、救急車呼ぶからな?」
それを聞いた途端、彼女がばっと顔を上げた。恐怖と焦りが入り混じったような表情だ。
「やめて!!
お願い構わないで‼︎」
そう言うと彼女はよろよろと立ち上がり歩き出した。
血が足跡のように点々と地面に落ちた。かなりの出血のようだ。彼女を小さくうっと言う声を出した。動くだけでも痛そうだ。呼吸が荒く、今にもぶっ倒れそうに見えた。全身が震えていて立つのがやっとのようだ。
「おい、動くなよ!
死んじまうぞ!」
そう言って駆け寄り彼女の肩に手をかけた。だがすぐにばっと手を振り払われた。
「大丈夫って言ってるでしょ‼︎
構わないで‼︎ お願いだから!」
そう言うと僕を睨み走り出した。瞳には涙を浮かべていた。とても悔しそうで、とても悲しそうだった。
僕は思わず言葉を失った。彼女を昔から知ってるがあんな顔初めて見た。心がキュッと締めつけられた。
追いかけることが出来なかった。やっぱり、この後に及んで嫌われるのが怖かったんだ。僕はさっきの街灯の下を見た。
あれ?
……血溜まりがない?
あんなに黒々としていた血が跡形もなく無くなってなっていた。
見間違いだったのか、僕が空を気にする余り幻覚を見たのか?
それとも暗いから影と間違えたのかな。あまりの驚きに僕は暫く道の真ん中で呆けていた。
家に着いてもさっきの事が頭から離れなかった。親父のウザい絡みをスルーして部屋に向かった。折角勉強していた心理学は全く身についていないようだ。
あいつ、何であんなところに?
あの格好はなんだ?
血が流れていたけど、何があったらあんなになるんだ?
次々と疑問が溢れ出し、混乱する。僕は頭を整理するためお風呂に入ることにした。僕は考え事をする時、湯船に使ってぼーっとする。だが、それでも心が晴れることは無かった。
やっぱ行動するしかないか。
そう思った僕は、意を決して彼女の家に向かうことにした。玄関の扉を開けると冷たい空気が肌に当たり、少し身震いした。暖かくなってきたとはいえ、やっぱり夜はまだ寒い。この気温の中であの着物姿、絶対寒いしおかしい。
次々と疑惑が浮かび上がるが、考えないようにして空の家へ向かった。空と亮、僕の家は横並びに二百メートルぐらいの感覚で建っていて昔はよく行き来した。だから目を瞑っていてもいける。
今でも鮮明に覚えている。僕の前を走る、亮の後ろ姿が。
空の家の前に来た
「ふうっ」
僕は大きく息を吐き出し、チャイムに押した。
ピンポーン
すると少しの静寂の後、
「はーい。あ、あっくん?」
と言う元気な声がスピーカーから聞こえてきた。そしてガチャっと扉が開くと空がひょこっと顔を出した。
「どしたのあっくん?
久しぶりだね?」
そう言うと無邪気な笑顔を見せた。僕が知っている、いつも見ていた空だ。やっぱりさっきのは見間違いっだったのか?
不思議そうに首を傾げる空にどきっとした。僕は見惚れていたようだ。
「ひ、久しぶり!
最近どうしてるかなーって気になってちょっと寄ってみたんだ」
声が裏返ってとても恥ずかしい。すると彼女はうーんと考え、
「特に何もないよ。面白くなくてごめんね。
あっくんは大学だよね?
凄いじゃん! 頑張ってね?
応援しているよ!」
そう言うと彼女は微笑んだ。ああ、天使だ。
「あ、ありがとう。
空は家業を継ぐんだよね?
もう仕事始めてるの?」
それを聞いた彼女の表情が一瞬曇った。だがすぐに笑顔に戻った。そして指で唇をなぞりながら言った。
「あー……そうだね!
もう仕事教えてもらってるよ!
大変だけど頑張ってるよ!」
嘘だ。
ずっと一緒に居たからこそわかる。絶対に何かを隠している。空は隠し事をする時唇を触る癖がある。
僕は勇気を振り絞り、さっきの出来事を聞くことにした。
「あのさ、さっきなんだけどさ……」
そう言いかけると、彼女は焦ったように僕の話を遮った。
「ごめんね! 今からお母さんとお出掛けするの!
また連絡するからその時話そ?」
そう言うと小さくバイバイをしながらガチャンととびらを締めてしまった。
デジャブだ。振られた時もこんな感じだった気がする。
そして、疑惑が確信に変わった。やっぱりさっきのは本人だ。てか、相変わら嘘が下手だな。こんな時間から出掛けるわけない。
だが僕は聞くことが出来なかった。それはやっぱり僕がまだ彼女のことが好きで、何度も言うが嫌われるのが怖かったからだ。
ヘタレな自分に凄く腹が立ったが、同時にふとこれで諦められると言う安心感みたいなものを感じた。そして彼女への未練がどれほど自分に重みだったのか理解した。
どうせもう、大学に行ったら会えなくなる。
そう言い聞かせながら僕は、二階の彼女の部屋を未練がましく見上げると。少しカーテンが開いていた。目を凝らすと顔が覗いていた。そして目があった瞬間パッとカーテンを締め、また少し開けてのぞいていた。
きっと、「うわぁまだいる」とか思われてたんだと思う。僕は視線を落とし、家へと歩き始めた。
あーあ、髪型。気づいてもらえなかったなぁー。結構似合ってるとおもったんだが。
今日はいいとても天気だ。僕は借りてきたトラックに荷物を積み込んで汗を拭った。
「お疲れ様。もういくの?」
母さんがペットボトルのお茶を手渡し言った。
「よく一人でがんばったな輝。
真田家の男足るもの、自分の事は自分でやらなければならない。やり遂げた時、俺たちは真の漢となるのだ!」
親父、いたのか。
真田家にはそんな面倒臭いしきたりがあるのか。初耳だ。別の家の子になりたい。
家はあの歴史的な武家、真田の末裔らしいがよく調べると、遠すぎる子孫なので全く持って自慢にならない。
だが親父はそれを誇りに思っており、小さい頃から何度も真田家の軌跡をきかされた。
歴史の授業でも友達によく弄られた。なのであんまり自分の名字は好きではない。
「お父さんうるさい!
何回おんなじ話すんだよ。」
姉貴が気怠そうに家から出てきた。どうやら二日酔いらしい。頭を押さえながら、眩しそうに目をパチパチしていた。
「女のお前にはわからんのだ。
真田家の漢の気高さがな」
姉貴はキッと親父を睨んだが、今日はやらないらしい。でっかいため息をつくと耳を塞いで無心になっている。
「わかったよ親父!
それよりもう行くね!」
俺は長くなりそうだなと思ったので逃げるようにトラックに乗り込んだ。エンジンをかけると小刻みに車が揺れる。少し感動して「うおっ」と声がでた。まさか免許とって初の運転がトラックだとは思わなかった。
僕は窓を開けようとしたが、開閉スイッチが無くて困惑した。焦ってる僕を見かねたのか、母さんが手でクルクルと回すジェスチャーをした。
ああこれか、と思いレバーを回すと窓が開いた。窓開けるのにこんなに回さないといけないのか。
窓が開くと家族が思い思いの言葉をかけてくれる。母さんの目には薄ら涙が見える。あの日以来の母さんの涙。今度は違う意味で心に来た。寂しさと、愛されている実感が湧いた。
やばい! 泣いてしまう!
そう思った僕は、
「ありがとう!じゃまたね!」
とお座なりに挨拶をして窓を閉めた。
真田家の漢たるもの、涙を見せるべからず。親父の言葉を思い出して少し笑った。
親父、がっつり泣いてんじゃん。
家族みんな僕が見えなくなるまで手を振ってくれた。改めて感じる家族の愛に、僕の心はじんと熱くなった。ふと前に目をやると遠くの方で誰か立っているのが見えた。
「空か」
すぐにわかった。彼女は大粒の涙を流しながら手を振り何かを言っている。しかし彼女の声は聞こえない。見送りに来てくれたのだろう。僕はそれだけで嬉しかった。
だが僕はあえて車を止めなかった。止まったらもう、立ち直れない感じがしたから。
彼女の前を通り過ぎ、ミラーを見ると。手で顔を覆って泣いていた。正直、とても辛かった。
何か大事なことを言いたかったのではないだろうか。今となってはもう知る由もなかった。
空は僕との別れを少しでも寂しいと思ってくれてたのかな。だとしたら嬉しいな。
僕は未練を断ち切るかのように、彼女から視線を逸らした。
さよなら空……。