変動
真っ白だ。何もない。ただただ白く広い。
あたりには地面の他はなにもなく、無音だ。とても怖かったが、とりあえず歩いてみる事にした。だが、風景が白しかないため歩いている実感がない。恐怖と吐き気が襲ってくる。
しばらく歩いていると、遠くに人影が見える。僕は安堵した。俺一人じゃなかった。
人と言う目印がある分、やっと進んでいると言う実感が湧いた。僕は思わず走り出した。人影がだんだんと大きくなる。
僕はおーいと叫びながら走り続けた。だがある事に気付き、僕は歩みを止めた。
あの懐かしい後ろ姿は…………。
全身が震えた。嬉しさが込み上げ僕は思わず叫んだ!
「亮‼︎‼︎‼︎」
僕に気が付いたのか、その影は振り向いた。
それを見た僕は背筋が凍りついた。あまりの光景に心臓が跳ね上がった。
それは身体中至るところから血が溢れて、腕がもげ掛けぶらぶらしていた。口が裂け、目がパックリと割れて飛び出していた。
「な、んで…………。
お、れなん、だぁ
な、な、なんでぇぇぇええええ」
恐らく亮だったモノは、そう叫ぶと僕に掴みかかって来た。僕の両肩を掴み押し倒して、ぐしゃぐしゃの顔を押し付けてくる。
「あっ……あああああああ」
僕は気が狂いそうになった。血が顔にかかり口の中に入る。血の味が広がり激しい吐き気を催した。そいつが叫ぶたびに血飛沫が飛び、垂れた目玉が頬に当たる。
「な、ん、で、、お……まえじゃ……なななないんだぁぁぁああああ」
そいつが叫ぶ度に地面が揺れる。
ダメだ、恐怖と罪悪感で吐きそうだ。
揺れる、揺れる…………。
「起きろっつってんだろ輝!」
その声でハッと目が覚めた。そこには鬼の形相をした姉が僕のベットにローキックをかましていた。
「鉄拳かますっ!
五秒以内に起きろっ!
五ーっ」
唐突なカウントダウン。
「起きた起きた!!」
僕は飛び起きた。
「ゼロッ」
ゴンッ
世の中の理不尽を一気に詰め込んだような一撃が頭上に降り注いだ。そういえば今日は姉貴と出かけるんだった。
僕を大学デビューさせる為、おすすめの美容室に連れてってやると無理やり約束させられた。格安カットで十分なんだが。
姉貴は満足そうに部屋から出て行った。こいつ殴りたかっただけだろ……。
そう言えば、本当に嫌な夢だった。まだあの恐怖が残っている。汗でシャツがくっついて気持ち悪い。
僕は頭を振り、両頬を叩いて気合を入れた。そして濡れたシャツを着替えて、頭をさすりながら一階へ降りた。
あー憂鬱だ。
僕は美容室が本当に苦手だ。天敵だと言ってもいい。特にあのオシャレさん以外立ち入り禁止な雰囲気も。
おしゃれになる為におしゃれをしていくってそれも意味わからない。別に興味もないくせに話しかけてくる美容師もほんとに苦手だ。
どうせカタログとか見せたって「お前には似合わん」と心で思っているに違いないと言う強迫観念すら持っている。
反面、姉貴はコミュニケーションの塊である。多分神を脅迫し、僕に備わる筈であったコミュ力を無理やり奪い取ったに違いない。
美人ではないが、分け隔てない彼女の態度と持ち前のファッションセンスで男女共に人気が高い。そんな姉貴のことだ。あまり着飾らない僕に日頃からやきもきしていたそうだ。
面倒見がいいが、僕にとっては大きなお世話である。身支度を済ませて、姉貴に引きずられるように連れ出された。最悪の一日になりそうだ。
美容室に着いた。
引きずられて入ってくる僕に店員も客も引いているのがわかる。
あー最悪だわ。
人は第一印象が全てと言うなら、とんでもねぇやばいやつが来たと思われたに違いない。
「ご、ご予約いただきました真田様でしょうか?」
笑顔が引きつっている。だが姉貴は気にしない。
「あーはいはい。こいつです!
カットだけでいいんでこんな感じに切ってください!」
すると彼女は適当に見つけたモデルの写真を指差した。
俺にあんなリア中な髪型をしろと!?
耳の横が刈り上げられているじゃないか!?
あんな髪型にしたら耳が凍え死んでしまうではないか‼︎
「かっかしこまりました。
では此方へどうぞー」
ああっ辛い。
あんな綺麗な人にあんな作り笑いをさせるなんて……。
願うことなら美容師が、隣のモヒカンのモデルの写真と勘違いしない事を願う。
あんな卍丸みたいな髪型にされたら、大学ではなく例の塾に入塾しなければならない。
僕は姉貴に無理やり椅子に座らされた。
「こいつの意見は聞かなくて結構です。
あーっはははは」
高笑いしながら本棚から漫画を数冊取り、待合席に座った。死刑執行を待ってる人ってこんな感じなのか。
いっそ殺してくれッ!!
そう思い。僕は目を閉じた。一切のコミュニケーションを遮断する、必殺狸寝入りをこんな早い段階で使う事になるとは。ごめんよ美容師さん。これ以上この恥辱に耐えられない。
あっ、雑誌とか持ってこなくていいので、どうせ読まないから。
しばらくすると「おいっ」と椅子を蹴られた。
姉貴だ。あー目を開けたくない。卍丸は嫌だ卍丸は嫌だ。そう念じながら目を開けると。鏡の中の僕は刈り上げられていた。
あれ?
意外に似合ってるかも?
すると頭をパシッと叩かれた。
「ほーらうちの言うとうりだ!
めちゃめちゃ似合ってんじゃん!」
彼女は腕を組み高笑いしている。
「本当に似合ってるよ!
百合子のアドバイス通り切ってみたらすごく切りやすかった!
でも、出来上がったらモヒカンじゃなかったからびっくりしたよー」
そう言って美容師は姉貴に抱きついて喜んでいた。
えっ? なにそれ? 呼び捨て?
一時間も経たないうちに何なのその距離の詰めかた。人間てこんな短時間で親友になれるの?
てかやっぱモヒカンにされるところだったのか。大学の初対面でモヒカンのやつとか絶対友達になりたくねーよ。神様ありがとう。
姉貴は全ての客と美容師に拍手されていた。もう宗教やったほうがいんじゃないかな。
てか、襟足も刈り上げられてるな。こんなヅラを乗っけてるような髪型が流行ってんの!?
そして僕は何故か、レジに行く道中拍手をされた。
あれ……最近似たような事があったような?
「卒業式かよー」
姉貴のその感想に殺意を覚えた。
「あの……。
お幾らでしょうか?」
恥ずかしさを堪えながら尋ねた。
「諸々込みで五千五百円です」
えっ?
髪切るだけで五千円超えるの……なんでそんなに高いのだろう……。
その金で結構美味いもん食えるぜ?
おしゃれさんの金銭感覚、恐るべし。
僕はお金を払い、外に出た。勿論拍手されながら。もう二度とここには来れない。
「あーっはははは!
な? うちに任せときゃ大丈夫だろ?
しかもカットとカラーで五千円台って激安でしょ?
うちに感謝しなさいよー!」
ん? カラー?
「染めたの?
変わってなくない?」
僕は車のミラーで確認した。
んん……若干青い?
「めっちゃ変わってるよー。
ブルーブラックだよー日が当たると綺麗だね!」
なに勝手なことをと思いつつも、いつ洗髪されたのかさえ分からなかった。アサシンかよあいつら。
てかどれくらい寝てたんだ僕は。困惑気味の僕の背中をバシバシ叩きながら姉貴は笑っていた。あーあ、最悪だわ。
その後は姉貴の荷物持ちをされせられた。恐らくこれが本来の目的だろう。転んでもただじゃ起きないやつだわ。
色々巡り、姉貴が疲れたと言うのでカフェで休む事にした。姉貴は席につくと、すぐに店員を呼んだ。僕はまだメニューすら見ていない。
「あっすみません。
いつもの二つずつね!」
そういうと、店員はわかったよーと軽い返事去って行った。
え? タメ口?
僕の表情を察した姉貴は微笑んだ。
「あーあの子友達だから!
全部わかってるから大丈夫!」
なにをわかってるんだ?
そう思ったが言わなかった。出てきたのはハンバーグセットとカフェラテだった。
「やった! おいしそう!」
と姉貴は子供のように無邪気にはしゃいでいた。こう言うところがモテるんだろなと思ったが絶対言わない。調子乗るから。
僕はハンバーグを口に運んだ。
ん!!
やばい! 美味すぎるっ!
一口食べると本当にジューシーでデミグラスソースが主張しすぎず、肉本来の旨味を感じて本当に美味しかった。カフェラテも甘すぎず、爽やかな口触りだった。
僕がほっこりとしていると、姉貴の視線を感じた。彼女は僕を見て微笑んでいた。
「んだよー。
あんまこっち見るなよ気持ち悪い」
僕はムッとした。
「久しぶりに表情が緩んだね?
みんなで心配してたんだよ?
あんたマジで暗かったから」
そう言うと姉貴はカフェラテを一口飲んだ。
「そうかな?
自分じゃわからねぇよ」
「うん。あのお父さんがあんたに気を使って『息子の心理を知る』って図書館で心理学勉強しだしたんだよ?
まあほとんど寝てたらしいけど。ほんと馬鹿だよ、あの人」
親父がそんなことを……。
僕は嬉しくて言葉が詰まった。
「今日で少しは気分が晴れた?」
彼女はニコッと笑い尋ねてきた。
ああ、本当に僕は家族に恵まれている。
「うん、さんきゅ」
「永遠に感謝しろ?あーっはははは」
永遠?
重い、重すぎる。
「まあ冗談は置いといて。
気分を変えるには少しのことでいいんだよ。
髪を切ったり、美味しいものを食べたり、綺麗なものを見たり。女はそこんとこが男より上手いんだよ。
だけど男は意地張って辛い事に自分からぶつかってく人が多いから訳わかんない。
やる事やってダメなら立ち止まればいんだよ。止まると見えてるもんが鮮明になる。だからまた頑張れるんじゃない?
あんたは今日うちに無理やり止められたわけ!
マジ感謝しろ? あーっはははは」
言われてみれば、僕はあの日から走り続けてたのかもしれない。まともに遊んだのもあの日以来だ。
確かに気分も晴れた気がする。本当に姉貴マジ感謝だ。
「あっ、ありが……」
そう言いかけてやめた。やっぱ恥ずかしいや。僕はカフェラテを飲み干し誤魔化した。姉貴はふふっと笑い、ハンバーグを頬張った。
すっかり辺りは暗くなり、僕は一人で帰路についていた。姉貴は大学の友人と飲み会だそうだ。リア充は大変だな。
しばらく歩いていると、街灯の下でしゃがんでいる人影を見つけた。何か困ってるのかな。そう思った僕は小走りで駆け寄った。
女の子かな?
どうしたんだろう?
近付いてみてわかったが、白い着物のようなものを着ている。しかも腰には明らかに刀っぽいものを携えている。
まさか!?
幽霊!?
だけど苦しそうだ。僕は怖いよりも先に助けなきゃと言う気持ちでいっぱいだった。
「あの? 大丈夫ですか?
怪我してるならいま救急車呼びますね!」
それを聞いた女は、パッとこっちを見た。すごく怯えているように見えた。そして、僕は気づいてしまった。彼女を知っている。僕は恐る恐る尋ねた。
「えっ!?
空……なの?」
「あっくん?」
時間が止まったように感じた。そこには誰よりも見知った顔があった。
なにが起こってるんだ?
何でそんな格好してるんだ?
それにその刀は何?
聞きたいことが沢山あったが、驚いて声が出なかった。だって、彼女は傷だらけで腹部から血が滴っていたから。