雨宿り
ぽつり、ぽつり。屋根の外へと足を踏み出した瞬間に鳴り出した音に眉をひそめ、空を見上げる。
「うっわ、最悪じゃん…」
傘持ってねえのに、と続けて呟く。案外抜けていると評される俺は天気予報なんて見ていないし、折り畳み傘なんてものを持ち歩きもしていない。無理矢理駅まで走るかとも考えたが、思考を巡らせている間にも雨は勢いを増していく。
仕方が無いので、昇降口の前で一人寂しく待つ。特有の肌寒さと湿気を感じながら聞く雨音は、何故か俺を憂鬱にさせる。溜息すらも掻き消すそれに、一抹の不安と孤独感を味わっていた時だった。
「あれ、雨だ。どうしよ。」
肌寒さと湿気に支配された空間に、感情の籠っていない声が響く。一瞬肩を跳ね上げ、振り返ると、そこには何を考えているか分からない表情の友人がいた。そいつは俺がいる事には気づいていたようで、スタスタと近づいてくる。
「なあ、アンタも傘忘れたのか?忘れんぼ仲間?」
「えっ?ああ、うん。忘れたの。…自分も一緒にあまやどりしていい?」
「!もちろんだ!俺も寂し、いや退屈だったからな!」
鉄仮面な友人からの思わぬ申し出に内心ガッツポーズ。正直めっちゃ嬉しい。強がっても一人は寂しいのだ。
「……」
「……」
かといって、あまりそこに会話はない。あいつは無口だし、俺は無言を嫌わないので、二人ただ並ぶだけの時間が過ぎる。同じ雨音に支配された空間であるのに、さっきと今とでは感じ方が違うことが不思議だった。涼しい風とどこか満たされるような感覚を味わっていると、あいつがいきなり口を開いた。
「ねえ、君ってさ、雨好き?」
「え?んー、どうだろな。雨自体は普通かも。」
「そう。自分はずっと嫌いだったけど、今日ちょっと好きになったかな。君といられるから。」
へっ?会話の中に唐突に織り込まれた言葉に思わず隣を見る。何故か友人の口角が僅かに上がっていた。
(こいつ、こんな顔するんだ…。)
舞踏会で仮面を外した美姫を見たような、そんな錯覚に陥る。見たことの無い友人の表情にどこか焦りを覚え、慌てて顔を背ける。
三度目の静寂が訪れる。いや、静寂ではあるが俺には煩いくらいに自分の鼓動の音が聞こえていて、この時間が早く終わって欲しいような、少しでも長く続いて欲しいような、よく分からない感情に支配されていた。
どれくらいの時が経っただろうか。気づけば雨音は聞こえなくなっていた。
「あー、止んじゃったね。」
「お、おう。そうだな!」
どこか惜しげに呟くあいつの顔を直視できない。落ち着け、変なことを考えるな、珍しい顔に驚いただけだ。脳内で繰り返し、何とか真顔を保つ。
「あーあー落ち着け落ち着け俺冷静になれ冷静になれ」
「もしもーし?」
「驚いただけ驚いただけ驚いただけだ」
「おーい。聞いてるの?」
「ブツブツブツ…」
「…あーもう!」
突然頭に手を添えられ、顔を無理矢理正面に向かされる。目の前には頬を林檎のように染めて膨らませた友人の顔がある。
「あ、アンタそんな顔出来んのかよ!」
「はい?何さいきなり。」
だっていつも何考えてるかわかんねえし、と声にならない声を絞り出す。彼は一瞬目を見開いた後、俺の心を最も揺さぶる表情をした。
「んー、自分じゃどんな感じか分からないけど。でも君といると楽しいからさ、それかもね」
花が綻ぶように微笑まれる。言われていることは普通のはずなのに、やけに胸が高鳴るのはどうしてだろうか。もう鉄仮面なんて思えなくなった彼は鼻歌でも歌いそうなくらい御機嫌な様子だ。
「んじゃ、また明日ね」
「あ、ああ。またな」
そう言って去ってしまった友人の背中を見つめる。俺も早く帰りたかったはずなのに、視線がそこに吸い寄せられてしまう。
何故か知ってしまった友人の一面。自分が知らない感情にモヤモヤする。そんな俺を導くように、空には虹がかかっていた。
実は、彼はその時折り畳み傘を持っていたらしい。それを俺が知る事になるのは、数年後。俺達の関係に友人以外の、別の名前がついてからだ。
了