1 野獣化
意識が徐々に安定していく。
視界いっぱいの杉の木? が斜面から大量に生えていた。
杉の木……。
意識が徐々に薄れていく。
体が異常な速度と回数、揺れているのが感じられた。
意識が戻りつつあると、意思とは無関係に体が動くのを認識した。
ひたすらに木を殴り続ける体。殴って、蹴って。
ガシャ、ガシャン!
枝や葉っぱが容赦なく体に落ちてくる。隅から隅まで傷だらけなのだが、動きを止める気配はない。
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日本での記憶が完全に戻り、体の所有権も取り戻した。
「いたあああああああああああい!」
痛覚も無事戻って、傷口が痛み、恐らく骨にも響いている。
長い時間、体が無作為に木を殴っていた蹴っていた。その蓄積量は半端じゃなく、即座に倒れ込んで悲鳴を上げる。
平衡神経が狂うと目が回り、気持ち悪さに繋がる。急いで斜面を上がり、石も構わず倒れた。
「はぁはぁ」荒い息が酸素を取り込んで、狂った頭を冷やす。
何をしていたんだ?
暴れて、騒いで。
生まれ変わるってこんなに苦しまされるの?
ぶつぶつ言いながらも、周囲の状況を確認した。
木と草。植物が背より高いので、遠くまでは見渡せない。
体の痛みもあって、今日は動けなさそうだ。
ググ……グルル。
動物の鳴き声がだんだんと大きくなってきた。
まずいな。肉食動物は血の臭いに敏感って聞く。血だらけだなんて、食ってくれと言っているぞ。
危機感があっても、全身痛くて動けない。何本か骨が折れているに違いない。
グルルルル……。
ニホンオオカミの現物は見てないけど、イメージや写真だと、毛が深くて勇ましい犬だ。
そいつの顔が、涎で顔を濡らされる距離にある。
「がおー?」
グルルルル!
木を殴った次は、無我夢中で動物愛◯団体に刃向かった。
どんっ、ばんっ!
ぐ、あー!
きゅるん。
悲鳴から雄叫びまで、地獄とも言えるカオスが山に生まれていた。
狼と繰り広げる格闘劇に決着がつけば、高速で走る豹が。黄と黒の斑点猫科を倒したら、森の王様熊さんが。
バキッ。
木が折れて周りの木を巻き添えにしながら、熊が月夜を舞う。
全てを引き起こしているのは、他でもない、十歳の小さな女の子。
いや、野獣かもしれない。咆哮を放って、動物? 少なくとも日本にはいない生物を拳と蹴りで制圧する。
「リア充◯ねええええええええええ!」
頭痛の酷さ、押さえきれない感情に身を任せ、痛みも問わず暴れ続ける。本来の性格は落ち着きのある優しい人、だった気がするが、今は暴れる以外考えられていなかった。
とにかく殴りたい。破壊衝動だけが、原動力になっていた。
やだ、シズムったらなんて御下品なことを?
今更可愛子ぶっても無駄だった。辺り一面、やり合った傷跡が残っている。他に誰もいない以上、シズクがやったんだろう。
狂っていたとはいえ、その間に数多くハンティングした。半ば大量虐殺にも感じて申し訳がない。共同墓地だけど、土を掘って作っておいた。亡骸は探してもあらずで、あくまで形だけであるが。
「安らかに眠ってね」
幾晩か拳を交わし合った獣たちのことを、シズムはずっと忘れない。
完全に意識が向かなかったが、ここはどこなんだろう。何県何市何丁目。山を降りても住宅街はないし、真っさらな草原でコンビニすらなさそうだ。
地理感覚もないし、道に迷った。
当面の目標は置かれている状況を把握すべきだと思われる。そのために街に行くべきなのだろうけど、獣臭漂うこの体で行ったら果たして如何に迷惑か、考えるまでもない。
シャワー。贅沢は言わない、水が欲しい。
半野生に帰り気味でそれで良いと頷く自分が恐ろしい。前世はれっきとした人工物で悠々入浴を楽しんでいた。
広すぎる草原を踏み進め、プライバシーの欠片もない池で服丸ごと浸かった。
臭いが物凄い気になる。潔癖症じゃないが、不愉快極まりない。
唯一愉快だったのは、水面に映った体が小柄であったこと。願いは叶えられて何より。
まだ数日、誰とも会いたくないな。
第一印象が最悪だし。
獣臭い女とか、百パーモテない。
「えっ」
「えっ」
二人目の声が呼応した。
見通しの良い場所にしては発見が遅すぎた。
背を向けて逃げようとするので掴みかかったところ、ライオンが小動物を狩る様に。
「食べないでください」
そう言えば食べてなかったっけ。
「きつねうどんにでもしてやろうか!」
悲鳴が愛らしいことこの上ない。追いかけ回して食べても良いかも。
冗談はさておき、シズムの記憶によれば日本にこのような生物はいなかった。
三角状の耳。これがどうにも毛深い。耳毛的な意味じゃなくて動物的な。
第一印象、狐。
しかも人型であり、何より人の言葉を話す。人類は退化したのか進化したのか。
もう変わり過ぎて、異世界みたいだ。
……アレ?
そもそも人間が熊相手に勝てるのか。レスリング日本代表でも苦労しそうなものを。豹っぽいのも倒してたし、非現実的な思いをしてきた。
田舎と言われればわからなくもない。でもさ、畑くらいあるんじゃ。三日三晩歩いたのに人とも会わないし小屋もない。
色々おかしい。
あ、でもでも。日本語通じる。ここ日本。
日本なら尚更おかしい。日本に草原なんてない! 自然破壊で世界から批判されてた国だもの。
死んだ後に隕石でも迎えてリスタートした? 異世界と一緒じゃん。新世界だよそしたら!
「大丈夫ですか」
「頭の心配ですかええ大丈夫です至って正常ですよーだ」
異常かもしれない。頭打ってたし暴れてたし。
「怖いよーおかあさーん!」
「危ない……」
精神的な支えをください。
誰か新世界を教えてください。異世界って解釈でも良いので。
「腹いせに食うたろかああああ!」
腹いせとは『腹癒せ』と書く。腹を満たしてお腹いっぱいになるのもまた、腹癒せという。
裸の女の子に襲い掛かった後の記憶は、すっぽり抜けていた。
目が覚めたら、お腹が大分膨れていた。
今日は後一話、1時頃に投稿したいと思います。