善良な異教徒の街③
夢だと思っていたのに。
足元には死体となって動かない、「少年だったもの」が転がっている。それはまもなく起き上がると、ウィルが半ば確信していた通り、ゾンビとなって新たな犠牲者を探し歩き始めるのだった。
ウィルは茫然としながら、血に塗れた自分の手を見ていた。
「やっと祝福が始まりましたか」
後ろからマリの声がした。ウィルが振り向くと、マリは驚いたようにまじまじとウィルの顔を見る。
「ウィル? もしかして意識があるのですか?」
「……これはどういうことなんだ?」
ウィルは絞り出すように言うと、今度は本当にマリに殴り掛かった。自分でも冷静ではないことがウィルにもわかった。しかし興奮して、自分が止められないのだ。
マリに近寄ると、とても甘い香りが突如鼻孔を突いた。頭がくらくらする。ウィルは立ち眩みを起こしたようにマリの目の前で座り込んでしまう。
歪む視界の中でマリを見ると、なんとマリは自らの手首を切り、血が滴った手を誘うように差し出している。
「ウィル、まずは落ち着いてください。ゆっくり私の血を吸って。そしていつものように私を噛んでください」
「ふざけるな! ボクは普通の人間だ」
ウィルは怒鳴りつけるが、マリは一切ひるまない。
そうしている間にも、マリの指先からは血がぽたりぽたりと垂れてしまっている。
……あぁ、なんて勿体ない。
頭の中で自分じゃないダレカがつぶやく。
ウィルは顔をしかめながら必死に抵抗していたが、遂には誘惑に耐えられず、マリの手首にしゃぶりついてしまった。
「優しくしてくださいね」
マリが耳元で囁く。ウィルは我を失って手についた血をすべて舐めとり、最後に腕へと噛みつくのだった。
口の中にいっぱいに甘い味が広がる。信じられないほどの多幸感に身を包まれていた。
それと同時に、先程まであれほど茹で上がっていた頭が、急速に醒めていくのを感じた。
途端、さっきまであれほど甘美に感じていた血の味が、ひどく生臭いものになり、ウィルは思わず口の中に手を突っ込み、胃の中の物を吐き出した。
「一体ボクに、何が起きているんだ」
荒く息を吐きながら、ウィルは吐き出した血だまりを見てつぶやいた。
血だまりの中には夕食に混じって、何のものかわからない肉塊が、いくつもいくつもあった。
「なぁ、教えてくれよ」
ウィルは血だまりの中に泣き伏した。
※
翌日、廃墟と化した村の広場で、ウィルは茫然と座り込んでいた。
ゾンビとなった村人は、一晩中徘徊していたかと思うと、朝日が出る頃にはすべての肉が爛れ落ち、物言わぬ亡骸となってしまっていた。後に残っていたのは、腐った匂いを巻き散らかす肉塊と、持ち主のいなくなった家ばかりだ。
しばらくすると姿を消していたマリが戻ってきた。体からは油の臭いがする。
「さぁウィル、この村にはもう用はないでしょう。今すぐ次の村へと向かいましょう」
ウィルは唖然としながらマリの顔を見た。その顔は平素と変わりなく、地獄のようなこの場でさえなお美しい。ウィルはうめき声をあげ頭を抱え込んだ。
いまは何も考えたくなかった。




