昔話「ギベルの悩み」
ガルナの森の入り口近く。
王城での仕事を終えたギベルは、ゆっくりと自宅への道を歩いていた。
普段は疾風のごとき速さで駆け抜けている道である。
そのありえぬ歩みの遅さから「体調でも悪いのだろうか」と近所の農夫に心配され、声を掛けられる程度には珍しい光景であった。
ギベル・フリード。
世界に轟く七鍵守護者の一人であり、世界屈指の魔術研究者、魔術学者でもある。
彼は幼い頃から所謂神童と呼ばれる程度に頭がよく、また探求心が旺盛であった。
世界を放浪し、闇以外の六属性の魔術にも精通し、また更に新たな魔術式を次々と生み出した。
そんな彼は、やがてガーベラス王国に腰を据え、そしてとある事件に巻き込まれる事となる。
「ふーむ、どうしようかのう……」
そんな現在のギベルには目下大きな悩み事があり、その思索の為に散歩がてら歩いていたという訳である。
その事件の渦中にある一人の赤子に、彼は悩まされっぱなしであった。
最近の一番の悩みは、その赤子、クロエのお気に入りの絵本の内容についてであった。
彼女は絵本が、特におうまさんの出てくる絵本が大好きであった。
「馬を飼ってやりたいが、万が一があってはのう……」
馬というのは大きいし、プロの飼育員ですら蹴られて怪我をする事があると聞く。
万が一クロエが蹴られでもしたらと思えば、飼うというのはありえない。
だがクロエは喜ぶだろう。
その笑顔が見たい。
でも危ない。
そんな危険と笑顔の天秤に、世界一の闇魔術師は悩まされていた。
「……ほ?」
あーでもないこーでもないと考えながら森を歩いていたギベルは、ふと不穏な空気に立ち止まる。
見れば遠くの方で、二匹の獣が争っていた。
一方の獣は、ガーベルベア。
ガルナの森の頂点に君臨するその凶暴な熊は、非常に美味。
肉質は非常に柔らかく甘みがあり、また膨大な魔力を持った肉は腐りにくく保存にも適している。
またその内臓は、食通の間で非常に重宝される珍味である。
対する獣は、ブロンコハイドウルフ。
白銀に輝く美しい毛並みを持った狼で、気性の荒い個体もいるが、基本は穏やか。
その毛皮は好事家の間では高値で取引される為、一時多くのブロンコハイドウルフが狩られた。
だが大人しい性格であろうと、狩られるとなれば牙を剥く。
戦闘能力は極めて高く、ガーベルベアですら一対一ならやられてしまう程だ。
その為多くのハンターが返り討ちにあっており、更に森の奥へと隠れるようになった為、最近ではほとんど見かけなくなった希少な狼である。
因みにお肉は不味い。
本来ならばハイドウルフの戦闘力は、ガーベルベアを越える。
だが対峙した二匹はガーベルベアが圧倒的に優勢で、ハイドウルフは既に瀕死のようだった。
「まあそういう事もあるかのう」
まあええわいと再び歩き出したギベルだったが、やはり気になると歩みを止める。
別においしいお肉とお高い毛皮をゲットしようという訳ではなく、その少し不可解な状況に生来の探求心を刺激された為であった。
結局近くの倒木に腰かけ、謎解きがてら見物する事にしたギベル。
家では吸えなくなったパイプを咥え、ふうっと一服。
「禁煙も考えにゃならんかのう……おじいちゃんお口くさーい!なんて言われたら、わしゃぁ死んでしまうかもしれん……」
引き取った当初は、正直やっかいな事になったという気持ちが殆どであった。
子育てを始め、すぐに後悔もした。
だがいつしかクロエの存在は、ギベルに取って掛け替えのない存在となっていった。
何故かは正直分からない。
だが、今ではすっかり親ばかじーちゃんとなり果てており、そんな自分が嫌いでも無かった。
そんな事をつらつらと考えながら戦闘を見ていたが、ある事に気付く。
スピードを生かして相手を翻弄しながら、その鋭い牙で相手を噛み砕く。
それが本来のハイドウルフのスタイルだ。
だが目の前の狼は何かを守る様にどっしりと構え、持ち味を出せていない。
結局ハイドウルフは最後まで精彩を欠き、ガーベルベアの致命の一撃を避け切れず、絶命した。
勝利の雄叫びを上げるガーベルベア。
「ふうむ、ただ単にとろい犬だったんかの……?」
不思議に思いながら見ていると、何故かガーベルベアはハイドウルフの亡骸を越え、その奥へ行こうとする。
そこへ飛び出してきたのは、小さな狼。
白銀に輝く毛並みをもった、ブロンコハイドウルフの子供であった。
「ふむ……」
それを見て一考したギベルは、戦闘態勢に入った。
強化魔術で補強し、一気に距離を詰めてからの熊への一撃を狙う。
だがそれは、不意に横から飛んできた鋭い一撃によって防がれる。
グルアアァァァ!!
番であろうか、ガーベルベアを守るかのようにもう一匹の熊が森から飛び出してきたのだ。
しかもその熊は、ガーベルベアの上位種であるヘルドベアであった。
その肉質についての説明は割愛するが、ギベルが思わずよだれをぬぐった事で察して頂ければ幸いである。
それに気付いたガーベルベアも、ギベルの方へと向き直る。
「なるほどの、子供の護衛に加えて、更に二対一じゃったか。やっと謎が解けたわい」
結果ギベルは、二匹の熊に挟み撃ちにされる形となった。
しかもヘルドベアの戦闘力はガーベルベアの比ではなく、討伐するのであれば王国騎士の一個中隊を持って当たるのが妥当であるというのが一般の評価である。だが、
ポンッ
そんな音を立て、ガーベルベアの方の首が宙を舞った。
二匹の獣は、決して油断していた訳ではなかった。
だが、訳も分からないまま一匹の首は飛び、命を落とした。
そしてニヤニヤといやらしい笑顔で、ヘルドベアに迫るギベル。
その異様な雰囲気に本能的な恐怖を感じ、思わず足を下げたヘルドベア。
だが、その事実にヘルドベアは憤る。
我は覇者である、と。
このような枯れ木に恐れをなすなど、あってはならぬと。
ゴアアアアァァァア!!!
恐怖を振り払うかのような咆哮。
そして目の前の枯れ木を睨み付ける。
「集まれ集え精霊よ、今宵のつまみは熊肉じゃ。うまさの秘密は血抜きじゃぞ!烈!」
お構いなしに呪文を唱えたギベル。
そしてヘルドベアもまた首を狩られ、大量の血を噴出させる。
常人では絶対に発動しないであろうてきとうな詠唱からの、精密な烈。
彼はそれができた。大いなる才能の無駄遣いであった。
こうして彼は、思わぬ夕食の材料を手に入れたのだった。
そしてギベルは熊肉を逆さにつるしつつ、奥で震える子犬の元へを歩いていく。
子犬はまだ少し震えつつも、ギベルに敵意が無い事に安心していた。
そして既にギベルをボスと認識し始めていた。
母が苦戦した二匹の獣をあっさりと屠ったその力は、そう認識するには十分な結果であった。
「ふむ、立派な仔馬じゃ」
すこし虚ろな瞳を輝かせ、ギベルはそう呟く。
ギベルは先ほど、ハイドウルフの子を見た時に考えたのだ。
馬ではクロエの前に連れて行くのは危ない。
ならば子犬ならばどうか。
それならば、ちゃんとしつけをすれば大丈夫だろう。
いや、だがクロエは馬が、真っ白な毛並みの馬が大好きなのだ。
あれ?でもよく見ればこの犬、馬っぽくね?
むしろもう馬じゃね?
色もなんか白くね?
よし、飼おう。
ギベルの頭の中では、そういう事になっていた。
因みにギベルの中では、犬も狼も一緒のようだ。
そんなギベルに対し、ハイドウルフの子供もまた恐怖を覚えた。
だが、本能的に悟っていた。
死神からは逃げられない、という事を。
そんな子供ウルフをつまみ上げるギベル。
そしてルンルンと歌いだしそうな足取りで、帰宅への道を歩いていった。
■ ■ ■
「帰ったぞーい」
「あら、お帰りなさいませ旦那様」
「裏にヘルドベアの肉を置いとるから、処理しといてくれんかの」
「あら、今日は御馳走ですね!」
王宮から一緒にきた侍女に熊肉を託し、ギベルは一直線にクロエの元へ。
ゆりかごの中で眠っていたクロエは、その気配を感じたのか目を覚まし、あーきゃーと喚き始めた。
「ただいまーおじーちゃんですよー元気にしてまちたか~?」
「わきゃー!」
「そうでちゅかークロエはかわいいでちゅねえ~!」
彼は世界一の闇魔術師であり、世界屈指の魔術学者である。
そんな彼も、一人の赤子の前ではただのおじいちゃんであった。
「そんなクロエたんに、お土産でちゅよ~」
家に入る前に念入りに綺麗にした、ギベルがいう所の仔馬を抱え、クロエに見せる。
「わんわー?わんわー!」
「わんわじゃないでしゅよー?おんまでしゅよー!」
「……!?おんまー!おんまー!」
「よかったでちゅね~。あ、ごめんねクロエたん、ちょっとまってね~」
一度下がり、クロエに背を向けてからハイドウルフの顔を目の前に持ってくるギベル。
そして彼はいう。
「あの子が今からお前の主じゃ。よく尽くせ。……もし髪の毛一本ほどでも傷付けてみぃ、儂は一生お前を許さぬ。……死ぬ程度で、済むとは、思うなよ?」
ハイドウルフという種は頭がいい。
彼女はコクコクと、必死に頭を縦に振り続けた。
こうしてフリード家にやってきたブロンコハイドウルフの子供はユキと名付けられ、クロエのお気に入りのペットとなった。
ユキはクロエをとても大事に扱い、ギベルを大いに満足させた。
ユキは最初母親を失った悲しみを紛らわす為、そしてギベルへの忠誠心の為にクロエの世話をしていた。
だがいつしかユキもまたクロエを愛するようになり、ダメな妹を守らなくっちゃ!という気持ちでそばにいるようになっていく。
成長したクロエはユキを大事な家族と思うようになるが、ペットであるという認識もちゃんとあり、立派な主であろうという気持ちも持っていた。
だがユキはクロエを妹か娘のようにしか思っておらず、自分の主はギベルであると思っている。
だがハイドウルフという種は頭がいい。
そんなクロエの気持ちを察し、主として立ててあげる事も忘れなかった。
ユキはとても頭がよく、かわいくて、そしていい女なのだ。