第6話
私も絢芽も、異性への接し方は分からなくても、同性相手ならそんなことはない。
まだ少し距離を感じるけどクラスメイトとも無事打ち解けることが出来ているし、絢芽以外にもお友達は出来た。それでも一緒に居るのはやっぱり絢芽なんだけど、他に誰か友達が居るのと居ないのとでは心持ちは全然違う。
違う――んだけど……。
「ふ、不藤さん、だったかしら?」
部活に向かう絢芽を見送って、桜丘女子学園の門を出たのはつい今だ。三歩くらい下がればまた門の内側に入れる、という出たすぐのそこで、知らない女性から声をかけられた。
身体にぴったりと張り付くセーターを来ているために大変ふくよかな胸が強調されていて、ハイウエストのロングスカートもマーメイドラインになっているためにくびれから腰周りの綺麗な曲線が浮き彫りにされている。毛先だけ巻かれた長い髪も綺麗な茶色で傷みもなく、サングラスをしていても、この背の高い女性が美しいのだというのは想像に難しくない。
「はい。……一年の不藤なら、私ですが……」
――――誰か助けて、と思うのだけど、周りはただ背の高い美女を一瞥して、私に羨ましげな目を向けてくるだけだ。
ここは女の園で、そうなれば綺麗な女性は憧れの対象なのだろう。
しかし、私たちを避けて帰っていく生徒の中に同級生の姿を見つけてしまい、お友達だと思ってたのに、なんて身勝手にも恨んでしまう自分が居た。
この女の園に染まるにはまだ早すぎるはずなのに……!
「そう。……噂通りの子ね」
「う、うわさ……?」
「ええ、そう。雪のように真っ白な肌に、ぷっくりとした愛らしい唇。大きな目はずっとうるうるしていてまるで吸い込まれそうにもなる誘うような二重……ふわふわの髪の毛も、少し低めの身長も、まるでお人形さんのようだと宇田に聞いたとおりだわ!」
――――宇田。クラスメイトにも聞かない名前に誰だろうかと周囲を見るけれど、名乗りを上げてくるようなそれらしい人は居ない。
「さっき一緒に居たのが、七々原さんね?」
「え? さっき……」
「あなたがここに来る三十八歩ほど前で手を振って別れていたあの美しい子よ!」
「あ、あの、はい……」
「ああ! 嗚呼!」
綺麗な女性が、そう叫んで膝から崩れ落ちた。
背後にある赤のスポーツカーがなんとも寂しげで、残念な体勢にもなってしまっている女性とはとてもミスマッチである。
「清香先輩!」
後ろから声がして振り向けば、こちらに向かって真っ直ぐに駆けてくる先輩の姿があった。
名札の色で学年が分かるため、すぐに三年生であると理解する。ストレートの黒髪を背中ほどまで伸ばしているその先輩は前髪が長くて表情が分からないけれど、こちらにたどり着く頃には私を見て頬を染め、そしてすぐに女性へと向き直る。
「宇田! 我慢できずに来てしまったわ」
「はい、先輩。こちらが我が校の新星、不藤万結です!」
「違いない……まったく、まったく違いないわね……そしてあの七々原さん……彼女もまた、」
不自然に言葉を切ったその女性は立ち上がり、宇田先輩を切なげに見下ろして、
「そうなのね」
「はい。七々原さんも……です」
「あのー……」
何が、とは聞いてはいけない空気だったため聞けなかった。しかしもう帰ってもいいのかと尋ねようと声をかければ、信じられないスピードで二人がこちらに振り返る。
「わ! すみません、あの、私、もう帰っても、」
「そうね。あなたには感謝するわ、不藤さん。おかげでスランプから抜け出せる気がするの」
「す、スランプ……ですか」
「清香先輩はプロの百合漫画家なんですよ」
「…………百合……」
良く分からない単語にとりあえず頷くと、真っ赤になって顔を隠したその女性のフォローのように、宇田先輩が口を開く。
「ちなみに清香先輩は我が桜丘女子学園の誉れ高い主席の卒業生であり、我が演劇部のOBでもあります」
「そうですか。私にとっても先輩なんですね」
「よろしければ! 不藤さんにはお姉さまと、呼んでほしいの……」
いつの間に復活したのか、その女性はしっかりと立っていた。
「えーっと……あの、私、帰るので……」
「お姉さまと! 呼んでほしい!」
「清香先輩ッ……!」
演劇部だなあ、と、泣き真似をする女性とそれを支えるように付き添う宇田先輩を見てなんとなく思う。チラチラとこちらを見ているから呼ぶまで帰してもらえないのだろうとなんとなく気づき、まあそれで良いならと苦笑が漏れた。
「お、お姉さま、私、帰りたいのですが……」
「万結ちゃん、おかえり」
電車にすでに乗っていた三島さんが、笑顔で手を振っていた。
それに一度会釈をして同じように言葉を返し、いつも通りに隣に腰掛ける。
「今日は変なのにつけられなかったんだな」
「……今日は、って……そんな、別に大丈夫ですよ」
「ほんとそういうところな、気をつけて」
だけど本当に、これまでのどれもこれもにそもそも気づくことも出来ていなくて、全部三島さんが気づいただけだから実感もない。気をつけて、と言われても、気づくこともままならないのにいったいどうすれば良いのかも謎である。
「…………いや、今日は……」
そういえば、変な人が居たなと思い出してつい口に出すと、三島さんは聞き逃さなかったのか前のめりに「何かあった?」と覗き込んでくる。
「えっと……元桜丘女子学園の先輩が来られていて……少し変わった方というか……」
「……桜丘女子って、ちょっと変わった人多いよな……」
「そうですね、とても……」
よくよく考えれば、あの宇田先輩もどこか変な様子だったし、三年をかけて閉鎖的な環境にいれば、そうなってしまうのかもしれない。
「そうだ、朝話してた放学の件なんだけど……」
「あ、はい。三島さんが受けられるあれですね」
「そう。……土日だけにしようかなと思ったんだけど、俺の頭じゃあ土日だけじゃ足りないって先生に言われたから、どうにもなりそうになくて……」
「はい。大丈夫ですよ。頑張ってください」
「……そうあっさり言われるのもなあ……」
あからさまにがっかりと肩を落とした三島さんは、深く深くため息を吐く。
「俺は……寂しいけど」
構ってほしそうなその拗ねたような目は、年上なのにどこか年下のようなきゅるんとした愛らしさがあって、ついつい撫でたいなんて欲が顔を出す。
しかし三島さんは男性で、しかも年上の人。拭えない未知感から冷静になって、すぐに欲に蓋をする。
「……その……あ、そうだ、弟が……」
「ん?」
「あ、えっと……私が母に変なおじさんに会った話をしてるのを弟に聞かれて……またいつもみたいに『ブスのくせに』とか『もの好きがいたんだな』って言われたのは想定内だったんですけど……」
「あー、んー……」
「それで、その、弟が学園前まで迎えに行くってきかなくって、その……」
「え!」
三島さんが驚いたような声を上げて、またしても前のめりにこちらに身を乗り出した。
「だから来週からは、本当に大丈夫かと……いつまでも迷惑をかけているわけにもいきませんし」
「まって、ちょっと気になることあるんだけど、いい?」
「え? はい。大丈夫です」
「まず、その……弟さんって、中学生だよね? どこ中?」
「御崎第二中です」
「そこから、桜丘女子まで行くの? 御崎って四駅離れてるよね?」
「何度も言ったんですけど、どうしても引かなくて……今日定期を買うって母に言ってました」
本当の本当は、理久にはどうせ意地悪しか言われないから一緒に帰るなんてしたくもないのだけど、私の話なんて聞いてくれないまま「いろいろ迷惑なんだよブス」と、私の発言はそれから一切無視をされた。
母もどうにも乗り気らしく定期の購入はすんなりと受け入れていたし、父に関しては「俺が迎えに行く」と夕食の席で立ち上がるほど。理久はともかく、両親に関しては少し過保護すぎる。
「そこまでのシスコンだとは思わなかった……」
「なんです?」
「いやなんでも。……でもそっか。こうやって二人で帰れるの、結構楽しみだったんだけどな」
またあの甘えるような顔をされて、ついつい目を逸らす。
「でも朝は会えるもんね。受験終わるまではそれでいっか」
穏やかに笑ったのが、視界の隅っこでも分かった。
三島さんはとても優しい。
優しくて、気遣い屋さんで、余裕もあって、意地悪なんて絶対にしない。私の異性のイメージとはあまりにもかけ離れている大人の男の人。
二歳の年の差だけでこんなにも違うんだなともう一度三島さんを盗み見ると、私をずっと見ていたのか目があって、だけどやっぱりふわりと笑うだけだった。