第5話
朝。いつものように駅前に行くと、やっぱり絢芽が先についていた。絢芽は暇なときにもあまり携帯をいじらないため、今も柱にもたれかかってただぼんやりと足元を見つめている。
桜丘女子の制服が目立つからか、絢芽自身が目立つからか……すごく視線を集めているようだった。
「あ、おはよう、万結」
「うん、おはよう絢芽。……なんかまた怖い顔してたよ?」
「うーん、ちょっとねー……」
「……え、また……?」
「うん。……なんかずっとつけられてた気がして……昨日の帰りなんだけどさ、振り返っても誰も居なかったの。今はその、視線は感じないけど、私が気づいてないだけで居るのかなとか思ったらなんか……」
「それ……絶対危ないよ。け、警察に相談する?」
「出来ないよ、証拠だってないし」
困ったように笑う絢芽と二人で改札を抜けて、ホームへとやってきた。
絢芽は少しだけ周りを気にしているけど、昨日の今日で不安があるのだろう。もし家までついてこられていたなら、家がバレている可能性があるのだ。絢芽の勘違いならそれに越したことはないけど、もしも本当だった場合厄介である。
「……ねえ絢芽、今日からさ、帰り、一緒に帰ろう? ほら、私部活終わるの待ってるよ」
「え、でも、」
「それに、私だってその方が三島さんにも迷惑かからないし、一石二鳥だって」
すごく不安そうに表情を曇らせていた絢芽が、少ししてやっとほんのりと微笑んだ。つけてくる、なんてきっと悪質な人だ。目的がはっきりしていないから余計に、そして誰なのかも見当も付かないからさらに不安なのだろう。
「ごめん、ありがとう、万結」
「ううん。私も、絢芽と一緒に帰れるの嬉しい」
それに、絢芽の部活中の姿を見るのも久しぶりである。
中学の頃はたまに遠くから眺めていた。
短距離を全力で走る絢芽は本当に格好良いのだ。その真剣な表情を見たくて、というファンの男の子とかも多く居て、そう思えば、それが女の子にすり替わったというだけで今も状況はあまり変わっていない。
「おっはよー、万結ちゃん、絢芽ちゃーん」
相変わらずの萌え袖でふにゃりと笑う加賀さんに気がついて、私と絢芽は挨拶を返しながらもそちらに向かう。最初は怖かった人たちも、良い人だと知ってしまえばもうそんな印象も無い。加賀さんはやっぱり少し近いから慣れないけど、さりげなく絢芽が寄ってきてくれたり、三島さんが話しかけてくれて気を逸らせてくれたりと、優しいフォローのおかげで平気になりつつある。
「昨日は一人で帰ったの?」
開口一番に、金好さんが絢芽にそう声をかける。
「はい。そうですけど」
「……大丈夫だった?」
「あ!」
探るような金好さんの声音に、さっきまでの絢芽との会話を思い出した私はつい言葉を挟んでしまって、一気に視線が集まった。
「え、あ、すみません。……あの、三島さん、私今日から絢芽と帰るので、その……」
「「え?」」
目をまん丸にした三島さんと、何故か金好さんからも言葉が返る。
それには私も絢芽も驚いて、目を見合わせて首をかしげた。
「どういうこと?」
固い声でそう言ったのは金好さんだ。
絢芽を見ると、言いたくないのかぎゅっと口を閉じていた。私だって同じ状態なら、あまり人に「誰かにつけられている気がする」なんて言いたくはない。勘違い女だ、とか、そんなひどい言葉を言われる可能性だってあるのだ。
「……あ、私が、その……三島さんに迷惑をかけているので。絢芽に相談したら、それならぜひ一緒にって……」
勇気を出して言ったにしては苦しい言葉だけど、一番良い言い訳な気がした。
けれど納得がいかないのか、誰からも言葉が返ってこない。
三人とも、それぞれで目配せをしているだけである。
「ねえ、万結ちゃん、絢芽ちゃん」
加賀さんがやたらと優しい声を出したためそちらを見れば、まるで捨てられた子犬のような顔で私を見ていた。雨に打たれて弱っているかのような儚い悲しげなその顔にはつい、飼っていたチワワを思い出す。
「俺たちはもう友達じゃん。そりゃあ、万結ちゃんと絢芽ちゃんくらいの仲ではないけどさ、それでももう大事な友達だと思ってるよ。だからさ、きっと何かあったんだろうなとか、それは何か良くないことなんだろうなとか、そう考えるとね、すごく心配しちゃうんだ。俺たちは友達だから、頼ってほしいな」
まるで言い聞かせるような落ち着いた声。
いつものふわふわした物言いではない加賀さんのそれは、じっくりと心に染み込むようだった。
「……お、お友達……ですか……?」
「そうだよ万結ちゃん。俺は友達だって思ってる」
「でも、加賀さんは男の人ですよ?」
「男女間の友情もあるよ」
「……と、年上の方ですし……」
「そういう友情の形もありなんだよ」
――そうなのかな。
どうなんだろう、と絢芽を見るけど、絢芽も私と同じようなことを思っていたのか「どうなのかな?」という目でこちらを見ていた。私たちはそもそも異性の友人が居ないため、異性と友人関係になることがよく分からない。それに年上の人との接点もなかったために、年上の人と友人になるということにもあまりピンとこないのだ。
「万結ちゃんにとっての絢芽ちゃん、絢芽ちゃんにとっての万結ちゃん。俺たちは、二人と同じような関係だよ」
静かにそう言った加賀さんは、だから、と言葉を続ける。
「どうして急に絢芽ちゃんと帰るなんて言いだしたのか、本当の理由を教えて?」
――――絢芽は、と再び見上げて、その先で一つ頷きが返ってきた。
言っても良い、ということなのだろう。
「……絢芽、昨日……変な人につけられたかもしれなくて……」
「え! ほんと?」
ぐい、と一歩絢芽に寄ってきた金好さんに、絢芽は同じだけ後ろに下がる。
そしてその質問には、今度は絢芽が口を開いた。
「たぶん、ですけど……なんか、視線を感じて……でも振り返っても誰も居なかったので、気のせいかもしれません。だから今日は、万結と……」
「いや待って」
間髪入れずに絢芽の言葉を遮ったのは、三島さんだった。
「万結ちゃんと絢芽ちゃんが二人で帰ったところで、餌が二倍になるだけだと思う。それで本当に誰かにつけられてた場合、標的が変更されるか追加されるかで万結ちゃんも危ないし、女の子二人で帰ることは反対だな」
「……二倍?」
「そう。だから万結ちゃんはいつも通り俺と帰ろうね。絢芽ちゃんには隼斗がいるから大丈夫」
「「え!」」
絢芽と驚きの声が重なったけれど、それはどうでも良いのか金好さんは爽やかににっこりと笑う。
「そうそう。康介の言う通りだよ。女の子二人で帰った方が危ないから、ここは男を連れて歩いた方が良いと思う」
「……でも、その……」
「絢芽ちゃん。俺は心配なんだよ、これでも。絢芽ちゃんは強いように見えて、本当はか弱い女の子なんだ。いつも気を張って万結ちゃんを優しく守っている絢芽ちゃんを……今度は俺に守らせてほしい」
金好さんはいつもは胡散臭い笑顔で笑いかけてくるのに、今ばかりは本気だとでも言いたげにとても真剣な顔をしている。
見慣れないそれにはつい感激してしまい、絢芽を任せられる頼もしさが秘められているような気さえしてきた。彼女が五人居るとか聞いていたから勘違いしていたけれど、本当の本当はとても優しくて思いやりのある人なのかもしれない。
きっと、こんな金好さんなら本気で絢芽を守ってくれる。
「笑うところだぞ基樹」
「あはー、それよりも引いてたよ。隼斗の手法って胡散臭いというか、本当どこか古臭いよねー……って、ちょっと万結ちゃん騙されてるんだけど!?」
「嘘だろ、え、いや絢芽ちゃんもなにちょっと感動してんの?」
絢芽と目を合わせて、頷きあった。この件に関してはもう、金好さんに投げても大丈夫だと、お互いに気づいたのだ。
「あの、じゃあ、よろしくお願いします」
「私からも……その、絢芽のこと、お願いします」
「うん、もちろんだよ」
「よかったね、絢芽!」
「うん。……彼女が五人いるとか聞いてたから、誤解してたね」
「だね。彼女が五人いるとか信じられないこと聞いたから、悪い人かと思ってたよね」
「待って。え、ちょっといい? ねえちょっと、ちょっとだけこっち」
金好さんがくいくいと手招きをして、呼ばれた絢芽がキョトンとそちらに歩んでいく。
ヒソヒソと何かを言っているようだけど、少し離れてしまったために会話はまったく聞こえてこなかった。
「ちなみにー。隼斗のフォローしとくと、彼女は彼女でも身体だけの彼女だから、別に正式にお付き合いしてるわけじゃないんだよー」
「基樹、それフォローになってねえよ。悪化してんぞ」
「え、そうかな?」
うっかりうっかり、なんて、加賀さんは可愛いポーズで誤魔化しているけれど、ますます分からない世界だ。
身体だけの彼女。身体だけの彼女ということはきっと、文字通り胴体部分だけの彼女というわけではないはず。それくらい私にも分かる。男の人とお付き合いをすればそういったこともすると分かっているし、子どもを宿すにはとても必要な行為だ。だけど、正式にお付き合いをしていないのに、それを行うという関係は……いったい……。
「大丈夫? 万結ちゃーん」
「は、はい、大丈夫です。……いや、その……ちょっと理解ができないだけで」
「だよねー。万結ちゃんや絢芽ちゃんにはちょっと汚い世界だよねえ」
「こら、困ってるだろ。それセクハラだぞ」
「やーだー、またええ格好して。腹いせに、康介と隼斗が学校で悶えてる姿とか会話ぜーんぶ万結ちゃんと絢芽ちゃんにぶちまけてやりたーい」
悶え――?
首を傾げて加賀さんを見ていると、察した三島さんが「気にしなくていいから」と照れたように笑いかけてくれた。それとは裏腹にその手が加賀さんの頭をギリギリと潰す勢いで鷲掴みしているのだけど……加賀さんの頭は無事だろうか。
「あーん今日の小テスト終わったー、康介のせいで単語飛んだー」
「飛ぶか、んなことで」
「飛びますー。……あれ? 康介さあ、そういえば来週から放学始まるんじゃなかった? 始まったら万結ちゃんと帰れなくない?」
ピタリと、三島さんの動きが止まる。
「……放学、とは……?」
「あ、そっか、万結ちゃんは分かんないよね。うちの高校さ、三年は放課後学習を受けるか選べるんだよ。受験控えてるからね。ちなみに俺と隼斗は地元のそこそこの大学受けるから放学はしないことにしたんだけど、康介は結構レベル高いところ志望してるからさあ」
「そうなんですね。頑張ってください」
「いやいや万結ちゃん、帰りどうするの? 危ないよほんとに」
「大丈夫です。なんとかなりますから」
「あ、俺が代わろうか? 俺と一緒に帰るー?」
「基樹……」
「やだやだ冗談じゃーん。俺には坂井が居るから誤解されるようなことしないよー」
三島さんの言葉にテへッと笑った加賀さんがそう言うけど、さして興味はないのか三島さんは何か考え込むように腕を組んで黙り込んだ。ちょっと離れたところでは、何かを言われてどうしようかと困った様子の絢芽に金好さんがまだ何かを訴えているようだし……静かになったこの空間をどう切り抜けようかと考えどころだ。
「あの……私、一人でも帰れますよ? もう高校生ですから」
「うーん……」
「万結ちゃん、そこじゃない。康介が悩んでいるのはね、実はそこだけじゃないんだよー」
加賀さんの言葉がよく分からなくて、どう返事をすべきかも分からない。
助けを求めて三島さんを見てもまだ何か悩んでいるようだし、絢芽も金好さんに捕まっているし――――早く着かないかなあ、と肩を落とすことしか出来なかった。