40,一月上旬 夕方
「……万結、まだ一緒に登校しない?」
部活への別れ際、絢芽がどこかまいったようにそんな事を口にした。
一緒に行かなくなった事情を知っているだけに説得しにくい、という雰囲気を出しているけど、きっと言葉にしたのにはわけがあるはずだ。
「ど、どうしたの?」
「……出来れば、私一人はちょっとあれというか……そもそも三島さんもやっぱり落ち込んでるし……」
「み、三島さん、落ち込んでるの? なんで?」
「万結が避けるからだよ」
そこは察してあげて、なんて付け足されて、頭に雷が落ちたような感覚になる。
なんと、三島さんは私が避けている事を悪い意味に捉えてしまっているのだ。いや、よくよく考えればそれが正しいのかもしれない。自分の事を好きだから避けてる、なんて、一部のナルシストか自惚れ屋しか思わない事である。
「で、でもでも、連絡はとってるよ!? 嫌ってたらそんな事もしないよ!」
「分かってるよぉ~、でもそれだけじゃないんだよ~。ほら、会いたいとか思うじゃんやっぱ……」
「え?」
「なんでもない」
言えない苦痛。なんで言っちゃダメなの。言いたい。
絢芽からブツブツそう聞こえるけど、何か言いたいことが溜まっているみたいだ。
「あ、絢芽。先生が……」
ちょうど、陸上部の顧問の先生が通りかかった。なんだかたくさん荷物を持っていたし、一緒に行ったら、と思ったのだけど、どうやら絢芽は正しく理解してくれたらしい。
頭より先に体が動いたようで、すぐに駆け出してしまった。
また後で連絡しよう――――そう決めて背を向けたところで、
「万結!」
振り返って、離れたところで絢芽が手を振っているのが見える。
「また明日ね!」
こういう時、なぜか改めて絢芽のこと好きだな、なんて感じてしまうのだ。
――――さて。
今日はなんと清香さんはお仕事が大詰めらしく居なくて、理久も受験前で放課後は学校に拘束されているため居ない。つまり珍しく、一人で帰る日なのだ。
みんな過保護すぎて忘れているけど、私だって一人で帰ることくらい出来る。
紫杏や佐知はどういうわけか一人で登校する事も許してくれないし――――私だってもう高校生になったのだから、そんな事を手厚く見守ってくれなくても迷子になんてならないのに。
(本当困っちゃうよね)
しかし今日はそれを証明する一日目である。
堂々と帰って見せつけてやるのだ。
と、意気揚々と電車を待っていた、のだけど。
「……田上くん!?」
反対のホームに着いた電車内にその姿を見つけた。ただし、意気消沈、という表現がまさにぴったりな状態の落ち込み過ぎている田上くんだ。
目は虚ろだし、ここがどこか分かっているのかいないのか。乗り過ごしにもきっと気づいていないのだろう。
これはいけない、と全力疾走でそちらに向かうと、どうやら発車までに二分あったようでわりと余裕で間に合った。
「田上くん、また乗り過ごしてるから、おりるよ!」
すかさず手を引くと、されるがままについてくる。
どうしてこんなことに、なんて愚問だ。だって今朝聞いてしまった。田上くんは今、究極に佐知不足で、佐知に嫌われたと思ってしまっている。
(違うんだよ田上くんー!)
だけど佐知も田上くんを好きだなんて、私の口からは言えない。なんてもどかしい――!
手を引っ張られているというのに何も聞かず着いてくる田上くんは多少心配になるけど、無事元のホームまで戻ってこれた。するとちょうど時間だったのか電車がやってきたため、その流れで乗り込む。
がたんがたん、と揺れる電車。田上くんは未だに一言も発しない。
「……た、田上くん、おーい……」
目の前で手を振ってみると、しばらくしてゆっくりと焦点が合って、そしてそのまま前に立っていた私に視線が持ち上がってきた。
「……あれ。フドーさんだ」
「合ってる……田上くんに名前間違われなかった……!」
これは思った以上に重症だ。
佐知には早急に手を打ってもらわないと……!
「あれ? でも、なんで……俺……帰ってた、のに……」
「乗り過ごしたんだよ」
「ああ……ダメだなぁ……何しても……俺、なんか……」
負のスパイラルなのか、田上くんはどうやら佐知に嫌われたと思い込んでいる事によって、何事にもネガティブになってしまったらしい。
「何があったのかなー……なんて……よかったら聞くよ」
知ってるけど。
「……さっちゃん。さっちゃん、に、嫌われた……」
ああほら。やっぱり。
ついサッと視線を逸らしてしまう。
「さっちゃんが全部、なのに……さっちゃん……俺、余計なこと……好きだなんて……言っちゃった、から、さっちゃん……どっか行っちゃ……会いたい……」
内容が分解されてすでに「会いたい」とか「嫌だ」しか言わない機械みたいになってしまったけど、本当、田上くんの中の佐知の比率は大きすぎる。依存、だと思っていたけど、もしかしたらこれは執着なのかもしれない。
「さっちゃ……さっちゃん、居ないなら……もう、閉じ込める、しかない……誰かのものに、なるんなら……そんなの、許さない……さっちゃんは……絶対誰かものになんて……さっちゃん……」
「田上くん、思考が、思考が危ないよ!」
「あれ? フドーさんだ」
「その流れ二回目だよ!?」
田上くんの佐知への執着は異常だ。侮っていた。
――――こんな田上くんに佐知を任せて大丈夫かな、とは思うけど。
(……佐知も好きっぽかったし……)
そこは当人同士の問題だ。きっと佐知は、こんな田上くんを知っていて、こういうところも引っくるめて好きなんだろう。
「田上くん、佐知に告白したんだ?」
こくりと一つ頷く事で肯定が返る。
「それでどうなったの?」
「……に、げられてる……か、顔も、合わせてくれない……」
「追いかけた?」
「……れない……だって……追い、かけて、拒絶、されたら……俺……」
確かに、目の前で手を振り払われたりしたら、きっと今以上に落ち込んでしまうんだろう。
「今度こそ……繋いで、離さない……俺だけの……俺だけの、さっちゃんに、絶対……さっちゃん、離れてかないように……」
「思ってたより過激でびっくりだよ!」
どうして健全で居られないの田上くん!
「……さっちゃん……俺……どうしよ……さっちゃんが足りない……会いたい……でも今会ったら……」
「うん。やばそうだよね。今佐知に声かけられたりしたらもうアウトだよね」
素直に頷かれて、なんだか背筋がゾッとした。
どうしよう。放置すれば今以上に危なくなるし、だけど今もすでに危ないし……。
これは見なかったフリ……? だけど佐知の身が……でも当人間の問題だし……。
(いや、待てよ)
そもそも、相手は佐知だ。私よりもうんとしっかりしてるし、田上くんの手綱の握り方も分かっているはず。ということは、これは無駄な心配では?
(……よし)
となれば、応援すべきである。
「田上くん!」
少し強い声に、田上くんもゆるりと顔を上げた。
「佐知がそんな事で田上くんを嫌うなんてないと思う」
じっと、その目は静かに私を見ている。どうしてそう思うの? なんてことを思っていそうな目だ。だけどもちろん、そんな疑問も言葉にはならない。
「田上くんが好きになった佐知は……告白されただけで、相手を嫌うような子なの?」
ゆっくり、ゆっくり。
その目が開いて。
「佐知は、そんな事で絶対避けたりしない。きっと他に理由があるはずだよ」
「…………そ、か」
田上くんの口から、静かに「そうだね」と漏れた。
「頑張って、田上くん。佐知を幸せにできるのは田上くんだけだよ」
「……そう、思う?」
「もちろん」
何より、佐知が選んだ人なのだ。だったら田上くんで間違いはない。
――――少しだけ佐知の身の安全が心配だけど。それでもきっと、佐知ならうまいこと田上くんをどうにか出来るはずだ。
「……うん。……頑張るよ……富良野さん」
「不藤だよ!」