26,十一月始め 朝
とうとう昨日、生徒指導の先生に呼び出された。
体育大会の後より本格的に、早くも進路について考え始めている桜丘女子学園の一年生だけど、この時まで進路が曖昧な生徒は先生に相談する時間が設けられるらしい。
焦らせる理由ではなく単に話を聞くのが純粋な目的のようで、私の他にもたくさんの生徒がその制度に参加させられていた。それだけ多いからこそ、私が呼び出されたのは十一月となったのだ。
それが、つい昨日の放課後の出来事。
理久に連絡を入れれば「悪魔の扱いは心得てるから待てる」とよく分からない返事が来たのだけど、どうやら理久は待つようなので「弟が待ってるんで」という早々に切り上げる口実も使えそうになくて、結局みっちり一時間はマンツーマンでお話をしていた。
得られるものは、あまりなかったけれど。
「おはよう万結」
「おはよう、絢芽……」
トホホ……と歩いていると、絢芽が駆け寄ってきた。
もちろん絢芽は進路についての指導は入っていない。迷うまでもなく北斎体育大学を記入して、理由を聞かなくても分かる志望大学だったために一瞬で先生を納得させたからだ。
「昨日、なんか言われたの?」
「うーん……やたらと『趣味は』とか『特技は』とか聞かれたけど、何も答えられなくって、進路には繋がりそうにない……」
「んー、そっか……」
どこにでも行けるわよ。なんて先生に言われたからこそ、迷うのだ。
さすがにランクが上過ぎる大学には行けないけれど、ある程度までなら融通は利くらしい。しかしそれを聞いても、まずどこに何をしに行きたい、という目的が明確ではないため、どこの大学に行っても同じ気がしてならない。
いろんな人にいろんなアドバイスを貰ったけど――――やりたいことというのも、分からないままだ。
「そんな万結に、これ」
ホームで電車を待っていると、絢芽が小さな紙袋を差し出した。
「え! あ!」
「今日誕生日でしょ。おめでとう」
「あ、あ、ありがとうッ!」
進路のことに悩みすぎて一瞬忘れていたけれど、そういえばそうだったのだ。
朝一番で、理久からもプレゼントを貰った。
綺麗にラッピングされた袋に入っていたのは、可愛いシュシュとオシャレなヘアピンで、私の服装にもしっかりと合う、そして私が好きなデザインの物だった。理久が私にプレゼントをくれただけでなく、好みまで把握してくれているのが嬉しくて素直にお礼を言えば、何も言わないまますいっとどこかに行かれてしまったけれど。それでもとても嬉しかったものだ。
今日は嬉しいことばかりだなと絢芽からのプレゼントを開封すると、オシャレな香り付きのハンドクリームと、白いふわふわの手袋が顔を出す。
「ほら、万結ってさ、いっつも私とか佐知のために、試合前になったらマッサージとか差し入れとか、しっかり調べてたくさん頑張ってくれるでしょ。この間のインターハイも、終わった後にケアしてくれたし……あれ、佐知もすっごい助かってるらしくって、ありがたいねって二人でよく話してるの。だからさ、万結の手には私たちすごい助けられてるしって」
だからって手を守りすぎだよねえ。
そう笑った絢芽を見て、じわりじわりと目頭が熱くなる。
だって、全部私が勝手にしていることだ。私が勝手に、二人が大変そうだからと、二人が真剣に取り組んでいるからと、せめて疲れが残らないように、せめて怪我をしないようにしたいだけで。
別に、お礼を言われるようなことじゃないのに。
「ええ、ご、ごめん、大丈夫……!?」
「大丈夫。嬉しい、ありがとう」
「そ、そんな、泣くほどイイものじゃないよー」
「いいものだよー」
一筋涙が流れてしまうと止まらなくて、ハラハラと流れていく涙を強引に擦っていれば、電車が来る頃には無事止まってくれた。
「ええー、今日誕生日!?」
加賀さんが驚いたように言ったので、それには絢芽が言葉を返していた。
電車に乗ると、さすがに涙は止まっても目が赤かったために三人に泣いていたことがバレてしまい、どうしたのかと詰め寄られたのはつい今だ。
そうして誕生日のことを話す流れになったのだけど――――どうして今日の三島さんは、金好さんが絢芽にするみたいに、壁際に居る三島さんの隣に私を引っ張るのだろうか。
しかし気にしていないのか、加賀さんも金好さんも通常運転で、金好さんに至っては通常すぎて絢芽を連れてしまった。
「そうだったんだー。おめでとう!」
「あ、ありがとうございます」
壁際に追いやられた上に電車内から遮断されるように隣に三島さんに立たれ、三島さんの前には加賀さんが居る。まるで囲まれるようなことは初めてでちょっと落ち着かない状況だ。
「あの……」
「おめでとう、万結ちゃん。今度、俺にも何かプレゼントさせて」
「え、いえ、いいですよそんなっ」
優しい声に顔を上げると、三島さんはやっぱり優しげに微笑んでくれていたけれど、私と目が合うと心配そうに眉を下げた。
「目……擦った? 目尻まで赤くなってるよ」
大きな手が、頬に触れた。それは私の顔なんてすっぽりおさまりそうなくらい大きくて、男の人の手で、そんな手に顔を触れられるなんてことが初めてだったために、すりすりと親指が触れている目尻に熱が集中する。
「う、あの……」
「康介はさー、そういうところなんだよねー」
「は? なにが」
私や絢芽のものとは違う、どこか硬い指。
三島さんも、男の人なんだなあと、改めて実感した。
「こーんなところに閉じ込めるくらい泣き顔可愛いもんねー」
「基樹……」
「わーん冗談なのにー。あ、万結ちゃん、文化祭来てくれるんだってね」
「は、はい。午前中にお邪魔します」
「待ってるねー。当日、康介と隼斗、ちょー格好いい服着てるからね!」
「格好いい服……」
「おい基樹、」
「いいじゃーん、きっと似合うよー」
三島さんが、格好いい服。
私の脳内に「男の子の格好いい服」のレパートリーが少なすぎてどんなものか思いつきもしないけど、きっと三島さんなら似合うだろう。だって三島さんだ。格好いい三島さんが、格好いい服を着るのだ。
「やめろよまじで……」
「似合いますよ、きっと」
「万結ちゃんまで……」
憂鬱――――と本当に嫌そうに三島さんが呟く。
「だって、三島さんは格好いいですから」
「え」
パッと、三島さんと加賀さんが私を見た。
それにはつい驚いて、何事かと黙り込む。
「万結ちゃん、康介のこと格好いいって思うのー?」
「は、え、はい……だって、格好いいですよね? その……いつも優しくしてくれて、助けてくれて、ヒーローみたいに……」
「ええー! だよねだよね、俺もそう思うよー……って」
加賀さんの視線に釣られて三島さんを見上げると、三島さんは真っ赤な顔で、それでもそのまま私をただ見ていた。
それは初めて見た顔で、少しだけ切なそうで、だけど口元は嬉しそうに緩んで。
なんだかその瞳に帯びる熱に吸い込まれたみたいに、どうしてかそこから目が逸らせない。
「ありがとう」
――――そう言って、三島さんは赤い顔で綺麗に笑った。
なんだか恥ずかしくなって、心臓がうるさくて、やっと三島さんから視線を引き剥がして目を伏せる。
「い、いえ……」
すごく、すごく恥ずかしい気がしてきた。体温がぐんぐん上がってきた頃には三島さんの隣にいるのも落ち着かなくなったために、ちょっとだけ外の景色を見て心を静める。
加賀さんの「今日いいじゃん」なんて言葉に、三島さんは「頑張った」と小さく返していたけれど、やっと落ち着いた私がそちらを見る頃には二人とも何事もなかったかのような顔をしていた。
「そういえばさ、文化祭の日、午前は大丈夫ってことはー、午後には何かあるの?」
「はい。午後は、美濃東高校の文化祭に行くんです」
「美濃東?」
三島さんが、咎める声を出す。
「こら康介、こないだのは同級生だってばー」
「分かってるよ」
「美濃東かー、いいなあ俺たちも日が被らなければ行きたかったなー、ほら、真嶋とか三木とか居るじゃん」
「あー、そうなあ……」
「いいね、文化祭巡りみたいになるんだー。でも万結ちゃん、美濃東にお友達居たの?」
「はい。だから、会いに行こうかと」
久しぶりに、四人で集まれるチャンスなのだ。
ちょうど佐知と紫杏は午後が空いていると言っていたので、金好さんからの申し出は無理なく受けることができた。女子高しか知らない私と絢芽は、今からすでに共学の高校に行くということでドキドキわくわくしている。
「まって、万結ちゃん、美濃東ではあれだよね、女の子だけで歩くんだよねー?」
「はい……」
「危ないよー、お友達居るけど、女の子だよねー? ねえ康介、危ないよね?」
「いやー……俺は大丈夫だと思うけど」
「え、なに、どうしたんだよー、康介は心配するキャラじゃん」
「だって万結ちゃん、友達って、上月さんと如月さんでしょ?」
「はい」
「じゃあ大丈夫だよ」
三島さんの言いたいことも、加賀さんの「危ない」の意味もよく分からないけど、中学まで四人で一緒に居て危険なことは起きたことはなかった。
あの二人も絢芽も目立つけど、別にそれで何かがあったわけでもない。
加賀さんが「どういうことー」と三島さんに聞くと、三島さんは言葉を選ぶように少し悩んで、そしてただ「誰も邪魔しようとしないってこと」とだけ伝えていた。