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青春は初恋のはじまり  作者: 長野智
■第1章
19/43

19,始業式 夕方2

 




 


 電車内にある路線案内を見上げて田上くんに説明をすると、分かっているのかいないのか、ただいつものようなぼんやりした目をしたまま相槌を打っていた。私の声を聞くために少しだけ腰を折っているのはなんだか申し訳ない気もするけど、そこまでして聞いているのに内容が頭に入っていない様子なのはどうなのだろう。

 なんだか不安になったために逆路線の話をさり気なく織り交ぜてみても同じように相槌が返ってきたから、さすがにお手上げである。

「ねえ田上くん、大学は美術の大学に行くの?」

 諦めて誰も居ないシートに座ると、田上くんもふらふらと隣に腰掛けた。

「……さっちゃんと同じところ」

「佐知、北斎(ほくさい)体育大学行くと思うよ。田上くんとはちょっと合わないよ」

「……う……でも……」

「それにほら、田上くんは田上くんの良いところ伸ばした方が、佐知に追いつけるんじゃないかな」

 私の言葉にまるで「その手があったか!」とでも言いたげな驚愕の表情を返す田上くんには、もうさすがに何も言えそうにない。どうしてここまで閉鎖的な思考で居られるのだろうか。いや、佐知が中心すぎて視野が狭まっているだけなのか。

 そもそも、佐知と同じところ、とか、大学ってそんな選び方で良いのだろうか。

「……美大……にしようかな……」

「その方がいいよ。田上くん、運動苦手だろうし……」

「うっ……えっと……笛木さんは大学とか決めたの?」

「不藤だよ」

 絶対覚える気ないよ田上くん。

「私はまだかなぁ。……なんていうか……ほら、佐知とか田上くんみたいに、特筆してすごいところとかないし。そういうのあったら考えなくても進路は決まってるんだろうけど……私は何もないから、一年の二学期ではまだ考えられない……」

 佐知はソフトボールの超エースで、絢芽は陸上短距離の強化選手で、紫杏はずば抜けて頭が良くて、私の周りの人たちは皆それぞれ群を抜いてすごい人たちだ。佐知も絢芽も北斎体育大学に進学することはなんとなく言っているし、紫杏は聞いたことないけど、きっとその頭のレベルに合った偏差値の高い大学を受けるのだろう。

 桜丘女子学園に居るためにそれなりに選ぶ幅は広いのだろうけど――――そんな多くの道を用意されればされるほど、分からなくなるのが現実だ。

「……さっちゃんは……布川さんは教えるのがうまいって言ってた」

「……教えるの?」

 田上くんに問い返せば、ゆっくりと、だけどしっかり一つ頷く。

「その……えっと……キツツキさん……だっけ……あの人はすごくマイペースだから、何を言っているか、とても分かりにくいらしくて……」

 確かに紫杏はマイペースで、頭が良すぎるが故に人に教える時には急ぎ足になることが多い。そのことで佐知が「紫杏は日本語が通じない」と頭を抱えて物申しているのを何度か聞いたし、先生さえも授業中居眠りをしている紫杏に対して「如月はうるさいから寝かせときなさい」と、自身のミスを指摘されることを恐れて放置する始末。一度だけ「回答を解説付きで答えろ」なんて、高校二年生で習うような問題を中学三年の紫杏に解かせるというとある教師の苦し紛れの意地悪をされたあの時にも、紫杏は恐ろしいほど分かりやすく教えてくれた。

 ゆっくり教えることも出来るけど効率的じゃないからなるべくやりたくない、というのが紫杏の考えらしく、だからこそ身近な佐知には容赦がない。佐知に「何を言っているか分からない」と何度言われようと紫杏はカラカラと笑って「そう言われる意味が分からない」なんてとても楽しそうに言うからか、喧嘩になったことはないけれど。

「だけど、吹上さんは、丁寧で分かりやすいって……ほら、さっちゃんは、頭はあれだから、丁寧なのが助かるらしくって……」

「……そうだね、佐知、才能の全部、運動神経に持って行かれたもんね」

「何もない人も居るから……いいんじゃないかな……」

 何もない人の前でそれを言うのはイヤミじゃないかと田上くんを見てみると、そこはやはり田上くんということなのか、深い意味などなさそうにぼんやり前を見ているだけだ。

「……丁寧かあ……どうなんだろ、分からない……」

「俺も……それは分からない……」

 田上くんが私に関して何も分からないことについては、言われなくても分かる。もはや名前を何度間違われたかも分からないし、中学の頃から田上くんは他人に対してとても無関心だった。正直、私の顔を覚えているだけでも驚きだ。佐知といつも一緒に居た人、という認識なのだろうけど、いつも佐知と一緒に居たような友人でさえ、顔を覚えるだけで名前も覚えられないほどには田上くんの世界は狭い。

 佐知が運動神経に全て才能を捧げたように、田上くんもその才能のためにある意味で何かを代償にしたのかもしれない。


「あ、ほら、田上くんはこの駅から、こっちのホームの電車に乗るんだよ」

 美濃東の最寄りに戻ってくると、やっと見慣れた景色であると気づいたのか小さく「ああ」と呟いている。

「こっち……」

「あっち側から乗ったでしょ?」

「乗った」

「電車の向き見て、頭があっち向いてたら乗っちゃダメ。あと、改札に電子表示もされてるからちゃんとそれも見て、分からなかったら駅員さんか車掌さんに聞くのが一番だから、一人の時は絶対に確認してね」

 最悪、田上くんなら終電まで気づかないなんて奇跡もありえる。今日はまだマシな方だ。田上くんの「ぼんやり」が桜丘女子学園前で解かれて、田上くんが自発的に電車を降りる選択をしたのだから。

 だけど私がこうして教えたことも明日には忘れているんだろうと思えば、なんとも微妙な気持ちになってきた。

「……頭の向き……」

 どうやらその言い方がヒットしたらしく、相槌が返ってきたから理解はできたらしい。田上くんの「覚えれるポイント」にうまく入っていれば良いのだけど……。

「そうか……こっち向きに行きたい意思を見せてるこっちに向いている電車と一緒に行けばいいんだね」

「いや、まあ一緒に行くというか乗るんだけどまあそんな感じかなあ……」

「ああ……納得……」

 本当に? と言い出してしまいそうなほどにはほわほわしているのだけど、果たして大丈夫だろうか。というかどういう思考回路で物事を理解しているのかが、田上くんに関しては今ひとつ分からない。

「実は……キラメキさんにも教えてもらったこと……あったんだけど……」

「さっきから思ってたけど如月だよ。確かにある意味で紫杏はキラメキだけど」

「なんか……言ってる意味が……分からなくて……」

「相性悪そうだね……」

「でもやっぱり……さっちゃんの言うとおり……福石さんはわかりやすいし……なんていうか……相手に、合わせるよね。その……自分を」

 ――――そうだろうか。

 自分では分からない。普通に話しているつもりだし、今だって普通に教えただけだ。

「俺はこんなだから……誰も真剣に、話してくれないん……だけど……でも、藤井さんは、さっきからすごく話しかけてくれるし……自分を相手に合わせて、そうやって居心地を良くしてくれるって……そんなこと、なかなかできないと思う……」

 尽くすことが、向いているのかもしれないね。

 そう言って、田上くんは柔らかい目で私を見てふわりと笑った。

 なんだか初めてしっかりと田上くんと話したような感覚だ。いつもいつも、聞いているのかいないのか、何を考えているのかも分からない目をして、視線が交わることもあまりなかったから。

(佐知がいっつも「優は大丈夫だよ」なんて言ってたけど、こういうところなのかな……)

 なんだかんだといろいろ言われる田上くんだけど、いざという時にはしっかりするのだろう。

 女の子っぽくて、なよなよしてて、ぼんやりしてて、いつだって気だるげだけど。

(――――尽くす、かあ……)

 考えもしなかったことに、ちょっと参考にさせてもらおう、なんて素直に思って、今日ばっかりは田上くんに感謝をした。


 そうして電車がとまると、降りる駅が同じなために並んでそこから出る。もちろん出た時にも降りる駅について教えたけれど、見上げた先でいつものぼんやりした目をしていたから理解はされなかっただろう。

「じゃあ俺こっちだから……ありがとう、深田さん……」

「どういたしまして、田上くん」

 そうして、私の返事を聞いていつものようにぽてぽてと歩き出した田上くんに、さんざん悩んだ末にやっぱり言っておこうと「あの」と声をかけると、田上くんがゆるりとした仕草で振り返る。

「私、笛木でも布川でも吹上でも福石でも藤井でもなく不藤だよ。「ふ」の苗字のレパートリー多いなって思ってたけど、最後の深田は二回目だからね」

 気をつけてね。

 すると何が可笑しかったのか、田上くんは少しだけ嬉しそうにクスクスと笑って手を振ってくれた。

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