18,始業式 夕方
気のせいでもなんでもなく――――明らかに、そして確実に増えている。
絢芽を部活へと見送るいつもの場所で周囲を盗み見れば、チラチラとこちらを見ている生徒のグループがいくつかある。最初の頃は三グループ程だったものが今はもう六つか七つくらいには増えていて、そして全てが隠れる気もなく不自然に点在しているのだ。
「……なんか変に人多いね」
今まで一切気づいていなかった絢芽が、やっと周囲からの目線に気づいた。
絢芽のファンが多いんだよ! なんて本人相手に言い出せるはずもなく「そうかなあ」なんて流したのだけど、何かを思い出したかのような絢芽が閃いた様子でポンと一つ手を打った。
「三浦さんが言ってたよ、万結が可愛いからファンが多いって」
私が言うのもなんだけど、絢芽はとても鈍い。いや、人は自分のことには案外気づきにくい、ということをよく聞くから仕方がないのかもしれないけど、こんなにあからさまなのにどうして気づかないのだろう。
「違うよー……鈍いなあ絢芽……」
「え? 万結には言われたくないけど……それより今日も理久くん待ってるの? 二学期も継続?」
「二学期も継続らしい……」
二学期こそは断ろう、と思って勇気を出したのに、理久は少し怒りながら「俺があの悪魔に屈するわけねえだろうが」なんてよく分からないことを言った。とても真剣な表情をしていたから、とうとう現実とゲームの違いが分からなくなったのかもしれない。その場合、目的がすり替わっているような気がしないでもないけど。
「だけど今日は放課後に進路指導が入ったから来れないって言ってたよ」
「え! ……それで、一人で帰っていいって?」
「ううん。実はもう一人の知り合いの女性が居るんだけど、その人と帰るって言ったらそれならいいって」
「へえ……よく分かんないけど、そうなんだ」
実は清香さんは今日は来れないと連絡があったのだけど、私ももう高校生で一人で帰るくらいは出来るわけだし、言わないでおこう。
「絢芽は? 二学期も金好さんと帰るんだよね?」
「うん、またいつもの時間に、って連絡来てたから」
「そうなんだ」
金好さんも順調に距離を縮めているみたいだ。
絢芽は、恋愛について聞いてみれば「いいのかもね」と言っただけだった。きっと部活で忙しいし、そもそも校則があるから今は考えられないのだろう。けどそれだと金好さんがあまりにも可哀想なため「私は恋してみたいよ」なんて賛同していることを伝えてみれば、絢芽は少しだけ意外そうに目を開いた後「じゃあ私もしてみたい」と優しく笑った。
あれが果たして本音なのか私に気を遣ったのかは分からないけど、金好さんには頑張ってほしいものだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん。頑張ってね。また明日!」
「うん」
手を振って部室に向かう絢芽を見送って、私も門へと足を向ける。
周囲の絢芽を見ていた人たちがまだ立ち去らず、何故か私を見ているのだけど――――もしかしたら絢芽の情報欲しさに詰め寄られるのかもしれないという恐怖が湧き上がり、ちょっとだけ駆け足で駅に向かった。
一人での放課後の駅は、すごく新鮮だ。今までは理久が居て、途中までは清香さんがついてきて、なんだかんだとあの二人は仲が良いのか騒がしかった。しかしこれからは、三年生の理久も放課後が忙しくなるのだろうし、きっと私が一人の日は増えるのだろう。
人が少ない時間帯のために、ホームには私一人しか居ない。
なんだか寂しさを感じながらもベンチに座っていると、向かいのホームに電車がやってきた。三両編成のそれは待つ時間もなく、人を降ろしてすぐに動き出す。
三人がおりたみたいで、そのうちの二人はしっかりとした足取りで改札へと向かっていった。
しかし。
残された一人はあわあわとしているだけで、何をしたいのか戸惑っている様子を見せている。
「え! あ、」
その人はなんと、とても見覚えのある人だった。
同級生であり顔見知りだったために声をかけたかったのだけど、相手は絶対に私のことは覚えていない。いや、顔は覚えてるだろうけど名前は確実に覚えていないはずだ。そもそもあまり話したことがないのだから、声はかけないべきだろうか。
いやだけどあの人の性質上、絶対に今、うっかり、この駅まで来てしまったのだと分かっている。そしてきっとここがどこの駅かも分からず、しかし電車内から見たこともない景色が見えたために慌てて降りたのだろう。きっと逆の路線に乗ったことに気づかなかったのだ。
そんな、美濃東高校の制服を着ているうっかりなその人は、向かいのホームで自分を見ていた視線に気づいたのか、やっと視線がぶつかった。
そして、
「あ!」
なんて一声上げたかと思えば、すぐに改札の方へと駆けていく。
きっとこっちに来ているのだろう。分かっている。帰り方が分からないから、見知った顔があって安心したのだ。そしてあわよくば一緒に帰ろうとしている……。
「えっと……あ、えー……久しぶり」
ふにゃりと笑ったその男子生徒は、私の隣まで来るとつけていたイヤホンを外して、申し訳なさそうに眉を下げた。
左側で分けた頬まで伸びた前髪を左耳にかけて反対側をそのままさらりと流しているのも、二重幅の広い大きく優しげな目も、ひょろりとしているせいで高い身長なのに儚げに見えるのも、何も変わっていない。中学二年の時、佐知に「女みたいだな」と言われて切ったというその襟足は今も短いまま変わらなくて、よほどあの言葉がショックだったのだと伝わってくるようだ。
「……久しぶり」
この人――――田上優一とは、小中が一緒だった。
田上くんは佐知の幼馴染で、女の子みたいな雰囲気をしている。佐知曰く「昔から」らしいのだけど、初めて会った時はまだ身長も低くて声も高かったから、女の子だと思ったものだ。
そしてこの田上くん。なんとも失礼なことに、人の名前を覚えるのを得意としない。そしてさらには極度の方向音痴であり、団体行動をしていても気がつけば消えているほどで、本人の言い分としては「ぼんやりとしていたら知らない場所に居た」ということらしい。
そう、とんでもない「うっかり屋」だ。だから今回この駅に居るのも、きっと絶対「うっかり」なのだ。
「あの……俺、ここ、分からなくて……」
その前に田上くん、まず私の名前を思い出せていない様子だ。誤魔化しているつもりなのだろうけど、全く誤魔化せていない。
「……不藤だよ。佐知の友達」
「あ! そ……ごめん。不藤さん」
「もー。……田上くん、美濃東の最寄りから路線逆のに乗ったでしょ」
「え、そうなのかな、なんかぼんやりしてたら……」
「一人で電車に乗っちゃダメじゃん」
「うっ……今日はその……たまたま……」
「ここ、桜丘女子学園前だよ。美濃東の最寄りから三駅も離れてるよ」
「ううっ……」
叱る度にへにゃへにゃと萎れていく田上くんは、男らしさの欠片も見当たらない。
そのおかげで、中学時代は私も絢芽も田上くんとだけは会話できていたのだけど、田上くんは佐知しか認識出来ていないのか、いつも一緒に居た私たちでさえ覚えられていないのだ。
「田上くん変わらないよね」
「あ……えっと、うん……そうだね……」
「部活は続けてるの?」
「……び、美術を……」
「やっぱり! 中学の時から賞とかいっぱい取ってたもんね!」
「いや、そんなこと……は……」
「佐知もね、すごいってよく言ってるよ。ほら、佐知は繊細な作業が向かないから」
「え!」
突如キラキラと目を輝かせて私を見た田上くんは、嬉しいのか前のめりになっている。
「ほ、ほんとに……さっちゃん、褒めてた……?」
「う、うん……ほんとほんと」
「そっか……頑張る……ありがとう深田さん……」
「不藤だよ」
なんて失礼な子なんだ本当に。
「……俺……こんなだから……いっぱい頑張らないと、さっちゃんに置いていかれちゃうから……」
佐知は高校でも活躍しているのだと、夏休みに会った紫杏が教えてくれた。それから見に行った練習も、試合も、ソフトボールに詳しくない私から見てもすごく格好良くて、そしてとても素晴らしいものなのだと相手チームの監督の表情を見ていて分かった。
佐知はまだまだすごくなる。
田上くんは幼馴染として、追いつきたいのかもしれない。
「別に頑張らなくても、田上くんすごいよ。絵画コンクールで金賞とってたじゃん」
「……でもさっちゃんは……MVPとってた……」
基準に佐知を置いているから、どうしたって追いつけないのだ。
田上くんの絵だって、中学生が描くには早すぎる、と褒められていたのを聞いた。私からすれば佐知も田上くんもすごい人だし、クラスメイトだって女の子みたいな田上くんを馬鹿にすることなく認めていたのは、その才能を前に何も言えなかったからだ。
けれどどうしても、田上くんのハードルは高く、いつだってこうして上を上を求めている。
(……なんでこんなに佐知に追いつきたいんだろ……)
比べるだけしんどいのは自分なのに――――なんて言い出せないまま、米粒程度に見えてきた電車が来るのを、それからは無言で待っていた。