16,夏休み前夜
桜丘女子学園の校則強化週間が始まり、電車でも三人とは会釈をするだけで離れて乗るようになってから、はや数日。少しの寂しさと心細さをそこに取り残して、とうとう明日から夏休みである。
今日は終業式だったため学校を終えるのが早く、そして絢芽も部活がなかったために久しぶりに二人きりで帰った。中学の終業式の日がズレていて今日は丸一日学校があったようだから理久は来ていなくて、清香さんも午前中は予定があったとのことで居なかったから、中学生の頃みたいだねと、絢芽と二人であることに少しだけ昔に戻った感覚になったものだ。
またね、と絢芽と別れたのはもう何時間前だったか。
ご飯を食べてお風呂に入り、仲良し四人のグループトークを開くと、早速みんなが明日からの夏休みに胸を膨らませているようだった。
「おい、携帯いじりながら動くなよ、あぶねえだろうが」
唐突に自分の携帯をソファに投げた理久は、不機嫌な様子でこちらに歩んでくる。リビングにあるソファはお父さんのこだわりの一品らしく上質で、そこでぽよんと一度跳ねた理久の携帯はそれから静かに伏せると、ずっとブルブルと震えているようだった。
「…………鳴ってるんじゃない?」
「ほっとけ」
「だけど、」
「うるせえなあいいんだよ。悪魔からの連絡なんかいちいち受けてられっか」
面倒くさそうな顔をしてリビングを出た理久は、頭を乱暴にかきながらお風呂場に向かっていた。
――――最近、悪魔、という単語をよく聞くけれど、何か変なゲームでも始めたのだろうか。
理久もゲームに目覚める年頃なんだなあ、なんて思いながらも部屋に戻り、何気なく携帯を見ると、なんと珍しくも金好さんから連絡が来ていた。一応連絡先を教えてからというもの、一度くらいしかやり取りをしたことがなかった金好さんからである。
「え、なんだろ……」
なんだかドキドキしながらそこをタップすると、スクロールするまでもないトークルームがスムーズに開いた。
『明日から夏休みだね。楽しんでね』
なんて。
(……それだけ?)
金好さんがそれだけのために、わざわざ連絡を寄越すだろうか。
(まあ、いっか……)
深くは考えないようにしよう、と、すぐに返信を打つ。驚いたのは、それにすぐ既読がついたことだ。
そしてさらに、
『今、少し時間あるかな』
やはり、何か用事があったのだ。それに「大丈夫です」と返せば、電話がしたいということだったので、こちらから通話ボタンを押す。
『もしもし、万結ちゃん?』
「はい、こんばんは、金好さん」
電話越しだと少しだけ声がこもっているけれど、間違いなく金好さんの声だ。しばらく話せていなかったのでなんだか嬉しくて、つい声が浮き足立ってしまった。
『ごめんね急に。大丈夫だった?』
「はい、大丈夫ですよ。……どうかされましたか?」
早速聞いてみたのだけど、どうしたのか金好さんは黙り込んでしまった。あの金好さんが言葉を迷うことが珍しいためになんだか意外で、さらにはとても言いにくいことなのか向こう側から、うーん、という声が聞こえてくる。
「あの……?」
『えっと、万結ちゃん、今から言うこと、内緒にしててほしいんだけど……』
「え? は、はい」
『俺さ、絢芽ちゃんのことが好きなんだよね』
――――え。あれ、でもだけど、金好さんは絢芽を気に入っているだけなんじゃ……? それはいわゆる「好きだから」気に入っていたということで、つまりただただ好きだったというだけ……?
しかしどの場面を思い出しても、どの金好さんも絢芽に対してそういう態度は出てなかったように思えるし、口説いている感じでもない。それらしい雰囲気も感じたことはなかったはずだ。
「……それってその……恋……ですか……?」
『そう。俺は、絢芽ちゃんに恋してるの』
「え! え、そうなんですか!? すごい! 初めて見ました、その、そういう感じの。私少女漫画でしか見たことなくって!」
『うんうん。なんとなく分かるよ。うん』
なんてことないようにあまりにもあっさりと冷静に肯定をしてきたものだから、なんだか興奮も薄まった。
恋心はもっとこう、言い出しにくいものなのではないだろうか。
『そこで、万結ちゃんに相談が』
「え、はい。協力ですか?」
『え? いやそれは、あー、んー、いや、万結ちゃんはこの件に関してなんかしちゃダメだと思うから、見守っててほしい』
「わ、分かりました。そうします」
きっと金好さんは自分でどうにか出来る人なのだろう。なんだかそれが頼りがいがあって、絢芽も好きになるのではないかな、なんて思えてきた。金好さんは顔も格好いいし、性格も優しいし、絢芽と一緒にいてもすごくお似合いで、美男美女の理想的なカップルになれるはず。
絢芽の気持ちが第一だから私から押すことはできないけど。
『相談って言うのはね、夏休み中のことなんだよね』
「夏休み中の……」
『そう。……俺ね、最初言ってた通り、今まで彼女とかいっぱいいたんだよ。だけど絢芽ちゃんに恋して、本当の恋を知ってからは全部別れた。――――こんなに人を好きになったのは初めてで、どうしたらいいか分からないなんて感情を今初めて思い知って……ちょっと戸惑ってるんだけど……』
切なそうなその声に、聞いている私の方が恥ずかしくなってきてしまった。
あの、あの金好さんが、すごくすごく本気の恋を絢芽にしている。私だって少女漫画で読んだことがある。遊び人だった彼が彼女に恋をしてがらりと変わるストーリーは鉄板だ。そして彼女一筋になって、彼女のことが大好きで独占や束縛を繰り返しラブラブエンドを迎える。
問題は絢芽の気持ちなのだけど……金好さんにも「見守ってて」と言われたし、きっと「金好さんのことどう思う?」なんてことも聞かないほうが良いのだろう。
『だからね……夏休み中のことを、逐一教えてほしいんだよ……』
「……夏休み中の……?」
『そう。遊びに行ったりすると思うんだよね、やっぱり。……だけど俺、絢芽ちゃんが何してるのか毎日気になって、胸が張り裂けそうなんだ。苦しくて苦しくて夜も眠れない。だから俺を安らかに眠らせるためにも、ぜひ情報は共有してほしい……』
本当に本当に苦しそうな声でそう言った金好さんは、小さく「こんな気持ちになるなんて」と呟いた。きっと寝不足と絢芽への恋心で、心の中が大変なことになっているのだろう。いろいろなものが秘められたような言葉の数々に、私の胸までもが締め付けられる思いだ。
なんて真っ直ぐな恋。そんな一途な想いを抱いて苦しんでいる金好さんを断然応援したい気持ちになってきて、金好さんはその場に居ないというのにぐっと手を握り締めて何度も頷いた。
「分かりました。任せてください!」
『ありがとう万結ちゃん。手始めに、絢芽ちゃんの水着の写メってある?』
「水着の写メですか……? あ、ありますよ!」
一緒に海に行く佐知と紫杏に送ったために、四人のトークルームに残っているのだ。着用はしていないけれど、水着単体を撮影して皆で買った水着を見せ合った。
「今から送りますね!」
『まッ……! 万結ちゃんそれ、絢芽ちゃんが着てる写真じゃないよね?』
「え? はい。水着だけです」
『……いや、良かった。良かったんだよ……良かったんだけど……うん……なんだろ……』
何やらまだ「いや、うん。分かってた」とか言っているけれど、とりあえず携帯を耳から離して、金好さんとのトークルームに、絢芽の水着の写真を貼り付ける。セクシーで大人っぽくて、すごく絢芽に似合う水着だ。
「貼りましたよ」
『――――――万結ちゃん』
たっぷり間を置いた後。
確認をしたのか、金好さんが重く口を開いた。
『これ選んだの、万結ちゃんかな?』
「え? はい。私と店員さんが一緒に」
そこで思い出した。
確か金好さんは、電車で話した時、絢芽の水着姿を想像してこれは絢芽に似合わないと思っていたはずだ。実際に目にしてさらにそう思ったのか――――絢芽に恋をしている金好さんならきっと「似合いそうだね」とにこやかに言い出しそうなのだけど、そんな私の想像を裏切って、とても低い声で「まじか」とだけ呟いている。
「あの、似合いますよ、これ……」
『想像つくよ、想像つきすぎて嫌なんだよ。うわー、まじか。えー……どうしよう。谷間のあたりレースとか馬鹿でしょ。なんで背中こんなに開いてんの。どうして脚こんなに出すの……』
「か、金好さん……? あの、声が遠くてよく聞こえな、」
『万結ちゃん』
「え、はい」
『念のため万結ちゃんの水着の写メもちょうだい』
「わ、私のですか……?」
何のために? と考えて、絢芽のことを好きな金好さんのことだからきっと、それ関連の何かで欲しがるのかな、なんて見当をつけた。でなければ他の理由が見つかりそうもない。
同じように私が買った水着の写真を金好さんに送れば、先ほど絢芽の水着の時に見られると思っていた反応が返ってきた。
『わー、絶対似合うよ万結ちゃん! めちゃくちゃいいじゃん!』
少し不思議だ。
それは、絢芽の時にする反応では――――?
「ありがとうございます……?」
『うんうん。これはこれで康介悔しがりそうだしなー……うん、よし、ただちょっと肌が少ないなー』
「か、金好さん……?」
『あ、ごめんごめん。これ結構露出少ないね。万結ちゃんのイメージぴったりだなって』
「あ、でもそれ背中が」
『背中?』
そうなのだ。
絢芽も気づいていなくて、私も試着時にわたわたしていたから脱いでから気づいたのだけど、背中の真ん中に二十センチくらい隙間があって、そこをジグザグに紐で止められているために腰元まで肌がチラチラと見えているデザインだったのだ。
言葉で伝えるのも面倒で背面の写真も送れば、通話先から「あー……」と消え入る声が聞こえる。
『……これはまた……凶悪だねえ……』
何がですか? なんて問いには金好さんは答えてくれなくて、今後の報告待ってるねと楽しげな声と共に通話を終えた。
(大げさな表現で騙されています)