15,夏休み前 朝
「おっはよー、二人ともー」
相変わらずゆるゆるな加賀さんが手を振ってくれた。それに私と絢芽で軽く頭を下げて返すと、二人で視線を見合わせてタイミングを計る。
――――今日は、心のどこかが浮かない気持ちだと、絢芽と少し前に話していた。寂しいけど仕方ないよねなんて笑って、今日言わなきゃねと勇気を込めて。
もう夏休みだからしばらく会えないし、それにも寂しさが募ってはいるのだけど。
「何かあったの?」
三島さんが、私たちの様子に気づいて穏やかな声を出す。加賀さんも金好さんも気づいていたのか、ただ答えを待つようにこちらを見ていた。
「えっと……実は、校則強化週間が始まるんです」
「校則強化週間?」
三人の声が重なって、それがあまりにも綺麗だったから少しだけ面白い。
ふふ、と笑ってしまった私の代わりに、絢芽がゆっくり口を開く。
「二年生の先輩が他校の男の人と手を繋いで出かけていたのを、偶然街中で先生に見つかってしまったらしくて……夏休み前の今はテストも終わって気が緩むために、元々強化週間が行われる予定だったんですけど、その先輩のことがあったのでさらに厳しくなるみたいなんですよ」
へえ、大変だなあ、なんて気の抜けた声を上げた加賀さんはあまりよく分かっていないようだけれど、三島さんと金好さんは気づいたらしい。だけど三島さんはただ微妙な顔をするばかりで、言葉にしたのは金好さんだった。
「つまり……こうして朝一緒に学校に行くのもアウト、ってこと?」
「そうですね」
あまりにもすっぱりとした絢芽の言葉に、金好さんが顔を伏せた。小さく「まじか」とか「帰りもだよな」とか聞こえるけれど、金好さんが絢芽のことを気に入っているということはさすがに知っているために、きっとショックも大きいのだろう。
「…………それっていつまで?」
顎に手を置いて考える素振りを見せている三島さんが、ポツリと言葉を落とす。
「えっと、夏休みに入るまでです」
「えー、じゃあ今日が最後じゃーん……寂しいよー」
「俺は二人が無事に登下校出来るかが気になるけど」
「やっぱりおまえは気が合うな康介。俺もそこは心配だよ」
まるで親のようなその言葉には、絢芽と微かに笑ってしまった。だって私たちは高校生で、変な人に会うのだってたまたま偶然鉢合わせるだけで、別に頻繁なわけではないのだ。
いつもいつも助けてもらっているけれど、中学までは大丈夫だったし、ずっと平穏無事に過ごせていたのだからきっとこれからも大丈夫である。
「大丈夫ですよ。ね、絢芽」
「うん。私たちだってもう高校生ですから」
私たちの言葉に、三島さんと金好さんからはとても長く、そして深いため息が聞こえた。それのフォローを入れるように加賀さんが「気にしないでねー。二人は大丈夫だよねー」なんて言っているけれど、それもどこか白々しい気がするのだけど……。
「でも夏休みも会えないしー、二人には一ヶ月以上会わないんだねー。電車には乗るだろうから顔は見れるけど、お話は出来ないもんねえ」
私が絢芽を見ると、絢芽もこくりと頷いた。
実は夏休み、遠出ならば皆でお出かけできるのではないかと二人で話し合っていたこともあったのだ。しかし三島さんたちは三年生でそんな暇ないのだろうし、そもそも放課後学習のような勉強会が入っているかもしれないし、それ以前に受験生を遊びに誘うのは無神経な気がして、やっぱりやめようという結論に至った。加賀さんも今「会えない」と言ったし、やっぱり私たちは間違っていなかったのだ。
「……いや無理。普通に無理。……連絡はしていいよね?」
「あ、そうか。その手があった」
金好さんと、金好さんの話に同意した三島さんがこちらを見て様子を気にしているけれど、絢芽は「大丈夫ですよ」と可笑しそうに笑っていた。だから私もこくりと頷く。
最初は強引で怖かった三人は、今となっては「男の人が苦手ということを克服させてくれた人」たちだ。加賀さんはいつもゆるっとした雰囲気で笑いかけてくれるし、金好さんはいつも優しく穏やかに声をかけてくれるし、三島さんはいつも格好良くてまるでヒーローみたいに助けてくれる。まだ数ヶ月の付き合いだけど三人ともとても良い人たちだと分かっていて、私と絢芽にとってはすでにとても大切な人だ。
「夏休み終わったらまたこうして話せるー?」
「ぜひ」
「やったー! 一ヶ月以上の我慢だよー二人ともー」
絢芽の言葉にパッと笑顔を見せた加賀さんは、三島さんと金好さんの方を見て「勉強しようねー」なんて言っている。
「ちなみに、夏休みは何するの?」
三島さんのその言葉には、即答が出来なかった。
だって遊ぶ予定しかないのだから、受験生を煽るようなそんなことを言えるわけもないのだ。
するとそんな私たちに気づいたのか、加賀さんが「あ、康介はそんな意味で聞いてないから素直に答えて大丈夫だよー」とフォローを入れて、さらに金好さんまでもが「俺たちはただ知りたいだけだから」とにっこりと笑う。
「でも……遊ぶだけですよ」
小さく小さく、申し訳ない声で呟いた。
「どこ行くの? 夏だから海とか?」
「あ、そうですね、この間絢芽と水着を買いに行って、」
三島さんからの問いかけに答えただけなのだけど、それには三島さんと金好さんが揃って「え!」と声を上げた。それには絢芽も驚いたようで、隣で目を大きく見開いている。とはいえ私もそこまで食いつかれると思っていなかったために自分の言葉を思い返してみるけれど、いったい何がダメな単語だったのかも分からない。
「あー、気にしないで、二人とも妄想と悔しさで忙しいだけだからさー」
「はあ……」
「ちなみにどんな水着を買ったのかだけ教えて?」
「うんうん俺は知ってたよ康介。おまえは実は誰よりもむっつりだってねー」
「布の面積は大丈夫だよね? あと色も詳しく知りたいな」
「おっけーおっけー、隼斗に関してはキャラがブレなくてもう驚きもないよー。むしろ想像通りー」
――――面積、色……? 自分が何を買ったのかはあまり思い出せないけれど、絢芽のはよく覚えている。試着して見た時の印象がすごくて、セクシーな感じが絢芽にとても似合っていたのだ。絢芽はすごくスレンダーで胸は大きくは無いけれど、あのタイプならそれも目立たないし、何より絢芽の雰囲気と合っていた。
「私、絢芽のなら覚えてます。えっと、このあたりがレースで……」
自身の鎖骨の下あたりを指して範囲を示して、今度はみぞおちのあたりへと手を持っていく。
「ここまでの丈で、この後ろ側と首の後ろで留めるタイプの水着ですね。背中はすごく開いてました」
「待って万結ちゃん」
「はい?」
「……下は?」
「下がすっごく可愛いんですよ。そのー、ビキニタイプなので形はそうなんですけど、サイドがなんていうか……」
腰周りに手を当てて思い出す。あれはなんというのか、紐ではなくて、
「うーん……とにかく可愛いんです」
「一番気になるところだよ万結ちゃん、ちなみに色は」
「黒です」
「黒かー」
やたら食い気味に聞いてきた金好さんは、色を聞いて撃沈したように壁に頭をつけた。想像してみた結果、金好さんの中では絢芽に似合わなかったのかもしれない。実際に見た私の感想としてはすごく可愛くてすごく似合っていたし、絢芽も気に入っていたのだ。男の人と女の人の感覚は違うとよく聞くし、もしかしたらそれなのだろうか。
似合ってたよ、と言って絢芽を見ると、絢芽は微笑んで「私も覚えてるよ」と私の頭を撫でる。
「確かお花柄の、このぐらいの、太ももの真ん中丈のふわふわのワンピース」
「ぅぐッ……」
そうだったっけ、と言い出す前に、三島さんの方から変な声が聞こえてきた。だけど三島さんは真顔なままだから、気のせいなのかもしれない。
「絢芽ちゃん、色って覚えてる? てかそのワンピースタイプってことはあれだよね、見えてる部分は少ないよね?」
「色……臙脂色に小さな花がたくさんある感じだったような……見えてる部分はここから上くらいですかね」
絢芽が胸上から上を指して、三島さんへと言葉を返す。
そう言われて思い出した。確かあれは、絢芽に「絶対似合うから」と進められるままに着て、私には派手ではないかと恥ずかしかったのだけど、店員さんにもものすごく押されて決めたものだ。胸上からは紐も何もないけど、胸下まではセパレートに見えるひらひらがついていて、だけどちゃんとワンピース型だからお腹は出ていない。
「おい康介ニヤついてんなよ、ちょっと布が多いからって」
「ニヤついて当然だろうが。おまえすげえ顔してんぞ」
「自覚はある。考えてもみろよ、あの絢芽ちゃんが黒のレース有りのビキニだぞ」
会話がよく聞きとれなくて歩み寄ろうとすると、加賀さんがすかさず間に入ってきて慌てたように「二人ともすっごく似合いそうー!」なんて言葉をくれた。
だからなんだか嬉しくなって「絢芽、すっごく可愛いかったんです」と言うと、絢芽も「万結も似合ってたよ」なんて笑ってくれたから、ちょっとだけ自信が持てそうな気がした。