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青春は初恋のはじまり  作者: 長野智
■第1章
10/43

10,六回目 夕方

 



 


 とてもとても心配そうな顔をした絢芽が、別れ際の私を覗き込んだ。

 時間が経つにつれて理久と帰る時間が迫っているという現実を突きつけられながらも、頑張って一日を過ごした。だけどそんな現実は私の中からやる気を奪い取るには充分で、今日の授業は上の空だった自信しかない。そうやってだんだんと萎れていく私を何度も絢芽が励ましてくれたけど、時間が止まるわけではないためにすでにその現実の時間である。

 今日からずっと、理久と下校――――。

 長い目で見ればそれはとても絶望的で、その初日である今日だけはどん底まで落ち込もう。

 という決意表明を朝した時には、絢芽には苦笑を返されたけど。

 そのくらい、あの意地悪な弟が苦手である。

「……理久くん、もう居るの?」

「うん。……近くのコンビニに来てるって」

 桜丘女子学園は、風紀を乱すとして門の前に男の人が立つことさえも許されていない。それは家族であれ例外はなく、父子家庭の人の三者面談などは学園に父親を呼ぶのではなく、家庭訪問という形で行われる仕組みになっている徹底ぶり。

 さらに、もはや都市伝説として語られているのは、通りすがりの人さえも少ないのは実は、以前そこでぼんやりと立って学園を眺めていた不審者の末路が悲惨だったから、らしい。

 どこまでが本当かは分からないけれど、クラスメイト情報によると先輩方は口を揃えて「家族も絶対に学校には来させない」と顔を青くするそうだ。だからあまり下手なことはしない方が良い、とのことで、一応理久にも危険が及ばないようにと「コンビニで待っていてほしい」と連絡を入れた。

「……罵られに行くのすごい嫌……」

「そうだよねえ……」

「美沙にはいっつも可愛いねいい子だねよくやったねって『いいお兄ちゃん』なんだよ、確かに美沙は可愛いしいい子だけど差がおかしい」

「……ほら、美沙ちゃんはお父さん似だし。でも万結はお母さん似じゃない? だから心配なんだろうけど

……素直じゃないよね、理久くん」

「理久は素直だよ。嫌味なくらい赤裸々」

「うぅうーん」

 唸るようにそう言った絢芽は、まるで私を慰めるように頭を撫でて「じゃあさ、今日の夜電話しよう? なんでも聞くよ」と言うと、優しく笑う。絢芽との電話はいつも前向きになれるから、明日の朝も会うというのに嬉しくて、つい前のめりに「する!」と食らいついてしまった。

「よし。じゃあ、また今夜」

「うん。部活頑張ってね」

 遠ざかる背中を見送って門に向かって歩き出すと、やっとこちらを見ていたギャラリーが散った。きっと絢芽のファンなんだろうけど、きっと絢芽は気づいていない。それなら気づいている私がしっかり守らなければ、と決意を固くして、ゆっくりゆっくりとコンビニへと足を向けた。















「おせえ。めっちゃ待った」

 私の姿を見つけて駆け寄ってきた理久は、ため息混じりにそう言った。

 学校帰りだと分かる学ランを着たままでどう見たって中学生と分かるのに、すでに私よりも頭一つ分は高い身長なために大人びていて高校生にも見える。中学三年生だからもう高校生みたいなものなのかもしれないけど、どうにも悔しい。

「…………別に頼んでない。部活続ければ良かったのに」

「はあ? おまえがおっさんなんかに目ェつけられなかったら俺だって来てねえっつうの。きめえんだよおっさんつけて家に帰ってこられたらよお」

「だからあれはたまたまで、それからは何もないし、」

「そもそもブスの一人歩きは迷惑なんだよ。最初からこうしてりゃ良かった」

 私と似てる、と言われることもあるくせに、この顔を「ブス」ということが自虐になることは思っていないらしい。なんて、そんなことを口に出そうものならば十倍返しで罵られることが分かっているために、余計なことは言うまいと口を(つぐ)む。

「あー面倒くせえ。遠いんだよなあ桜丘」

 奪うように私のカバンを持つと、理久はそのまま振り返らずに歩き出す。

 外出時、買い物した物でさえも理久はこうして奪い取る。持ってくれたのかな、と一番最初は思ったために「ありがとう」と素直にお礼をしたというのに、理久はただ「とろくせえデブが重いもん持ってたら重みで進まねえだろうが」と言い出したためにそれが親切心でないのだと知った。あの時は、親切心だとか思ってしまった自分がすごく恥ずかしくなったものだ。

「じゃあ明日から来なくていいよ」

「それでおっさん連れて帰るわけか」

「あれは偶然、」

「あーもー面倒くせえな。黙って歩けねえのかブス」

「あらあ! 不藤さんじゃないの!」

 バタン! と車を閉める音がした後の声に、私と理久が振り向いた。

 その先には、赤いスポーツカーからおりたばかりです、と言わんばかりにそこからこちらへと優雅に歩み寄ってくるサングラスの美女が居る。間違いなく、この間会った元桜丘女子学園の先輩である清香さんだ。

 今日は、ボーダーのトップスを膝上丈のタイトスカートにインしている格好で、革のジャケットを羽織っているけれどそれでも隠しきれない抜群のスタイルが目を引いている。相変わらず、モデルのような人だ。

「この間ぶりねえ」

「は、はい、こんにちは」

「こんにちは。……あら? 桜丘は恋愛禁止じゃなかったかしら、彼氏?」

「はあ!?」

 大きな声を出したのは理久で、どうしたのかと驚いてそちらを見れば、少しだけ頬を赤くした理久が睨むように清香さんを見ていた。清香さんと身長が同じほどだからなのか、清香さんにはそもそもその睨みがきかないのか、ただ挑むような理久に清香さんは穏やかに笑いかけているだけだ。

「誰だよあんた。不審者か」

「あらやだ、口がなってないのねえこのガキ。顔だけは不藤さんに似て可愛らしいのに残念な子」

「似てますかね」

 清香さんはどうやら「似ている派」な意見のようだ。

 なんて思ったために口を挟んだのだけど、それが気に食わなかったのか理久からは「黙っとけや」と鋭く咎められた。そしてそんな理久を、先ほどは見られなかったほの暗い目で清香さんが見る。

「へえー、ふーん、ほーお」

 理久を頭の先から足の先まで何度も何度も見た後、突然体をペタペタと触り始めた清香さんに、さすがに理久は引いたのかその場から一歩退く。

「んだあんた、やっぱ不審者じゃねえか。こいつ馬鹿なんだから近寄んなよ、とろくせえから使いもんにもなんねえぞ」

「おめでとう、あなたはクソガキに昇格よ。本当に残念ねえ」

 ふふふふ、と上品に笑っているはずの清香さんを見て、どこかゾクリと寒気が走る。

「この目も、鼻も、口も――――パーツは不藤さんにそっくりなのに、シュッとした輪郭、太い首、筋肉のついた腕、たくましい胸元、背中にもしっかりと鍛えられた形跡があって、ほんっとうに残念」

「……は、はあ? あんた何言ってんださっきから、」

「ねえ不藤さん? この子は何かしら?」

「え、あ、私の弟です。理久って言います」

「おい! 不審者に教えてんじゃねえよ!」

「うッ」

 怒鳴られてついびくりと体を揺らすと、清香さんの手がするりと私の肩に回った。そして「怖いのねえこのクソガキが」と理久をひと睨みしたかと思えば、次には私は清香さんの豊満な胸の中に頭から引き寄せられる。

「ねえねえ、あなたはラッキーよ、クソガキ。私はね、生意気な『弟』という生き物が大好きなのよ。良かったわねえ、この清香様に気に入ってもらえて」

「…………は、何言っ、」

「大丈夫よ、不藤さん。私は不藤さんの味方。ね? こんな怖い怖い弟はもう嫌よね? だから、ねえ、お姉さんに任せて? きっと、イイように調きょ……いえ、躾し直してみせるわ」

「え、え? あの、えっと、清香さ、」

「上手くいくか心配なのね? 大丈夫よ、私にも弟が居るのだけど、アレは今では私の下僕だから。大丈夫、絶対に上手くやれるわ」

 言いながら清香さんはサングラスを外して、胸元に押し付けられたままの私を見下ろした。

 やっぱりサングラスが無くても清香さんは美人で、女優さんのような輝きがある。漫画家さんだと言っていたけど、絶対に芸能の道の方が向いていると思えるような魅力だ。

「おい離せよ!」

 ぐっと後ろから腕を引かれて、我に返った。

 い、今、完全に魔法にかかっていた。

 清香さんの色香に何も考えられず、ただ清香さんを見つめ返すだけの機械にでもなっていた気分だ。

「帰るぞ!」

「わわ、待って理久!」

「あ、そうだわ、不藤さんこれあげる」

 駆け寄ってきた清香さんは私のブレザーのポケットに何かを突っ込むと、またしても綺麗な笑顔で笑った。

「連絡ちょうだいね。あなたのために、そこのクソガキ躾してあげるから」

「おいてめえいい加減に、」

 とうとう理久が清香さんに掴みかかった。外だし女性だしと思っていたのだけど、掴みかかり方が完全に柔道のそれで、理久の本気度が伺える。

 ダメ――――と、私が咄嗟に止めに入るよりも早く。

 理久の首をぐわしと掴み容赦なく片手で絞め付け、同時に理久の踏み込んだ足をその高いヒールで踏みつけた清香さんは、ニヒルな笑みを浮かべていた。

「活きがいいのは嫌いじゃないわよ、クソガキから奴隷に昇格してあげる。喜びなさい?」

「ぐッ……」

 絞められて苦しいのか、涙目に苦しげな理久が呻いた。

 それを見ていられなくて清香さんの手に縋り付くと、清香さんはキョトンとした可愛らしい顔で私を不思議そうに見た。

「あの、理久、悪い子ではないんです。私に対してはすごく意地悪ですけど、妹に対しては良いお兄ちゃんで、だから、あの……」

「いい子ね、不藤さん……いいわ、こんな天使のように愛らしい少女がそこまで言うなら……そう、あなたは素晴らしい存在よ。私はね、感動したの。宇田から聞いたときは半信半疑だったのだけれど、私があの学園の卒業生で良かったとここまで思ったことはないわ。百合漫画に目覚めたのもあの学園でだったからそれだけでもありがとうと感謝したものだけれど、それ以上の感謝を感じられたの」

 うっとりと空を見て語り始めた清香さんをどうしようかと見ていると、復活したらしい理久が後ろから私の手を引いた。まだ何かを言っている清香さんは無視する方向のようで、小走りに駅へと駆け出す。


「おいあいつ何なんだよ。厄介なもんばっか引っ掛けやがって」

 呼吸を整えながらそう言う理久は、あまり清香さんが得意ではないのか苦々しい表情で吐き捨てた。

 電車が来るまであと少し。それすらも待てないのか、早めに離れたいと言わんばかりに理久はずっとそわそわとしている。

「……桜丘女子学園の卒業生の方で……清香さんっていう人なんだけど……」

「そういうこと聞いてんじゃねえんだよ。何でおまえは高頻度でああいう厄介事引っ張ってくんだ」

「厄介事って……別に清香さんは悪い人じゃ、」

「人の首絞めるやつが悪い人じゃねえわけねえだろ! おまえのそういうところがダメなんだろうが! 正常な判断くらいしやがれ」

 理久のその剣幕に言い返すことが出来なくて、それからは特に会話もなく、電車が来るのを並んで待っていた。

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