第1話:入学式
三月は、別れの季節。
それは、友人とだったり、家族とだったり、恋人とだったり――――植物だって、それまで緑だった葉っぱを枯らしてハラハラと落とし、新緑の季節を迎えるための準備が万端な頃合だ。
そんな雰囲気が漂っているからか、街は少しだけ静かで、そしてどこかひんやりとしているようにも思える。普段より風だって冷たくて、まるで季節までもが雰囲気作りに加担でもしているみたいだ。
だけどそんなの一瞬だけ。三月が過ぎれば四月。
四月は、出会いの季節である。
「万結、なんかさ、こういうの、ドキドキするね」
真新しい制服に身を包んで電車に揺られながら、隣に立っている友人の絢芽が興奮気味に言った。
「うん。電車通学なんて、大人みたい」
「ね。だよね。……はぁー、私たちも今日から高校生かー」
中学までは並んで歩いていた通学も、高校の入学と同時に電車へと移り変わった。私たちが通うのは有名な私立の女子高で、少しだけ家から離れているのだ。
絢芽はどこかそわそわとしていて、私もたぶん同じ状態。なんだかお互いそれがおかしくて、目が合ったと同時に一緒に笑い合う。
「変なの。なんだろこれ」
「分かんない、なんかそわそわする……。楽しみだね」
「うん、すごく楽しみ。同じクラスだといいなあ」
はあー、なんて長く息を吐く絢芽に、そうだね、と、嬉しさをなるべく押し込めて返事をした。
朝だからか人が多く、私も絢芽も立ち乗車になった。座席は空いていなくても、立っている場所は人一人分くらいの微妙な空きスペースがある。きっと都会だったらぎゅうぎゅうに詰まっているんだろうけれど、ここは田舎だからそんなこともない。
だけど、だからこそ微妙なスペース分がアダとなったのか。電車慣れしていない私も絢芽も、電車が揺れるたびにフラフラと身体を揺らしていた。
ガタン。なんて、一際ひどいカーブの時だ。
あまりにも不意打ちだったそれに、つり革に掴まっていた絢芽は無事だったみたいだけど、手を離していた私は耐えられなかった。
私はつい、うわ、なんて声を出して、慣性に逆らわないままぐらつく。そんな姿を見て、絢芽が焦って私を呼んだ。
の、だけど。
「え、何? 大丈夫?」
肩に温もりが広がって、すぐに人にぶつかったのだと理解する。
しかし冷静になるより早く、反射的に離れて、迷惑にならないようにと体制を整えた。
男の人だ。
見上げた先に居る、驚いた顔をした人を見て、単純にそんなことを思った。
「康介、おまえ何ナンパしてんだよ」
「はあ? してねえじゃん。ごめんねこいつうるさくて」
「あー、いい格好しようとしてるー」
「それもしてねえの!」
康介、と呼ばれたその人は、新しくない制服や、どこか落ち着いた雰囲気からおそらく年上の人だと分かった。
眼鏡もしてるけど野暮ったいイメージでもないのはメタルフレームだからか、どことなく気さくで軽そうな雰囲気も感じられる。
一緒に居る二人は制服を着崩しているし、こちらの二人はチャラチャラとしていそうな雰囲気で、なんだか苦手な部類だ。
そもそも、男の人という生き物に、あまり馴染みがない。それは絢香も同じで、だからこそ女子高への進学を決めたのもある。
まだ何か言い合っているその人たちから距離をとり、小さく「すみません」とだけ言って絢香の方に体を寄せる。絢香も怖かったのか気まずそうで「大丈夫?」とお互いに確認し合った。
だけど。
「てかさ、その制服、桜丘女子のじゃなーい?」
「うわ、マジだ。オジョーサマだわ」
「ねー桜丘女子は俺らにはハードル高いよー康介ー」
「なんの話だよ」
チラチラとこちらを見ながら、まだ私たちのことを話している。
それに、早く駅についてと願いながら二人でくっついていると、すぐさまそれが叶ったのか次駅が「桜丘女子学園前」であるとアナウンスが聞こえた。
「あ、もう次じゃん君ら。ねえねえ名前とか教えてよー。あと連絡先」
「ハードルたけえんじゃなかったんかよ基樹」
「こんなチャンス二度とねえもーん。受験戦争に勝つには癒しだよ癒しー」
そう言って、ブレザーの下に灰色のセーターを着た、髪の毛が少しだけくるくるとしている人がこちらに一歩だけ近寄ってくる。
ネクタイは留めるタイプじゃなくて結ぶタイプのようで、シャツは緩く第二ボタンまでが外されていた。
「怖がってんじゃん、じゃあここは俺が……」
「君らね、騙されちゃダメよ、こいつこんな優顔してるけど、まじ女の子食いまくりだからねー」
「おい基樹、余計な情報吹いてんじゃねえ」
「いったー、康介ー、隼斗が足踏んだー」
本当のことばらされたくらいでー、と三人で会話をしているうちに、ホームが見えてきた。
絢芽と二人、目を合わせてコクコクと頷き合う。
「ねえねえ、君ら桜丘女子の新入生だよねー? 俺らさあ、桜丘からひと駅後が最寄りの汐田商業なんだよ。あ、ちなみに今年から三年生ー」
「俺たち怪しくないからさ。ちょっと仲良くなろうよ」
「おい二人とも、この子たち引いてんだろよく見ろ」
「あんだよ康介ー、ええ格好しい」
「俺は普通なの、おまえらが緩すぎ」
プシュー、と電車が止まって、扉が開く。それと同時に私と絢芽は飛び出して、手を繋いで一緒にホームに駆け出した。
この駅で降りる人が少数だったのが救いだ。おかげで誰にぶつかるでもなく、無事に駅から出ることが出来た。
「あー、怖かった! ね、変に絡まれちゃったね」
「うん。ごめんね、私がぶつかったせいで」
「ううん、私も、万結がつり革持てる位置に居ないの、気ぃ遣えてなかったし。……あーあ、明日は車両変えようね。ほんと怖かった」
「うん。絢芽がいてくれて良かったー」
お互いうんうんと頷きあって、在校生と新入生が吸い込まれていく桜丘女子学園の門を通り抜けた。
桜丘女子学園は、恋愛禁止、男子禁制の、清楚で上品でしとやかで品格の高い、いわゆる「淑女」を育て上げると有名な進学校だ。
制服は「純白な淑女」を意味するらしい真っ白のワンピース型で、もちろん今は冬服としてヘソ丈のブレザーを着用している。スカート丈もしっかりと膝下まであって、この時期は寒いため四月の末までは黒タイツの着用を許可されているから、私も絢香もスカートの下から黒タイツが伸びている現状だ。
ちなみに近隣の女子中学生の間では「制服が可愛い」とわりと話題らしく、この制服に憧れて入学するという人もいるらしい。
偏差値も高く、格式も高く、由緒も正しい。この桜丘女子学園はその三拍子が揃うため、ここに通っている生徒はそれだけでどこの大学からも信用されると言われているほどで、推薦受験も有利に運ぶとの噂もある。けれどそれだけに入学が厳しく、そして想像以上に格式が高いのだと噂があって、だからこそ同じ中学からは絢芽しか受けた子は居ない。
私と絢芽と、他にあと二人を合わせて四人で仲良しグループだったのだけど、二人は自転車で通える距離の有名な共学高に行ってしまった。
「さむー。ねえ、思ってたよりは普通の学校じゃない? なんか拍子抜け」
「だね。三年間やっていけそう。……私、絢芽と同じクラスで良かった。一人だったら絶対友達とかできないし」
「確かに、万結はちょっと内気だよねえ」
絢芽はハキハキとした長身美人だ。少し吊った大きな目は綺麗な形で、顔だって小さいし、肌も白いし、スタイルも良い。前下がりのボブヘアも、片側で分けられた眉下の長さの前髪もとても似合っていて、モテるんだろうなあ、なんてイメージを周囲に持たせる。
なのに私と同じで男の人が得意ではないのは、母子家庭でさらに姉妹の末っ子という女性しかいない環境で育ったからだと、以前に教えてくれた。苦手、ではないようなのだけど、どうやら接し方が分からないらしいのだ。
(それに比べて、私は……)
私には絢芽と違って弟と妹が居るのだけど、この弟がとんでもないいじめっ子で、妹のことは可愛がるのに私のことはいじめてくるばかりなのだ。小さい頃からずっとそんなことをされ続けて、現在まで続けばさすがに異性という生き物を苦手にもなる。
妹とは三つ年が離れていて私とは年子だから、というのもあるのだろうけど――――あまりの格差に、さすがに姉としてショックだ。
(今日も帰ったら何言われるか……)
朝は「制服似合わないから何か羽織れば」とか「電車なんか乗るなデブ」とか散々な言われようだった。何かした記憶もないし、きっと弟がそういう性格なのだろうけど、どうにも受け入れられない。
小学六年生の妹にはそれはもう「いいお兄ちゃん」のくせに。
「どしたの? なんか万結、元気ない?」
「うーん。……理久がね、朝も絡んできたから……帰ってもかなあって……」
「あー、うーん……理久くんのは盛大なシスコン拗れだから、気にしない方がいいんだけどなあ……」
「え?」
「いやあー……まあ、可愛いお姉ちゃんを持つと心配なんだと思うよ、色々」
なんの根拠もない絢芽のフォローに「うーん」と煮え切らない返事だけ返して憂鬱になりながらも、それをできるだけ吹き飛ばすようにため息をついた。