一体あなたは誰なのか
小さい頃のことだ。
変な奴がいた。
お屋敷の庭で、庭師が丹精して育てた美しい薔薇園を観察していると、薄汚れた子供が転がっていたのだ。
着ているものは麻でも絹でもないようだったが、ではなにか、と聞かれるとよくわからない材質で出来ていた。
ぼろぼろだからそう見えるだけか、私が知らないだけなのだろうと気にも留めなかった。
それよりも問題は、この子供……といっても当時の私と同じくらいの年齢、つまりは五歳くらいだ……がどこから、何をするためにここにきて、どうしてこんな風に倒れているのかだ。
私はそれを知るためにその体を揺らした。
「……う……ここ、は……?」
どうやら気絶していたようで、ゆっくりと苦しげに目を開き、そう誰に語りかけるでもなくうめくように言った。
「ここは……アマル王国、ガット領のトートミルフ侯爵の領館ですわ。つまり、わたしのお父様のお家です。あなたは?」
「アマル……? それより今、トートミルフっていったか?」
「え?」
突然ばっ、と起き上がり、私の肩をつかんだ彼が尋ねたのはそんなことだった。
私は驚いたけれど、とりあえず答えた。
「ええ。言いましたけど……?」
「じゃああんたは……ミリア? ミリア・トートミルフ?」
「そうですわ。それで、あなたは……」
そう尋ねたところで、周囲が騒がしくなる。
どうやら、誰かがこの少年の存在に気づいたらしく、衛兵を呼んだようだ。
少年は、
「……うわ、やばっ……えぇ、どうなってんだよこれ……わかんねぇ。いや、どうにかなるのか? ええっと……こうやれば……」
ぶつぶつと呟き、目をつぶって少年は何かを念じた。
すると、ぱっと光が発せられ、そしてその瞬間、少年の姿は消えてしまった。
後に残ったのは、私と、きらびやかな薔薇。
それと……。
「……いつか、会おうぜ」
そんな彼の声だけだった。
◇◆◇◆◇
後になっていろいろと聞かされたことを述べる。
衛兵たちがやってきたのは、薔薇園の中心になにか巨大な魔力の反応があったから、だという。
誰かがいた、という情報は誰も持っていなかったようだ。
私に危険があると考え、衛兵たちを差し向けたが結局何もおらず、私がきょとんとしていたので不思議な出来事だった、ということで終わってしまった。
私は、彼の存在を誰にも言わなかった。
彼のことを思って、というよりも、私にも夢か何かのようで、もしかしたら彼はいなかったのかも、なんていう気すらしていたからだ。
だけど、彼は確かにいた。
そのことを知ったのは、ずっとあとのことだった……。
◇◆◇◆◇
私は長じて、《学院》に通うことになった。
年にして、十四になったそのときのことだ。
アマル王国では、貴族の子女はみな、十四になると《学院》に通う。
基本的な教養、魔術や武術を身につけるため、それに加えて若い貴族の子女の顔合わせも兼ねている。
さらに、優秀な平民も入学を許されるので、平民との接し方や、一人の貴族として立ったとき、自らの手足として働いてくれる平民を見つけることも含まれていた。
《学院》で優秀な成績を修めれば下級貴族であっても高級官僚としての道が開かれるし、平民であれば貴族の覚えめでたく特権を得られる可能性も高まる。
私のような高位貴族となってくると、成績は高いものを取ることを当然に求められるし、《学院》内で貴族子息たちの利益調整をはかる役目も任される。
また、この年齢になってくると婚約者がいる者も少なくなく、私も例に漏れなかった。
アマル王国の第一王子サイラス・ルー・アマル殿下が私の相手だ。
結果、そんな婚約者の挙動を見守り、おかしな虫がつかないようにお互い監視しあう。
そんなことをも《学院》では求められる。
貴族は楽をして暮らしている、と巷間では言われるもので、それは一部正しい。
少なくとも、経済的に困窮する、ということが少ないのは事実だからだ。
ただ……今説明したような様々な役割を成長するにつれ、求められるのが私たちである。
いずれは放置しておけば内戦になりかねない貴族同士の間をどうにか取り持つ、人間ヤジロベーとして暮らしていかなければならないことは必定。
これを楽だと言われると、少し違うのだ、と思ってしまうこともある。
とはいえ、それでもこつこつと努力していけば、普通に暮らしていくことは出来る。
それは、どんな街でも存在するスラム街に住む人々からすれば、やはり楽をしている、と言って正しいことなのだろう。
私も、スラム街は行ったことがある。
父に連れられていった。
その日食べる者にすら困る人々、病にかかっても施療師を呼べない病人たち、親もおらず、グループを作り、小さな仕事をして日銭を稼ぐたくましい子供たち。
こんな世界があるのかと、絶句したあのとき。
お前はこういうところを少しでもなくすように努力しなければならない。
そう言われた。
今もそのときの気持ちを忘れてはいない。
この国を豊かにし、いずれは国民みんなが、その日のパンと屋根に困らない。
そういう生活が出来るようにする。
そうすることが私の貴族としての義務だ。
そう思って生きてきた。
だから……意味のない諍いは、《学院》でも見過ごしてはならない。
◇◆◇◆◇
「……貴女たち、何をしているの?」
そう声をかけたのは、三人の高位貴族の少女が一人の平民の少女を壁際に追いつめているところだった。
私に声をかけられ、貴族の少女たちはおびえたような表情でこちらを見る。
「ミ、ミリア様……ご機嫌麗しゅう」
「挨拶はいらないわ。私は、なにをしているのか聞いているのだけど」
「そ、それは……いえ、なにも。私たちはこれで失礼いたします」
そそくさとそう言って、どこかに去っていく貴族の少女たち。
私はそれを冷たく見送ってから、まだそこにいる平民の少女に向き直った。
「……大丈夫だった?」
そう声をかけると、少女は顔を上げた。
見れば、だいぶかわいらしい少女だった。
桃色の髪にはかなげな表情。
どこか庇護欲をそそられる。
そんな顔立ちだ。
「いえ、あの……大丈夫です。ありがとうございます。あなたは?」
「私はミリア・トートミルフ。ということは、あなた、新入生ね?」
自慢ではないが、私の顔と名前を知らない者はこの学院にはあまりいない。
今この学院にいる生徒の中で私がもっとも高位であり、かつ王子の婚約者でもあるためだ。
だからこそ、先ほどの高位貴族の少女たちも逃げた。
私の名前を聞き、少女は、
「……あなたが。そうでしたか……」
と納得したような声を上げる。
おそらく、名前くらいは知っていたのだろう。
大抵、私の名前が挙がるときはあまりいい意味ではないけれど。
きっと傍若無人だから近づくな、とか言われてきたのだろう。
実際、少女は、
「ご挨拶が遅れました。私はレオノーラ・アザームでございます。おっしゃるとおり、今年入学した平民で……高位の方にお手数をおかけして大変申し訳なく存じます。それでは、私は急いでいるのでお暇させていただきます」
そう言って、さっさとどこかに言ってしまった。
その様子は先ほど高位貴族の少女に絡まれていたとは思えないほどてきぱきしていて、何か違和感を感じないでもなかったが、大丈夫そうならいいか、とあまり気にも留めなかった。
むしろ、この後に起こったことの方が私の記憶には残った。
「……よう!」
「きゃっ!?」
後ろからいきなり声をかけられ、私は驚いて声を上げる。
あわてて振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。
同い年くらいの少年だ。
だが、顔を見たことがない。
彼も新入生か……?
そう思いつつ、私は口を開く。
「あなた……一体どういうつもりなの?」
「どういうもこういうも、廊下のど真ん中に突っ立ってるので何かがあったのかと思い、お言葉をかけさせていただいた次第でございます」
言葉遣いは一応丁寧を装っているが、端々が適当なのもよくわかる。
粗野なのか、それとも嫌みでやっているのかわからない。
が、この感じ、後者の方だろうと私は確信する。
「私が誰なのかわかっていて?」
「もちろんです、ミリア様。トートミルフ侯爵家のご令嬢」
「それで、その感じなのね……わかったわ。もう、近づかないでちょうだい」
そう言って、私もその場を去ろうとしたのだが、
「おっと、ちょっと待った。あんたに用があるんだ。こっちへ来てくれ」
そう言って少年は私の腕を掴み、どこかへと引っ張っていく。
「なにをするの!? 離して……っ!」
あまりにも無礼な態度に、私は文句を言いつつ、さらに引きはがすため、魔術を発動させようとするも、
「……えっ!? 嘘!?」
まるで発動しない。
驚きに硬直する私に、少年はにやりと笑って、
「構成が甘いな。その辺の奴なら簡単に吹き飛ぶだろうが、その程度じゃ俺はどうにもならないぜ。魔術完成前に全部、解いてやってるからな」
と驚きの台詞を言った。
そんなこと出来るはずがない、と思う。
なにせ、私の成績はこの《学院》始まって以来のものだからだ。
魔術の成績もそうで、教師すら私の放つ魔術をまともに受けることはできない。
当然、構成した魔術を解く、なんてことは絶対に不可能だ。
なのにこの少年は……。
「おっと、ここだここだ。入るぜ」
私が混乱している中、少年がそう言う。
どこにつれてこられたのか、まるで注意散漫だったが、ふと周りを見ると、見覚えのある場所である。
職員たちのいる部屋……つまりは《学院》の職員室だ。
ここなら別に怪しんで入ることもないから私としてはかまわないが、一体なぜこんなところに……。
混乱が続いてるなら、
「失礼します!」
と威勢のいい声をあげて、少年は中に入る。
すると、中の教師たちは全員私と少年に注目した。
中でも一番近い位置にいた教師が、
「……ミリアさんとジークくんか。何かご用かな?」
と尋ねてきたので、隣の少年……ジークと言うらしい……は、その教師に言う。
「いえ、道に迷ったのでそれを聞こうと。あ、今、何時ですか?」
「今? 今は……兎の刻一つ、だね。道に迷ったか。ミリアさんがいるならそんなことはないと思うのだが……」
「いや、この人、説明が下手なんですよ。だから、わざわざ寄ったんです」
「なっ……そんなことはありませんわ!」
「へぇ、じゃあ説明してみろよ」
そんな会話から始まって、少年は《学院》のいろいろな場所への道順を私に尋ね、説明させた。
それは職員室の教師全員にも聞こえていただろう。
かなりの時間、むきになって説明していたから当然だ。
それからしばらくして、少年は納得したのか、
「……確かに、よくわかるな。俺の勘違いだったみたいだ」
「はぁ、はぁ……なら、よかったですわ! もう二度と、迷いませんわね!?」
「……まぁ、多分な」
ふざけた態度を……!!
そう思ったが、私のぶち切れ具合を察してか、教師が、
「まぁまぁ、ミリアさん。一応、この《学院》では諍いは御法度だから。身分を振りかざすのもね。怒りを収めて」
「私は……っ!」
別に怒ってはいません、と言おうと思ったが実際に怒っている。
無理だった。
仕方なく、
「……わかりましたわ。ともかく、もう私は行きます。いいですわね?」
と少年に言うと、意外にも彼はあっけなくうなずき、
「あぁ、もちろん」
といったのでなんだか拍子抜けしてしまった。
そのまま実際に私は職員室から出て、自分の次の授業の講義室へと向かったが、少年が追いかけてくる様子もなく、首を傾げた。
……一体あれはなんだったんだ?
しかし、誰も答えてくれる者はいなかった……。
◇◆◇◆◇
不思議なことはそれだけでは終わらなかった。
その日から、彼はありとあらゆるおかしなタイミングで現れ、そして私をどこかへ引っ張っていく。
といっても、怪しげなところへ、というわけではなく、必ず人目につくところへ連れて行き、さらに注目を集める行動をして、満足して去っていくのだ。
意味がまるで分からない。
彼は何がしたいのだ。
どうにかして彼につかまらないようにしよう、と魔術の腕を磨いたり、武術に根を詰めるなどしたのだが、魔術はいつだって発動すらさせてもらえずにかき消されるし、武術の技もすべて避けられる。
《学院》のどの教師よりも手強い敵だった。
だからある意味では楽しい部分もあり、彼にはじめに感じた腹立たしい気持ちは少しずつなくなっていった。
次はいつ来るのか、そして私の技が通じるのか、それを楽しみにするようになった。
そんな日々が一年くらい続いて、ある日、彼のしていた行動の意味がやっとわかった。
それは、こんな日のことだった……。
◇◆◇◆◇
「ミリア! ミリア・トートミルフ! 僕は、君との婚約を今日、この場で破棄する!」
私はその日、そんな言葉を廊下で突きつけられた。
どうして、と尋ねる私に、私の婚約者サイラス殿下は驚くべき話をした。
それは、平民レオノーラに対し、私がこの一年、陰湿な嫌がらせを延々と続けてきた、というものだった。
そんなこと身に覚えがない。
しかし、そう言った私に、殿下は言う。
「レオノーラの口から聞くといい。レオノーラ、ほら……」
と、後ろから出てきたその少女の背に優しく手を添えて前に出しながら。
その視線には明らかに親愛の情がこもっており、私はここで殿下の心がレオノーラにあるらしい、ということを察した。
別に恋心で婚約していたわけではないのでそれについては何も思わない。
しかし、彼女が理由だとは一体どういうことか。
彼女を救ったことは何度かあったが、逆はなかったはずだが……。
けれどそんな私にレオノーラは言った。
「私は、ミリア様よりこの一年、いやがらせを受けておりました。始まりの日は、花の月、兎の刻二つに……そこの日から何度も、何度も……」
そんな言葉から始まった彼女の告白は、いずれも手帳を見ながらのものだった。そこに書いてあるのだろう、時間が完璧に指定されていて、なるほどやられたときにしっかりと証拠としてのこしておいた、ということだろうなと聴衆に納得させるものだった。
これで、殿下は信じたのだろう。
「……そして、先日、雪溶けの月、竜の刻三つに、そこの階段から突き落とされたのが最後です。これが、そのときの傷になります……」
そう言って出してきた腕には痛々しい包帯が巻かれていた。
しゅるしゅるとはずすと、そこには大きな擦り傷と、青くなった肌が見えた。
殿下は目をそらし、ぷるぷると震え、
「聞いたか! お前は……私の婚約者でありながら、なんてことを……!! 改めて言うがお前との婚約は、破棄する!」
と叫んだ。
私は反論しようと口を開き、
「お待ちください! 私はそんなことは……」
「黙れ! 言い逃れをする気か!」
と言われてしまい、どうしたものか、と考える。
周りの視線は明らかに私の敵だったし、ここでいろいろ言っても誰も受け取らないのでないかとも思ってしまった。
しかし、そのときである。
「ちょっと待てよ」
そう言って入ってきた者がいた。
「……お前は?」
「俺か? 俺はジーク・タイス。《学院》の生徒で、平民で、そこにいるレオノーラと同じ学年だ」
「そのお前が何の用だ。そもそも我々は今、罪人を裁いているのだ。何かあるなら後にしろ」
「そうはいかねぇ。というか、そもそもミリア様は罪人じゃねぇよ」
どうやら、この場において唯一の味方はこの男らしい。
一年、意味のわからないことにつきあわせた謝罪だろうか?
わからない。
……ん?
今、何か違和感が……。
殿下はジークに言う。
「お前に何がわかる? 被害者が言っているのだぞ。目撃者もいる。こちらの令嬢たちだ」
殿下が示したのは、レオノーラの後ろに控えている少女たちだ。
見れば、最初にレオノーラをいじめていたとおぼしき者たちだった。
いつ仲良くなったのか……。
「……はっ。ばからしい。そいつら、嘘ついてるんだよ。そんなことも見抜けねぇのか、殿下は」
「貴様……! 何を根拠に!」
「ふ。根拠はあるぜ……皆さん、どうぞこっちへ!」
後ろを振り向きジークが叫ぶと、階段の上からぞろぞろと人がやってきた。
いずれも見覚えがある顔だ。
教師とか、生徒とか、その属性は様々だったが。
そして不思議なことに、いずれも私に対する視線は好意的だ。
なぜ……?
「……では、私から。レオノーラ嬢がミリア嬢からいやがらせを初めて受けたのは、花の月、兎の刻二つということだが、その日、彼女は職員室でこのジークと盛大に喧嘩をしていた。その様子はそのとき職員室にいた教師二十人が目撃している」
「はっ……?」
レオノーラが惚けた顔をし、それからあわてて、
「ま、間違えました! 兎の刻三つです!」
「……そのときもまだいたな」
「では四つ……!」
「まだいた。彼女とジークはその日、蛇の刻三つまで喧嘩していた。したがって、レオノーラ嬢に嫌がらせをすることは不可能だ」
「……」
そして教師は下がる。
「では、次は私が」
今度は生徒で、やはり話したのは私のアリバイだ。
今までレオノーラが告げた時間帯指定がすべて仇になっている。
その時間はすべて、私はジークと喧嘩だったり、意味のわからない出し物だったりをしていた。
そしてそれを常に十人以上の者が目撃していた。
「……これは……これはどういうことなんだ! レオノーラ! これで婚約破棄が出来ると、君は言ったじゃないか!」
殿下がそんなことを言いながらレオノーラをがくがくとしている。
レオノーラはもう、反論する言葉がなくなってしまい、魂が抜けたような表情だ。
だいたい、殿下の言葉も聞き逃せない。
婚約破棄が、出来る?
したかったのか、この男は。
陛下と私の父が決めた政略結婚を、自分の手で破棄できると本当に思ったのか。
……バカな男だ。
「……こいつ、レオノーラと浮気してたからな」
ジークが私にぼそりとそんなことを教えてくれた。
「つまりあなた……私のためにこの一年あんな意味のわからないことを?」
「あぁ、まぁな。実は俺、昔から未来がちょっとだけ、わかるんだ。あんたと、この殿下、そしてレオノーラのことは……大分前から見えてた。だから、な……」
「そんなことが……」
予言者。
そういう人物が世界にはまれに現れる、と聞いたことがあった。
どこからともなく、突然現れ、これから起こる出来事すべてを知っているかのような行動をするという。
まさか、ジークがそれだとは……。
「でも、放っておいてもあなたに損はなかったでしょうに……」
「そりゃ、あんたが俺のことを言わないでくれたからだ」
「え?」
「昔、あんたの庭に俺が入り込んだことがあったろ? あのとき、告げ口されてたらやばかったからな。助かったぜ」
そう言って笑った彼の顔に、私は強烈な既視感を覚えた。
五歳の時、薔薇園で見た、あの顔だと……。
「あなた……」
「ま、そういうわけだ。ところで、これからどうする? 婚約破棄はもう成立しちまった。こいつも墓穴掘りまくりだし、正式に破棄されるはずだ。国王もこうなったらあんたの親父に頭を下げざるを得ないだろうな」
「……まぁ、私としては殿下の許しを請い願う理由もないし、成り行きに任せるわ。ただ、このままだと行き遅れになってしまいそうなのだけが不安かもね」
そう言って笑うと、ジークは私に言う。
「へぇ? じゃあ、新しい婚約話が来たら乗るのか?」
「身分が合えば、ね。そして国益に資するなら」
「ぶれないねぇ……まぁ、わかった。じゃあ、俺はちょっと用事が出来たから、いくぜ。この場はもうあんたが処理できるだろう。俺はしばらく《学院》も留守にするが、寂しくするんじゃねぇぞ」
「え、ちょっ……!?」
そういって、彼はあのときのように、さっと消えてしまう。
用事……?
一体何なのかまるでわからなかったが、彼には何か深謀遠慮があるのだろう。
今回のことでそうとわかった私は、そのことに何も不安を抱かなかった。
それが、大間違いであると知れたのはこの一月後。
隣国のガトラス帝国の皇太子から婚約の申し出が我が家に、それも私指名で来ている、と知らされ、実際に驚きつつも会ってみるとそれがどこかで見た顔だったときのことなのだが……。
このときの私は、そんなことになるなど露とも知らず。
「……万が一、本当に行き遅れになったら、ジークにもらってもらおうかしら」
なんて。
乙女じみたことを考えていたのだった。