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部屋のドアをあけるまで蛍は怯えた表情のままついてきた。
「あの、ごめんなさい! 」
ドアの閉まるのと同時に蛍は叫んで思いっきり頭を下げた。
「何、謝っているんだよ? 」
「その……
あたしが好き嫌いしなければ、パライバさん怪我しないで済んだんだよね? 」
蛍は怯えた表情のまま早口で喋りだす。
「好き嫌いって食事のか? 」
その答えに俺は拍子抜けした声をあげる。
「狩に同行した人に聞いたよ。
あたしがお肉食べないから、気を使って鹿を追ってくれたって」
そういえば、ここへ連れてきてから蛍の世話は使用人に任せっきりで食事さえも一緒にしていなかった為そんなこと全く知らなかった。
「お前、食事ちゃんと摂ってたのか? 」
何も言わない蛍にも気が付かなかった自分にも呆れてしまう。
「うん、一応……
ここの食べ物、野菜や卵は味が濃くておいしいよ。
小麦だって凄く香りがいいし……
パンの硬いのさえ我慢すれば充分おいしく食べられるし。
ただね、そのミルクやチーズは匂いのせいか咽通らなくて、肉は香りが強すぎるって言うか味が濃すぎるって言うか……
多分不味いんじゃないと思うんだけど」
「要はお前の口に合わないってことか」
せっかくだされた料理を不味いとはいえないのか、蛍は遠まわしに言う。
「元々お肉あんまり好きじゃないんだ。
食べられないわけじゃないけど、放っておいて貰ったら一月くらい楽勝で口にしないかも?
でも、ごめん。
はっきり嫌いだって言っておけば良かったよね」
「もしかしてお前、そんな子供じみたことで俺に怒られるとでも思ってた? 」
思わず俺は笑い出していた。
先ほどまでの怯えきった表情が頭から消えない。
「だって、間接的にパライバさんに怪我させたのあたしだよ? 」
さすがに笑われたのは気に入らなかったのか、蛍が不満そうに顔を膨らませる。
「俺が訊きたいのは、そっち」
気を取り直して俺は蛍の顔を改めて見つめる。
「何? 」
突然変わった空気に蛍は戸惑ったようだ。
その瞳が不安そうに揺れる。
「パライバが怪我するって、どうして知ってた? 」
「へ? 別に……
わかっていたわけじゃないよ。
ただなんとなくそう思っただけ」
蛍は不思議そうに首を傾げた。
「じゃ、鶏の卵の数とか、客がくるのとかも全部? 」
「そう、なぁんとなくそう思っただけなんだけど。
いけなかった? 」
駄目だ、こいつ自分の能力が覚醒した自覚は全くない。
というか、これじゃ単なる偶然なのか、本当に覚醒したのか俺にもわからない。
「なぁ? 明日の天気ってわかるか? 」
とりあえず一番手軽なことを訊いてみる。
「いきなり、何?
無理だよ。
あたし天気予報士の資格なんか持ってないもん」
「資格なんかどうでもいい。
そのなんとなくでわかるかどうかって訊いているんだ」
またしても飛び出した意味不明の言葉はスルーして話を続ける。
説明をさせようと思うと話が先に進まなくなるし、何よりあの淋しそうな顔をさせたくはない。
「ん~、晴れ? や、曇りかな?
もしかしたら雨? 」
……駄目だ。全く話にならない。
これじゃ、地元の長老がする経験からの天気予測のほうが確実だ。
「相変わらず不器用だな」
突然発せられた、背筋を撫でるようなひやりとする声に振り向くと、何時の間にか開いたドアの側に一人の少年が立っている。
「ユークレース王子、どうして此処に? 」
首をかしげながらも蛍の表情が和らいだ。
「蛍はさ、此処に来てから『こうなればいいな』って思いながら口にしたことが現実になったってことある? 」
俺の存在などまるで無視して兄上は部屋に足を踏み入れると蛍の前に陣取る。
その口調は俺に対するものと違って穏かで優しげだ。
「まさかぁ。
それができたらとっくに帰ってるよ。
何度これが夢だったらって思ったかわからないもん。
『夢だったら』って思ったことが本当に夢だったら今頃あたしもとの世界に帰っているはずでしょ? 」
「そっか。
じゃぁ…… 」
頷きながら兄上は一束のカードを取り出す。
「三代前の魔女の持ち込んだものなんだけど、これ、なんだかわかる? 」
四種類の記号と十三までの数字の書かれた一組五十三枚のカードはゲームや賭け事に使う。
「トランプだよね? 」
別段珍しくないものだとばかりに、蛍がさらりと答えた。
「じゃぁさ、これからこれをシャッフルして上から順番に捲っていくから出てくるカードの記号と数字を答えてくれる? 」
何をしたいのか全くわからないが兄上はそう言ってカードを切り始めた。
「なぁに? ひょっとして手品?
あたしが答えたカードをユークレース王子がだしてくれるの? 」
「違うよ、君が当てるんだ」
僅かに微笑みながら兄上が言う。
兄上のあんな顔久しぶりに見た。
何時の間に蛍は兄上にあの顔をさせるほど親密になったのかと疑問が湧く。
「無理無理、あたしこの手の手品のネタ知らないから」
不意に蛍が逃げ腰になった。
「何でもいいからとりあえず答えてごらん」
シャッフルし終えて重ねたカードを兄上は蛍に差し出した。
「う~んとね。
ハートの3? 」
首を傾げて蛍が答えると兄上が早速カードを捲る。
現れたのは『クラブの7』見事に外れだ。
次いで二度、三度。
カードを捲るが全て外れ、一度だけ数字が合ったが多分まぐれか偶然かと言ったところだ。
「だから言ったよね?
あたし、この手品のネタ知らないって」
蛍が不服そうに頬を膨らませた。
「手品とかそう言うのじゃないんだけどね」
兄上が苦笑いをしながら立ち上がった。
「どうやらお前の魔女の能力は自分ではコントロールできない“閃き形の予知”ってところじゃないか? 」
俺の耳もとでぼそりと呟くと、兄上はそのまま部屋を出て行ってしまった。
「ね? ユークレース王子なんて言ってた?
ひょっとしてあたし呆れられた? 」
「いや…… 」
「階段踏み外さないように足元、気をつけて降りてくれればいいんだけど」
兄上の背中を見送りながら蛍は呟く。
その僅か後、部屋の外から何かが転がり落ちたような鈍い音が響いた。
確かに兄上の言うとおりだろう。
蛍が不意に口にする言葉は近い未来現実に起こる。
しかしあくまでも閃きだ。
意識して未来を見ているものではない。
正直今のところ高位の能力とは言えない。
もっともこの先どうなるかは未知数だ。
「で? フローの用事って何?
まさかあたしに天気予報させるために呼んだんじゃないよね?
それともお兄さんと三人でトランプして遊ぶつもりだったとか? 」
「そんな筈ないだろう。
それより、なんで俺が呼び捨てで、兄上が王子付けなんだよ? 」
それが気に入らなくて俺は蛍に詰め寄った。
「いけなかった?
だってフローが言ったんだよ?
自分のことは呼び捨てで良いって。
それで、お兄さんの事は子供扱いしちゃ駄目だって。
本当なら殿下って呼ばなきゃいけないんだよね。
だけどあたしのところじゃあんまり使わない言葉だから、呼びにくいって言うか忘れるって言うか…… 」
蛍の視線が徐々に下を向く。
「それで、ユークレース“王子”かよ」
さすがの兄上も蛍に掛かると友人並扱いになるらしい。
そう思うと小気味いい。
「これでも精一杯頑張ってるんだよ?
本当は、“王子”もアイドル呼んでるみたいで面と向かっては恥ずかしいって言うか。
あたしの知ってる敬称じゃ、会社の上司だって役職呼びかさん付けだもん」
訴えるように蛍が言う。
「わかった、俺が悪かった。
今日はもういいぜ」
相変わらず訳のわからない単語が混じるが、とりあえず知りたいことはわかった。
これ以上蛍を引き止めても今日のところは仕方がない。
「そうだ、お前兄上と仲がよくなったみたいだけど」
「うん、フローの言ったとおり。
見た目はちっちゃいけど、優しくて大人だよね。
目を瞑って話をしてたら絶対かっこいいお兄さんだよ」
何時の間にそこまで親交を深めたのかはわからないが、蛍は言う。
その言葉が俺の疳に触った。
ただそれだけの言葉なのに何故か無性に腹が立つ。
「もう一つ忠告しとく。
お前、自分が此処に来た時の情景、細かいことまで絶対に兄上に、ってか他の人間に話すんじゃないぜ。
帰れるチャンスが来た時に帰れなくなってても知らないからな」
「何、それ? 」
またしても蛍が怯えた表情を浮かべる。
「まさかもう話したのか? 」
「うん、訊かれたから。
向こうで階段の手摺を越えて落っこちたら、こっちで木の枝に引っかかってたって。
もしかして不味かった? 」
「不味いも何も……
契約するときに必要なんだよ。
逆を言えばそれを握られると、例えあの場所に迎えにいって状況を把握している本人以外でも簡単に契約ができるんだ。
だから、俺と会った時の状況まで事細かく話してないだろうな? 」
「靴の話とか?
さすがにそこまではしてないよ」
蛍の答えに俺は安堵の息を吐く。
「じゃぁな、それだけは絶対に口にするなよ。
誰にもだ。
あ、帰る気がなくなれば話は別だけどな」
とりあえず釘を刺しておく。
俺の恐れていること。
そして多分蛍の一番望んでいることが叶わなくなること。
そのどちらもを、あの光景が握っている。
「なんだかわからないけど気をつけるね」
首を傾げながら蛍は頷いた。