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村の入り口にたどり着くと同時に、複数の人影や馬車が目に飛び込んできた。
「賑やかだね」
キープの中とは違った光景に蛍がはしゃいだ声をあげた。
「ああ、今日は年に何回かの隊商の来る日だからな」
行き交う人々に目を配りながら俺は答えた。
「農作物や食料品のマーケットなら常設しているが、隊商は王都まででないと手に入らないものなんかも持ってくるからな。
近隣の村からも人が集まるんだ」
言葉どおり、見たことのない顔の人間も多い。
仮設の市場はその関係から村の中央ではなく、村の入り口付近のこの場所で開くのが恒例だ。
「ね? 除光液ってあるかな? 」
「除光液? なんだよ、それ? 」
「あのね、これを落したくて。
剥げて汚くなってきたから。
プルーム達に訊いたら村じゃそんなものないけど、もしかして王都にはあるかもって言ってたから」
言って片手を前に差し出す。
少し伸ばした爪は艶を放つ鮮やかなピンクに染められ小さな花が描かれている。
所々にはごく小粒の宝石のような光る石がついていた。
さすが異世界。衣服は下着同然の飾り気のないものなのに爪先は華やかだ。
やはり着飾る基準も相当違う。
ただ、蛍の言うように所々爪先の色が剥げている。
この辺りだと花粉で僅かに花弁色に染めるのが精一杯だ。
落すことなど考えなくても染めつづけなければ自然に薄くなり落ちてしまうという話だ。
「わざわざ落さなくてもいいだろう。
それ綺麗だし」
「今はまだかろうじてね。
もうすぐ見られたものじゃなくなるから。
その前に、ね」
「さすがに、多分、ないと思う。
少なくとも俺は聞いたことがないぜ」
「そっか、残念。
じゃ、完全にはがれちゃうまでは我慢するしかないのか。
先輩にみっともないってまた怒られちゃうけど」
蛍が残念そうにため息をついた。
「フロー殿下、視察かい? 」
見知った宿屋の女将さんが声を掛けてくる。
「いや、遊びに来た」
村人を警戒させないように俺はさらりと言う。
隊商が開く市の管理や運営は村長に一任しているが、常連でない者は俺が顔を出すと法外な上納金を納めさせられるのかと勘ぐる者もいる。
それではせっかくの市の雰囲気が大なしになってしまう。
「ああ、それで今日はお連れさんが違うのかい」
簡易テントの下に広げられた色とりどりの商品を興味深そうに覗き込む蛍の姿に納得したように女将は頷いた。
「パライバは居ないけどな、何かあったら声を掛けろよ! 」
「いつもすまないね」
軽く頭を下げると女は人込みの中に消えてゆく。
「何、見てるんだ? 」
その背中を見送った後、俺は蛍の肩越しに声を掛けた。
「ね、見て! 綺麗だね」
異国の髪飾りに、都の最新モードのドレスや靴。
女なら誰でも目を奪われそうなきらびやかな物がテントの下いっぱいに広がっていた。
貴族の娘や奥方などいない、こんないなかでは不釣合いだと思われるが、それでも結婚式や祭りの晴れ着にと多少は捌けるのだといつか聞いたことがある。
「旦那、どうですかい? そちらのお嬢さんに。
今日は日差しが強いですからね」
テントの奥にいた店の主らしい中年の男が声を掛け、奥に並んだ婦人用の帽子を指し示す。
あくまでも実用性半分のそれはシフォンやレース、造花などで飾られて華やかだ。
その中の一つに俺の目が吸い寄せられた。
小ぶりの向日葵の花を象った造花の添えられたつばの広い帽子は今日の蛍のドレスとよく合いそうだ。
それにうっかりしていたが、いい年齢の女が日中日傘も帽子のなしで外を散策すること事態が異常だ。
「帽子がおいやなら日傘もありますよ。
ちょっと待ってください」
男は傍らに積んだ荷物の入っていると思われる布袋の中をまさぐり始めた。
「いや、それでいい」
帽子を指し示してポケットの中のコインをまさぐる。
でてきたコインと引き換えに手にした帽子を持ち、俺は背後を振り返る。
しかし、てっきりその場所にあると思った蛍の姿は消えうせていた。
嫌な予感が頭の隅をよぎる。
あいつ、ここにきてまだ日が浅く、ここの常識に不慣れだ。
うっかり暑さにかまけてドレスのスカートをからげ足なんか出してたりしたら……
そう思っただけで血の気が引いた。
折りしも市の立っている今日は余所者も沢山入っている、おまけのこの雰囲気に高揚して箍が外れる男が居たって不思議はない。
慌てて周囲を見渡してその姿を探す。
栗色がかった黒髪の人間は珍しいからすぐにでも見つかるはずだ。
不慣れな人間を突然こんな場所に連れてきてしまった俺の落ち度だ。
こんなことなら紐ででもつないでおくべきだったかも。
などと思いながら数歩歩いては周囲を見渡す。
「あいつ何処まで行っちまったんだ? 」
市の外れまできて俺はとりあえず足を止めた。
「困ったね、どうしようか…… 」
姿の見出せないことに思わずため息の出そうになった俺の斜め後ろ、腰の辺りから声がする。
「蛍っ! 」
声につられて振り返ると、小さな男の子の隣で腰を落とし目線を合わせた状態の蛍が居る。
「お前っ、何やってるんだよ? 」
「フロー、よかった。
この子迷子みたいっ! 」
俺の問いには答えずに蛍が叫ぶように言う。
「迷子ぉ? 」
俺は思わず頬を引きつらせた。
はぐれて迷子になった蛍を探していたら、まさか迷子連れだったなんて、しゃれにもならない。
「俺、動くなって言って」
「……なかったわよ」
言いかけた俺の言葉を蛍が遮った。
「それに普通、道端で小さな子供が泣いていたらほっとけないでしょ? 」
子供の頭をさすりながら蛍は言う。
「でも、困ってたのよね。
ここじゃ迷子センターもなさそうだし。
もちろん放送なんかもないんでしょ?
だから呼び出してもらうわけにも行かないし、どうしようかって思っていたんだ」
またしても蛍からは訳のわからない言葉が飛び出す。
「そんなの、ほっとけばいいんだよ」
「そんなことできないよ」
俺の言葉に蛍が非難がましい声をあげた。
「見てのとおりそれほど大きな街じゃないからな、このくらいの年齢になれば自分で帰れるんだよ」
「でもっ、家わからないって言ってるし」
「お前、村の子供じゃないな? 」
顔を覗き込んで訊いた俺に子供は大きく頷いた。
村の子供の顔なら大体知っているが、確かに見たことのある顔じゃない。
「だったら、こっちだ」
俺は立ち上がると、蛍と子供を促した。
村の子供なら村の中の家までなら自力で帰れるし、そうでない場合は……
人込みを抜け、俺は村の中に足を踏み入れると宿屋に急ぐ。
村人でないとするならば当然宿に泊まっているわけで。
村に三軒しかない宿屋の一つ。
一つは隊商御用達の素泊まりの簡易宿。
残りの二つのどちらかだと思うが、仕立てのいい上質な子供の衣服からして多分こっちだ。
さっきの女将さんの経営する宿のドアを叩く。
こちらの宿の方が、宿泊料金は高めだが設備は整っているから金のある人間は大体こっちを使っている。
「あんた! 坊ちゃん見つかったかい? 」
ドアを開けるとどこか切羽詰った女将さんの声が飛んできた。
「坊ちゃんってこいつのことか? 」
蛍が手を引いてきた子供を前に押し出すと、フロントの脇のソファから身なりのいい婦人が駆け出してきて、子供を抱きしめた。