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「……ったく」
小さく呟いて俺は息を吐く。
どいつもこいつも遠まわしな言葉でにおわすだけで、肝心のことを言わない。
そんなに俺をからかって何処が面白いんだか?
いや、面白いからかわれている訳で、面白がられているのは多分、自分では全くわからないこの部分なんだろう。
……とにかく。
目の前の村人に混じってダンスを踊る蛍をエスコートしている兄上の姿が気に入らない。
とりあえず王宮で躍られるワルツほど密接しているわけではないけれど、そもそも蛍の手をとっているのを目にするだけでなんだかイライラしてくる。
俺は大またでダンスの輪の中に入ると兄上の手から強引に蛍の手を引っ手繰った。
「乱暴だね」
呆れたような息とともにそう言うも兄上も諦めたように俺達の側を離れ王女に歩み寄る。
そして俺とは全く正反対に、実にスマートに王女のパートナーを務めていた男からその位置を譲ってもらっていた。
「楽しそうだな? 」
「うん! だってお祭りなんてこっちであると思っていなかったから」
音楽に乗って足を踏み出しながら俺は満開の花のように華やかに笑う蛍の顔を覗き込んだ。
やっぱりこいつはこの笑顔がいい。
「ね? あの二人ってお似合いだと思わない? 」
その二人の姿を目にステップを踏みながら蛍がうっとりと目を細めた。
「そうか? 俺には妙齢のご婦人が少年のダンスのレッスンに付き合っているようにしか見えないけどな」
「それって失礼じゃない? 」
「事実は事実だろう? 」
「もう、フローったら想像力ないの?
ユークレース王子を成長させたらって話だよ」
ターンをしながら蛍の視線がもう一度二人に向く。
「二人とも凄く優雅で、こんなところでのカジュアルなダンスじゃなくてね、どこかの宮殿でワルツでも踊ってもらったらため息ものじゃない? 」
確かに蛍の予言めいた言葉がなくてもそのとおりだと思う。
「元々、育ちが育ちだしな」
「そっか、そうだよね。
なんかふつーに話しちゃってたから忘れてたけど、二人とも本当の王子様と王女様だったっけ。
フローは、そうは見えないけどね」
「悪かったな。
もともと俺は次男だからな。
生まれた時から王太子の地位とは無縁で、王太子候補の兄上とは違って城の両親の手元じゃなく乳母の田舎で育ったし」
「そう、なんだ。
長男と次男じゃ随分扱い違うんだね? 」
「予防線だろ?
同じ血を分けた兄弟で将来統治者と家臣、身分がまるっきり違ってくるんだからな。
子供のうちからはっきりさせて納得させるほうが後々こじれないって言う」
俺の育てられた環境では元々がそうだったから、そう言うものだと思っていた。
だけど、不思議そうに首を傾げる蛍の様子で、こいつのいた世界ではそうとばかりではないらしいと悟る。
「ね?
なんか、ユークレース王子の身長、急に伸びた気がしない? 」
そしてまた、蛍は望郷の念に駆られたらしい。
俺に色々突っ込まれる前に、おもむろに話題を変えに掛かった。
「お前もそう思うか? 」
少し切ない表情をした蛍の顔を覗き込む。
やはり、さっきのあの違和感は俺の思い違いではなかったらしいと確信が湧いてくる。
「うん、気のせいかも知れないけど。
立って話していると視線が上がったって言うか。
今までは正面向いて話してたような気がしたんだけど、なんかここ数日視線を少しあげないとユークレース王子と目線が合わないんだよね」
間違いない。
気のせいなんかじゃなく、兄上の呪いは完全に解けたと思っていいだろう。
そして、今まで止っていた成長が急速に始まっている。
実年齢どおりの見た目になるまでにそれほど時間は掛からないだろう。
相手は恐らくシトリン王女だ。
「な? そろそろ帰るないか? 」
曲が終わる前に俺は蛍の耳もとで囁いた。
「いいけど……
何? まだ仕事残ってた?
無理やり誘って悪いことしたかな? 」
蛍が申し訳なさそうな、困惑した声をあげる。
「いいや。そうじゃないけどな。
とにかく行こうぜ」
まだ戸惑う蛍の腕を掴むと、そっとダンスの輪から引き出した。
「ねぇ、王女様とユークレース王子に声掛けなくて良いの? 」
預けた馬の手綱を受け取っていると背後を振り返って蛍が言う。
「いいんだよ。
今ならいつもなら耳をそばだてている付添い人も近づけないだろ?
奴らが二人っきりになるこんなチャンス、めったにないんだからな」
俺は蛍を馬の背中に抱き上げる。
「そっか。
そーだよね。
あたしったら気が利かなくて、駄目だなぁ」
「ま、お前にしたらあれだろ?
二十四時間誰かが側に付きっきりの生活なんて考えられなかったんだろう? 」
「うん!
着替えとか手伝ってもらうのが当たり前ってだけでもびっくりしたよ。
でもね、本当に二人っきりにしちゃって大丈夫?
そうなると、却って二人っきりにする方が心配なんだけど」
馬の上からでもまだ心配そうに蛍は広場の方に視線を向ける。
「気にするなよ。
俺達に気を使って姿を見せなかっただけで、二・三人は護衛が見てるはずだから」
「ねぇ、じゃ、ひょっとしてあたし達って監視されていたってこと? 」
「まぁ、そうなる」
驚いたような非難を含んだような蛍の声にバツが悪くて俺は呟く。
「王子様って窮屈な仕事だね」
呆れたように言って蛍は笑みを浮かべた。
「な? お茶淹れさせるから、どうだ? 」
キープに着くともう少しだけ一緒に居たくて、俺は蛍を部屋に誘う。
兄上と王女が来てからというものこっち、二人っきりでゆっくり話をしていない。
せっかく時間を取っての食事もお茶も、必ずどちらかあるいは両方の列席がある。
「うん、ありがと。
丁度咽渇いて、お茶したいなって思ってたところだったんだよね」
蛍は嬉しそうに言って弾むような足取りでキープの奥へ向かう。
部屋のドアを開けるとまるで待っていたかのようにパライバが出迎えてくれた。
「いかがでしたか? 」
早速お茶を淹れてくれながら訊いてくる。
「うん、楽しかったよ。
その……
ごめんね、フロー急に連れ出したりして」
そこのところは悪いと思っているのだろう。
少しだけ申し訳なさそうに蛍が肩を落とした。
「いえ、構いませんよ。
正直申しますと、蛍様達がいらしてからフロー王子の仕事のスピードが上がっておりますので。
全く問題ありません」
パライバは穏かな笑顔で蛍に笑いかける。
こいつのこんな満足そうな顔初めて見たかも知れない。
自覚はないが多分パライバの言っていることは本当だろう。
なぜか蛍にぴったり張り付く兄上を見張るには手元の仕事を片付けなくてはどうにもならない。
今までのようにいやいやながらこなしていたら一日がすぐに終わってしまう。
「なら、良かった」
先ほどまでしょぼくれていた蛍の表情が安堵したように綻んだ。
「そういえば、先ほど蛍様に贈り物が届いておりましたよ。
少しお待ちください」
思い出したように言ってパライバが退室すると程なく一つの箱を抱えて戻ってきた。
「あたし、に? 」
蛍は首をかしげると俺の顔を見る。
「いや、俺じゃないぞ」
俺は慌てて首を振る。
「じゃ、誰からだろ?
ユークレース王子や姫様なら直接手渡してくれるわよね。
貰ういわれはないけど、プルーム達だって…… 」
全く心当たりがないといわんばかりに蛍は何度も睫を瞬かせた。
「恐らく、新しい魔女の話を聞きつけた宮廷のどなたかではありませんか? 」
心当たりがあるとすればそのくらいだ。
昔からの慣習で国王の隣に常に居る魔女と懇意にしておけば後々便宜を図ってもらえるとか、そう言った下心で魔女に近付いてくる者も多い。
「困るよ。
あたしフローの魔女になるって決めたわけじゃないし。
そもそもまだ魔女でもないのに…… 」
蛍は困惑した様子で眉根を寄せた。
「返すことって、できる? パライバさん」
「はぁ、贈り主さえわかれば可能ですが…… 」
「誰からきたのかわからなければ無理かぁ。
どうしよう? 」
「開けてみますか?
中にメッセージカードなど入っていることもありますし」
「そうだね。
返すにしても誰から来たものなのかわからなくちゃ返しようがないもんね」
パライバにそう言われ蛍は箱に掛かったリボンに手を掛けた。
「な、に…… 」
中身が露になると同時に蛍は蓋を取り落とす。
傍らで同じように箱を覗き込んでいたパライバが慌てて床に落ちた蓋を拾い上げると、蛍の視界を遮るように蓋を戻す。
「どなたかの悪質な悪戯でしょう。
蛍様がフロー王子の賓客として遇されていることに不満を持っての仕業かと……
ですからあまりお気になされませんように。
これはこちらで始末しておきますから。
晩餐までお休みになってください。
外で遊んでいらしてお疲れになったでしょうから」
普段より二割増し穏かな声でパライバは言う。
「じゃ、お願いしていい? 」
顔を蒼白にして、握り締めた両手をかすかに震わせながら蛍は呟いた。
「お任せくださいませ。
お茶の続きはお部屋に運ばせましょう」
「……ううん、いい。
なんか、そんな気分じゃなくなっちゃったから」
のろのろと立ち上がると、蛍は部屋を出て行った。
「おい! 」
その背中が閉まったドアの向こうに消えたのを確認して俺は声をあげる。
「そろそろ、お心をお決めになったほうがよろしいかと思いますよ」
ため息混じりにパライバが言う。
「警告、か」
「はい、間違えなく、そうだと思います。
一見ただの黒鼠の屍骸ですが、咽元を掻き切られ明らかにあの時と同じ状態で殺されたものです。
あの状況を知っている者はごく限られた数人しかおりませんから」
パライバがどこか思いつめた真剣な目で俺の顔を覗き込む。
「今度は、蛍の番って事か」
俺は唸った。
「そうですね。
わざわざ蛍様の御髪と同じ色の鼠を送ってくるところからも間違えはないかと…… 」
「どうしろって言うんだよ! 」
俺は力任せにテーブルを撲る。
「ですから、シトリン王女とのお話を進めるのが得策かと」
「いや、それはちょっと、な」
思わず頭の中に浮かんだ今日の光景に俺は言いよどむ。
確証が持てないからパライバには言っていないが、王女の相手は既に決まっている。
どんな事情があれ、もう俺が手を出してはいけない。
「何を何時まで経っても子供のようなことを仰っているんですか?
どうしても王女がお気に召さないと言うのであれば、同程度の血統の女性を…… 」
「判ってる! 」
俺は声を荒らげた。
判っている。
このまま、森に棲む黒鼠一匹の命ではすまない事は。
だからと言って……
「悪い、暫く一人にさせてくれ…… 」
小さく呟くと俺はその場に座り込んだ。
「まさか、な」
夕日の差し込む静まり返った室内で一人、握り締めた両手に視線を落としたまま俺は呟く。
まさか王女のほのめかしたとおりだったなんて。
この期に及んで、またしても気のない女との婚姻を迫られてようやく気がつくなんて。
もう、ため息しか出てこない。
蛍を前にすると、なんだかその全てから目が離せなくなる。
笑顔は見ていたい反面、どこか遠くに視線を泳がせるあの切ない表情を目にするとそんな顔させたくなくて、どんなことをしてでも帰してやりたいと思った。
それはルチルの時のような側にいてもらえば安心するのとは全く違った感情で。
その二つは全く別物だと思っていた俺の思考は間違っていたようだ。
裏を返せば、笑顔の蛍は手放したくなくて。
俺の隣でいつでも笑顔でいたルチルが絶対見せたことのない蛍のあの表情を見たらやはり同じようにその憂いを取り除いてやりたいと思っただろう。
だったら、俺はどうしたらいい?
改めて気付かされた思いに半ば混乱しながら、ぼんやりと考える。
一番いいのは蛍を元の世界に帰してやることだ。
だがその手はずは全くと言っていいほどわからない。
いや、ないと言っても過言ではない。
この国の長い歴史の中で何代もの魔女が何人も当たり前に思い描いたことだ。
手立てがあるものならばとっくに誰かが見出している。
次に有効なのは蛍の命を優先すること。
それならば方法はわかっている。
蛍を俺の、次期国王の専属魔女として契約を交わしてしまえばいい。
本人は認めたがらない、もしくはまだ自分の能力を信じていないが、あの状態でほぼ覚醒している筈だ。
能力は別にして、『手を出したりしたら呪われる』と昔から言われ恐れられている国一番の宮廷魔術師を殺める者等誰も居ないだろう。
ただ……
それでは俺自身、納得がいかない。
蛍は側に置いておきたい。
だが、宮廷魔術師の位置は国王に一番近くて一番遠いものだ。
呪いの元凶になった魔女の時代も今も、魔女は王妃の座にはつけない。
ただの決まりごとを通り過ぎ、民衆の賛同が得られない。
それでは国王失格だ。
しかし、ルチルのような事は二度とごめんだ。
「なんだって…… 」
自分の無力さと、欲を改めて思い知らされ俺は打ちのめされた。




