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村に向かって足を進める馬の上で、俺はあからさまに顔を顰めて見せた。
「……なんだって、俺がお前の御者みたいなことしなくちゃならないんだよ? 」
同じ馬の上、抱きかかえるようにして前に乗せた蛍の耳もとでとりあえずぶつなる。
隣では同じ歩調で轡を並べる二頭の馬。
一つは王女が乗り、もう一頭にはあろう事か兄上の姿がある。
正直、面白くないのはそっちのほうだ。
あいつが一緒だって知っていれば、何も俺が出向く必要はなかったとか、いや遊びに出られるのは嬉しいが、あいつが一緒だと思うとなんだか空気が悪い気がする。
だから、本来なら蛍を同じ馬に乗せていることがうれしいくせに、それと挿げ替える。
「だって、姫様も、ユークレース王子も、馬の二人乗りはできないって言うか遠慮したいっていうから。
馬車を出してもらったんじゃ目立って騒ぎになるだろうし。
かといってあたしに付き合ってもらって王女様と、王子様村まで歩かせるわけにもいかないし」
蛍がため息をついた。
確かに、婦人用鞍での二人乗りは無理があるし、兄上の方は体格的に乗りなれない蛍では厳しい。
「それに、ね。
お祭りとかって皆で行くほうが楽しくない?
いくら仕事があるからって、一人で残されたら面白くないし、こっちだってフローどうしてるかなって思ったら楽しめないもん」
「もしかして、そう言って兄上も誘ったのか? 」
「もちろん! 」
蛍は少し得意そうな笑みを浮かべる。
「よく行く気になったよな」
「そうなの? 」
「ああ、普段のあいつはあの容姿を気にして人が集まるところにはめったに出向こうとしないんだ。
どうやって説得した? 」
「別に。
フローの時と同じだよ。
姫様に頼まれて。
『お祭り行こう! 皆で行けば楽しいよ』って声掛けただけ。
ユークレース王子誘おうって言い出したのは姫様のほうだし。
元々は姫様と二人で行こうねって言ってたんだけど。
だったらついでにフローも誘おうってことになって」
「俺はついでかよ? 」
「ごめん。
でもあたしはフローが来てくれて嬉しいよ」
その言葉が嬉しくて、俺は無意識に手の中にある蛍を抱き寄せた。
「なに? 」
妙な雰囲気でも察したのか蛍が戸惑った声をあげる。
「ちゃんと、つかまっておけよ。
振り落とされても知らないからな」
「フローはそんなことしないでしょ? 」
腹立ち紛れに呟くと、蛍はそう言って完全に俺を信頼しているような笑みを向けてくる。
その信頼が嬉しくて俺の頬が自然に緩む。
「お前、乗馬くらい覚えたらどうだ? 」
こうして蛍を乗せて歩ける事はやぶさかではないが、此処での生活では馬が欠かせないから一人で乗られるに越したことはない。
少し間の抜けた顔を見られたくなくて俺は表情を慌てて引き締めると話を変える。
「うん、そう思ってね。
皆に教えてもらって練習はしてるんだよ。
だけど、その……
馬と仲良くできないって言うのか、あたしが運動音痴なのがいけないのか。
とにかく馬が言うこと聞いてくれないんだよぉ。
言っている方に向いてくれないなんてまだいいほうで、下手すれば乗るの拒否られるんだもん」
それがよほど悔しいのか、悲しいのか最後のほうは涙声になっていた。
「どの馬に乗ってるんだよ? 」
「え? どのって適当に空いている馬貸して貰ってるけど。
いけなかった?
もちろんフローのこの子とかユークレース王子のみたいに明確に持ち主が決まっている馬は乗ってないよ」
僅かに頭を捻った後、蛍は慌てて付け足した。
「ん、とな。
じゃぁ、馬の中に斑の小さい牝馬がいただろ? 」
「うん、あの一番人懐っこい子だよね?
ステップとかって呼ばれてる子」
「練習するならあれにしとけよ。
なるべく空けるようにいっといてやるから」
馬は基本的には誰にでも優しい生き物だ。
それが乗り手を拒否すると言うのは、恐らくはこの世界の住人ではない蛍の匂いのようなものを嗅ぎ取って怯えているのかもしれない。
本当は俺が教えてやると言いたいところだが……
そう思ったとたんにパライバの苦虫を噛んだときのような表情が頭に浮かんで言い出せなかった。
守れもしない約束を安易にして蛍を悲しませたくはない。
「その子が一番やんちゃなんだよぉ」
蛍がうめき声に似た声をあげる。
言われてみれば確かにそうだ。
あの馬は人一倍人懐っこいから他の馬が怯える人間でも大丈夫かと思ったのだが、そのためか好奇心旺盛で遊んでくれそうな人間が来ると嬉しさが増してはしゃぎすぎるとか、以前馬丁が言っていた。
慣れれば大きさといい蛍が乗るには丁度いい馬だと思う。
「それってお前と遊びたい証拠。
ま、ニンジンでも持って日参して仲良くなるんだな」
まるで乗馬をはじめたばかりで馬を怖がる子供を騙すときのように言って、俺は視線を前に向けた。
何時の間にかキープへ繋がる細い道を抜け村に続く街道に出ていた。
村はずれの広場から、風に乗って陽気な音楽と人のざわめく音がかすかに耳に届く。
「ねぇねぇ、お祭りってどんなことするの?
やっぱり神様にお礼のお祈りして、お囃子とか、お神輿とか出るの?
花火とか上がる? 出店は? 」
その音を耳に、蛍が興味を隠しきれないかのように訊いてくる。
お囃子とか出店とか訳のわからない言葉は挟まるが、何処の世界でも神の恩恵に感謝の祈りを捧げ、ついでに信者が羽目を外すことになる神事はあるらしい。
「いや、豊穣の神への祭りはその歳の収穫が全部済んだ晩秋だ。
今日のは小麦の収穫に携わってくれた村人へのねぎらいだよ。
祭りに来た人間に酒と食事を振舞って、夜通しダンスだ」
「じゃ、お祭りというより、慰労会? 」
「そんなもんだ」
何時の頃から始まったのかはわからないが伝統ある習慣。
小麦の収穫を終えた後の収穫祭は数少ない村人の楽しみだ。
村の広場で村人一同を集める宴会のようなもので主催者は農場主や地主、ワイナリーの経営者などだ。
通常なら雇い主に気を使わずに楽しんでもらうために、農場主は差し入れだけして顔を出さないのが常だ。
パライバが牽きとめようとしたのも当たり前のこと。
どちらかと言うと農場主と同じ立場にたつ、砦の主も不参加が常だ。
ただ、今回だけは。
せっかく楽しみにしている蛍を気落ちさせたくない。
「わぁ! 賑やかだね」
「あ、こら、動くなよ。
落ちるだろう」
村人の集まる広場を目にすると早々に蛍は乗せてきた馬の上で身を捻る。
「ね? 何、あれ? 」
広場の入り口で馬を預ける時間さえ惜しいかのように蛍は人込みの中に走って行く。
「待って! 蛍。わたくしも…… 」
その蛍を追いかけてシトリン王女が続く。
「悪いな、邪魔をして」
馬の手綱を預かってくれた村長に俺は軽く声を掛けた。
「いやいや、可愛い魔女様の頼みじゃさすがの殿下も断れなかったってところですかな?
楽しんでいってくださいよ」
やや冷やかしを含んだ言葉で歓迎され、俺は蛍の背中を目で追った。
正式に公表したわけじゃないのに、何故か何時の間にか蛍の事が魔女として村の中にも知れ渡っている。
大元は城で召し使っている者達だろうということは容易に察しがつく。
「で? どうして兄上まで此処にいるんだよ? 」
俺と並んで同じように手綱を預ける兄上を横目で睨み付け俺は訊いた。
普段なら絶対にこういった場所に顔を出したがらないこの男が、わざわざ出向いてくる理由がわからない。
「何って、蛍嬢に誘いを受けたからだが」
それが何か不服でも? と言いたそうに兄上は首を傾げた。
何故かはわからないが兄上は蛍の不定期な予言を信用している節がある。
俺がその『不定期』な部分に引っかかっている間に、こいつは蛍を自分の方に取り込んでしまいそうで、なんだか不安になる。
「殿下方どうですか一杯! 」
俺達の姿を見つけて、早速エールのジョッキが差し出される。
「いや、止めとく。
今日はあいつの付き添いだからな」
王女と二人食べ物の並んだテントの下をあちこち巡りながらはしゃぐ蛍の笑顔を目に俺はジョッキを断った。
これまでの様子から蛍にはここの食べ物は口に合わない様子なのに、それでも楽しそうだ。
きっとこの雰囲気に飲まれたのだろう。
「はい、フロー! 」
行き交う人々の笑顔に気を配っていると、突然目の前に肉の刺さった櫛が差し出された。
「難しい顔して、こんなところまで来て視察?
止めようよ。
楽しまなくちゃ損だよ」
俺の鼻先に肉を突きつけたまま、蛍が言う。
「ごめん、フロー。
これ貰ったんだけど、食べてもらっていい? 」
ついでにもそっと蛍の顔が近付いたと思ったら耳元でささやかれた。
ここでの食い物にまだ慣れないのか蛍の偏食は健在のようだ。
「お前くらいのもんだよ。
俺にもらい物押し付けてくるのは」
あからさまに呆れて見せるが、本音は何故か頼られたことが嬉しい。
「あれ? これ肉の味違うな」
差し出された櫛を受け取って口に頬張ると、俺は首を傾げる。
「忘れたのか?
城の人口増えたからって肉を取り寄せるよう手配したの自分だろ?
食料の管理もまともにできないなんて笑わせるな」
莫迦にしたように兄上に囁かれる。
「誰のせいだと思っているんだよ?
あんた達のせいだろうがっ! 」
俺は唸り声をあげる。
客人も単独一人・二人ならなんとでもなる。
が、この二人の場合単独ですまないところがなんともしがたい。
今キープの住人は従来の三倍に膨れ上がっている。
その状態で在庫だけで過せなんて言われても無理があるってもんだ。
ふと気が付くと眉間に皺を寄せた俺の顔を蛍が覗き込んでいた。
「こんなところまで来て兄弟喧嘩?
本当に仲いいんだね」
「どこがっ! 」
「だといいんだがね」
腹を立てた俺と冷えた兄上の声が重なる。
「どっちよ? 」
冷たい視線でじとんと俺を眺めると蛍はすぐに周囲に視線を移す。
「あ、ダンス始まったよ。
行こう! 」
俺達を誘うように声を掛け、蛍は広場の中央で始まったダンスの輪に駆けていく。
あいつ……
ダンスなんか知らないはずだ。
いや知っていたとしても、ステップまで向こうの世界と同じとは思えない。
なのに躍りだした蛍のステップは完璧だった。
「あいつにダンス教えたのって兄上か? 」
その光景を腕組みして満足そうに眺める兄上の視線に気付き俺は訊く。
「ああ、暇な時間をもてあましていたみたいだからね。
蛍嬢のいた世界では娯楽に際限はなかったようだが、此処ではかなり限られるから。
退屈しのぎに皆で行ったピクニックの折に教えた」
どうりでステップが完璧な訳だ。
「何時の間に? 」
「お前が王都に出かけている間にだよ」
その言葉がなんだか悔しい。
「止めろよな。
俺に無断で蛍連れ出すの」
「何故だ?
蛍嬢はお前の所有物ではないだろう? 」
思わず口から出てしまった言葉を完全に押さえられる。
それはわかっていることなのだが……
悔し紛れに兄上の顔を睨み付けようとした俺の視線がふと止る。
普段なら、俺よりかなり下にあるはずの兄上の顔が少し高くなったような気がする。
贈った視線が兄上の目ではなく唇に行き当たっている。
……まさか。
とは思うが……
先日王女と挨拶を交わした時、耳もとで響いたあの音が何故か引っかかる。
ただ本人に直接訊いてもし、一ミリも伸びていなかったなんてことになったら兄弟喧嘩どころでは済まされなくなりそうなので、とりあえずは黙っておく。
「悔しかったら、自分で教えたらよかっただろう」
そう言い残して兄上はおもむろに組んでいた腕を解くと蛍の元に掛けて行く。
「あ、おい!
話が、まだっ…… 」
「蛍でしたのね? 」
呼び止めようとした俺の耳もとで別の声が響く。
「何がだよ? 」
何時の間にか俺の隣に来て、蛍に視線を向けて俺に意味不明なことを聞いてきた王女に俺は訊き返す。
「王都でフロー様が思い出していたお相手ですわ」
王女はやんわりと微笑む。
「俺が? 」
「隠しても駄目ですわよ。
わたくしのことなんてまるっきり目に入って居なかったくせに」
「そうなのか? 」
その言葉に俺は自問してみる。
確かに、目の前の王女のどんな仕草や物言いも皆蛍を引き合いに出していたような、気がする。
しかしあれは、どっちかと言うと異世界の女の反応が珍しかったというか、そう言う部類で……
俺は軽く頭を捻る。
「もぅっ。
何処まで鈍くていらっしゃるの?
そんなことだと、誰かに盗られてしまっても知りませんわよ」
俺の反応に少し腹を立てたように言う。
「誰かって、誰だよ? 」
「わかっていらっしゃるのにわざわざお訊きになりますの?
内緒です。
ご自分でお考えになって」
からかうように言うと王女もまた蛍のあとを追ってダンスの輪に加わった。




