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 誰かに自分の話を聞いてほしい。

 でも誰にも言えない。

 十も年の離れた、しかも夫のいる女性との恋の話なんて。

 それも、永遠の愛だなんて信じ込んでたのに、お金を渡されて捨てられたなんて。

 それが悲しくて苦しくて死にたいと思うほどつらい出来事だったなんて。

 そんなの誰にも言えるはずがない。

 だって、これはただの笑い話だ。愚かで、滑稽で、連続ドラマの脚本にさえなりえない。

 誰からも共感されず、同情されず、憐れまれ軽蔑されることはあっても、一緒に悲しんでもらえることはない。

 ついさっきまで、そんなことを思っていた。

「つらかったな。よく頑張った。お前はよくやった」と澤田会長。

「お姉さんの胸で泣きなさい」と鎌田ティーちゃんさん。

 無言で泣き続ける藤堂マヤ様。

「センパイ、センパイ」と号泣しながら連呼する谷口ウェイ君。

 颯爽とトイレへ向かった篠原むらさき氏。

 そんなロミジュリの面々を見ていたら、話してよかったと思えてきた。

「なあ、みなかみくん。やっぱりロミジュリに入らないかい?いや、入るべきだよ。俺たちは君を仲間に迎えたいんだっ」

「はあ」

「大学生って輩は、いや、世の人間たちというのは、どいつもこいつも恋愛というものを軽く見ている。まるでファッションのように季節によって相手を変え、平気な顔で次に行く。君のように、自分のすべてをかけて一人の人を愛そうとしている人間が、この世にどれだけいるだろう? どっちが本物の恋愛かなんて一目瞭然のはずだ」

 澤田会長の演説が暑苦しいなと思い始めたら、今度は鎌田ティーちゃんさんが話し始めた。

「純愛とか、時空を超えた永遠の愛とかがドラマや映画なんかじゃもてはやされてるのにさ、実際はいつまでも一つの恋愛で落ち込んでると呆れられるじゃない。忘れるのに一番いいのは次の恋を見つけることだ、とか言ってさ。ふざけてるよね。その人以外考えられないから落ち込んでるのにさ」

「この子もいろいろあったのよ」

 すごい剣幕でマシンガントークを飛ばすティーちゃんさんを抱きしめながら、マヤ様が言った。

「私はね、高校のときに好きだった先生に卒業式の日に告白したんだ」

「それは、ロマンチックですね」

 表情から察するに、どうやらこの話はみんな知っているらしい。

「でしょ。でね、フラれたんだ。おかしくない? 少女漫画なら絶対オッケーでしょ」

 少女漫画なら、卒業する前から付き合ってるんじゃないかなあ。そう思ったがもちろん口には出さない。

「結婚してたとか?」

「違うの。私の友達と付き合ってたの。女子高生とよ。信じられないでしょ。ありえないでしょ。こんな少女漫画打ち切りよ」

 申し訳ないがちょっと面白い。この話は笑って聞いてもいい話なんだろうか。とりあえず笑いをこらえて、「それは、つらいですね」と言っておく。

「でしょ。もう最悪よ。ありえないわよ。失恋のショックを癒せないでいる間に気付けば二十一よ。彼氏いないまま二十一。ねえこれどういうことよ」

 ごめんなさい。面白すぎます。口を真一文字にして笑い出しそうになるのを、必死で堪え、僕は形容しがたい表情を創り出すことに成功した。

「鎌田センパイ、つらかったですね」

「わかってくれるか、みなかみぃ。お前いい奴だなあ」

 向かいに座る鎌田センパイが手をがっしりと握ってきた。

 なんだかみんなニコニコ笑いながらこっちを見ている。やっぱりこれは笑うのを我慢しながら聞くのが正解の話らしい。内容だけ聞くとたしかに悲劇だが、鎌田センパイが面白可笑しく話すからよくないのだ。

「ティーちゃんセンパイと呼んでくれたまえ」

 ティーちゃんセンパイはそう言いながら、まだ手を離してくれない。困っていると澤田会長がゴホンと咳払いをした。

「いやあ、水上。うちに入ってくれるのは嬉しいんだが、一つだけ注意点がある」

「はい」

 まだ入るとは言っていないが。

「うちのサークルは、失恋サークルであるがゆえに、恋愛禁止だ」

「はあ、はい。わかりました」

「うむ、わかればいい」

 場が静まり返った。なんなんだ、突然。

 ああ、そうか。あんまりティーちゃんセンパイと仲良くするなということか。

 僕がようやく納得していると、「はいっ」と突然、篠原むらさき氏が手を上げた。

 いつの間にお花摘みからご帰還されたのだろう。

「私も言いたいことがあります、会長っ」

「なんだね、むらさき会員」

 彼女はコホンと咳払いをして紫色の液体の入ったグラスを空にすると、大きな声で話し始めた。

「永遠なんてものはこの世には存在しないんです。すべてのものには終わりがあります。でも、だからこそ世界は美しいんです。たとえ、いつかは無に帰って、何の意味もなくなってしまう儚いものだとしても、その一瞬はたまらなく愛おしいんです」

 なんだかよくわからないが、一同から拍手が起こった。

「そう、その通り」

「いいこと言う」

「そうだ、世界は美しいんだ」

「むらさき、酔うと饒舌になるの。かわいいっしょ」

 サワーばかり飲んでいたくせに、むらさき氏の顔はほんのり赤く、目がトロンとしている。たしかに可愛らしい気もしなくはない。

「水上君」

 むらさき氏が僕の名前を呼んだ。

「はい」

「下の名前は、なんていうのですか」

「ゆうです。優しいって書いて、優」

「水上優くんですか。見た目通りのすかした名前ですね」

 いきなり口調がきつくなった。自分から尋ねておいてなんだ、この酔っ払い。

「いやいや、かっけえじゃん。芸能人みたいで」

 澤田氏はそうフォローしてくれたが、自分でもなかなかキザな名前だとは思っている。だいたい、「優」なんて名前に見合うほど僕は優しくない。もしくは優秀でもない。だから必要ないときは下の名前は名乗らないようにしているのだ。

「まあいいです。私も優君のことは嫌いじゃありません」

 初対面だが、どう見てもこの人はこういうキャラじゃないだろう。これ以上変なこと言い出す前に酔いを冷ましてもらわないと。

「大丈夫? 篠原さん。気持ち悪かったりしない? 水いる?」

「大丈夫です、余裕です。あとグラス一杯はいけます」

 けっこうギリギリってことだろうか。

「むらさきちゃんは大丈夫って言ってるあいだは大丈夫。前に顔真っ赤になるまで飲んで吐きまくってからセーブすることを覚えたからね」

 鎌田ティーちゃんさんが、「ねー、むらさきちゃん?」と聞くと、篠原さんは親指を突き立ててみせた。

 ティーちゃんセンパイは終電がやばいと夜の街を駆けて行き、他のみんなでむらさき氏を家まで送り届け、今日はお開きとなった。ティーちゃんセンパイ以外はみんな一人暮らしく、徒歩か自転車で帰れる距離らしい。みんなでギャーギャー騒ぎながら夜の街を歩くのは、『これだから大学生は』と周りから煙たがられているんだろうなと思ったが、けっこう楽しかった。

 自分の部屋は、ずっと換気していなかったためかどこか臭かった。

 窓を開け放ち、梅雨の夜の匂いを部屋へ入れる。

 すぐに眠気がやってきて、僕は布団へもぐりこんだ。

 久しぶりの、穏やかな眠りだった。


 次の日は日曜だった。昼過ぎに起きて、洗濯をして、掃除をして、食事を作って、洗い物をして、髪を切りに行ったらあっという間に一日が終わった。

 月曜日は大学へ行った。

 まだ一度しか出席していない芸術学の授業の教室はなんだか居心地が悪い。

 と、見たことのある横顔を発見した。

「こんにちは、むらさきさん」

 彼女は僕の存在に気付くと目をまんまるにした。

「なにか?」

「いや、この授業来るのまだ二回目だから、試験のこととか知ってたら教えてほしいなって思って」

「二回目って。もう諦めなさいよ、この授業、毎回出席取ってるわよ」

「え、そうなの。まじか、やらかしたな」

たしかにもう六月も半ばだ。諦めた方がいいかもしれない。

「ちょっと、なに座ってんのよ」

 彼女はあからさまに嫌そうな声を出した。

「え、いいじゃん。なんか冷たくない? 一昨日は優君とか呼んでたくせに。あ、お酒飲むとキャラ変わるの?」

「うっさい」

「え、ひなこってお酒飲まないんじゃなかったの?」

 むらさきさんの反対に座っていた女の子がいきなり話に入ってきた。むらさきさんの友だちなのだろう。

「飲まないわよ。迷惑かけるから、基本的には」

「なにそれ、私には気いつかってるってこと?」

 どうやら話をややこしくしてしまったらしい。僕は心の中でむらさき氏にごめんと謝った。

「や、どうも。むらさきさんのお友だちですか? 僕、水上っていいます。どうぞよろしく」

「や、これはどうも。近藤です。ねえ、二人は何の知り合いなの? この子から男の話なんて聞いたことないんだけど?」

 むらさき氏がさっきからくたばれと言わんばかりにこちらを睨んでいるのでこれは黙っていたほうが無難だろう。

「いや、こないだ居酒屋で偶然会ってね。そのときちょっと話したってだけだよ」

「え、まじ、ひなこ。一人でお酒飲みに行って、知らない男の子と仲よくなったりしたってこと?」

「そんな日もあるわ」

 机の下でこっそりむらさき氏が親指を立てた。やはりサークルのことは言わないほうがよかったのだろう。

「ねえ、なんでむらさきさんってむらさきってあだ名なの? グレープサワーが好きだから?」

「違うわ」

「なんか、機嫌悪い? ああ、友達といるから恥ずかしいの? 授業参観のときに自分の親を他人に見られるのが恥ずかしいのと同じ感じ?」

「君、チャラいね。なんでひなこと仲良くなれたの?」

 それはチャラい男をむらさき氏が嫌いという意味だろうか。

「仲良くないわ。一人称が僕のチャラ男なんて、ろくなもんじゃないだろうし」

 むらさきさんがこっちを見ないでそう言った。

 それは、加奈さんといつも喋っていたときの癖だ。意図したところではないのだろうが、痛いところを突いてくる。

 あ、やばい、余計なこと思い出しそう。

 そう思い、僕はすぐに普通の大学生の表情を作って見せた。

「ええ、俺、全然チャラくないよ。今まで付き合った女の人、一人だけだし」

 こんな感じで言えばチャラいだろうか?

「うーん、やっぱり不思議だなあ」

 茶髪の普通の女子大生が、ザ・文学少女という感じのむらさきさんと仲が良いことの方が僕には不思議だった。でも、色々秘密にしていることはあるようだし、それほど仲良しというわけではないのだろう。


 芸術学の授業は、暗い部屋にスライドで映し出される西洋の絵画を延々と見ていくだけの授業だった。おじいさんの教授が、絵を見て色々語る。それを静かに、メモも取らずに聞いていく。なんだか不思議な時間だった。

 スライドに照らされるむらさきさんの横顔は授業に集中していて、さっきまでのイライラはもうどこかへ行ったようだった。その隣の茶髪の子は爆睡中だった。

 対照的な二人の姿がなんだかおかしかったが、僕だって別にこの授業に興味があって履修したわけではなかった。加奈さんが絵や音楽に詳しかったから、自分も少しでも詳しくなろうと思って履修したのだ。

 そういえばこの授業は、文学部の授業だった。

 むらさきさんは文学部の二年生だったっけ。

 こんな授業、どうして彼女は履修しているのだろう。

 そういえば、彼女はどうして失恋サークルにいるのだろう。

 失恋なんて縁がなさそう、と言うと失礼だが、実際、彼女は男の話をしないらしい。

 なにか、理由があるのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、僕もいつの間にか眠りの底へと落ちていった。




週に一度は更新しますので、よろしくお願いいたします。

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