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彼女と僕がはじめて出会ったのは、僕がアルバイトをしているファミリーレストランでだった。
「コーヒーとチーズケーキで」
そういうことに疎い自分にもわかるくらい、高級そうな服を彼女は身に纏っていて、ファミレスでは浮いていた。外は雨だったから、きっと雨宿りに寄ったのだろう。
「かしこまりました。コーヒーはドリンクバーとなっておりますので」
「ドリンクバーってなあに?」
彼女の澄んだ瞳がまっすぐにこちらを見ていて、僕はなんだかドキドキした。
「えっと、あの機械で飲み物が出てくるので、セルフサービスでご自由にお飲みになって頂けるシステムのことです」
「へー。そんなものがあるのね。でも勝手に飲まれちゃうと困らない?」
「飲み放題ですので、大丈夫です」
「へえ。こんなに安いのに飲み放題なのね。わかったわ、ありがとう。可愛い店員さん」
彼女はそう言ってニッコリと笑うと、ドリンクバーの方へ歩いて行った。その優雅な姿はやはりファミレスにはそぐわなかったが、僕はその仕草や立ち居振る舞いに見惚れてしまった。
一目惚れ。その言葉の意味が、少しわかったような気がした。
それからしばらくして、彼女はまた店を訪れた。その日もまた、雨だった。
僕は彼女に出会えたことを喜ぶ半面、その日の彼女はとても悲しそうに見えた。
けれど同時に、儚げな彼女の横顔は前よりもずっと魅力的に見えた。
「ご注文は、お決まりですか?」
そう声を掛けることしかできない自分がもどかしかった。けれど、それ以外の言葉は思いつきもしなかった。
「あら、君。こないだも会ったわね」
「はい。ごひいきにして頂いてありがとうございます」
精いっぱいの笑顔を浮かべる。今の僕の笑顔は店員が客に向けるようなものではないかもしれない。でも、接客は笑顔が大事とか言うから、まあいいだろう。
「ふふ、まだ二回目よ?」
「そうなんですか? 二回お越しいただいて、二回とも僕が接客できるなんて光栄です」
「なあに、それ。どういう意味?」
一つ一つの言動がなんだか妙に色っぽくて、大人の女性というか、僕はいちいちドギマギしてしまう。
「あ、いや。お姉さんみたいに綺麗な人と会えて嬉しいって意味です」
「はは、なにそれ。口説いてるの?」
「え、や、はい。……あわよくば」
僕は何を言ってるのだろう。こんなところ店長に見られたら即刻クビになってしまう。
「君、可愛いね。いいわ。仕事何時まで?」
「あと一時間くらいです」
「ん、じゃあ待ってるね」
彼女の笑顔は輝いて見えて、悲しみの影なんてもうなくなっていた。
僕は何だかぼーっとして、加奈さんから注文を聞くのを忘れたことにも気づかなかった。
そのあとの一時間もあまり集中できず、水を落としたり、注文を聞き間違えたりと散々だった。
そして僕と加奈さんはデートに行き、付き合うこととなった。
綺麗な人だとは、初めて会ったときから思っていた。
でも、美人だから好きになったわけじゃない。
その整った顔立ちも、身に付けている高級なものも、何一つ彼女を幸せにはしないのだと気が付いたとき、僕は彼女に興味がわいた。何もかもを持っているかのように見えるのに、時折、誰にも見せないようにそっと見せる、寂しげな瞳が、どうしようもなく僕を惹きつけたのだ。
しかし、理由なんてどうでもいい。
どうしようもなく僕は彼女が好きだった。彼女に心を奪われた。
僕はもう、彼女の虜だった。
大学一年の六月に出会い、大学二年の六月に別れるまでの一年間、僕の毎日はずっと加奈さんのためだけにあった。授業とバイトの時間以外はほとんどずっと加奈さんと会っていて、会えないときは加奈さんへのプレゼントを選んでいた。
でも付き合っていると思っていたのは、僕のほうだけだったのかもしれない。
だって、もしこの愛が本物だったらそれは加奈さんにとって、不倫になってしまうのだ。
加奈さんに夫がいることは、かなり早い段階からわかっていた。しばらくすると、加奈さんも夫の愚痴を言うようになった。最初から隠していたつもりはないのだろう。
永遠だと思っていたものは。自分の全部だと思っていたものは。無くては生きていけないと思っていたものは。一瞬で僕の前から去っていった。
手元に残ったのは、単位だけだった。
進級くらいはできなければ加奈さんとは到底釣り合わないと思って、ちょっとだけは勉強していたのだ。でも今となっては、単位なんて全部捨てて加奈さんのもとへ走っていたら違う結末もあったんじゃないかと考えずにはいられなかった。
加奈さんへのプレゼントはどれも高価なものばかりを選んでいたせいで、バイト代は中々溜まらなかった。付き合いが悪いから仲の良い友達もできなかった。サークルだって加奈さんと付き合うようになってやめてしまった。
本当に、今までの大学生活で手に入れたものは、単位くらいのものだ。