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 永遠の愛を誓った。

 どんな困難も二人でなら越えて行けると。

 たとえ世界が二人を許さなくても、誰から恨まれようとも、この愛だけは貫きとおすと。

 恥ずかしげもなく、何の疑いもなく、心から信じていた。この愛は本物だと。

「わかれましょう。お金ならあげるわ」

 それで終わりだった。

 本当に、そのたった一言だけで、すべてが終わってしまった。

 積み重ねてきたものは、崩れ去ることも、その余韻を残すことさえも許されずに、その存在を真っ白なキャンバスへと引き戻された。

 


「わかれましょう。お金ならあげるわ」

 レストランで最後のデザートを食べ終えるや否や、彼女はそう言った。

「夫にばれたの。今回だけは見逃してやるって。本当は、お金だけ渡してさっさと帰ってこいって言われてたんだけど」

 彼女は誰に対してかわからないが、申し訳なさそうに言う。

「そういうわけだから。もう連絡してこないで。さよなら」

 彼女は僕の返事を待たず、僕の顔をよく見もせず、さっさと席を立った。

 僕は彼女の背中を見つめることしかできなかった。

 店内に流れるクラッシック。彼女の置いて行った白い封筒。目の前を行き来する給仕係。あと一口、食べ残されたデザート。

 何もかもが、これが現実であることを僕に訴えかけてくる。

 彼女は、僕が逆上して首でも絞めてくると思ったのだろうか。だからレストランという人目の多いところで「さよなら」を言ったのだろうか。それとも、僕がその場で自殺をしようとしても、誰かがそれを止めてくれると思ったからだろうか。

 もしそのレストランで、僕にもまだ魅力があるということを証明できていたなら。

 そう、例えば面白い話で彼女を笑わせたり、彼女の抱えている何かをそっと解くような言葉をかけたり。そんなことが少しでもできていたなら、僕は捨てられずに済んだのだろうか。

 彼女は美しい人だった。

 身に付けている物から、彼女が裕福なことも知っていた。

 いや、彼女の夫の稼ぎが多いことを知っていた、というほうが正しいだろうか。

 彼女はことあるごとに言っていた。

「競争ばかりして、人を蹴落として、人の幸せを奪って、いったい何が楽しいのかしら。どうしてそんなことを威張れるのかしら。私にはまったく理解できないわ」

 僕は「そうだね、加奈さんは優しいね」と、そう答えるばかりだった。

 でも、今になってふと思う。

 僕は負けたのだ。負けたから、彼女に捨てられたのだ、と。

 僕は勝たなければならなかった。どうしても手に入れたいものがあるのなら、たとえ他人を不幸のどん底に突き落としてでも勝ち取らなければならなかったのだ。

 現金の詰まった封筒だけを残して、彼女は僕の前から姿を消した。

 何の味気もない、ただの白い封筒。その中から覗く、現金の束。

 なぜ、僕はそれを持って帰って来てしまったのだろう。

 実はこの様子をどこかで彼女の夫が監視していて、ちゃんと別れるか確認しているかもしれない。そうだ、彼女は僕と別れたかったわけじゃない。きっと夫に僕との関係がばれてしまって、仕方なく別れようと言ったのだ。この封筒の中に、彼女からの手紙や、秘密の携帯の番号が入っているに違いない。

 そんな誇大妄想を脳内で展開したからだ。

 けれど封筒を破って中を開いても、そこには何もなかった。

 しばらくは、部屋に閉じこもっていた。布団をかぶってわんわん泣いて、また起きて水を飲んで、また泣いて、トイレに行って、眠りについて、起きて、泣いて。何度かそれを繰り返していると、無性にお腹が減ってきた。

 はじめに感じた空腹は涙と一緒にいつのまにか消えてしまった。けれど、二度目にやってきたその空腹は、涙を止めてしまった。

 買い置きしていたカップ麺を食べていると、なんだかもっと美味しいものを食べたいと思った。そして、なんだか無性に誰かと会いたくなってきて、僕は家を出た。

 とりあえず大学の食堂へ向かった。

 食堂のおばちゃんに「ありがとうございます」と小声で言うだけで、少し涙が出そうだった。

 食堂にはちらほらと人がいたが、知り合いは一人もいない。

 友達と一緒に楽しそうに笑っている人がいた。スマホを見つめ仏頂面で食事をする人がいた。散々悩んで選んだ生姜焼き定食は、それほど美味しくもなかった。

 また涙が溢れそうになったが、それもなんだか違うような気がして、堪えようと思いっきり腕を上に伸ばし、ストンと落としてみた。

 すると腕が隣の椅子にぶつかり、その上に乗っていたプリントが数枚、床に散らばった。

 拾いあげ、それを見る。

 ――失恋サークル「ロミジュリ」。失恋で傷ついた心を私たちと分かち合いませんか?

 紙にはそう書いてあった。安っぽい紙に白黒の二色だけで印刷された紙の束。どうやらサークル勧誘のチラシのようだ。

 いつもの癖で、家を出るときにポケットに詰めたスマホの充電はなくなっていた。生協の脇の電話ボックスを使い、チラシに印刷されていた連絡先に電話をかける。電話ボックスを使うのはだいたい十年ぶりだ。幸いにも電話はすぐにつながった。

「はいもしもし澤田です」

 元気のいい、若い男性の声だった。

「こんにちは、文学部二年の水上と申します。中央食堂でロミジュリというサークルのチラシを拾ったのでお電話しました。けっこう枚数がたくさんあるんですが、どこかに届けたほうがよろしいですか?」

「おお、それはご親切にありがとうございます。うーんと、あなたはうちの大学の学生さんなんですよね? もしよかったらこれから私たちのサークルの活動があるので来て頂けませんか。拾っていただいたのも何かのご縁だと思うんです。もちろん無理にとは言えませんが」

 一瞬躊躇ったが、改めて待ち合わせをするのも面倒だったのでその申し出を受けることにした。

「わかりました、何時にどこに行けばいいですか?」

「本当ですか、いやあ、ありがとうございます。ではサークル棟の203号室でお待ちしていますので。活動は六時ごろまではやっていますので、それまでにお越しいただければ」

 はい、では。よろしくお願いいたしますう。はい、失礼致しますう。

 電話の向こうで頭を下げているのが何となくわかる。大人びているというよりはおっさんくさいその感じが、どことなくおかしかった。

 電話を切り外に出ると日が傾き始めていた。少し風が冷たい。今日は何月何日の何曜日なのだろう。ふとそんなことを考えた。


「いえーい、ようこそロミジュリへ。来てくれてありがとう。水上くん」

 サークル棟に来たのは一年の新歓で来たとき以来、二度目だった。

 そんなことを思い出したのは、彼のテンションが明らかに新歓のそれだったからだ。

「澤田さん、ですよね。はじめまして。これ、チラシです」

「おお、まじか。ありがとー」

 澤田というその眼鏡の男性は、薄々感づいていたが、ザ・大学生といった感じのうるさい人だった。電話ではかろうじて隠していたが、自分が年下だとわかったからにはもう彼を止めるものはなくなってしまったのだろう。

「おい、いい加減にしなよ。困ってんじゃん」

「ほら、自己紹介とサークルの説明しなよ」

「お、おう。ごめんごめん。俺がロミジュリの会長の澤田です。あだ名は会長。工学部の三年です。はい次」

 ――いや、大丈夫です。さようなら。

 僕がそう言う暇もなく彼らの自己紹介は始まった。

「鎌田でーす。農学部畜産の三年です。あだ名はティーちゃんです、よろしくね」

 良い感じのフォローを入れた気になっているこちらは、これまたザ・大学生といった感じのケバい女性だった。せっかく若くて綺麗なのだから、もう少し化粧は薄めで服も落ち着いたものにしたほうがいいと思った。

「医学部三年の藤堂です。あだ名はマヤです。ごめんね、馬鹿ばっかりで」

「え、マヤ様? 私も入ってるの?」

 様まで含めてあだ名なのだろう。そんな感じがする。というか、全員あだ名を言っていく流れなのだろうか。

 藤堂さんの美しい容姿と落ち着いた雰囲気がどこか加奈さんを彷彿させて胸が痛んだ。

「ハイハイハイ、経済学部一年の谷口です。よろしくお願いしまーす」

 自分もそこそこ明るい茶髪だから他人のことは言えないが、彼もなかなか目につく髪の毛の色をしている。茶色というより黄土色、いや金色に近い感じだった。

「あ、そうだ、あだ名はウェイです」

 やっぱりかと思ったが、顔には出さないように気を付けた。

「はい、最後、むらさきさん」

 促されたむらさきさんとやらは、本から顔を上げ眼鏡をくいっと持ち上げた。

「文学部二年の篠山です」

 彼女はそれだけ言うと、また本に目を戻した。

 黒髪ショートに眼鏡。文学少女というやつなのだろう。

 そう思ってチラリと覗いたら、彼女が手に持っていたのは少女漫画だった。カバーで隠れて見えなかったとはいえ、期待を裏切られたという印象は否めない。

「僕は法学部二年の水上です。えっと、よろしくお願いします」

「うんうん、じゃあ簡単にこのサークルの説明をします。チラシを見てもらったらわかると思うんだけど、ロミジュリって名前で、主な活動は失恋の傷を癒し、次の恋に向かうことです」

 うーん、真面目な顔して何を言っているのだろう。冗談なのだろうか。いや、たぶん本気なのだろうけれど。

「えーと。具体的には、何をしているんですか?」

 まあそうなるよねー、と言わんばかりにみんなニヤニヤ笑っている。

「恋愛映画をみんなでプロジェクターで見たりとか?」と澤田会長。

「恋愛マンガを貸し借りして感想を言い合ったりとか?」と鎌田ティーちゃんさん。 

「片思いの相談をしたり」と藤堂マヤ様。

「失恋の愚痴を言い合ったり」と谷口ウェイ君。

「意中の相手の個人情報を、幅広い情報網をつかって調べ上げたり」と篠原むらさき氏。

 小学校の卒業式と同じ程度のクオリティの呼びかけだが、これはもしかしたら僕のために用意していたのかもしれない。

「まあ、そんな感じ。けっこう緩いんだ。やりたいことを毎週交代で誰かが企画して、それをのんびりみんなで実行して、そのまま飲みに行くって感じ。だから活動は基本、土曜の午後なんだ、次の日休みだからね。今日も飲みに行くんだけど、一緒にどう?」

「あ、はあ。行きます」

「お、ほんとかい。よっし、奢るからじゃんじゃん飲んでくれたまえ」

 なんだか勢いに圧倒されて、行くと言ってしまったが、まあ特に後悔はない。ちょうど飲みたい気分だった。


 澤田会長と喋りながら居酒屋へと向かった。

 今日の活動は谷口ウェイ君の持ってきた企画で、少女漫画についての検討会だったそうだ。「少女漫画に出てくるイケメンが、実際にリアルで同じことをやってもサムいだけ」というのを実証しようと、壁ドンやら何やらを色々やったらしい。

 至極くだらないと僕は思ったが、そんなことはもちろん口に出さない。

 彼らもそれがくだらないということはわかっているようだったし、このサークルは巷で言うところの飲みサーなのだろう。

 居酒屋は駅近くの大きな看板の出た店だった。

「ごめんね、こんな大学生御用達の安いチェーン店で」

「いえ、こういうところはあまり行ったことがなくて、新鮮です」

「そうなんだ? それならよかった」

 全員にお酒が回ったところで澤田会長が高々とグラスを掲げた。

 最初はビールというわけでもないらしく、みんな好きなものを頼んでいた。

 よくよく考えれば、谷口ウェイ君は一年生だったが彼の年齢は知らない。彼はきっと浪人しているのだろう。うん、そうだ。そうに違いない。僕の知った事ではない。

「では、皆さん、今日も活動お疲れさまでした。本日はなんと、落ちていたチラシをわざわざ届けてくれた、心優しき水上君が一緒であります。楽しく飲みましょう。乾杯っ」

 かんぱーい、という声と共に、グラスをこつんとぶつけ合う。

 なんだか普通の大学生らしいことをしているなあ、と少し感慨深かった。

 しばらくは、男子が壁ドンをする際に気を付けたほうがいいこと(たとえば、壁を叩く強さや、壁ドンした直後に相手に笑われたときの対処法など)や、女子が壁ドンをされたときに注意すること(たとえば、男の身長が自分より低かった場合や、男が脇汗をかいていた場合どうするか。近づかれると隠し切れない毛穴が見えてしまう場合など)について熱く語っていたが、少し場が静まり返ったところで藤堂マヤ様が、厳かに切り出した。

「ねえねえ。水上君は今、付き合ってる子、いる?」

 場にふっと緊張感が走る。

 よく知らないがこれは、「え、それ聞いちゃううう?」とか「え、どうなのどうなの。俺も気になるうう」とか言って盛り上がるのが正しい大学生ではないだろうか?

 どうしてこんな、「あなたは神を信じますか?」と聞いたときのような神妙な空気になっているのだろう。

 話すつもりはなかったが、なんだかちゃんと聞いてもらえそうな雰囲気なのと、お酒が回って誰かに聞いてもらいたい気分になっていたのもあって、僕は正直に話すことにした。

「ついこのあいだフラれました」

みんなが示し合わせたかのように「おおお」と驚嘆とため息の入り混じった擬音を発した。ずっと静かにサワーを飲んでいた篠原むらさき氏までもが僕のことを見ている。

ふと近くでぐすんぐすんと聞こえて振り返ると、澤田会長が眼鏡を取っておしぼりを目頭にあてていた。

「そうか、つらかったな。薄々わかっていたんだ。あんなチラシを拾ったからってわざわざ電話して届けに来てくれるってことはそういうことなんじゃないかって……」

 一瞬疑ったが、澤田会長は演技ではなく本当に涙をこぼしていた。泣き上戸なのだろう。

「ここには君の失恋を笑って酒の肴にしようなんてゲスな奴は一人もいない。よかったら話してくれっ」

 滴を目から飛び散らせながら言う。

「会長、悪いよ。私たち、きょう初めて会ったんだよ。みなかみくん、無理して話さなくていいからね。つらいこと、思い出さなくていいからね」

 鎌田ティーちゃんさんまで泣いていた。なんでやねんと叫びたい。というか、化粧が落ちますよと言ってあげたい。

 でも二人を見てたらなんだかこっちまで泣きたくなってきた。

「う、うう」

「泣け泣け。大丈夫だ。俺たちはみんな失恋で心に深い傷を負った仲間だ。ここにお前の気持ちがわからない奴はいない。俺たちは、失恋サークル、ロミジュリだ」

 いやもう意味が分からないです、会長。

 ポケットティッシュ二袋ぶんの涙と鼻水を流しきり、僕はぽつぽつとこの大学三年間の彼女との思い出を語り始めた。


お読み頂きありがとうございます。

迷走気味なのですがとりあえずは完結させますので、

最後までお読み頂けたら幸いです。

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