第三十章 筑波 善財 その過去
「筑波、また派手にやったではないか?」
「……うるせぇ大歳。」
高架下のトンネルから出てきた筑波に大歳は声をかけた。
彼は筑波がトンネルの中で何人かの学生と殴り合いをしていたことを知ってここに来ていた。
筑波善財は中学一年生。
その目つきの悪さのせいで上級生から悪い意味で注目を集めていた。
よくよく絡まれては暴力でそれに答える。
その気性の悪さが災いし入学してすぐに典型的不良のレッテルを貼られることになるのだ。
当然友達も少ない。
「なんであんたはこんなところにいるんだ?」
「ふふ、あの馬鹿共のSNSを見ていれば大体どこで何が起きているかわかる。便利な世の中だぞ。」
大歳利樹は筑波の喧嘩を嗅ぎつけては彼の元を訪れていた。
その結果筑波ははからずして上級生の大歳の名前を覚えることになったのだ。
「あんたは殴ってこないのかよ?」
「ふふ、私は喧嘩などはしない。暴力は嫌いなのだぞ。」
「……ああそうかよ。」
「私は取引に来たのだぞ。」
「取引?」
「私は物作りが好きでね、将来商売をする予定なのだよ。」
「だったらなんだ?」
「武器の一つや二つ欲しくないかね?」
「……あぁん?」
大歳利樹は懐から拳銃の様なものを取り出す。
「これは私が改造したエアガンだ。親父が工場をやっているからいいスプリングが手に入ってな。」
「……それがなんだってんだよ。」
「これを買わんかね?」
「いらねぇよそんなもん。」
バン。
大歳の持つ拳銃から放たれた弾丸が筑波の頬をかすめる。
弾丸の軌道が触れた彼の頬にうっすらと赤い線が出来る。
「威嚇には丁度よかろう?」
「糞が、いらねえよ。」
「まぁいい、必要になったら連絡してくれたまえ。これは名刺だぞ。」
大歳は筑波と距離を詰め彼の胸ポケットに電話番号だけ書かれたカードをいれようとする。
「糞が!」
筑波は大歳をはねのけその場を去る。
「……まぁいい、手伝えることがあれば私に声をかけてくれ。」
大歳もそれが当然の反応だと悟りながら捨て台詞を残す。
***
「また喧嘩したらしいじゃないか善財!」
筑波の住む一軒家に大きな声が響いた。
「うるせぇよ親父。」
筑波の父、筑波真は警察官だ。交通安全課に勤めるいわゆる白バイ隊員だった。
「お父さん、駄目よ。喧嘩を売ってきたのは向こうなんだから。この子は悪くないわ。」
筑波の母、筑波翠子は保育士だ。温厚な人柄で子供達からも親御さんからも人気があった。
「ねぇ、善財。あなたは優しい子だもの、母さんは知ってるわよ。」
「……うるせぇババァ。」
「全く、他のうちの子は反抗期なんてなかったと言っていたがこいつと来たら。」
「仕方ないわお父さん、あなたに似たのよ。」
「うぅ、それを言われるとなぁ。」
筑波真は正義感は強いものの喧嘩早い性分であった。
それは筑波翠子と付き合い始めた大学時代からそうだったのだ。
その性分のせいで歳の割に出世出来ず交通安全課でパトロールの毎日だった。
翠子は彼の性分を知った上で彼と駆け落ちしたのだ。
「いい善財。あなたがいいこなのは母さんは知ってるわ。父さんだってこんなんだけどそれは誰よりも優しくて誰かの代わりに怒れるからなの。」
「善財。あなたは私達の宝よ。そう思ってあなたの名前をつけたもの。」
筑波翠子はにっこりと笑う。
筑波善財はそれを一瞥して部屋に戻った。
「糞が。」
ベットに寝転がり愚痴を漏らす。
筑波は苛立ちを感じていた。
自分は何もしていないのに貼り付けられる不良のレッテル。
彼はそれに納得していなかった。
根はマジメな彼は運動神経も学力もそれなりによく学校という小さな世界の中では優秀な部類の人間であった。
彼はその気になれば優等生という地位を獲得することが出来る人間であった。
しかしそれが出来ない原因は彼の目つきの悪さだった。
顔はその人間を判断する一番の要素だ。
生まれ持ったそれを更生するだけの人生経験を彼はまだしていないし親から譲り受けたそれをひがむほど卑屈でもなかった。
彼はこのような態度をとっているが親のことを尊敬していた。
誰にだって優しい母親を、厳しくも正義に燃える父親を彼は同級生達が親に抱く感情以上に大事に思っていた。
けれど彼は尊敬する二人のように振る舞うことが出来ない自分に苛立ちが隠せなかった。
「糞が。」
彼は上着を脱ぎ捨てる。
その時袖に何かテープが張り付いていることに気付いた。
「なんだこりゃ?」
そのテープを手にとるとそこには先程はねのけた大歳利樹の名前と電話番号が書かれている。
恐らくはねのけた時に貼り付けられたのだろう。
「……しつこい野郎だ。」
筑波はそれを丸めてゴミ箱に投げ込んだ。
これはその日から数日後の話だ。
いつも通り家に帰った筑波はその家の異変を感じた。
その日休みだったはずの父の靴が乱暴に脱ぎ捨ててあるのに気付いた。
粗雑な父であったがいつもなら靴はちゃんと揃えていたのだ。
筑波はちゃんとそれを覚えていた。
彼は彼のやさしい母の様に人の変化に気付き気遣いが出来るだけの洞察力があった。
しかし惜しむべくは彼はまだ母の様な寛大な優しさを持ち合わせていなかったことであった。
筑波は靴を脱ぎ捨てた父を寝室で目撃した。
寝室でうずくまる父を見つけても言葉もかけることが出来なかったのだ。
いや、寧ろ彼は当時の反抗心から尊敬しているはずの父に対してちょっとした落胆を覚えた。
だらしのない父だと。
そしてそもそもこの目つきの悪さはあの父から受け継いだものだと思い至った。
そこに行き着いた彼は心の中で父を侮蔑し一言言い放った。
「何してんだよクズが。」
これがきっかけだったのか、それとも違うのかは彼の中で未だ答えが出ていない。
しかし間違いなくその日彼の全ては一変した。
「父さんどうしたのかしら?夕飯も食べないし具合が悪そうなの。なにも話してくれないし。」
「知らねぇよ、そんなこと。」
夕食を母と二人でとる筑波の中には不安があった。
いつも通りの一日のはずなのにそうでないという直感があった。
「……今日未明に発生したひき逃げ事件の犯人は現在も調査中です。」
ローカルニュースを伝えるテレビがいつも通り自分に関係のない話をしているだけなのにその報道だけは耳に残った。
それは筑波の母、翠子も同様であった。
同様ではあったがそれぞれの反応は異なっていた。
「……父さんと話してくるね、善財。」
父に歩み寄る母に対して筑波は自分の部屋に籠もった。
反抗期によるところも大きかったのだが彼は尊敬する父の無様な姿を受け入られなかったのだ。
しかしその判断が結果として彼を救った。
否、その日から彼の罪は始まったのだ。
「逃げて善財!!!!」
母の悲鳴が聞こえた。
その声は夜を迎えようとしていた彼の家中に響いた。
それを聞いた筑波はすぐに部屋の戸を開ける。
寝室へと続く廊下には母と父の姿があった。
母に馬乗りになりながら包丁を突き立てる父の姿があった。
「あぁぁ……。」
母は声にもならないようなうめき声を上げながら抵抗しているようだが確実に父の刺したナイフはそれを貫いていた。
母から流れる赤い液体が次第に床に広がっていく。
その事実を前にして筑波は動けなかった。
目の前で母が殺される姿をみて彼は動けなかったのだ。
それは日々喧嘩に明け暮れながらも勝利してきた彼の自信を剥奪すると共に確実に目の前にある死という恐怖を生み出した。
少しの間ジタバタと抵抗するそれは次第に動かなくなった。
それの動きが鈍るに連れて彼の中の怒りが彼の恐怖をかき消していた。
何の罪のない母が、正義感に溢れていたはずの父が、目の前で違う何かになっていく様を許すことが出来なかった。
「何やってんだぁ!!親父ぃぃ!!!!」
彼の怒号は母の悲鳴以上に強く、確かな音だった。
それを聞いた父は動かなくなった母から降りて筑波をみる。
「善財……。早くみんなで死のうじゃないか……。」
筑波が見たそれは既に彼の知る父ではなかった。
「人を守る立場だった私が……、守るべき市民を……、殺してしまったんだ。もう生きてはいけない。」
既にそれは壊れていた。
「一人では死ねなかったんだ善財。」
それはただの悪だった。
「だから……、一緒に来てくれ……。」
筑波にとって許すことの出来ない悪であった。
「ふざけんなぁぁぁ!!!!」
その日、怒りが彼の全てになった。
***
全てを終えた筑波はゴミ箱を漁って以前捨てたテープを取り出した。
この日全てを失った彼にとって嫌がらせでつけられたその一枚が唯一の希望となっていた。
「どうした筑波?ついに私の商品を買ってくれる気になったか?」
「……なんで俺だってわかった?うちの番号は教えていないぞ。」
「そんなもの職員室に忍び込んで調べたに決まっているぞ。私は教師と仲がいいからな。」
「……どうでもいい。」
「それより買ってくれる気になったのか?」
「……違う。他に聞くあてがないからあんたにかけたんだ。」
「なんだね?」
「……両親を殺しちまった。俺はどうすればいい?」
「……今なんと言ったのだ筑波?」
「親父が俺を殺そうとしてきたから俺が殺した。」
「……どうしたのだ筑波よ?」
「……俺はこの先どうすればいい?」
「……。」
「……俺はこのまま生きてていいのか?」
「いいに決まっているぞ。」
大歳の返答は早かった。
この時点で筑波は大歳利樹のことを詳しくは知らない
彼の思惑としては後輩の顧客を失いたくないことから来るリップサービスであった訳だが筑波にとってその一言は生きる希望になった。
「……ならどうすればいい。」
「ふむ、それがお前の初めの依頼だというのならば受けてやろう。」
「勿論対価は後でいただくぞ。」
大歳の助言によりその日筑波の家で起きた事件は父親が起こした一家心中未遂と言う形に落ち着いた。
結果だけ言うならば大歳の手回しがなくともこの事件の実態通りなのだが彼の助言のお陰で筑波は被害者らしい振る舞いが出来た。
人相の悪い彼なら犯人として疑われても仕方ない、大歳はそれを避けるべく一つ一つ筑波の改善すべき点を指摘し悲劇の主人公に仕立て上げた。
父と母の葬儀自体は慎ましく終わった。
両親の残した保険金と遺産は彼が学生生活を続けるには十分なものであったが後見人にはなるものの一家心中を逃れた不幸な主人公を引き取る親戚はいなかった。
保護観察の為施設に送られることも見当されたが友人を名乗る大歳の家で暫くの間居候する形になった。
大歳の両親もおおらかな人柄で彼を暖かく迎え入れた。
大歳が表面上は心優しい優等生であり親から信頼も厚かったこと、そして彼の口車の良さがそれに起因したことは最早語るまでもない。
高校に進学するまでの間、筑波は大歳家で過ごした。
彼の身に起こった事件はすぐに学校中に広がり目つきの悪い不良というレッテルの上にかわいそうなやつという新しいレッテルが張られた。
それからというもの彼に喧嘩を売る者も減った。
彼が親をも殺したという噂が流れたためだ。
その噂の発信源は大歳である。
噂の内容自体は真実ではあるが人殺しの容疑者に喧嘩を売るものは数少なかったのだ。
くしくも彼の身に起きた悲劇が彼の生活を変えた。
母を見殺しにして、父を自らの手で刺殺して、初めて彼は普通の学生になることが出来たのだ。
ほとぼりが冷めたころ、彼は考えた。
あの時の父は決して許せない悪であった。
殺さなければならないほどに。
筑波は父を殺すことで生きのびた。
抵抗むなしく死んでいった母と違ってだ。
この事実は彼の心の殆どを埋めていたのだ。
殺してしまったと考えるのは彼にとって苦痛だった。
その考え方は罪悪感を生むからだ。
今こうして生き延びている事実に苦しみを伴うからだ。
殺さなければならなかった。
そう、殺さなければならなかったのだ。
静かに動きを止めた母も、襲ってきた父も、殺さなければならなかったのだ。
「俺はやられる側じゃねぇ、俺は狩人だ。」
そんな彼の前に殺人鬼は現れた。
彼を前にして死の恐怖を再び味わったとき彼の中の殺意は明確なものになったのだ。
しかしそれはまた別のお話。
かくして筑波善財は狩人となったのである。




