祖母
遅い時間になってしまいました……。
第3章は話数がすこし多めです。
おばあちゃんの回!
倦怠感のある体を引きずって、わたしは三日目を迎えた。
窓の外は曇り空だ。午後には雨が降るかもしれない。
今日こそは杏子ちゃんに会いたいと思ったが、やはりすでに出かけているようで、相変わらずの手紙が置かれていた。
―― 菜々乃ちゃんへ
聞いたわ!!菜々乃ちゃん巫女になったんですって!!?もぅ!どうしておばあちゃんを呼んでくれないのっ!♡ 動画撮ってブログにアップしたのにっ!悔しー!!
今日はお祭り三日目よ♡ 『未来の幸せを願う日』よ
夜の灯篭流しはお友達と行くかしら?♡ 楽しんでらっしゃいね♡
今日は、春祭りの最終日……お祭り一番の催しもあるだけに観光客の足も多く、きっと彼女だって忙しいだろう。
頭ではそう思っているのに、体は逆の行動をとった。タブレットを手に取って、杏子ちゃんの残してくれていた職場の番号を入力していた。
無機質なコールが数回鳴った後、女性が出た。杏子ちゃんのことを尋ねると、しばらくしてから明るい声に代わって、心が緩んだ。
『はぁい!菜々乃ちゃん!ナイスタイミングよ!ごめんなさいね!なかなか一緒にいられなくて。寂しくないかしら?朝ご飯は食べた?今日の衣装見てくれたかしら!最終日だから気合いれちゃったの!そういえば、昨日の巫女の………』
今までの沈んでいた気持ちがゆっくりと溶かされていく。
返事を返さないわたしに気付いて、言葉を途中で止め「どうしたの?」と呼びかける。
「なんでもない。杏子ちゃんの声、聞きたくて」
昔から、わたしは母に言えないことがあると、祖母に電話していた。
わたしから話をするわけではないし、それに相談をするわけではない。しかし、彼女は不思議とわたしの心中に入ってくるのだ。
『もう…菜々乃ちゃんったら、あたしに隠し事は無意味よってば! 心の毒は、ちゃんと抜かないとだめよ』
こちらの様子がすべて見えているかのように、いつも…そう言ってわたしの言葉を引き出そうとしてくれる。だから、わたしは……――
―― ごめん
昨日の、蘭の話。羽柴くんとの話が甦る。昨日の夜、散々泣いたはずなのに、わたしにはまだ事実を受け止められないでいるのだ。
「……わたし、この町に来ない方がよかったかもしれない……」
言ってしまってから、ほかに言い方があったかもしれないと思った。けど、言葉にしてしまった想いを留めることなんてできない。
感情をこらえるように、引き結んでいた唇から、震えた息が漏れ出した。
『やっぱり具合が良くなってなかったのね?昨日も早く寝ちゃってたから………菜々乃ちゃん?』
呼びかけてくれる声に返事をすることができない。声を出したら大声で泣き叫びそうで、唇をかみしめていた。
『……田舎の空気は、あわなかったのかしら』
「ちがう…」
心配そうな声に、ようやくそれだけ返すことができた。
堪えきれず、堰を切ったように涙があふれだす。
―― また会うんだよ
この町で、たくさんの優しい思い出を思い出せたのに……それを与えてくれた子がいない。
もう、消えてしまった。
桜模様の紙の切れ端に書かれていた約束は、一瞬の桜の美しさのように………わたしに懐かしさを与えて、あっけなく散ってしまったのだ。
やるせない気持ちが湧いてきて、わたしは絞り出すように声を出した。
「探していた人と、もう…会えないの」
自分の言葉に、余計悲しみがあふれだす。
立っていた床に涙が落ちていくのを見つめていたら、ふと、足元に白い毛並みの犬がいたことに気が付いた。
わたしのことを慰めるように、何も言わず寄り添ってくれている。
―― 悲しいときは一人になっちゃダメなんだって
それなら、一緒に……今いてほしいよ。
悲しくて、一人になりたいときに孤独にはならないのだ。
記憶も思い出も、だれとも共有できないと知ることが本当の孤独なのだ。
源五郎の温かさを感じているのにもかかわらず、暗闇で迷子になったかのようだ。
泣くわたしの耳元で、杏子ちゃんの柔らかな声がささやいた。
『……菜々乃ちゃん……シズミヤ市の春祭りの本当の意味を教えてあげる』
子供が眠る前、昔話を話して聞かせるように言った。
『お祭りは、春に誕生する恵みを祝うものでもあるのだけれど……ほんとうは』
何かを思うような、何かを大切に抱きしめるような、杏子ちゃんの声を初めて聞いた。
『……春を迎えられずに…冬で失ったものを偲ぶ意味もあるのよ……』
この地方では、冬はとても長い季節だ。実りの多い秋に比べると、まるですべてが失われたような静寂な季節。
何日も、何か月も、深い雪に囲まれていると、みんな死んでしまったかのように思ってしまう。
その者たちを、雪が溶けた春に“思い出す”のだ。……生とは、常に死と隣り合わせだと、どこかの哲学者が言っていた。
どんなところでも、新しい“生”と同時に“死”はつきものなのかもしれない。
それをここの春祭りは言っているのだ。
『菜々乃ちゃん。覚えていて……会えないからと言って、その子がいなくなったわけではないのよ……』
電話の向こうのがやがやとした喧騒の中で、杏子ちゃんの声だけがわたしの耳に届く。
不思議なことを言うと思った。生きていれば、会えるのだ。でも、死んでしまったら……会えないのだ。
わたしの疑問を感じ取ったのか、杏子ちゃんは言葉の意味をすぐに紡いだ。
『あなたが、その子を忘れない限り……もう一度会えるの』
「あえるの……?」
人は死んでしまったら、生きている人の目にはどこにもいない。じゃあ、自分が死んだら、どこにいくの。
自分自身がわからなくなって消えるのだろうか…そして、いずれ誰からも忘れられてしまって、存在自体がなくなってしまうのか。
『……菜々乃ちゃん。この祭り最後の灯篭流しの本当の意味は……過去に亡くなった人たちの願いを受け継ぐ儀式なのよ。死者の願いは、わたしたちが代わりに受け継いで行くの………その子の願いを、忘れないであげて』
杏子ちゃんの言葉が頭の中でこだました。
死んだ人は、“死んだ”から消えたわけではない。
『わたしはね思うの。……人は“忘れられて”…消えてしまうのだと思うわ』
死んだ人の証は、残された人がしなければならないという。
この町には、しーちゃんの証はほとんどなくなってしまっている。
それだと……わたしがしーちゃんを忘れてしまったら……本当の意味でしーちゃんは消えてしまう。
「…どうしよう、杏子ちゃんっ…!わたし、しーちゃんを忘れたくないよ…」
『ええ。なら、泣いちゃだめよ。あなたに、できることをしなきゃ』
その時、杏子ちゃんをよぶ声が受話器の向こうで聞こえて、それでも落ち着いた声色の彼女はわたしに語り掛けてくれる。
『……菜々乃ちゃん、この町に来たばかりの時と変わったわ。きっと、大切なものを思い出したのね』
「うん……ずっと忘れてた…」
『忘れていたことも、思い出したことも、すべてが意味を持ってるわ。偶然じゃない………ああもう!今、孫の相談に乗ってるんだから!!』
突然杏子ちゃんの声が豹変して、いつも通りの元気を取り戻していた。
職場の人が彼女を呼んでいるようだ。
『いい?孫のいる人にとって、孫からの相談て言うのは、公園から出た恐竜の化石とか皆既日食以上に貴重なのよ!?邪魔しないで!』
『いや……でも市長との約束が……』
『そんなの知らないわ!今大事な電話だって言ってるでしょう?』
聞いたことないくらいの気迫で向こうの人に怒鳴っている。……杏子ちゃんは怒らせないようにしようと決意して、わたしは見えないと知りつつもほほ笑んだ。
「杏子ちゃん。ありがとう。もう大丈夫」
『……本当?なんなら、あたし戻るわよ?』
「それだと、みんな困っちゃうでしょう?大丈夫。ありがとう……お仕事頑張ってね。大好き」
言ったことない言葉に自分でも赤面しながら、きゃーっと悲鳴をあげる音を最後に、通話を切った。
できることは何だろうか。
杏子ちゃんの言葉を反芻しながら考え込んだ。
わたしは、しーちゃんのことをもっとちゃんと知らないといけない。
……彼女の、願いは何なのだろうか。
あの子がいなくなった山に行けば、何かわかるだろうか。
窓から見えるこの町の山の頂上が雲で覆われている。
わたしは決意して、杏子ちゃんの準備してくれた食事を摂り、衣装を手にした時、その形を見て着替えるのを躊躇した。
気合を入れた衣装とは、着物だった。藍色の地に桜模様と金のラインが入っている。
山に行くのにこの格好は……汚してしまうだろうし……。
とてもセンスが良いだけあって、気軽に着てしまうのがもったいない。
わたしは東京から持ってきた私服に着替えて、外へと出た。
土日の投稿は諸事情により、お休みします。
少々お待ちくださいね。