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星つかみの桜は知っている  作者: 北乃蜂
第2章 シズミヤ市の春祭り
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手のひらの水






 ごほっと、喉にショウガが詰まってわたしは吹き出す寸前で堪えた。モデルとしてのプライドは守った…。

 苦しくてゲホゲホと噎せ返せば、羽柴くんが未開封のペットボトルを差し出しだす。すばらしく用意周到で感心した。

 ある程度落ち着いたところで、わたしは涼しげな顔の生徒会長を見る。


 「おれを呼びに来たのは、蘭だからな。その時に聞いた」

 「ご、ごめん……わたし、別に嗅ぎまわってるわけじゃなくて……」

 「部外者の春野に知られた程度で何も起きないだろ。別に何てことはない」


 この人の感情には、動揺するとか慌てるとか、そう言うものはないのだろうか…。さっきの舞台の一件で、親しみを持てたはずの無表情が逆に怖くなってきた。


 「……春野が来たのは偶然じゃない。嘘は必ず暴かれる……おれたちのやったことはもう隠しきれないだってことだろ」


 彼も蘭と同じで、ずっと苦しんでいたのだろうか。人には話せないことで自分を責めていて……。

 けど、わたしは彼らの嘘を暴きたいのではない。

 彼らを苦しめてまで、真実を知ろうとは思わない。

 本当は、蘭から話を聞いてしまったことを後悔していた。あれほどまでに彼女を追い詰めてしまったのは自分なのだと思ってしまう。


 「おれは生徒会長としての誇りもあるが……だからと言って、正義感の塊と言うわけではない。正直、隠せるものなら隠していたい派だ」


 ならば、どうして今わたしに向き合おうとしているのか。彼の真意を読み取ろうとしても、相変わらずの鉄仮面のような顔つきからは何もわからない。

 わたしの言わんとしていることがわかったのか、いつの間にか身を乗り出していたわたしから、さりげなく距離を取った。

 涼し気な表情が強張って、深刻な表情をつくる。


 「………記憶が、薄れていくんだ」


 そう言った。その後、今言った言葉をごまかすように手を空になった容器に伸ばす。

 それを、わたしのものと一緒にコンパクトにまとめて、体の横に置いた。手際が良いから、普段面倒を見ている相手がいるのかもしれない。


 彼の言葉に意味はどういうことなんだろう。子供のころの記憶は、時間とともに忘れていくものだ。しかし、彼の言う記憶とはなんだか違うもののような気がする。


 「……あいつが、いなくなってから6年……まるで事件自体がなくなったようにすべての記録は残されていない。これは、政治の都合で……仕方のないことといえばそうだが…」


 相槌を打たないわたしの前で、まるでひとり言のようなつぶやきで続けて言う。


 「だからか、おれの頭の中の“記録”も日に日に消えていくんだ。修復の手はない……このままだと、おれはきっと全部忘れてしまう。誰にも嘘はバレたくない…だが、おれ自身が人の人生を奪ったことを、忘れるのは…絶対に許されないことだと思う」


 蘭は真実の重みに苦しみ続けていた。

 反面、羽柴くんは自分の犯したことを背負い続けようとしているのだ。


 「忘れたくない。しかし“記録”はないうえ“記憶”は消える」


 どこにも過去が残されていないから、記録も記憶もされない過去は、ただ消えていく。


 「……おれたちの誰もが、その消えたやつの名前を思い出せないでいるんだ」


 昔、植木鉢に水をあげようとして、手のひらで水をすくったことがある。ギュッと隙間なく指を閉じていたはずなのに、一歩一歩進むごとに隙間から水が零れ落ちて、植木鉢にたどり着いたころには手の中は一滴ほどの水しかなかった。

 記憶も、そのようになるのだろうか。忘れたくない、大事な思い出がいつのまにか消えていく。


 「ほんと、最低だよ。顔も覚えてないし、声も、どんなやつだったかも……そのうちおれはやったことも…事件のことさえも忘れてしまうんだ」


 もしかして、トンネルの前にあった花束たちは…事件があの場所で起きたことを忘れないように、供えられているのだろうか。彼らが、自分たちの犯したことを忘れないように…。


 「だから、忘れる前にあんたに話をする。部外者のあんたに」

 「……わたしがそのことで警察に行くとか、考えない?」

 「この町じゃあの事件についてはまともに取り次いでくんないさ。…まあ、どうだとしてもおれはあんたがしたいようにすればいいと思ってる」


 “記録レコード”としての役割を押し付けられながらも、彼はそれ以上の物をわたしに臨んでいるようだった。それが何なのかはわからない。




 当時、お祭りの三日目だった。

 蘭の話の通り、妖精の正体を見に行こうと盛り上がった子供たちは、お祭りで忙しい大人たちに内緒で山に行った。

 肝試しは少人数でこそ面白い、と言ってペア決めを提案したのは羽柴くんだったらしい。

 ペアはその場でくじ引きをし、羽柴くんはすみれと組み合わせになった。いなくなった子供と共にペアになったのは鈴くんだった。

 バラバラなコースで山の最奥にある社へ先に着いた方が勝ち、というゲームだ。

 羽柴くんは、もう一方のペアが上流へ向けて川沿いに進んでいくのを見たらしい。


 「夜の山は、子供だけで行っていい場所じゃなかった。すみれとも逸れて……おれは一人でゴールまで向かったんだ」


 一番乗りは彼で、続いてすみれが着いた。そして最後に、鈴が一人で現れた。


 「全員がペアとはぐれたが、みんな無事だったんだと思っていた」


 けれど、一人だけいつまでたっても現れなかった。探しに行こうとしたけど、再び夜の山を一人で歩くのはやはり気が引けたのだろう。

 その子が恐怖で家に帰ったのだと思い、そろって山を降りたが……朝、やはりはぐれた子はどこにもいなかった。



 ―― 大人に言った方がいいかも

 ―― そんなのめちゃくちゃ怒られるだろ。どうせ、すぐ見つかる…



 蘭の不安は的中してしまった。その子は、三日間探しても見つからず…最終的に捜索は打ち切りとなった。

 子供ながらに、彼は葛藤しただろう。正しさを自覚していても、それを行動するのは大人でも難しい。

 彼らの選択は間違っていた。…でもわたしには、彼らを責めることはできない。

 きっと、ほんのすこしの綻びでその子は助かったかもしれないのだ。いろいろな偶然が重なってしまって、どこかがわずかにずれていたら…今のような結果にはならなかったかもしれない。


 人は、取り戻せない過去に気付いた時……きっと一番弱くなる。

 その時、どうやって乗り越えるのだろうか。

 わたしは、どうやって受け止めればいいのだろうか……。


 「……その子の家族は、遠くにいるんでしょう?」

 「ああ……たしか」


 とても細い記憶の糸をそっと手繰り寄せるように、羽柴くんは空を見上げた。






 「……祖父母と、住んでいたな」







 8年前の春祭りで、わたしとしーちゃんにカメラを向けたおじいさんがいた。あのあと、おばあさんが寄り添うように側に来た。しーちゃんはデジタルカメラの中身を覗き込んで、嬉しそうに笑う。

 両親とはわけありで、別れて暮らしているんだと、寂しそうに言っていたあの子。


 トンネルで出会ったおじさんの話を思い出す。「虐待されてこっちに引き取られた」のだと言っていた。


 わたしは、認めたくなくてそれらの話を別なものとして受け止めていた。

 震えて、叫びそうになるのをキュッとこらえながら、わたしは震える手でポケットに入れていた写真を取り出した。


 わたしと、しーちゃんの写真。この町で唯一、その子が存在していたという証明だ。


 「……!」


 私の中にある写真を見た彼は、初めて驚愕の表情を作った。顔に張り付いていた仮面が剥がれるように、眉間にはしわが寄って、唇が震えていた。

 そして、その切れ長の瞳から、ほろりと涙が零れ落ちる。


 「……――」


 開いた口が音を発する前に、歯を食いしばる。

 指先が、しーちゃんの笑顔に伸ばされて、しかし触れる前に制止した。


 「ごめんな」


 わたしに言ったのか……それとも、しーちゃんに言ったのかはわからない。

 


 長年、心に秘めていた言葉を初めて言葉にするように…

 あいまいな曇り空から、ようやく雨のしずくが落とされたように…


 6年間、だれにも言えなくて、閉まっていた謝罪の言葉だ。


 わたしは返事を返すことができなくて、顔を地面に向けた。

 彼は同じ言葉を繰り返し口にする間、その横でジッとしているだけだった。










 彼らはとても仲が良かったのだろう。一緒に学校で過ごして、楽しく遊んで。

 その相手を傷付けてしまって、償いもできない。

 

 記憶が薄れていくと言っていた。

 傷付けた人のことを忘れてしまっても、傷つけた記憶は残るのだろうか。


 自分のしたことに心を痛めて、ずっと後悔の想いが残ってしまっている。

 この町に春祭りが行われるたびに、彼らは心から楽しいとは思えない。その虚しい気持ちは、すべてを忘れるまで…満たされることはないのだろうか。





 ……知らないうちに、しーちゃんを失っていたわたしの気持ちは、どこに行けばいいのだろうか。




 わたしは、誰もいない杏子ちゃんの家に戻ると、ベッドに倒れ込んで、泣いた。
























次話から第3章にはいります。

読んでいたただいてありがとうございます。

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