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星つかみの桜は知っている  作者: 北乃蜂
最終章 星つかみの桜で
14/16

幽霊の正体





 初めに見たときと変わらない。美しい桜の景色がそこにあった。

 誰にも忘れられた公園の、更に奥。

 都会と違って、何にもさえぎられるものがなくて、まっすぐに太陽の日差しを浴びる場所。

 

 桜まであと20メートルというところでわたしは立ち止まった。

 桜の木の枝に覆い隠されるようになっている場所に、背を向けて立つ影を見つけたのだ。三日前と同じ光景がそこにあった。

 つい三日前のことなのに、ずいぶんと昔のことのように感じる。あの時は、期待に胸を高揚させていたが、今はそれとは異なる緊張で心臓が大きな音を立てている。


 「……」


 声を発そうとするのに、音にはならない。

 視線の先の人物は、桜の幹を愛でるように手を当てていた。

 祈りをささげているような背中に、目が奪われる。まるで一枚の絵画のように、その場所だけが時間が流れていないようだった。



 

 「……昨日、この場所で星を眺めていたんだ」

   



 わたしの方を振り返らずに、その人物は言葉を発した。

 それとどうじに、風にあおられた桜の花びらがわたしの方へと舞い落ちる。

 離れた距離でも、桜の花びらに乗せるようにして声が届いた。


 「そしたら、女の子の声が聞こえた………おれじゃない別の名前を叫んでいた……………けど、それが…おれのことだってわかった」


 昨日の夜、出会った幻が触れる瞬間に消えてしまった。

 言葉を発してしまったら、手を伸ばしてしまったら、また消えてしまうような気がして、わたしはその場所から一歩も動かずに、必死に耳を傾ける。


 「……流れ星を見た。…今まで、願い事とかそんなの信じたことはないけど……女の子の声を聞いた時、試してみようって思ったんだ」


 桜の木に触れていない方の右手が、何かを逃がさないようにと握りしめられていた。


 「……その子との思い出を……思い出したいって願った」





 ようやく、振り向いた人物は………写真の中の彼とは見違えるくらい背が高くなっていて…髪形も髪の色も変わった。

 しーちゃん……雪村 梓は、優しい微笑みを浮かべてわたしを見つめる。

 その表情は、昨日の小さな彼と全く同じ顔をしていたのに気が付いた。



 「……わたしに、写真を持たせたのは…梓?」

 「…そうすれば、おれのこと何か気づくと思ったんだ」

  


 金色の髪が揺れて、彼の目元を隠す。ほほ笑む口元を凝視しながらようやく言葉を発することができた。



 「、しーちゃん……なんだね」



 名前を呼んだら、消えてしまうかもしれない。今これ以上近づいたら、夢から覚めてしまうかもしれない。でも、確かめずにはいられなかった。

 ……名前を呼ばずにはいられなかった。



 「……やっと、約束を果たせたな……ななちゃん」



 わたしが無意識のうちに足を踏み出しても、彼は消えなかった。



 「あ……、ぅあ…」

 


 思い出の中じゃない。実際の声で名を呼ばれて、涙があふれだした。

 この町のあらゆるところにあった、しーちゃんのとの継ぎ接ぎのような記憶たちが、すべて一本につながって形を成した。



 あと一歩という距離は、梓が最後に踏み出す。



 消えてしまうことへの恐れで、躊躇したわたしの手を大きくなったしーちゃんがつかんだ。

 踏み込めずに体が崩れ落ちるのを、その胸が受け止めた。

 触れ合った人の体温と、わたしのものではない心臓の鼓動を感じとりながら、信じられない気持ちでいた。



 「いき、てる……」

 「うん」

 「…生きてるの…?」

 「うん」

 「わたし、もう………全部が遅いんだって思ってた……もう……会えないんだと思って……こんなに、来るのが遅くなったから…………」

 「……」

 「しーちゃんはわたしに優しくしてくれたのに……わたしは、自分のことばっかで、何も知らなくて…………なにも、してあげられなかった…」

 「そんなことない」



 体を包んでくれる温度があまりにも優しすぎて、涙は止まらない。

 自分でも何を言っているのかわからない。まるで、8年前の自分に戻ったように、服をギュッと握りしめて泣きじゃくる。

 しーちゃんは、わたしのその拳を手のひらで覆った。

 


 「……ななちゃんに会えて、幸せな気持ちになれたんだ」



 彼はそう言って、手の力を強める。

 わたしはその言葉にハッとした気持ちになった。さっきのおじいさんの話では記憶喪失になったといっていたのに、その口ぶりはそうではないようだ。



 「思い出したの…?」

 「うん。昨日……この場所で……子供の自分に会ったんだ。そしたら、全部……記憶が戻った」









 昨日の夕刻すぎ……


 桜の木に登って、星空に願った。

 三度目の鐘の音で灯篭流しが始まったことを知り、流れ星と同時に願いを口にした。

 ……どうか、どうか……記憶を元に戻してくれ……と。

 そうしたら、目の前には幼い自分がいた。


 ―― 後悔、するかも


 それは自分の中の呵責の念でもあった。

 思い出したくないものも思い出してしまうだろう。そのとき、自分はやはり忘れたままでよかったと思うのだろうか。


 ―― 楽しい記憶だけじゃない。つらい記憶もある。それでも……?


 それでもいい。

 自分に言った。すべてを背負うと。

 だから、幸せな思い出を返してくれと。










 梓の話を聞きながら、気づいた。わたしが見たしーちゃんの幽霊は、幽霊ではなかったことに。

 死んだ体から抜け出る魂…ではなくて、木から落ちたショックで落としてしまった記憶そのもの……。

 とても不思議な話だけれど、あれはきっと今の彼が失っていたしーちゃんの記憶が形を成したものだったのだ。

 ……それを生霊と言うのか、なんなのかはわからないけど。

 記憶を失ったときの姿で、ずっとこの町にさまよっていたしーちゃんの思い出があの幽霊なのだ。


 わたしの願いが、しーちゃんと、しーちゃんの記憶を引き合わせたのだろうか。

 それとも、わたしだけじゃなくて……彼を知っている人たちの想いが起こした魔法のようなものかもしれない。



 「…奇跡みたい……」 

 「…違う。ななちゃんが、願ってくれたお蔭なんだ。おれのこと。……だから、おれは自分のことを願ってみた。……そしたら…星つかみの桜が、叶えてくれたんだ」



 それなら、やっぱり奇跡だと思う。

 祭りの夜が起こした奇跡だ。



 「この町を引っ越して…おれはじいちゃんとばあちゃんに守られてた。二人は、おれの子供の時の思い出が良いもんじゃなかったって思ってたから…」


 彼が老夫婦に引き取られたのは、両親からの虐待が原因だと駐在のおじさんが言っていた。

 彼の祖父母にとっては、悲しい思い出は失ったままでいいと思ったのだろう。

 楽しい記憶を新たに作るのだと、この町からも出て行き、彼の記憶に刺激となるものは処分した……つもりだったのだ。


 「……引っ越しで、じいちゃんがいらないものを処分してた時……あの写真を見つけたんだ。…町のことも、ななちゃんのことも…全部忘れていたけど、あの写真は……失くしちゃいけないもんだって感じたんだ」


 引っ越した先で、老夫婦が亡くなったあと、彼は失った記憶と向き合おうと思った。しかし、記憶を探すどころか、町にもともと住んでいたという記録すら残されてはいなかった。

 

 「誰も…事件のことや…消えたおれのことも知らない。だから、おれはこのまま全く別の人間として生きていくんだと思った……」


 その時に……わたしが現れた。


 「……コンビニで会った後、写真の顔を思い出したんだ。それで、自分のことを知ってる唯一かもしれないって思った」

 「じゃあ、なんでその時…何も言ってくれなかったの」

 「ななちゃんが本当におれのことを知ってるのかわかんなかったんだ」




 ―― どこかで、会ったことあるか




 そういえば、ナンパのような言葉を吐かれた気がする。あれは、モデルとしてのわたしではなかったということだろう。


 「それに……何も覚えてないおれが、会っても…つらい気持ちにさせるだけだと思った…」


 混乱はするだろうな。彼がしーちゃんなのかどうか、証明するには見た目は違うし、本名も当てにならない。写真を持っているからとしても、彼が約束の人だと気付けたのか自信はない。そもそも、女の子だと思ってたしね。


 「結局……大変な目に合わせてしまったな…ごめん」


 謝る必要はないはずなのに、昨晩のしーちゃんの記憶と同様で、全部が自分の責任と思いこむのは相変わらずだ。

 確かに大変な目にあったが……しーちゃんほどではないし、何よりもわたしの望みでもあったのだ。


 「しーちゃんに、会いたかった。しーちゃんの思い出をもう一度感じたいと思った。それが、わたしの望んだことだから……よかったんだよ」



 体を離せば、彼の顔が良く見えた。

 こうしていると、しーちゃんの面影はある。姿かたちは変わっても、変わらないものはあるんだ。


 「……おれは、幸せだ」

 「まだだよ。これからなんだよ」


 わたしの頬を片方の手のひらが包み込む。

 困った顔でほほ笑むと、小さな声でつぶやいた。


 「…ななちゃんの欲張りが、移ったかもしれない」

 「え?」

 「おれも、もっと叶えたいものができた」


 どこまでも人のことを気にかけていたしーちゃんが、そう言いながら右の手のひらを開いた。


 「……」


 そこには、ボタンよりも小さな黄色の花があった。

 山の奥の、花畑の花だ。彼はあの場所を思い出したのだ。


 「いいのかな。こんなに、お願いしちゃって……」

 「……」


 わたしは、その花と彼の顔を見比べる。

 ついさっきまでのわたしのように、不安と緊張の入り交じった表情になっていた。


 「いいよ」


 わたしは、思わず微笑んでいた。

 不安と緊張はしーちゃんに移ったみたいに……今は、純粋に…幸福を感じていた。

 しーちゃんは、緊張の面持ちでゆっくり息を吐いた。

 ぎゅっと瞼を閉じて、それが開かれたときは、決意の目をしていた


 わたしたちの頭上には、桜の木。

 まだ、散る時期ではないのに……役目を終えるように桜の花びらが舞い落ちていく。…この世界を桃色に染めていく。




 一緒に灯篭を追いかけながら願いを口にした8年前のしーちゃんの願い。




 目の前で消えていった……昨日の…しーちゃんの願い。




 そして今、三度目の……彼の願いが口にされる。




 低い声が、しっとりとわたしに向き合う。












 「ななちゃん………ずっと、思っていました……









……好きです」









 その気持ちを、星つかみの桜だけが……知っていた。

























Fin




ここまでお付き合いありがとうございました。

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