閉ざされた真実
ひどく間があいてしまって申し訳ないです。
未熟な作品ですが、お付き合い感謝します。
体勢を整えようとした中途半端な姿勢で体が固まる。
静かな森の奥に響く高い声だ。相手を抑圧しようとする高飛車な声……。
泥だらけの頭をゆっくりとあげれば、茂みの向こうが見えた。そこには私服姿のすみれさんの姿があって、咄嗟にさっきの低姿勢に戻る。
彼女がいたことにも驚いたが、そこにわたしをつき飛ばした張本人…鈴くんもいたことに動揺する。
山で密会…?どういう組み合わせ?
ぼそぼそと話す鈴くんの声がこちらまで届かないが、すみれのはっきりとした声は良く通って聞こえた。
「はあ?なによ、今日はずいぶんとおしゃべりじゃないの。つーかあんたに関係ないでしょ」
「……――――」
「うるさいって言ってんの!!」
もっとよく鈴くんの声を聴きとろうと、更に泥にまみれるのを覚悟で、音を立てないよう細心の注意を払って匍匐前進で近づく。
「………すみれがあの子といたところを、見たんだ……」
「!」
「あの子はぼくに、先に行ってって言ったけど……こっそり後をつけたんだ」
「…なによ、突然…今更、あの時のことなんて言ってどうするのよ……!!」
すみれが顔を青ざめた。
たぶん、わたしの顔も同じように青くなっていることだろう。
反面、わたしの心臓は太鼓の音みたいに大きく鳴っている。
「いままで、一度も……誰にも言ってない……すみれとあの子は、あの上のところで話してた」
「だからっ!なんだっていうのよ!?」
「すみれは、あの子をそこから……」
「いい加減にしてっ!!」
鈴くんは彼女の言葉を無視して言葉をつづけようとする。それに激昂したすみれさんが地面に転がっている大人の一握りくらいの石を手に持った。
そして、大きく振りかぶる…。鈴くんは、彼女の動きをじっと見つめるだけだ。
「だめ!!」
思わずわたしは茂みから飛び出して、すみれさんに正面から体当たりをしまった。
その拍子で彼女の手から離れた石は、鈴くんに当たることはなくて、ボスンと地面に落ちる。
思いもよらないところから、人が飛び出したことに驚愕の表情を浮かべた少女は、水の中の魚のように口をパクパクとさせた。
「な、なななんでっ!あんたがっ……!!」
「えっと、遭難?」
「ふざけないでよっ…!…もしかして……話を聞いてたの!?」
「ちょ、ちょっとだけ……」
青い顔からさらに血の気を失せさせて、真っ白になる。
あれほど気の強い彼女からは想像もつかないほど、何かに怯えて体を震わせていた。
「いや…っ、あれは、あたしのせいじゃないわ……!!」
そう叫ぶと、ものすごい力で腕を突っ張って、わたしを地面に押しのけた。そして、半狂乱のままその場から跳び起きると、わたしたちに背を向けて走り去ってしまった。
彼女の様子が気になったが、わたしの方は気付けば自分を殺そうとした人物と二人にされたことに震えあがった。
「…す、鈴くんっ!穏便に、話し合おう」
「……」
ジッとわたしを見つめる彼の瞳は相変わらず静か。
しばらく、ヘビににらまれたカエルのような気持ちでその視線を受け止めていたが、やがて瞳が揺れたような気がした。
「…聞いたよね」
「え?」
何を言われるのかと、過剰に体をびくつかせたが、わたしの予想した殺人予告のような言葉とは、全く異なる言葉が発せられる。
初めて会ったとき、ぼんやりしていると思っていた表情が、クシャリとゆがんだ。
「……すみれを……助けて……」
彼の頬に透明な一滴が伝ったのを見た。わたしはわけがわからずに、彼を凝視した。
徐々に森を濡らす雨は激しさを増している。
どれほど雨の中にいたのか…彼もすっかりずぶ濡れだったが、その頬に流れたものは雨だけではないと気付いた。
「、すみれを……もう、許して…」
かたくなに動かなかった表情が、初めて心を表した。
せき止められた流水が隙間からわずかに流れ出るように……
まるで泣き方を知らない子犬のように………
手の届かないものを、切なげに見つめるように……わたしにその瞳を向けていた。
―― もしかしたら…鈴がその子に何かしたんじゃないかって、ずっと怖くて……
涙ながらに話してくれた蘭の言葉を思い出した。
……そうか。
彼は、何かをしたのではなくて……見たのだ。
しーちゃんがいなくなった本当の原因を………。
「……すみれが、あの子を山から突き落とした」
“神隠し”の本当の真実を……!!
すみれが走り去った場所を追いかけると、流れの激しい上流にたどり着いた。
その手前で、今にも身投げをしそうな彼女がこちらに背を向けて突っ立っている。
もし、川に入ってしまったら無事では済まない。
「………すみれさんっ!!」
怯えと恐怖と怒りと憎しみを抱いた彼女が、わたしを振り返った。
「なんで…!もう6年も前のことじゃない!!どうして今更なのよ!!」
悲痛な叫びが土砂降りの雨に吸い込まれる。
「…どうしてっわたしが責められるの…!」という声が今や小さな音として聞こえる。
「そもそも!蘭が山に行こうって言いださなきゃこんなことにはならなかったわ!!朔良がペアを決めなきゃよかったのよ!!鈴があいつから離れなきゃよかったのよ!!!」
そう……あの子を失って、みんなが自分自身を責めていた。
それをこの人は知っていて、最後には「自分だけが悪くないのだ」と言う。
―― すみれは、苦しんでる………ずっと一人で苦しんでる…だから、もう償いは…終わりにしてあげて……
艶のある黒髪は無残なまでに乱れていて、整った顔が様々な負の感情に染まっている。
鈴くんは、一体彼女の何を見て苦しんでいる、というのだろうか。
「……、すみれさん…」
「もう、忘れたのよ!!あいつの顔も!声も!だから全部忘れさせてよ!!」
いいや……彼女は、自分の過ちを認めていないわけではないはずだ。
ただ、どうしたらよいのか、わからないのだ。忘れたいと泣き叫ぶのだ。
でも、自分のしたことは忘れられない。蘭も羽柴くんも、そうだった。傷つけた相手を知らないのに、傷つけた記憶は抱えていた。
「みんな、忘れればいいの!!あいつの存在を!事件も!!」
「……事件を、なかったことに?」
「そうよ!!パパが事件はみんな忘れるって言った!」
自暴自棄になったすみれは、血走った目をわたしではない、どこか遠い方へ向けて笑った。
「あたしが泣いたら、パパは全部その通りにしてくれる!!あいつのこと忘れたいっていったら、じゃあ捜索は中断だって…!!あははっ、この町であたしの思い通りにならないことはないわっ!!」
信じられなかった。
町の世間体とか、観光地の見聞だとか…そんなのただの方便だった。…マスコミにも事件を隠したのは、そんな理由ではなかったのだ。
カッと目の前が真っ赤になった。
わたしの頭の中に、鈴くんの言葉はすっかり飛んで行ってしまっていた。
胸の奥から信じられないくらいに熱いものがこみ上げてくる。
今まで感じたことのない……激しい憎悪の熱。
いま目の前でヒステリックになっているどうしようもないお嬢さまが…憎くて仕方がなかった。
わたしは先ほどと同じように彼女に飛びかかった。その肩を地面に押し付けて、馬乗りになると、錯乱する彼女を上から見下ろす。
「一体……あなたは……自分のしたことが何だと思ってるの!?」
「!!」
「人が……死んだの!!あなたが殺したの!!それをっ、どうして自分勝手に言えるの!?」
湧き上がる感情は、一度そうなると自分でも自覚できないほどに放出される。
わたしは気付かないうちに、涙を流していた。
しーちゃんは何を思って、死んだのだろう。
優しいしーちゃん。あなたは、そうなった運命を恨んだのかな。
「…返して!………返してよ!!あの子を!」
段差のある場所から突き落とされて、驚いた表情ですみれさんを見るしーちゃんの姿が見えるようだ。
どこかで、きっと防げたはずなのに、あの子はもう戻らない。
わああああああああっと、声を限りに泣き叫んだ。
彼女の胸倉をつかむわたしの腕が引きはがされる。その手に視線を落したまま、息を整えながらつぶやいた。
「なんで…?どうして、しーちゃんを突き飛ばしたの…」
「あんたのせいよ」
即座に返ってきた低い声に、彼女を見た。
怒り…恐怖…悲しみ…………。それのどれにも当てはまらない色に瞳が燃え上がっていた。
そして続けられた事件の動機で、わたしはさらに驚くことになる。
「…あいつは…このあたしをフったのよ」
………6年前。
薄暗い森の中で、階段状の道の中腹で小学生高学年の二人が向き合う。
当時のすみれは今以上に傲慢で、すべてが自分中心に回っていると信じて疑っていなかった。
―― ねえ、すみれちゃん。話って何?
―― あんた、中学校は東京が良いって言ってるみたいじゃない
―― え?えっと、そうだけど
―― なら、小学校最後に良い思い出残してあげましょうか
―― ほんと?
すみれに向き合う少年は、彼女が男女だといじめていた数年前よりもすらりと背は伸びて、長かった髪も短く整えられており、少女とは誰も思わない姿をしている。
次期にもっと背が伸びていけば、その隣に並びたいと願う女子は一気に増えるだろう。
だから、すみれは彼を選んだ。
―― 感謝しなさい!あたしのカレシにしてあげるんだから!
―― ……
―― なに?うれしすぎて言葉も出ない?
―― …ごめん、すみれちゃん
―― はあ?なによ
―― ………好きな子がいるんだ。2年前にお祭りであって………だから、すみれちゃんとは付き合えないよ……
―― ………っ
もしかしたら、人生で初めての挫折なのかもしれない。
彼女は、初めて思い通りにならなかったことに驚いた。そして同時に目の前の人物へ愛しさとは別の感情を抱いていた。
―― あ、すみれちゃん、危ないよ
―― 触るなっ!!
きっと、もっと年を取ってたくさんの経験をしていたら、そこまでの出来事は、何てことない、子供同士の切ない青春の一コマで終わるはずだった。
二人の想いがかみ合わなくて、互いを傷付けてしまった。それだけのはずだった。
すみれは、足元の石を注意した彼を突き飛ばしてそこから立ち去った。
ほんの少し、力加減ができていれば、その子は足を踏み外すことはなかった。
「あんたが、そうなんでしょう!?…どうして、あたしの邪魔をするの!目障りなのよ!!この町に来なきゃよかったんだ!!」
今度は逆に彼女がわたしに馬乗りになった。
長い黒髪が絡みつくように、わたしの首にかかる。
「…!!」
「あんた……、あいつのことなんて、忘れてたんでしょう?……今頃、来て…っなんなのよ!!」
彼女の言葉が上手く飲み込められない。トンカチで頭を殴りつけられたようにくらくらする。
「あんたがもっと、早く来てたらよかったんじゃない…!…あたしが、あいつに言う前に…会いに来てたらよかったんじゃないの…っ!!」
雨の音が耳に触る。彼女の叫びが心に刺さる。
―― 昔、女の子っぽいって言われてたんだ
―― 次会うときは、ななちゃんよりも、身長を伸ばして…それで、かっこよくなってるからね
わたしは、本当にあの子についてなにも……知っていなかった。
“しーちゃん”という名前はわたしが勝手につけたもので、 性別も、あの子が女の子だと言っていたわけではない。
過去の見た目の印象が焼き付いて、女の子と遊んだ……と思い違いをしていた。
お祭りの一日目でタイムカプセルを掘り返したとき…女子は蘭とすみれさんしかいなかったと言っていたではないか……だから、誰もわたしの探している人のことを知らなかったのだ。
しーちゃんなんて…………はじめから、いなかったのだ
わたしの胸に額を押し付けて、痛いくらいに肩を掴み…やがて悪態の声は、雨が上がると同時に消えていた。
そうすると、不思議とさっきまでも荒々しい感情が消えていくようだった。
突然、目の前の彼女が幼い小学生の姿のように見えてきて、自分でも思ってもいなかったことを口にしていた。
「……すみれさんは、後悔してる」
ピクリ、と指が揺れて、彼女が声に耳を傾けていると知った。
「巫女だなんて…きっとあなたの性に合わないことをして……それで、死者を偲んでいた」
自分の言葉なのに、そうなのか……と客観的に思う自分がいた。
……彼女の舞いは、本音で言えば、とても上手だとか技術があるとかそう言うものではなかった。
確かに見目形は人一倍整えられていて、誰もが見惚れるものだったけれど………彼女の舞いは…………まるで、願いを乞うような……思い煩うようなものだった。
その気持ちが乗せられた舞いは、見る者の心にも何かを訴えかけているようで、魅了させる。
きっと………彼女は、舞いをしながら、その心の中に何かを思い浮かばせていたのだ。
その瞬間は、誰の責任にもしないで、ただ……ただ……悔いるような姿をしていた。
指を振って、目を伏せて、頭を垂れて舞い踊る……その彼女の心の声が届いたような気がした。
―― ごめんなさい
今彼女に必要なのは、罰を強いることでも、慰めの言葉でもない。
「………………あなたを…許します……」
たぶん、あの子を知る人からの……その一言なのだ。
次で第三章は終結です。