禁じられた山
お待たせしました。
事件です。(そうでもない)
今日は音楽祭とでもいうのだろうか。町中に設置されたスピーカーから和太鼓や笛の音、琴などの音楽が奏でられる。それに合わせて町のみんなが楽しそうに歌を口ずさむ。
トンネルの前に到着すれば、案の定、新しい花束が置かれていた。
わたしは通りすがりにあった花屋で購入した花を、同じ場所に置いた。
手を合わせて、お邪魔します、と口にしてから……トンネルの入り口を塞ぐ柵を、下から潜り抜けた。
6年前から立ち入りを禁じられてきたその境界線を、踏み越える。
まだ時刻には日没には遠い時分にもかかわらず、雲のせいか薄暗い。森に入って数メートルでアスファルトの道路は砂利道に代わり、その道が左右に別れている。
もっと背の高い草花が生い茂っているものだと思っていたが、木々の影の数を除けば歩くのにはそれほど苦にならない道だ。
トンネルの長さは200メートルほどだったため、町からの音楽がここまで届いてくる。そのことにわずかな安心感を抱きながらも、わたしは歩き出した。
熊などの動物らしい姿はさすがに民家に近いこともあって見当たらないが、その代わりに木の枝にくたびれた白いものがが引っかかっていた。
よく見ようと近づいたそのとき、もう1つ同じものが空中から落ちてきた。
地面のそれを拾ってみると、お祭りで配っていたゴム風船だった。ちょうどここの空中で割れて落下したのだろう。
……どうして、風船や凧がこの森に飛ばされてしまうのかがわかった。おそらく、地形とか山の形状の理由でこの山方面に風が吹きやすいのだろう。
だから子供たちの手から離れたものは、この山に集まるのだろう。
けれど、定期的に役所の人が来ているのか、古いものは見当たらなくて、汚いという印象はない。
「…妖精の正体か」
やがて、水の流れる音を頼りにしていくと、幅10メートルほどの川が勢いよく流れていた。
杏子ちゃんから渡されていたパンフレットには、町の中心を流れる川の中流で、灯篭流しがあると書かれていた。この川がそれだろうか。
森に棲む妖精の気が、たくさん含まれたという川の水は、願いを聞いてくれると唱っていた。それは、生者と………きっと死者のも。
わたしは、羽柴くんに聞いていた通りの道を川沿いに進んだ。
しーちゃんと鈴くんは6年前にこの道を通って行った。 きっと、子供たちで探すときもこの道を通ったのだろう。
どれほど歩いただろうか。流石に、背中に汗を感じてきたころ。進むほど歩ける道は川よりも標高が高くなってきて、完全に川沿いから逸れてしまった。
たぶん、山の頂上部と言うにはそれほど高い場所ではないが、町を遥かに見下ろせる場所に来たとき、木の影が突然にして途切れた。
そこの開けた場所を見たとき、わたしは歩みを止める。
その瞬間、分厚い雲が途絶えて、わずかな隙間から陽の光が差し込んだ。
いまこの町で、唯一空からの光が降り注ぐ場所。
「…………」
言葉も出ない。目の前には……今が盛りと言わんばかりに、黄色の花が一面に広がる光景があった。
―― 森の奥にはね、妖精が大切に育てている花畑があるんだよ
―― へー。何の花?
―― 春の花だよ。黄色の…花
春の花の中でも、薔薇や椿のように大きな花は付けない。
背が天を目指すようにピンと伸びているけど、その存在はあまりにもありきたりで、たとえ町中にあったとしても誰も気づかない。
………そう、思っていた。
―― いつか、ななちゃんに見せてあげたいな。すごくきれいで、びっくりするよ
光に輝きながら、咲き誇るその花たちの姿は、自分の知っている花とは思えなかった。
まるで、天界にでもいるような美しい景色に、涙が頬を伝っていた。
春になればどこにでもある。道の端っこ、誰にも気づかれない影で、ひっそりと咲かせている花が、ここでは力を込めて精いっぱい存在しているみたいだった。
黄色の菜の花畑がそこにはあった。
―― ななちゃんの名前と一緒!
人がたくさん訪れていたころの名残なのか、菜の花に埋もれた地面には石段がランダムに並んでいた。それを伝いながらも、花の中をかき分けて中央へ進んでいくと、ちょうど花畑の中心に中腰程度の小さな社が置かれていた。
羽柴くんの言っていた、肝試しのゴールはこれのことだろうか。
巫女の舞台で見かけたものは人の顔くらいの物だったが、あれよりも少しだけ大きめだ。
神社のミニチュアといえるだろうか、妖精のいる山にふさわしいかわいらしい建物だ。小さなお賽銭箱に、五円を入れてから……二礼二拍手一礼。
そこにいるかどうか、わからない。
神様でも妖精でもいいから……どうか、と願った。
どうか……わたしの記憶をとってしまわないで……。
しーちゃんとの優しい思い出で、わたしは優しくなれるような気がするのだ。
忘れたくない。しーちゃんのことを、忘れたくない。どうか、この町の記憶を消してしまわないで。
何度も心中で念じているわたしの背中を、菜の花が覆い隠す。
しーちゃんが見せたかったこの景色が、わたしを待っていたような気がした。
時間も忘れて、しばらくその場所に留まっていた。
美しい景色を十分に目に焼き付けてから、わたしは来た道とは違う道を下って行った。
羽柴くんたちが通ったという道だとは思う。
階段状になっている場所は町に向かって下っていくような気がするので、川沿いよりは最短ルートだろう。
だが、子供が通るには少々危険なような気がした。
階段の脇は木々が生い茂る急な坂になっていて、道が暗いと足を滑らせ、そのまま下に転げてしまうだろう。
もし、はぐれてしまったら、見つけてもらうのは困難だろう……。
つまり……この道はずいぶんと細い道が多くて、はぐれようとすれば隠れられる場所がたくさんあるが……さっき通った川沿いの道はほぼ一本道で、視野も広くとれそうだ。はぐれるということはなさそうだった。
もしも、子供がいなくなってしまうとしたら、この道の方かもしれない。
わたしは、自分の歩いていた道の先に人が立ってるのに気が付いて心臓をはねさせた。
気配もなく、静かにわたしを待っていたのは鈴くんだ。
「……聞いても、いい?」
どうしてここにいるのか、とか、そういう質問は野暮な気がした。彼は最後にしーちゃんと会っていた人なんだ。
「今日って、雨降るかな……?」
「…さあ」
あ、普通に返してくれるんだ。
無表情で何を考えているのかわからない空気は相変わらずだが………会話は成り立ちそうで安心した。
「ねえ、どうしてわたしを桜の木まで案内してくれたの」
立ち入り禁止の山の奥で、高校生二人が向かい合う。
こんな場所にいること自体が不自然だ、と思うが、それはわたしも同じことなので何も言わない。
そのかわりに、一昨日から疑問に思っていたことをようやく尋ねた。
しーちゃんと考えたラーメン屋のことも、わたしたちの約束の場所も、どうして彼が知っているのか。
言葉を待っているわたしの顔をじっと見つめながら、彼は消え入るような声で答える。
「……だって、――が言うから」
そのため、声が少し聞き取れなかった。
「え?」
聞き返すために彼に歩み寄ったわたしは、突然体に衝撃を感じた。
「…あ……………え?」
わたしの体が後ろに傾いて……視界いっぱいに鈍色の空がうつる。
まるで、時間がゆっくりと進んでいるように、足元から地面が離れるのを感じだ。
今までいた場所から、鈴が無表情でわたしを見下ろした。
「……………最後にあの子に会ったのは、ぼくじゃない……」
彼の姿が遠くなる。
状況を把握できないまま、わたしは……山の底へと落ちて行った。
―― わたしの名前は、菜々乃。菜の花の、菜々乃だよ。あなたの名前は?
―― 名前は……
―― ?…どうしたの?
―― 自分の名前、好きじゃない……
―― そうなの?
―― …………昔、――っぽいって言われて………
―― え?そうなの? そっかーイヤならショウガナイよね。じゃあ、好きに呼ぶね!うーんと、あ、“白い風船”の“しーちゃん”ってどう?
―― し、しーちゃん?………………っあははは!
―― あ、面白い?いい感じでしょ?しーちゃん!
―― えへへっ、あだ名をつけられるのは初めて…
―― えー!そうなの?わたしは“ななちゃん”とか、“なっちゃん”とかってよく呼ばれるよ
―― じゃあ、ななちゃんって呼んでもいい?
―― いいよ!しーちゃん!
ポタリ、という冷たい感触にわたしは瞼を開いた。
小ぶりになった雨が木の葉を伝って落ちてきたみたいだ。
どのくらい気絶していたのだろうか。
鈴くんに突き落とされて、山の坂道をずり落ちてしまった。
運よく大きな木とか、岩がなかったので大したけがはないが……驚きのあまりに気を失ってしまったみたい。
わたしは彼を怒らせるようなことをしたのだろうか…… 心当たりがあるような、ないような……あるのかな。
6年前の事件について、知ってしまった。彼らの嘘を知ってしまった。
口封じ……?
でも、わたしを殺したら、蘭と羽柴くんが原因に気が付くだろう。容疑者は絞られる。6年前の罪は許されたとしても、新しい罪が許されることはないはずだ。
それでも、わたしを突き落としたい理由があるのか。
「…モデルの間で、陰の嫌がらせは受けてきたけど……殺されかけるのは、初めてだ……」
陰湿にいじめられるよりも、やはりショックは大きい。
しっとりと濡れた服が気持ち悪いが、わたしは半身を起こしてあたりを見回した。
ここは、どこなのだろうか。
スピーカーの音楽が聞こえないから、町とは遠く離れた場所なのだろうか。
服も髪も泥まみれ。最悪な気分。
うわ、大きな虫がいる。本当に、最悪だ。
山に入った時に、見えなかったものが鮮明に見えてくる。さっきは、しーちゃんのことを考えていて必死だったから、細かい森の様子には気が付かなかった。
タブレットを確認したら、当然圏外だった。
田舎の山でモデル遭難!とかって記事が出たらどうしよう……自殺だとかって思われたら冗談にもならない。
こういう時の知識ってやっぱり必要なんだな。山に入るなら、遭難グッズは必須ということが身をしみてわかった。
太陽も出てないので、方角もわからない。たぶん、月や太陽があっても分かるはずがないが………。
どこか見たことある道に出ないかと、立ち上がったら、ぬかるみにはまってドシャっと躓いた。
ううっと呻く。ほんと、ツイてない。
そのとき、それほど遠くない場所で話し声がした。
「あんた、あたしを呼び出すなんて何様よ」
気力があれば、もう一話投稿します。