5.隣人になる
1991年5月30日。
この日は加奈が生まれた日。どこの病院で生まれたかはわからなかったが、良輔はこの日から順番にタイムマシンで時間を跳び始めた。そして翌日の新聞のおめでた欄には加奈の名前があった。
毎日跳びながら、生まれた病院を探すと、市の総合病院にいる事がわかった。良輔は昼の跳躍の際に、新生児の加奈を見舞いに行く事にした。
まだまだ小さい加奈は目を閉じたまま、大人しく眠りについていた。
「かわいいもんだ。これがあれになるのか」
良輔は機嫌の悪い時、怒った時、拗ねている時の加奈を思い出して微笑んだ。
「・・・どうして、あんな事になってしまうのだ」
救急車で運ばれる、もう動かなくなった加奈を思い出す。
「あれが運命だとは思わない。俺が助けてやる。もっと幸せになっていいはずなんだ」
加奈がいる新生児室のガラス越しに拳を固めて眺め続けた。
加奈はそれから母親と一緒に退院し、あの加奈の家で生活を始めた。この時は両親が一緒に住んでいるようだった。
遠巻きに良輔は眺めつつ、呟いた。
「この時点ではまだ、両親はいるんだな」
加奈のことで昔、親の話題になった時、今はお父さんしかいない、お母さんは小さい時に亡くなった、と聞いていた。加奈を1人育てるのに、父親は相当頑張ったようだ。加奈もかなり我慢するタイプなのは、そういう家庭の影響かもしれない。
それから加奈が大きくなって行くのを遠くから見守った。
ー着ぐるみに巻かれている加奈。
ーベビーカーに乗せられている加奈。
ーよちよちと歩き始める加奈。
良輔は自分が知らなかった加奈をドキュメンタリーのテレビを視聴する傍観者の様に眺め続ける。加奈が一歳とちょっとになる頃、少し面倒な事になってきた。その頃、子供に対する誘拐や事件が多発し、この地域では不審者に対する防犯意識が高まり始めていた。なるべく気をつけていたつもりだったが、たまにどこかから見られている感覚があったのだ。
「不審者と見られてもおかしくない、か」
良輔は自分の無頓着な身なりと、ストーカーのような行動を顧みて苦笑する。
「逆に大胆にいってみるか。その方が怪しまれないだろう」
良輔は丁度空き家だった隣の家を借りる事にした。確か過去の自分は高校までこの近辺に来る事はなかったはずで、将来加奈の行動範囲に過去の自分がいても、加奈の家まで来る事はないだろう。ならば既知の隣人として、加奈を観察する方が異変にも気がつきやすい。
「隣に越してきた大山遼太郎と言います。単身赴任で来ておりまして、あまり家におりませんが引越しのご挨拶に、と」
ここでは大山遼太郎と名乗る事にした。
「ご丁寧にどうも。畠山と申します。今後もよろしくお願いします」
「すいません、いい物件がないか、最近この辺りをよくぶらついておりまして、この辺りの方々にご迷惑をお掛けしていたのではと心配しておりました」
「最近色々と物騒ですからね。また何かあったら遠慮せず、声をかけて下さい」
加奈が死に、会社を辞めてから着ていなかったスーツを身につけ、加奈の両親に挨拶に行った。加奈の両親を初めて見たが、優しそうな穏やかな印象を持つ2人だった。
これで不審者と思われないで済むだろうか。ただ、ある意味ストーカー行為をし続ける事に変わりはないんだがな、と良輔は苦笑いをする。
しばらく良輔はサラリーマンの格好をし、隣人として生活するふりをした。
この行動のもたらす結果は予想通りだった。元の時間に戻っても、加奈の隣の家は良輔の家として存続していた。良輔はタイムマシンを移動し、加奈を助けるまで住むことにする。
その家はかなり年季が入っており、埃もそれなりにあったが、ひどく汚れているわけではなく、綺麗に整頓されていた。
仮住まいとして住む分には全く困らなかったが、その途端、良輔は変に納得した。
「そりゃそうか。住みやすくしたのは、俺だからな」
これはどちらかというと、必然だったのだろうか。加奈の為に、監視を行うカモフラージュの為に過去に用意したものが、結果、タイムマシンの拠点として今も役に立っている。時間だけではない何か繋がりを感じて、嬉しくなっている自分が不思議だった。
それからは隣人として、加奈を見守り続けた。たまに見かけては加奈とその両親に挨拶をした。
加奈が2歳になった頃、良輔の元に駆け寄ってきて「となりのおじちゃん」と言ってくれた。加奈の成長と、将来の恋人としてどんな顔をすればいいのかわからなかったが、加奈に微笑み、「なんだい?」と返すと、顔いっぱいの笑顔で「なんでもない」と元気に返すと走り去っていった。しかし、それだけでも良輔は幸せだった。
そしてその間も良輔は黙々と跳躍を繰り返している。まだ、5000回にも満たない。加奈にとって3年、良輔のとっては1年ちょっとの時間。まだまだ先は長かった。