緑風の季-3
ばさばさと、葉を掠る音がした。
……失敗した。
幾ら悔やんでも、幾ら後悔しても。
決して、時は戻らないというのに。
それでも、必死で走りながら。
後ろの物音を聞きながら。
悔やみ続けるしか、無くて。
※※※
今回が、初めての依頼だった。
『冒険家』としての、初めての依頼。
特定の薬草を、指定された容器に2つ。
たったそれだけの依頼。
それを持って、誘ってきたのは。
私達と同じ、新品の鎧を着込んだあどけない少年だった。
聞けば、彼も今日が初めての依頼だと言うこと。
――――だから、だろうか。
少しばかり、浮かれていたのは否めない。
周囲から、情報を集めなかったことを後悔もしている。
三人で、街から出立して。
薬草を求めて、森に分け入り。
奥へ――――奥へ。
知らず知らずのうちに、奥へと入り込んでしまって。
気付けば、とうに日が暮れる時間帯。
戻るにも戻れず、火を何とか起こし。
ぱち、ぱちと跳ねる火花の前に、交代で眠って。
日が昇る頃。
そう、起きて、周囲を見回した時。
藪の中から飛び出してきた、子鬼の持った棍棒が、少年の頭を叩き割ったのを見たのは。
赤い、紅い花が咲いた。
ずるり、と崩れ落ちる姿から見える中身。
叫ばないで。 咄嗟に、手元にあった小剣で吹き飛ばせたのは、奇跡だったのだろう。
余りの衝撃に、叫ぶのを忘れたのか。
それとも――――叫ぶことすら出来なかったのか。
それは、今でも分からない。
ただ、事実として。
一人の少年が、死んで。
私達は、逃げ出した。
ただ、それだけ。
※※※
「……大丈夫!?」
「……私は、置いていきなよ。 一人なら、逃げきれるよ?」
「馬鹿! 絶対そんなことしない!」
逃げ惑ううちに、子鬼の持っていた古びた矢が脚を掠めた。
それ故に、私達は前衛後衛を入れ替え、必死で逃げている。
魔物の知識――正直に言えば、真剣に学んでこなかった事が悔やまれる――を必死で思い出しながら。
子鬼族の持つ、魔族の神々が与えた祝福は……確か、『繁殖』。
雌が極端に稀にしか生まれない、生物として何処かが狂っている生態系を保つ為に与えたとされる、ソレ。
効果は……祝福を持つ、種族の女性を母体化させること。
つまりは――――捕まってしまえば、《冒険家》としては疎か、女としても終わりを告げる。
ソレが分かっているから、私は二人で逃げようとするし、彼女は一人で逃げることを勧める。
……犠牲として。 私を贄として、差し出せと。
それだけは、絶対に嫌だった。
「もう少し、逃げれば大丈夫だから……!」
「……剣士の私が、何も出来てないのに?」
「そんなこと関係ないよ!」
ずっと、友達だったのだ。
身分は、立ち位置は違っても。
私は、ずっとそう思って生きてきたし。 彼女もそうだったと信じたい。
彼女は、剣士として。 私は、魔法使いとして。 一緒に、強くなると誓った。
そんな彼女を――――見捨てる。
例え……そう、例え、死んでも。
絶対に、嫌。
そう信じて、逃げて。 逃げて。 逃げて。
……神様は、残酷だった。
木々の合間に広がった、小さな空間。
周囲は藪に覆い隠され、唯一視界の見える先は崩れ落ちた木々で通れない。
そして、何より。 彼女の体力が持たなかった。
足元に転がっていた、小さな石。
そんなものに躓いて、転び。 起き上がろうとする体力すらも無い。
1刻近く逃げてきたのだ。 私自身、補助を使わなければ立っていられるのが奇跡的。
やっと、其処まで逃げてきたというのに。
大きく息を吸い、吐き。
会話すらも出来ない程に咽せる、背後。
がさり、と子鬼が数匹姿を表したのだ。
恐らく、使っていた弓矢は投げ捨てたのだろう。
無手の子鬼が一匹と、棍棒を持った二匹。
たった、それだけの存在なのに。
私には――――死神のようにも見えた。
「ぁ…………。」
いや、と小さく口から漏れるのが分かった。
小さく、後退り。
舌舐めずりをするようにも見える、大きく開いた口元から伸びた緑色の舌。
その持ち主が一歩、歩み寄ってくる。
下がって、追いつめられて。その繰り返し。
――――こんなところで、終わってしまうのか。
初めての依頼。
初めての冒険。
失敗、犠牲、■■――――死。
かちかち、と小さく聞こえる音は2つ。
私と……隣の、彼女。 その口元、震える歯の音。
嫌だ。
死にたくない。
■■■たくない。
私は――――。
もっと、いきたい。
だれか。
だれでもいいです。
かみさま。
おねがいです。
「だれか、たすけて……。」
そう、口元から漏れて。
子鬼が、一歩。
触れるまで、後三歩程の距離まで近付こうと、脚を踏み出した。
その時。
『――――地を這え、矛槍ッ!』
地面から、突然。
鋭いナニカが飛び出し。
子鬼の身体を、突き抜けるのを、見た。
「■■■■ッ! 突っ込め!」
「人使いが荒いんだよ、■■ッ!」
そう叫ぶ内容は、理解できなかった。
ただ、なんとなく。
神様と。
王子様が来てくれたんだと、思って。
ごめんなさい、と。 ありがとうと。
相反した言葉を浮かべながら。
意識を、手放した。
名前が伏せてあるのは、仕様です。