緑風の季-9
案内された宿――――『幽月の調べ』亭。
若干小さめでは有るけれど、その分宿代は勉強してくれる場所で。
それが理由で、主に成り立ての《冒険家》が好んで住まうとされた宿だ。
取り敢えず一泊、ということで二人分で先程の銀貨の残りを支払い、二人で一部屋を借りる。
宿の入り口まで、ずっと言い合いを続けていたけれど。
いい加減にしろ、と思ったタイミングでルナが二人の方を見つめ始めると不思議と言い合いは収まっていた。
……二人が少しばかり、震えていたようにも思える。
「あ、あのねルナ。 ……まだ怒ってる?」
「怒る? 何に? アイネちゃん。」
「ほら怒ってるー! ごめんって!」
「あー……。」
チラチラ此方を見ないで欲しい、ティニア。
現在は先に登録を済ませよう、ということで《ギルド》内、登録テーブルに二人で腰掛けている。
少し離れた、休憩テーブルで話す二人の声も聞こえる程、現在は人が少なかった。
それもそうだ。
この時間――昼下がりを少し回った辺り――では《冒険家》は帰宅の途に付いているか、未だ探索中だろう。
人が少ない、というのは少しばかり緊張していた僕には、有難いことだったけど。
「お待たせしました。」
そう言って、奥から資料を持ち出してきたのは。
やや度の厚い片眼鏡を身に着けた、冷たい印象の有る女性だった。
「それでは……お二人には此方に記述をお願いします。 代筆はご利用されますか?」
「いえ、それは大丈夫です。」
「此方も。」
「分かりました。 最低限、名前と現在の職業は記述をお願いします。」
欄には幾つか。
名前、年齢、出身地、職業、得意とする武具、そして祝福。
年齢や出身地を記載しないでもいい理由は何となく分かるけれど。
「武具……と祝福はいいんですか?」
「はい。 有料で武具の鍛錬も受け付けていますから、それを学んだ上で適性が変わる方もいます。」
「……無料では無いんだな。」
「生憎ですが、慈善事業ではないので。 祝福に関しては――――変更される方もいますから。」
……ああ。 そうか。 追い込まれれば、そういうこともあるからか。
神々の与えた祝福には、二通り。
子鬼に与えられたような、種族への祝福。
そして。 人間に与えられるような、個人への祝福の2つが存在する。
――――人間に与えられた種族への祝福。 『一度だけの再挑戦』。
選べない祝福を一度だけ、神々へと返却し。
再度、何らかの祝福を得る……たった一度だけの、神頼み。
剣を失った剣士が、魔術に縋るために。
魔術に見切りをつけた魔術師が、剣に縋る為に。
そんな、伝承も。 無くはないからか。
「じゃあ、職業に関しては変えたらどうすりゃいいんだ?」
「此方に申請していただければその時点で切り替えます。」
「成程、ね。 んじゃあ俺はこれで頼む。」
考え事をしていたからか、ほんの少し先に書き上げたティニア。
その内容が視界に入る。 ……名前、職業。 たったそれだけ。
直接的に、効果を発揮する祝福ではないからか。
彼が、それを記すことはなく。
そして、僕も記すことはなかった。
「はい……では、これで発行します。 本日はもう有望な依頼は無いと思われますが、どうしますか?」
「あ、もう買い取りはして貰えます?」
「ええ……一体何を?」
「道中で薬草と、子鬼の魔石を3つ。」
ころん、とテーブルの上に鈍く光る鉱石のような物を転がす。
魔石――――『魔物』を動かす心臓部のようなもの。
これがあるならば魔物として扱われ、なければそれは魔物ではない。
そして、この魔石は加工することで魔力を発する『原材料』として扱われる為。
肉体や、素材とは別に。 確実に売れる物品として、宝石の代わりに扱われることすら有る物質なのだ。
「拝見します……緑子鬼の魔石、ですか。」
「! 分かるんですか!?」
「ええ。 そういう技能を身に着けています……これでしたら、そうですね。」
薬草をしげしげと確認した上で、さらさらと半端な魔物紙に値段を書き連ねていく。
反対側から見ても、達筆にすら見えるそれを若干の感動とともに眺め。
ティニアは、頬杖をついてそれを眺めていた。
「全て合わせて銀貨4枚……如何ですか?」
「一応この薬草は煎じてあるんだが、それでもか?」
「一部に毒草が混じっています。 その分は差し引いて、ですね。」
「……チッ。 やっぱ混じってたか。 じゃあ、見分け方を教えてくんねーかな、ついでに。」
「……それは、有料で学ぶ知識ですよ?」
「薬草の群生地を知ってる。 ただ、毒草が混じってるとそっちの手間になると思って、なんだがな。」
……と思えば、急に交渉を始めていた。
しかも、若干のはったりを交えて。
「……成程。 確かに、薬草は在庫があって困るものでもない。 では、私からの好意、という形で宜しいですか?」
「助かる。 ……アンタ、良い人だって言われないか?」
「冷血漢の塊、とは言われますよ。」
恐らくははったりに気付いた上での発言だろう。
ふっ、と口元を歪めた女性。
奥から運ばれてきた、黒いカードを僕達に手渡して。
「フィール=レグメンドです。 ……ようこそ、《ルクロス冒険家ギルド》へ。」
そう言って、初めて笑顔を見せたのだ。