煙る鳥兜 中
「いやあすみません、ご無理を言って。」
「…構わないが。お前たち、収入はまだ少ないのか?まあ、もう何十年もこの国は不景気不景気と嘆いている。新人が安月給なのも無理はない。今日は奢ってやるから、日々仕事に勤しめ。」
咲が選んだのは、小さなラーメン屋だった。換気扇がごうごうと唸り、どこか懐かしさを感じる香りが立ち込める。中はうすら明るく、淡く黄色い光に照らされた店内もまた温かみを感じ、咲は目を輝かせた。そんなラーメン屋にさえ喜ぶ少女と、それを微笑ましそうに見つめる青年を哀れみ、乙丸はそうトキワの肩を叩き先に店内へ入っていく。咲も続けて入る中、その勘違いにトキワだけが苦笑し、ただ訂正はせず遅れて店内へ足を踏み入れた。
「とんこつラーメン一つ。…それで?高校生はなんだと。」
「ええ、まあ依頼書の通りではあったのですが…、僕は塩ラーメンで。ああ、子供用のラーメンはありますか?ええ、ええあと、それを一つ。依頼者が護衛を申し出たその相手というのが、どうも今回怪華に取り憑かれた被害者をいじめていた加害者のようでして。」
「ほう、成程な。」
一番奥の座敷へ各々腰を下ろすと、乙丸は軍帽を隣の空いた座布団へ落とす。その奇怪な風貌も、この空間にいる人々は気に掛けなかった。くたびれたシャツのサラリーマン。色あせたトレーナーの青年。この空間では、誰もが疲れた異空の旅人のようであったのだ。
「学校側は少年の死を事故死と考えているようだった。隠蔽しているようにも見えるが…確固たる証拠は無いのだそうだ。担任は本当にいじめの実態を知らないらしい。そして何より…少年は遺書を残していなかった。」
「いじめは陰湿なものだったんだそうですよ。加害者の恋人でさえ知らなかったそうです。遺書はまあ、若いですし書かない事もありうるのでは?」
「いじめられていたのに、か?本人に問い合わせたわけではないが、親にも全くそういった相談は無かったと聞く。人に言えず追い詰められるような子どもなら、尚更何かに書き留めないか?」
「そうですね。大分前からネットでのコミュニケーションは若者の間で主流となっているようです。彼もそう言ったツールを使用していないか調べてみましょう。」
「…おい。間違えるなよ。そこまで俺たちが踏み入る事は無い。今のはちょっとした世間話だ。駆除の方法について考えるぞ。」
「え、ええっ?」
流れるように始まった報告の中、話を拗れさせた張本人が唐突に話を終わらせ、トキワはぎょっとする。しかし運ばれてきたラーメンに話共々遮断され、問い詰めるタイミングを失ってしまった。低いテーブル、狭い座席では右手を上に乗せる事すら出来ず、乙丸は器用に口と左手で割り箸を割る。
「みて!サキのラーメンはコーンがはいっているのよ!このウズマキのハナはなに?」
「あ、ああ、美味しそうだ。それはナルト。」
更にラーメンが来てはしゃぐ咲の対応に追われ、話を切り出せなくなってしまった。大人しく咲がラーメンを啜り始める頃、咀嚼していた麺を飲み込み乙丸が口を開く。
「…ん、今回の駆除、俺は焼却を推す。恐らくあれだけ強い恨みだ、通常使用する薬は効かない可能性が高い。それどころか、最悪生半可な除草で耐性がつき、より強力なものになって此方でも手が付けられなくなる。」
「ちょ、ちょっと待ってください。焼却は一時的に怪華を殺しますが、恨みは居座り続けます。」
「そんな事は分かっている。しかし、一度殺してしまえばそれから再生するのに時間はかかる。幼いうちなら薬で抑制出来るだろう。となれば、学校側は定期的にうちから薬を仕入れるしかない。新芽を殺す程度の薬なら低コストで大量生産出来る。こういう儲け方も学べ。…幸い、今回遺恨煙が生えたのは机の上だ。校庭まで運んで燃やそう。その…なんだ、お前が護衛を任された高校生も、あの教室にいなければならないのはあとせいぜい半年だろう。焼却で半年は持つ。」
「…それでは被害者が…報われません。」
「俺たちが従うべくは、金を払ってくれる人間だ。被害者じゃない、依頼者だ。そういうものだろう。例え依頼者がどんな人間であろうと、然るべき報酬をよこすなら従う。まあ、小貫の両親が依頼書を寄越してきた場合は、相当厄介なことになりそうだがな。…食え。冷めるぞ。」
乙丸の無情なまでの返答に、トキワは顔を歪ませた。しかし、むわっと立ち込める湯気と香りが、そんな苦しい腹の内さえ空腹に支配させてしまう。トキワは麺を多めに頬張ると、よく咀嚼して飲み込んだ。
「むぐ、…僕らの仕事は、人の心に触れる仕事です。僕は、貴方の意見に賛成しきれません。」
「なら何を望む。霊媒師でも雇うか?大体被害者はもう死んでいる、救うも何もない。」
「そんな事はありません。自分の恨みが独り歩きして、他の人々を苦しめている。死んでも恨みにとり憑かれているのですよ。」
「いい気味じゃあないか。」
「…それは自分の意思ではない。明日一日、待っていただけませんか。僕が、小貫くんを救います。」
「ふん、一日を棒に振るか。まあいいさ、一日くらい好きに動くと良い。だがな、死ぬような事だけはするなよ。同情は人間の弱点だ。そしてお前は人間の弱点の塊だ。」
「お気遣いありがとうございます。尽力させていただきます。」
乙丸は嫌味をかわされ、ニヤリと笑む。それからはただ、三人のラーメンを啜る音だけが響き、その音を聞きなれた店内の黄色い壁へじんわりと染み込んでいった。
「きのうあんなことをいってしまったけれど、どうするの?」
「…小貫くんの家へ行ってみる。それから、やはり彼女には協力してもらおう。」
「スズコに?」
昨夜は結局奢ってもらい、店を出た後自然に解散となった。服を整えながら、トキワは自らの依頼者へと電話をかける。いつになく無茶な事をやりかねないトキワの背中を、咲は不安げに見つめた。
荷物を纏め、宿泊施設を出る。地図や道案内のアプリケーションは主流となっているものの、トキワは専ら紙の地図帳を広げるのが好きだった。
「ここからそう、遠くは無いよ。行こう。」
入り組んだコンクリートの道を、二人で進んでいく。目的地には、横幅の広いアパートがずっしりと構えていた。その一室へと迷いなく向かいインターホンを押すと、大分やつれた様子の女性がドアの隙間から顔を出す。
「…どちら様ですか。」
「突然申し訳ございません。僕たちは特殊な華を調査する為に参りました。天草研究所のトキワ、サキと申します。此方は、小貫創くんのお宅でお間違いないでしょうか。」
「ああ、学校の依頼で来られたのですか。」
女性はトキワたちが来る事を知っているような口ぶりだった。それでいて、心底忌々しそうである。
「…いいえ、個人的に。創くんを助けたくて伺ったのです。」
「個人的?…それにしたって、遅いわ。創はもう、亡くなりました。」
「ええ、存じ上げております。心より、お悔やみ申し上げます。申し訳ございません。僕らが知った時にはすでに、創くんは亡くなられていました。しかし創くんは亡くなって尚、苦しめられているのです。僕らの言う、特殊な華に。何かご存知なように感じますが、一度お話をさせていただいても?」
「今も、創が?…上がってちょうだい。」
招かれるままにリビングへ足を運ぶ。擦れた革靴。家族写真。この家はまだ、彼の死を受け入れられていないように見えた。
「此方のソファに座っていてください。今、お茶を…」
「失礼いたします。いいえ、一刻を争いますので、お構いなく。」
「あら、お茶を淹れながらでも話は出来るわ。…貴方がたの言う、特殊な華。あれのせいで、うちの息子の死因捜査は打ち切りになったのよ。」
懐かしいハーブの匂いが漂う。それは昨日を想うようで、本当はずっと前から知っているようでもあった。
「最初は飛び降り自殺かと思われたの。でも、あの子は遺書を残さなかった。明確に創が死にたいと望むものが見つからなかったのよ。だから他殺の可能性も考えて、警察の方も死因をもう一度調べ始めたんです。でも、すぐに打ち切りになった。何でも、創の使っていた学童机に奇妙な花が咲いたそうなの。毒の煙を放つ花…。普通の花とは違うそれが創の死と関係していると知った途端よ、警察は管轄外ですからって、捜査を取り止めたんです。それからどうにも動けなくて、外の時間が流れるばかりでしたけれど…。」
「そうでしたか。…貴女の言う、その奇妙な華は、僕らの調べる怪華というものです。これは植物に酷似していますが、その実古来より噂の絶えない妖に近い存在です。警察や医者が対応出来ない事もご理解頂きたい。…そして、創くんの机に咲いた怪華。あれを僕らは遺恨煙と呼びます。故人の恨みに根付き、それに比例する毒煙を放つ有害な怪華。」
「それに、創は今も苦しめられているの?」
「ええ。…いただきます。」
目の前に二つ並べられたティーカップの中で、ハーブティーが緩やかに波打つ。咲はそのすうっと鼻を突き抜けていくような匂いに大きな目をぱちぱちと瞬きさせた。
「僕も人伝いに、創くんが遺書を残さなかった事を伺いました。怪華の生まれ方は大凡二つに分けられまして、遺恨煙は感情生出型に分類されます。その名の通り、感情から生まれ出でるというわけですが、この場合ほんの小さな感情にさえ反応し咲いてしまうようでしたら、怪華は大量繁殖してしまうわけです。貴女もご存じなかったように、怪華という存在はそれほど知れ渡っていない。まあつまり、怪華は取り分け大きな感情に反応するわけです。創くんにも、大きな恨み、憎しみがあったはず。今日はその手掛かりを探しに来たのです。そこで、生前彼が使用していたスマートフォン、パソコンなどの通信機器があれば、見せて頂きたいのですが。」
「ええ、創の部屋…まだ片付けていないんです。あの子の勉強机の上に、パソコンが置いてありました。創が死んでしまった理由が分かるのなら…、此方へ。」
彼女を追い、階段を上っていく。その先にある小貫創の部屋は、まだ主がそこにいると思わせる程生活感に溢れていた。机にどっしりと鎮座したパソコンには、入ってすぐに目がいく。電源を入れると、早速インターネットに接続した。
「やはりブログらしきものはされているようですね。パスワードが保存されているので、ログインできました。少し閲覧させていただきます。
………これは。」
それは短い一、二言を断続的に載せられるブログのようで、彼が最後に載せたのは、「顔が熱い。早退しようかな。」という短い言葉だった。それは自殺を試みた日のものであったが、とても自殺を仄めかすような文章には見えない。
「お子さんはその日の朝、具合が悪そうでしたか?」
「え?…いいえ。いつもと同じだったかと…あっ。」
「なにか、あった?」
「え、ええ…関係無いとは思うんだけれど、その日の朝あの子、肌が荒れていたのよ。まあ私も寝不足かしらと思ったくらいで詳しくは聞きませんでしたけれど…。ニキビって思春期の子どもには珍しくないですから。」
トキワは今までの事例で、寄生系の怪華により肌が荒れてしまった事案を耳にしたことがあった。しかし遺恨煙は故人の恨みがより強い場所へと咲く怪華であり、生物に寄生する類のものではない。
「あっトキワ!このしゃしん!」
考え込むトキワが見落としそうになった一つの画像を、慌てて咲が指差す。それは野に一輪の遺恨煙が咲き、黒い煙をあげている写真だった。ブログの内容もその花を不審がるもので、その遺恨煙を暫く観察していたのが分かる。
「これもまた、誰かの怨念から生まれた遺恨煙なのかもしれない。…っ、けれど、もしこの遺恨煙が創くんの遺恨煙と深く関わっていたら。」
トキワは何かに気付いたようで、画像の撮られた場所を調べ始めた。住所を割り出すと、女性が画面をのぞき込む。
「…これ、学校の住所ですか?」
「!これは、野に自生した遺恨煙があると思わしき場所です。」
「流石にここまで生い茂っている場所は学校には無いですね…。裏山かしら。」
「そうですか。ありがとうございます。これから仲間をそちらへ向かわせます。」
「貴方は…?」
「僕は、創くんのところに行ってきます。行くよ、咲。」
「うん。おじゃましました。」
「待って!その、有害な毒煙の中に飛び込むとでも…?」
「そうなりますね。しかし僕は、人の心に触れられるのは、それもまた人の心だと思うのです。」
小貫家を後にすると、早速トキワは乙丸へと連絡を入れた。好きにしろと言った割に、電話はすぐに繋がる。
「もしもし、乙丸さんですか。ええ、先程小貫創くんの家へ伺いまして。このような画像を見つけました。住所も送ります。…いえ、これは僕の憶測ですが、感情生出型の遺恨煙が更なる確実な繁殖の為、自生誘引型に変化したのかと。確証はありません。しかし、小貫創くんにはこの怪華に接触した後、寄生された症状が出ています。……ええ、乙丸さんには此方の怪華の駆除に当たって頂きたい。双方の依頼とは関係ありませんが、このままにもしておけないでしょう?
僕は学校へ向かいます。…お気遣いなく。それでは。」
電話の向こうで乙丸はまだ何か此方へ話しかけているようであったが、此方には不都合だとトキワは早急に電話を切った。そしてすぐに今度は依頼者へと電話を繋ぐ。
「もしもし、トキワです。成宮鈴子様ですか。ええ、先ほどの件ですが…良かった。馬渡くんはそちらにいらっしゃるのですね。我々も今から学校に向かいますから、彼を連れて校門前まで来てください。なるべく急ぐよう…ええ、お願いします。」
トキワは一通りの連絡を終えると、自らも足早に学校へと向かった。その焦燥の歩幅に懸命に合わせようと、咲も不安げに後を追う。
「トキワ、しっかりしてね。」
「…ああ、正気さ。」
続