音喰う薇 上
グロテスク:★☆☆
悲しい :★☆☆
恋愛 :☆☆☆
「まさか都会の子どもにこいつが憑くとはな。」
トキワと咲は依頼者の家に向かいながら、被害者の写真を眺めていた。写真には、少女の横顔が写っている。驚くべきは、その少女の耳を塞いでしまうほど大きく渦を巻く植物が、耳の穴に付いていることだ。
「これ、オトクイなの?」
「…信じがたい大きさだが、何もかも、異例だからね。恐らく…、ああ、着いたようだ。降りよう、咲。」
立ち上がり手を繋ぐ咲のつむじが、いつもより少しだけ近く感じる。その事実に、やはり彼女は人間の子どもとは違うのだと気付かされ、少しばかりの寂寥が胸の内に滲んだ。
依頼者の住まいは、ごく一般的な2階建ての家だった。咲はトキワより先にと早足で玄関に向かうと、背伸びをしてインターホンを押す。振り返って勝ち誇ったように笑う咲の子どもらしさに、トキワはどこか安心し微笑みを返した。
「…はい、蔭山です。」
「どうも。天草多々良の研究所から参りました者です。」
「まあっ、今行きますっ。」
インターホン越しに聞こえた声の主が、どたどたと慌ただしく玄関に近付いてくるのが分かる。扉が開いて現れたのは、反して上品そうな女性だった。
「お待ちしておりました。どうぞ、中へ……、あら、ええと…、その子は?」
「ええ、ええ。彼女は、相棒…まあ同僚みたいなものです。お邪魔します。」
「こんにちは。おじゃまします。」
「あ、ああ…お上手ね。どうぞ。」
依頼者は同僚と呼ぶには幼すぎる咲に驚いていたものの、その礼儀正しさに診察の邪魔にはならないだろうと快く咲も中へ招き入れる。扉がバタンと閉まれば、リビングからと思われるテレビの音だけが空間を支配した。
「今日は先生がいらっしゃいますから、真子もリビングへ呼んであります。今はテレビを見させていますの。まあ、もう殆ど何も聞こえませんから、会話をするにも筆談ですけれど。」
外からの風で、白いカーテンが靡いている。リビングは一家の心の内と相反するように明るかった。その部屋のほぼ真ん中に位置するソファに、咲より少しばかり大きいと思われる少女が深く腰掛け、テレビをじっと眺めている。
「何も聞こえない、と仰いましたが、どの程度のものなのか、確認させていただきます。本人の耳の事となりますと、聞こえないフリをする事も不可能では無いですから。」
「まあ、真子が嘘をついているって言うの!?現に、あの子の耳には変な植物が引っ付いて取れないのよ!?」
「まあ、まあ落ち着いてください。」
「……マコ。きこえるの?」
咲の真子への問いかけに、トキワと依頼者は一斉に真子を見る。すると彼女は、悲しそうな目で此方を見ながら、耳を塞いでいた。しかし、咲からの問いは聞こえなかったのか口を開かない。トキワはメモ帳を取り出すと、『おどろかせてごめんなさい。今の会話が聞こえましたか?』と書き、真子に見せた。
「……いいえ。聞こえません。」
「じゃあどうして、先程耳を塞ぎましたか?」
彼女は口からの問いかけには器用に答えず、唇を動かすだけのトキワに首を傾げる。しかしトキワには、それが演技だとはとても思えなかった。
「奥様、少し真子さんの聴力の状態を確認させていただきます。真子さんも奥様が見られていると緊張してしまうと思われますので、宜しければあちらで待っていていただけると。」
「……分かりました。」
依頼者は頷き、トキワの指し示すダイニングの椅子の一つへと腰掛ける。トキワは真子ともう一度向き合うと、メモ帳に『今からあなたの耳がどの程度の音を拾えるか、確認します。ぼくの声が聞こえたら、ぼくの方を向いてください。理解出来たら、前を向いてください。』と書いて、彼女の斜め後ろに回った。真子はそれに応じ、テレビを消して部屋を無音にする。テストを始めてみれば、驚くほどに彼女は声を聞き取る事が出来ないようだった。
「…これは。予想以上だ。」
「っ、先生!真子の耳、治りますよね?」
素で漏れたトキワの呟きに、耐え難い不安で依頼者が立ち上がる。トキワは無意識に彼女を不安にさせてしまった事を申し訳なく思い、それから冷静に口を開いた。
「ええ。しかし、今回の一件は何かと異例でして。今までの対処法が効くのかも分かりません。少し、お話をお聞かせいただけますか。」
「……はい。それでは、真子は部屋に戻します。」
「サキ、マコとあそぶわ。」
「頼むよ。」
咲はトキワからメモ帳を受け取ると、『おへやでいっしょにあそぼ』と子供らしい字で書き、真子に見せては手を引く。真子はそれに嬉しそうに応じて、トキワも安堵して微笑んだ。
子どもたちのいなくなったリビングで、トキワと依頼者はソファに並んで座り、テーブルに資料を広げる。
「恐らく真子さんの耳に憑いているのは音喰という、生物に寄生し音を喰う怪華です。別名、耳付薇。これは、耳に寄生して暫くはとても弱く、大きな音を浴びると死んでしまうので、静かな農村や森林で見られます。これが、異例と言った理由の一つです。音の混在する都会では滅多に、いえ、見た事がありません。
そして、音喰の大きさはうずまきの部分が直径3センチ程であるものが一般的です。しかし、真子さんの耳の音喰にはおおよそ10センチ近いうずまきが見られますね。これが、異例と言った理由の二つ目です。」
「音を…食べるですって?さっぱり分からないわ…。」
「ええ。僕らも詳しく解明出来てはいないのです。音は空気の振動ですから、どうしたって普通の生物は音を食べて成長することは…いえ、音を口に含むことすらできません。しかし、この怪華は寄生した生物の音、聴力を徐々に奪っていきます。真子さんに至っては、今は聴力を完全に失っていると言っても過言では無い状態です。そして、耳の穴に根を張り、成長している。水も、日の光も“あれ”にはいらないのです。これを、僕らは音を食べて成長していると表現しているのです。」
トキワの丁寧な説明でも、依頼者は頭を抱えるしかなかった。トキワも、こういった生物がいるという事実を受け入れられない限り理解するのは不可能であり、彼女がこの生物を理解することは恐らく出来ないであろうと察する。
「…そうですね。まあ、結構。いくつか質問をさせて下さい。最近、真子さんを連れて静かな森や地方の農村へ向かわれましたか?」
「…ええと、そうね。二週間ほど前かしら。少し…家の都合で三日ほど、里帰りしましたの。実家は自然に囲まれた、とても静かな所にあります。真子にはあまり遠くへ行かないように言ったのですけど、あの子ったら泥だらけになって帰って来て…。私には、あそこが都会にあるものが無い場所だった。でも、あの子にとってあそこは、都会に無いものがある場所だったのかもしれないわね。」
「誰しも、無いものを追い求めるものです。…真子さんは、どうやらそこで音喰を憑けてきたようですね。そして、此方へ戻ってきた。都会の喧騒を餌に一般的な音喰より大きく育つことは頷けます。しかし、三日の滞在で大きい音を餌に出来るほど成熟出来るとは考えられません。音喰に、…あのゼンマイに気付いたのは、いつ頃ですか。」
「…確か、一週間前です。髪で耳が隠れていますし、耳なんて滅多に注意深く見ないじゃありませんか。それにあの子…自分じゃ何も言わないの。だから、確実に気が付いたのは、髪を掻き分けるまでに成長したそれを目の当たりにした時です。」
「ええ、ええ。しかし、真子さんは着実に音を聞き取りづらくなっていたでしょう。その点で気付く事は?」
「……っ私の、私の管理不行き届きと言いたいんですか!言ったでしょう、あの子本当に何も言わない子なの!私を責める事で真子の耳は治るんですか!」
少しでも情報を引き出せないかといくつか質問をしていれば、それにいつしか追い詰められた依頼者が声を荒げた。どうにか宥めねばと、トキワは頭を下げる。
「いえ、申し訳ございません。先程述べました通り、今回の件は異例なものですから、情報を提供いただければより安心、安全な方法で取り除く事が出来るかと。…それに、…彼女の耳に憑いているのは、怪華…。心に触れる妖者です。」
「ええ、ただの植物では無いのでしょう?それは何度も聞きました。」
「はい。音喰の多くは、長閑な農村や森林で一生を過ごします。その性格は怪華の中では温厚と言え、寄生した生物との共存を望むのか、音を完全に喰らい尽くす事は無いのです。根も浅く、薬を塗れば簡単に剥がれ落ちます。僕が危惧しているのは、都会の喧騒をいっぱいに蓄え、あれが悪しき妖者へとなっていないか、ということ。これはあくまで仮説ですが、異例の案件ですので視野に入れておいて下さい。まあ元が音喰ですから、一日でどうこうということは無いでしょう。研究所に問い合わせて、この怪華についての情報をもう少し集めてみます。今日は…、?」
トキワが一通りの説明を終え、テーブルに広げた資料を纏め始めたその時だった。まるで白金の風に靡く木漏れ日のような、優しい歌声が微かに聞こえてくる。思わずトキワも口を噤んだ。
「…真子の歌ですわ。……今日はいろいろと、ごめんなさい。今呼んでまいります。」
依頼者も娘の歌声に少しばかりは気を落ち着かせたのか、トキワに謝罪の言葉を述べると、二階へ二人を呼びに向かう。トキワは一人になったリビングで、物憂げな少女の写真を見つめていた。
「トキワ。サキ、きょうはマコのいえにおとまりするの。」
「は!?」
リビングへ戻って来た二人はすっかり仲良くなっていて、手まで繋いで微笑んで言ったその言葉に、トキワは驚いた。
「いや、咲。ご迷惑になるから、帰るよ。」
「ちゃんと、オトクイのこと、しらべるわ。そのために、のこるの。トキワにできないから、サキがやるの。イチニチくらい、さみしくてもガマンなさい。」
「いや、いやそうじゃなくて。」
「お母さん。咲ちゃん、お家泊めたいよ。お願い。」
咲がまるで自分が彼女と離れることを寂しがっているかのように言えば、トキワは引きつった顔で否定する。しかし真子までもが、母親に咲を宿泊させるよう強請った。普段ものを言わない娘の願いに、依頼者も首を縦に振るしかない。そして納得のいかないトキワへ微笑んだ。
「何もない家ですけれど、宜しければ咲ちゃん、一日お預かりさせて下さい。真子も、最近家に篭りっきりですから、同年代の子と遊びたいんだと思います。」
「ですが……」
依頼者の優しい言葉を聞けど、トキワには不安が残る。普通の娘を外泊させるのとは違うのだ。しかし、依頼者は紙とペンを手に取ると、『良いよ』と書いて二人に見せてしまった。喜ぶ無邪気な少女たちには、もう大人の言葉など届くはずもない。
「……分かりました。宜しくお願いいたします。…咲、良い子にするんだぞ。」
「だいじょうぶよ。……マコのうた、きいた?おいしいオト。なにかある。オトクイ、いいこだから、アンシンして。」
「え…?」
トキワは耳打ちする咲の言葉に詳しく聞き返そうとしたが、彼女は既に真子の元へ駆け寄っていってしまった。それに少しばかり寂しいと思っては、咲の言葉もあながち否定できないと悲しげな笑みを零す。見送りをと申し出る依頼者に優しく断りを入れると、今一度咲の事を頼みトキワは蔭山家を後にした。
続