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哀求む菫

グロテスク:☆☆☆

悲しい  :★★★

恋愛   :★★☆

「お待ちしておりました、先生!」

今回の依頼者は、一部の地域では名が知れ、今後を期待されているアーティストだった。先生と呼ばれるむず痒さに、トキワは顔をしかめる。

「助かります。皆さん、この風貌を見てすぐに気付いてくださる。いやしかし、先生と呼ばれるのは中々、慣れませんね。依頼者の斑鳩様でお間違いないでしょうか。」

「こんにちは。」

「ええ、はい。おっと、可愛いお子さんですね。こんにちは。お若いですけれど、優秀と話に聞いていますよ。先生と呼んで相応しいでしょう。まあ、そんな事はさておき、急いでください。蔦の侵食が著しい。」

慌ただしい青年にトキワも調子が狂うものの、勝手に歩き出す彼に今は着いて行くしかなかった。咲も大人の歩幅に戸惑いながら、懸命に二人の後を追う。

「ええと、問題の場所までまだ距離があるならば、経緯と現在の状況をお聞かせ願えませんか?」

「はい。後江由香里…。僕の恋人なのですが、彼女の住まいが突如、蔦のようなものに覆われてしまったのです。彼女はアパートの一室に住んでいるのですが、そのアパート全体が蔦に覆われるならまだ分かりますでしょう。しかし、それは彼女の借りている部屋だけに起きた事なのです。由香里に何度か電話をしたのですが、応答はありませんでした。彼女の友人やご両親に話を伺ったのですが、其方にも何の連絡も無いようなのです。彼女はまだきっと、部屋の中にいます。大家さんに連絡して、一時扉の蔦を撤去してもらったのですが、すぐにまた蔦がドアを覆ってしまう始末でして。これは普通の蔦ではないと、先生にご連絡差し上げたのです。」

「ほう。彼女の心理状況さえ分かればこの場でも絞る事が出来るのですが、蔦状の怪華というだけではいくつも当て嵌まりますからね。まあ、百聞は一見に如かず。様子を見てみましょうか。」

「そうですよね。話だけでは、何とも理解し難いでしょう。何せ、直接見た僕ですら、全く理解出来ていないのですから。

着きました。此方です。一階の、右端の部屋。ああ、また増えている!」

男の指差すその扉は、確かに蔦が乱雑に絡みつき手を付けられない状況になっていた。トキワはその蔦に優しく触れる。

「怪華の成長は、被害者本人の感情に大きく左右されます。此処の家主と直接話す他ありませんね。強行突破します。」

トキワは荷物から液状の薬品を取り出すと、依頼者や咲に一歩下がるように言ってそれを扉に撒いた。すると、蔦は悲鳴のような音を上げ萎れていく。手袋を嵌めた手で萎れた蔦を掻き分けると、漸く扉がしっかりと姿を現した。

「除草剤、ですか?」

「いえ、もっと即効性のあるものです。怪華専用のね。…鍵はかかっていないようです。行きましょう。」

ドアノブは何とか捻る事が出来、そのまま力を入れてドアノブを引けば、ギイッ、と何年も開かれていなかったような音を立てながら扉が開く。すると、まるで蜘蛛の巣のように無数の蔦が部屋中に張っていた。その所々には紫の小さな花が健気に咲いている。

「ツタに、スミレ…?」

「成程。この怪華は、悲吸(ひすい)です。」

「いやあ、ヒスイでは無いかと…。」

「翡翠ではありませんよ。これは怪華です。普通の花と違います。別名、涙舐菫蔓(るいしきんかずら)。宿主、つまり後江様の悲しみを吸って育ち、大きくなれば宿主ごと体に取り込みます。それを繰り返し、成長する。状況はかなり深刻ですね。斑鳩様は何か、心当たりはございませんか。」

「そんな、では由香里は…!…悲しみ、を?心、当たり…。いえ、何も。」

「手掛かりが無いのでは、彼女の救出は大変困難になります。」

依頼者が俯き首を振るなら、トキワは考え込むように顎に手を当て厄介者に目を向ける。

「あのう、蔦を先程のように、枯らしてしまえないのですか。」

「じょうきょうは、かなりしんこく。トキワがそういったでしょ。ツタは、あのコのココロにまで、ふかくネをはっているわ。いわばこのコとあのコは、いまイッシンドウタイなのよ。」

咲がそう指差した先は蔦の密度が高くなっており、その中心には白く美しい女性の眠り顔があった。咲のような幼子にたしなめられる屈辱より、依頼者は愛しい恋人の哀れな姿に焦燥する。

「由香里!先生、先生っ。俺はどうしたら良いのですか!由香里は、どうしたら助かるのですか!」

「感情は被害者である彼女のプライバシーに関しますので、黙秘の分多少請求額は跳ね上がりますが、本当は除草だけでも済む話でした。しかし、咲が先程言った通り、怪華と彼女の心は一心同体と言って良いほど、深く絡み合ってしまった。彼女の意思で悲しみを断ち切り、怪華を切り離す他ありません。斑鳩様、本当に何もご存知ありませんか。些細な事で構わないのです。落ち込んでいたり、思い詰めたような表情をされたりしていませんでしたか?ここまで深く絡み合ってしまったのには、大きな理由があるはずなのですが…。」

依頼者は口を結び、汗ばんだ手をぎゅっと握りしめた。彼女を助けたい気持ちと何かがせめぎ合い、葛藤しているのであろう。

その時、沈黙を携帯の着信音が破った。

「っ……」

「どうやら、斑鳩様のお電話のようです。出て頂いて構いませんよ。

っ!蔦が…!」

着信音を確認するも、なかなか出ようとしない依頼者にトキワが声をかける。すると、部屋が地震のように小刻みに揺れだし、急に蔦が成長を始めたのだ。

「電話の音に、手掛かりが…?でも、このままでは侵食をいたずらに早めてしまうだけだ…っ。」

「かして!もしもし。」

「あっお嬢ちゃん!」

「咲!」

この携帯の着信音が唯一の手掛かりになり得たものの、このままこの音を鳴らし続けていては蔦の大幅な侵食は免れない。トキワがどうにも動けずにいると、咲が依頼者の携帯電話を奪い、勝手に電話に出てしまった。相手は若い女性のようで、突然聞こえた幼女の声に驚いている。

『あら、お嬢さん、誰?サトルに代わってちょうだい。…もしもし?もしもし!』

「イカルガ。マユミって、だれ?」

咲の口から出た女性の名を聞き、依頼者は息を呑んだ。明らかに動揺している様子の依頼者に、トキワは彼女の悲しみを知り、咲に電話をスピーカーにするよう指示する。

「斑鳩様。全ては貴方のご決断により決まります。もし貴方の選択で後江由香里様がこのまま怪華に…、いえ、悲しみに呑み込まれてしまおうと、それは貴方の責任にはなりません。自然災害による事故として処理されます。もう、彼女には僕らの声は届かない。恋人であり、悲しみの発端である貴方の声しか、今の彼女には届かないのです。」

再び部屋には沈黙が続いた。状況を把握しきれない電話の向こうの女性だけが、依頼者を責めるような口調で呼んでいる。

「お嬢ちゃん。電話を、返してくれるかい。」

咲は依頼者に携帯電話を返した。依頼者は小刻みに震える手でそれをしっかりと受け取る。

「真由美、ごめん。俺にはやっぱり、お前を選べない。これからもファンであってくれなんて、言わない。お前が顔も見たくないって言うんなら、アーティストとしての活動も止める。…失いかけて気付いたんだ。馬鹿だよなあ。こんな事になるなんて、思いもしなかった。俺の、ほんの少しの気の迷いで、由香里が死んじまうかもしれないなんて。」

電話は女性側から一方的に切られた。いくら浮気と言えど、自分との関係を気の迷いと言われるのは屈辱的であったのだろうと依頼者も心を痛める。しかし、そうとまで言わなければ自分も、彼女も踏ん切りが付かなかっただろう。

「そう、ほんの、気の迷いだった。仕事が上手くいっていて、有頂天だったんだ。今まで俺に見向きもしなかったような煌びやかな奴らが、こぞって俺に(たか)ってきた。…皆、やってる事さ。

容易に手に入ったんだよ。寧ろ、懐に入り込んできたと言うべきか。懐に埋まる誘惑に勝てるわけが無かった。…いや、勝ててこそ人だ。動物を見下す、高等生物だ。」

うすら笑いを浮かべる彼に、一本の蔦が意思を持つ生き物のように伸びてきた。それはするりと頬を撫で、依頼者は恐怖に身体を強張らせる。トキワたちも動く事すら挑発になりかねず、それを見守るしかなかった。

「……聡さん。私は、貴方の作品が好きよ。大丈夫。見た人、聴いた人全員が好きになるようなものは存在しないの。どんなに立派で、どんなに大勢の人に愛される作品だって、嫌いな人はいる。人気なんて、統計的な結論よ。それなら、出来るだけ沢山の人に見て、聴いてもらえる作品にしたらいい。きっと、沢山の人が貴方の作品を気に入るわ。今はまだ、日の目を見られないだけなんだから。」

「…由香里?」

それは、交際を始め半年が経とうという時。まだ彼が無名だった頃、彼女が言ってくれた言葉だった。それにどれだけ支えられた事だろうか。思い出し彼女を探しても、目の前に広がるのは入り組んだ蔦の迷宮と、残酷なまでに健気なスミレの花ばかりだ。

その一本の蔦の先が、僅かに窓から差し込む日に一瞬ばかり、きらっと光る。

「な、なんで…、なんで、お前が持っているんだよ!それはっ、俺が由香里にあげたものだ!なんでお前が…、っ!」

それは、銀の指環だった。こんな自分をずっと見守り支えてくれていた彼女を繋ぎ止めておきたいと、タガのように彼女の薬指に嵌めたもの。そして、それを彼女は片時も離さず持っていてくれたこと。その蔦が伸び動く様子がまるで指のように繊細で、彼女は既に彼の声さえ届かぬ所へいってしまったのだと悟った。

「今の貴方がここにいては危ない。手持ちの薬剤ではもうどうにもなりません。一旦外へ。」

唖然とする依頼者を半ば引き擦るように外へ誘導する。扉を開ければ、外へ出て更に成長しようとする悲吸を中へ押し込み、無理矢理扉を閉めては鍵を掛けた。あまりに大きく育ち過ぎた怪華を目の当たりにし、トキワの表情にも焦燥が伺える。

「明日までに、駆除の準備を整えます。それまで、此処には近付かないで下さい。大家さんにも話をつけておきます。…貴方も見た通り、もう後江由香里様はいません。大きすぎる餌を頬張って肥大した、化け物だけです。あれはもう、宿主の体ごと駆除するほかならない。…手遅れになってしまった事は、大変申し訳無く思っております。ですからせめて、今の彼女にとって…最善の策を。」

依頼者はその言葉に返事をしない所か、その日のうちはそれから一言も話さなかった。




翌朝、研究所から強力な除草剤と数人の研究員が送られ、早急に怪華の駆除が始まった。咲とトキワは、宿泊施設で結果報告を待つ。いつの間にかどんよりと暗雲が立ち込め、地球の瞼を閉ざした。

「すごく、くるしいのに、おいしいくうき。やっぱりサキは、おかあちゃまのこどもね。」

「…え?…ああ、咲。見えられたよ。お疲れ様です。駆除の方はどうですか。」

咲の様子に、トキワは一抹の不安を感じる。その時、駆除の報告に研究員がやって来て、咲が気がかりではあったものの、彼を優先的に室内へと迎え入れた。咲は窓に額を当てて、灰色の庭を見ている。

「…ええ。えっ。部屋の扉が?いえ、依頼者様からお借りした鍵でしっかりと。…っ、そんな。」

研究員から告げられた言葉に、トキワはただただ驚くしかなかった。いや、本当は驚くべきでは無かったのかもしれない。それは、起こり得た事だった。

研究員によると、部屋の扉は閉まっていたものの、鍵は掛かっていなかったそうだ。怪華の知能からすれば、ドアノブを捻り外へと出る事は可能であった筈だが、蔦は中で成長を止めていた。そしてその代わり、中では蔦に埋もれるように、一人の男が息絶えていたと言う。トキワがその男の詳細を聞けば、それは紛れもない、依頼者の斑鳩聡であった。

研究員は最後に、午後には息絶えた怪華の撤去にあたるとトキワに伝える。彼がひとしきりの報告を終え立ち去ると、部屋には静寂が広がった。

「…シンジュウ。」

「ん?」

「どうして?いまさら、おったってつかまるものじゃないのに。うしなってきづくこと、なんどもうたわれてきた。ヒトはどうしてまなばないの?」

「…さあ。でも、時期に忘れるさ。失った悲しみも、愛おしさも、何もかも。

…彼は、そんな救済を受け入れたく無かったのかもな。」

ぽつ、ぽつと小さな雨粒が窓を叩く。外に出るのは、酷く億劫だった。

彼女は今も泣いているのだろうか。しとどに濡れる庭を見て、トキワはひっそりと胸中呟く。地球が祈り、空が涙を捧げても、彼らの心が触れ合うことは、叶わなかった。




哀求む菫 完

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