冒険者という兵隊2 ギルドに所属する兵士
ギルドに所属する冒険者は、国に所属する兵士に比べて、どのような点で有利であり、進歩していたのでしょうか。
前回は装備について書きました。
要するに武器には利点欠点があって、運用方法によって浮き沈みがあるという事でした。
魔法が存在する世界なので、相手の動きを鈍らせる魔法や必中の魔法などがあったりすれば、さらに状況が変わっていくことでしょう。
技量の程度にも影響されるでしょうが、個人だけで活動するとリスクが大きいようで、冒険者達は何人かのパーティーを組んでモンスターと戦っています。
彼等は決まってパーティーを組んでいますがその内容はまちまちであり、決まった編成というのは存在していないようです。
そこで今回は冒険者の標準的な装備と編成について、史実を参考にして考えていきたいと思います。
--散兵戦術への変遷と条件--
重装備の戦士に素早い盗賊、守られることが大前提である弓兵や魔導士という、多様な職業が少数ずつでチームを組んでいる場合は多いでしょう。
よく考えてみればこれは現代の歩兵と同じ構想であり、あまり詳しくは知りませんが、映画や漫画で見る特殊部隊と同じように見えます。
冒険者という兵士は現実世界の歴史と比べると異様に進歩しているようです。そうならざるをえない状況と、その条件を満たす環境が揃っていたのかもしれません。
これまでに述べてきましたが、封建制度の上に成り立つ社会では国という概念が希薄です。
自分や家族の命、土地、主人の命令が優先されるのであって、集団の為の犠牲という考えを持ったものは稀でしょう。土地は個人の努力によって保たれるものではなく、主人の努力によって守られるべきものなのです。
それゆえに戦争に参加しても一般兵の士気は低く、それぞれが独立した目的意識をもって敵に立ち向かうという事は期待できません。
中世という環境では歩兵による散兵戦術はただ逃亡兵を増やすだけであり、効率的な用兵ではなかったでしょう。
散兵戦術を用いた国家は複数あるし、それぞれで意味合いが変わってきます。大体は密集陣形を崩すために飛び道具で攻撃を加える役目を持っていたようです。
1800年頃になると再び、少数の部隊が作戦目標に向かって能動的に戦闘活動を行うようになりました。この戦術が再び台頭してきたのは、複数の理由が挙げられます。
一つ目は密集陣形の効果が薄れてきた点です。これにも以下に述べるように2つの理由があります。
戦争の大型化に伴い戦争に参加する兵隊が増えてきました。大体5000を超えると指揮の伝達スピードに問題がでてくるようで、正確な指揮を与えることが難しくなってしまったのです。
また開拓が進み、畑やあぜ道があるところが戦場になることが多くなったため、整然と陣形が組めなくなりました。
二つ目の理由は、時代が進むと国民という概念が生まれ、国のために兵士が能動的に戦争に参加するようになったということもあります。これによって監視の必要がなくなりました。
少数でも十分な効果が望める銃器を軍部が取り入れ始めたという事も影響します。
マスケット銃は発砲までの手順が複雑で号令によって運用されていました。加えて、命中率も射程距離も低かったので、直立した兵士をずらっと並べて一斉射撃しなければならなかったのです。対して新しい銃は、扱いの難度が下がったことで自由な運用ができるようになりました。銃の精度が上がるにつれ、直立して整列する陣形は逆に不利に働いたことでしょう。
これらの点を満たしていった結果、ほぼすべての兵士が散兵になっていきました。
--冒険者の思想--
逆に言うと散兵戦術を採用するには装備が充実しており、思想が整っている必要があるということです(外敵に対応するために最も効率がいい方法が散兵戦術らしい、という問題はここではクリアしたものとします)。
つまり冒険者はそのような存在であると考えられます。
冒険者経済の頁で、どうやら冒険者は商人や職人系列のギルドから派生したのかもしれない、と書きました。
一方でどういう契約を結ぶのかは分かりませんが、冒険者ギルドは商工ギルドと違って、帰属意識を高める、仲間意識を高く持つというような描写はあまりありません。
自由に生きる冒険者は割とドライな性格であるらしく、仕事さえこなせば、という描写をされるギルドは多いように思えます。
如何なる要素があれば中世において、このような思想を得られるのかはまだわかりませんが、冒険者は危険を顧みず魔物討伐に身を投じます。
しかしその中で味方を守るという発想は、少数編成の軍にとって必須です。
裏切り裏切られが常であれば、自ずと装備や戦術は限られてしまいます。そういう意味でギルドや国という概念の登場は現実世界より早く、結束力もより強かったかもしれません。
大型生物を討伐する際には連携は必須であり、太古においては狩猟によって統率する者が現れたという背景があります。
戦い続ける中で、冒険者は統率者を生み出して独自の指揮系統、団結意識、実力主義の気風を作り出すことに成功したのでしょう。
--冒険者の装備と調達元--
次に装備についてはどうでしょうか。
軍隊に使われる装備品は国から出ます。
そして装備品を作る工房も、比較的最近まで軍隊が持っていました。これを工廠、造兵廠といいます。
中世の騎士が鎧をどこで調達していたのかは分かりませんが、その技術の秘匿状況を見るに、おそらくは領主御用達のお抱え工房があったのではないかと思います。
これには大きな問題があります。柔軟性に欠けるのです。
例えば銃器の進歩には色々な問題がありました。後で詳しく書きますが、ライフル銃の開発後、本格的に採用されるまでには大きなラグがあったのです。
上層部が新しい技術に対して懐疑的であったからです。反対に大砲は指導者が興味を持ったために急速に開発が進みました。
我々がイメージするコンペや入札といったシステムは、だいぶ後ろになってから取り入れられた方法です。大体1800年代後半でしょうか。イギリスの戦艦に関する開発競争にまつわる話です。
信じがたいことですが、兵器の発展は国や軍部が本腰を入れるまでは止まったままなのです。
一方で商人や職人出身の組織であれば、技術の取り入れるスピードが早いという利点があるのではないでしょうか。
開発競争も頻発するでしょうし、評判のいい装備、技術は積極的に取り入れられ、フィードバックも滞りなく行われるはずです。開発の助けになれば、ある程度の融通は冒険者に対して行われるかもしれません。
品質管理を打ち合わせる商工ギルドの存在はそれを阻む要因になるかもしれませんが、冒険者というお客さんは土地に縛られない人種であり、商工ギルドもあり方を変えなければ他ギルドとの競争に勝つことはできません。
大々的な開発競争が行われることが予想されます。装備は硬直した統治者直属の軍隊より進んでいることでしょう。