後書き的なもの チラシの裏
せっかく完結させることができたので、もう少し語らせてください。本来はチラシの裏にでも書いとくべきものなので、ここはチラシの裏です。
長い時間を経たうえでこのページを開いてくださった方、お疲れ様でした。そしてお付き合いありがとうございました。評価やブックマーク、多くの感想をいただけ、非常に感謝しております。
後書きからよんでやろうという方、再びこのページを開いていただければと思います。
だらだらと思いつくままに、時折ネタをもらいながら書かせていただきましたが、気が付けば7か月で22万文字という結果になりました。考察ものとはいえ、エタることなくここまで来れてほっとしています。
なろうの設定考察ものの中という狭い範囲、かつ一貫した話題、姿勢を見せない、見えないという欠点がある本小説ですが、おそらくもっとも長く規模の大きなものになったのではないかと思います。
自分じゃ書けないけどこんな話がよみたいな、というネタをまとめて投下したらだれか書いてくれるかも、という他力本願な思いもあって書いていた本小説ですが、結果的に色々な考察ができて、私としては満足しています。
2、3回の完結を挟んでの今となりますが、今度こそ長期連載再開、という可能性を潰しての完結です。まだネタがあればいただきたいし、書いてみたいとは思いますが、そうそうないんじゃなかろうか、というほどには書いた気分です。
しかし思い返してみると、一体この考察で言いたいかったことは何だったのか、ということすら、はっきりしていません。どこが山場だったのか、読むべき話は、おすすめは、と言われても、首をかしげることしかできなかったりします。
そこで、後付けでもなんでもいいから、いまからこの考察を通して思ったことを書かきたいとおもいます(やはり見切り発車)。
まず、一番の主軸となるのは異世界シミュレートです。
モンスターや冒険者などの異なった環境と、封建社会の誕生などの社会形態の収束は、どちらが勝利するのかということは、ファンタジー世界を創る上では大きな要素だと思います。
本小説の大きなテーマはこれです。そして結局、多くの考察はこの問題に帰結することでしょう。
魔法があるとして、様々な事柄に影響を与えて我々が知る中世とは全く違う中世が出来上がるのか、それとも似たような中世の中に魔法が上手く溶け込んだ中世ができるのか、ということは興味深い問題でした。何に気をつけて世界を作らなければならないのか、という考察も様々な要素、角度からできたのではないかと思っています。
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ここからは言い訳、開き直り、謝罪、宣伝を一連の流れにした厚かましい話になります。
思う、気がする、可能性がある、かもしれない、だろうといった言葉が頻発してしまった事に対しての言い訳なのですが、決めつけたくないという意志が前に出すぎたためだ、とさせてください。自分が書いたほとんどすべてのことに簡単に反論が思いつくため、言い切ることができなかった、という事情もあったりします。
いつか書きましたが、なにしろ大多数の人は物事を額面通りに受け止める嫌いがあります。冗長に書かず伝えたい事を表現するには、私の腕前では、かもしれませんよ、と提案するにとどまるというスタイルを取ることしかできませんでした。
書いてあることを知ってもらう事が本小説や他の短編の目的ではないのです。何度も書きましたが、こんなふうにも考えることができますよという事を示し、新しい角度から考えられる可能性、必要性がまだまだあるということをお伝えしたかったのです。
その結果何一つはっきりとした意見は出すことができず、はじめに、で既に予想していたことではありますが、すべては幻想の中、という小説になってしまったことをお詫び申し上げます。
そんな本小説ですが、いいなぁと思うネタがもしあれば、どうぞご自分の作品で使ってやってください。ただその時は、もしよければこの作品のことをでちょろっと宣伝してくれたら嬉しいです。そうすれば、他のネタでだれかがまた書いてくれる可能性が増えるわけです。さらになろう的な利点といえば、嫌われがちなテンプレやチート物が少し減るかもしれません。
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さて、盗作や二次創作に厳しいこの世の中ですが、欧州芸術に身を置く私個人としては、随分狭苦しい創作環境だなという感想を持ってしまいます。
いやもちろん倫理的にも法律的にも盗作はいけない事ですが、模倣で発展していくのが芸術ですし、同じ時代地域に身を置いていたら作風は似てこないわけがないので、私個人としてはそういった意識もあるわけです。とはいえ、テンプレという模倣作品が溢れることはあまり歓迎されていないようで、文学はまた事情が違うのかもしれません。
歴史なら不謹慎でなければ、いくら模倣しても怒られません。これは歴史の大きな利点です。
でもドイツの歴史をウィキペディアで開いたら膨大な情報量がでてきます。年代もごちゃごちゃしているうえに前後してるし、外国人の名前なんて覚えにくくてやってられません。なにせドイツの歴史、というと、学者たちはさてドイツとはどこから始まったのか、などという議論から始めるのです。
そんなことは我々には一ミリも役に立たないはずで、歴史書から知りたいことを学ぶというのは、釣りと同じくらい根気と工夫と時間がいることでしょう。
そこで本小説を書いてくうちに、そこをなんとかできば、と思い始めました。もし狙い通りに本小説がアイディアの釣り堀になっていれば嬉しく思います。
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また、これは話半分に読んでいただければと思うのですが、各時代ごとの一番初めの戦争の始まり方は、いつも異なっているのではないか、という点は注意しなければなりません。本小説がここまで文字数を伸ばせたのは、色々な戦争に特筆すべき点があったからです。
どの戦争も、「今までにない規模、今までにない様相を呈していた」のです。今の社会は第二次世界大戦の傷跡を気にしながら、それに関わる物を避けていれば大丈夫だとでもいわんばかりの反応を示しています。しかし、次に起きる戦争は"各時代ごとの一番初めの戦争"に相当するのです。今までにない、新しい形で戦争に突入していく可能性は非常に高いといわざるを得ないでしょう。よく言われることですが、歴史を見ることは、未来を見ることでもあるのです。
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最後に、少し前に活動報告でも書きましたが、参考文献を載せておきます。
戦争の世界史(上・下) ウィリアム・H・マクニール著 高橋均訳 中央公論新社出版
歴史的な事柄の前後を非常に有機的に解説した良書であり、一次元的な歴史知識を脱却させてくれる本です。事実だけを並べるというありがちな歴史書ではない、という時点で一読の価値があると思います。翻訳物で少し読みにくいのが残念な点ですが、おすすめです。
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今後は短編はもちろん、いつになるかわかりませんが、やっぱり物語を書いてみたいとも思っています。そして書くとすればおそらく中世ファンタジーものではなく、近代ファンタジーものでしょう。
改めて、読了していただいた方、ブックマークや評価してくださった方、宣伝してくださった方、素敵な感想やネタ、意見をくださった方、本当にありがとうございました。
もしまたお会いすることがあれば、その時もよろしくお願いいたします。
それでは失礼します。
2016年12月 走るツクネ
長々と失礼しました。