火の魔法について ルーツの考察
火の魔法と銘打ちましたが、ルーツと行く末について、考察しなおしたものになってます。
火の魔法は定番中の定番として扱われています。
四元素の中ではおそらく、一番手に入れるには困難な物質です。
それが定番になっているという事は、火を容易に出現させるということが、いかに日常とはかけ離れているのか、という事を表しているのでしょう。ありえないこと、の象徴になっているのです。
火はあらゆる地域で信仰の対象として存在しています。その特性上、生命、死、力、正義などといった意味づけをなされてきたからです。魔法としてみた場合も、これらの性質が付与されているのが見て取れます。
他の魔法と比べて、火の魔法は派生する属性がありません。炎や焔、紅蓮や火炎など様々な呼び名があるものの、単純に物を燃やすという点に集中しています。
生物を構成する物質が熱に弱い以上、攻撃魔法としてみるのならば単純に威力を発揮しやすいという事なのでしょう。
また火の扱いは、現実世界の歴史でも最も根本的な技術です。
この頁では火の技術に焦点をあて、魔法のルーツについて再度考察します。
【火のルーツ】
火を扱うということで、人類は余剰生産を生み出すことに成功した、と考える人は多くいます。
単純に肉を焼いてリスクを軽減する、暖を取るという目的から、器を作る、山を焼き払うなど、様々な事柄に火は不可欠なものであり、妥当な考えだと思えます。
しかし、一説では170万年程も前から、落雷などの自然現象が起こした火を扱っていたといいます。それなのに、集団が生み出されたのはせいぜい数万年前というふうに考えると、火の発見と発達はイコールではなかった、と考え無ければなりません。
一致するのは火を生み出す技術と、文明とよべる集団が現れ始めた時期です。
そして有史以来、火を安定して生み出すために、人は様々な努力をしてきました。火打石によって種火を得る、という方法は古く(1万年前)に開発されています。摩擦式の発火方法は少し遅れるようですが、それでも縄文時代(1万5000年前~2300年前)の中盤には使われていたようです。
摩擦熱という概念がない世の中で、いかにして火起こし器を制作しようと思い立ったのかはわかりません。明言はされていないようです。
いつ魔法が生まれたのかという疑問は、この発火方法の発明に見ることができるのではないかと思います。また、合わせて火の利用に火の魔法が使われる可能性があるかどうかも、考えることができるでしょう。
技術が生み出されるには、まず第一にそれが可能だろう、という情報が必要になります。
例えば火打石などは、石と石を打ち合わせて物を作っている際に、火花を目撃して意外におもったのではないかと想像できます。
摩擦式も同じように、物をこすり合わせた際にどうやら熱くなるようだと観察した経験から、生み出されたのかもしれません。
魔法という概念、つまり魔法というものがあってどうやらそれは有益だろう、という情報を人類が得るにはどうしたらよいのでしょうか。
人間が自ら魔法を開発したという設定を取る場合、ここが一つファンタジー世界の人類黎明期を構築するのに役立つポイントでしょう。
【方法から見るルーツ】
以前、よく見られる魔法の発動方法からいくつかルーツを考えました。
それをもう一度見てみたいと思います。もちろんこれらは発火技術の進歩、例えば「鋼鉄を用いた火打石」のように、すでに進化した段階にあるのかもしれませんが、ここでは置いておきます。
1.体内の魔力を練って、外に放出する方法。
2.呪文を唱えて、望む事象を引き起こす方法。
3.何らかの方法で魔法陣を書き、そこに魔力を込めることで効果を得る方法。
大方この3つの方法に分類されるでしょう。
1の場合、集中してイメージを固めて、魔力を指先に集めて放出する、というような描写がされます。
2の方法ならば文法などの設定があって、その世界にいる神に祈ったり精霊の力を借りて、魔力と引き換えに望む効果を得ています。世界の在り方に干渉して変えていく、という設定をとる大胆な小説もあります。
3の手段はよく召喚や転移などといった、大規模な魔法を使う際に利用されますが、魔法陣が空中に描かれてそこから魔法が飛び出す、という描写は馴染み深いものがあります。
もちろん、複合式をとっている世界もあります。
詠唱と同時に魔法陣が空中に描かれ始め、そこに魔力を集中させていくと魔法が撃てる、という場合です。おそらくその世界では魔法の歴史が長く、十分に研究される環境にあるのでしょう。
これらの方法が、いつ開発されそうか、という話は以前書いた通り(1は瞑想等といった東洋的宗教によって、2は祈祷によって、3は文字の発達や数学、建築などの技術によって)です。
どれも余剰生産がうまれ、魔法使いという技術集団を養えるまでに社会が安定しなければなりません。
魔法は文明の後に開発された、と見るべきなのでしょうか。
【太古での発見の可能性】
魔法の使用方法を見る限り、社会がある程度発達しなければ開発は難しいといってよいでしょう。
とはいえファンタジー世界の様子を見るに、もしモンスターも数万年前からいたとしたのなら、旧時代から魔法を扱えなければ人類は生存競争に勝つことはできなさそうです。
太古に魔法が使える可能性はあるのでしょうか。
大型生物との戦闘中に、偶発的に生み出されるとするのはどうでしょう。
これは実際に戦闘行為に参加したことがないのでわかりません。戦士が命のやり取りの場において、炎の弾を飛ばせやしないかと強く念じるかどうか、という問題になってくると思います。そう考えてしまうとどうも現実的ではなさそうです。
一方で五万年前のネアンダルタール人が、すでに死者を葬るという行為をし、呪術的な様相を呈していただろう、というのは宗教学や考古学の成果によって明らかになっています。
つまり呪術や自然信仰、生と死への興味はずいぶんと昔からあったわけです。
彼等の解釈によって行われる様々な儀式が、偶発的に魔法的な効果を生み出した可能性もあります。
呪術的な紋様が、偶然魔法的な力を帯びて、死体を発火させたら人々はどう思うでしょうか。
魔法という技術を経験則的に扱うことで、少しは文明の始まりが早まる可能性があるし、今の姿に人類が進化する段階で、現実世界とは何らかの変化が生まれてもおかしくはありません。
とはいえ宗教史的には、宗教が発達するには人間の集団の規模自体が大きくなることを待たなければならない、とされています。
つまり単に呪術的な要素が、体系づけられた魔法、呪文、魔法陣などといった、いわゆる技術としての魔法に変わるには、やはり文明が育つまでは待たなければならなかったでしょう。
【魔法神授説の分岐について】
こう考えていくと、魔法が生活に役立つ技術に転換されていない現象に説明が付きます。このような経緯をたどって、魔法が宗教的な意味合いを持つものになったのだとしたら、教義によって禁止されているのかもしれません。
宗教といえば、魔法が神によって与えられたとする、魔法神授説(適当な造語です、すみません)を設定すると世界はどのようになるでしょうか。
この場合、全人類が魔法を使えてしまうと宗教や王政に多大な影響がでるということは、ここまで読んでいただいた方には容易に想像がつくことかと思われます。
神の意志や恩恵というのは、簡単に得られるものではない、というのが現実世界の基本的な考えです。そうであるから、奇跡的な力を持つ(とされる)指導者が力を得てきたのです。
これは欧州に限った話ではありません。諸文明での神官の地位の高さを見れば明らかなことです。
彼等は予知や治癒、雨ごいなどといった、神から授かったとされる超人的な力を持つがゆえに、その地位を保証されているのです。
仮に魔法が一般的に使用されるものだとしたら、彼らはさらに特別な力を神から得なければなりません。
例えば神秘術などがありますが、既に魔法を与えたのになぜさらに神秘術を特別に与えたのか、という理由づけがなされないと、魔法神授説は崩壊してしまいます(とはいえそれは決して難しいこととは思えませんが)。
これは魔法神授説を唱えていて、全市民が魔法を使えている場合です。
では魔法神授説の上で、限られた人間、例えば貴族や神官しか魔法を扱う術を持っていない場合はどうでしょう。
この場合、特におかしなことは起こらないでしょう。現実世界でも、貴族は普通の人間とは違うとされていたこともあります。神官が摩訶不思議なことを起こす、と市民に信じられていた時代もあります。
そのような状況で、さらに魔法が実際に存在していてそれを彼らが独占していたとしても、中世において農民が不満を感じることなどはないと考えられます。
この設定の利点は、近世が終わりに近づく条件の一つに、魔法の開放を設定できる点です。
今まで特権階級にのみ許されていたことが、庶民も享受できるという状況を書きたいときに、では何を開放するか、という点はなかなか思いつきにくいものです。
家電の三種の神器などと歴史では習いますが、そのようなブームが起こる可能性も十分にあります。
さて、ずいぶんと火の魔法から外れたところに来てしまいましたが、魔法のルーツを探り、その行く末を見るという目的は達成されたように思えます。自力開発説も、魔法神授説も、その内容に目をつぶればとりあえずは安定して世界は形作られていくことでしょう。
"入手するのが困難な火を生み出す"という火の魔法はもっとも研究され、発達するであろう魔法として、ファンタジー世界で扱われることでしょう。