番外編1 中世の社会について そしてもし封建的な学校があったら
封建制について、すこし書きたいと思います。封建制はなぜ中世で採用され、その後は途絶えてしまったのでしょうか。
学校で習う程度のことかもしれないですが、私には(授業の)記憶がございません。
番外編だけは文量がおおいので言い切り調で行きたい思います。
--まずはじめに--
現実世界の中世の様子はどのように存在していたのか。これはファンタジー世界を考察する上で、重要なことなので、ここで一度見ておきたい。何を語るにしても、中世とはどのような世界であったのか、というイメージをはっきりさせておかなければ、重大な矛盾を生み出す可能性があるのだ。
読む前に一つ注意をしていただきたいのは、ここに書かれていることを鵜呑みにしていはいけないということだ。
というのも、短くまとめられた文は取り扱う例が極端に少なく、その時代の極々狭い、一つの社会のあり方を書いている場合が多いからだ。
研究者ごと見解が違う場合もあってそれぞれが本を出しているかもしれない。
結果的に、本屋に売っている歴史書やネットに掲載されているもの、歴史系ゲームのおまけでくっついてきた資料まで、どれも違うことを言っている場合が少なくない。我々が大好きなWikiなどもその側面は強い。
こういった状況はなぜ起こるかといえば、それは様々な理由があるだろう。
例えば隣国が強い軍隊を持っていると、その軍を殲滅するための全く違う形の軍隊が生み出されたりする。
グーがグーに勝てないように、同じ形態の軍隊では物量で勝負する以外に勝利する方法はないのだ。
一つの時代でも情勢によって様々な形式の社会が形成される。どういった状況についての一文なのかを見なければ、齟齬が生じていくのだ。
またどの資料を参考にしたのかでも違う。貴族によって作られた歴史や芸術であれば、騎士は随分強く書かれていたことだろう。
歴史書というのは、資料をもとに推察をし、どうやら確からしいという事で作られている。文脈や言葉選びで違う意味にとれてしまう場合もある。
どのような一文についても妥当性を疑いながら、できるだけ複数の物を読んでイメージを作り上げていって欲しい。
--封建制度の利点と欠点--
その国のあり方を見るには、指導者と民がどういう関係にあるか、つまり社会制度をみるのが良い。
社会制度はその社会がもつ生産能力や社会情勢にあったものが適宜採用されている。
時代の様相に適していないと革命や外部干渉など、なんらかの力によって適切な制度に移行していくのだ。
ここでは西欧、ドイツやフランスなどの地域を主に書いていきたい。
中世では種類は様々であるが、封建制が採用されていた。人間社会にまだ土地が余っていて、飛び抜けて強い力を持った支配者がいない場合、この制度は強い発展性を持っているのだ。農業が主産業で未開墾の土地が沢山ある、という前提があって成り立つ。
先に利点欠点を二つの立場から上げることにする。
この時代は君主と臣下、例えば国王と領主という立場があった。
国王からすれば戦争の時にコストをかけずに軍隊を招集でき、報酬は土地でよい。
領主からすれば自分の領地への干渉を防げ、自由に財貨を配分できる。それは自分が国王になるチャンスもある、ということでもある。
逆に、もし君主が契約を反故にするようなことがあれば臣下は容赦しないし、戦争に負ける、土地がなくなるなどの不具合が起きると一気に苦境に立たされることになる。
領主も戦争が続けば、領土がもつ規模の小さな財政基盤では、すぐに苦しくなってしまう。
--階級と土地---
さて、封建制を詳しく見ていきたい。
封建制には君主と臣下という関係で、隣り合った階級同士が主従関係を結んでいる。
上は国王、下は農奴で、領主、騎士、家臣等が間に入り、商人、職人が更に加わる。農業を発展の基盤としていて、農村社会を築いている。
国王がおらず、領主がうごめく群雄割拠状態になっていた時期もある。というか、ドイツなどはとてつもなく長い時間をそういった状態で過ごしてきた。
封建制は中央集権系の社会制度ではないので、国王は想像以上に権力を持っていない。
中央集権ではないとはどういうことか。
国王が全ての土地に運営権を持っていないということだ。絶対的な権力を持つ皇帝のような、イメージするところの王様とはずいぶん違っている。
逆に言えば領主それぞれが直接自らの土地を所有していて、運営していたのだ。
国王は直轄地を持っていたが、国王であろうと直轄地以外には命令を出せなかった。当然税金を直接とることもできない。
領主は国王に対して自領土の安全を保証してもらう代わりに、軍事力を提供する。もし軍事力を提供してもらったら、何かしらの報酬を国王は払わなければならない。
領主と国王は契約によって主従関係が結ばれ、領主は忠誠心よりも領土の安全といった形で、ずいぶんドライだったようだ。
こういった関係は、領主と騎士等、他の階級同士でも作られている。極端にいうと一つ上の階級には従うが、もう一つ上の階級からの命令は受け付けなくても良い。国王は他領の騎士にも命令できなかったのだ。
一番下の階級は農奴で、生産を担う彼等は古代の奴隷よりは幾分かマシだったようだが、やはり多くの制約をうけていたようだ。
領民は村にしっかりと住み付き、農業を営んでいた。
【騎士】
騎士も(村や町の)領主と主従関係を結ぶ。領主の土地を守るのが騎士だ。封建軍隊などといったりもする。
騎士を育成するには訓練に鎧に馬に従者にと、とにかくお金がかかる。しかし、掠奪を仕掛けてくる外敵には、村々で養われている騎士を差し向けるのが一番有効だった。
騎士戦術が開発されるまでは、村の男衆、いわゆる素人に撃退や備蓄の防衛をする役割を求められていたのだから、専門化した戦士の効率は計り知れない。
そうして騎士階級というものが出来上がったのだ。
騎士は場合によっては複数の君主に仕えた。神聖ローマ帝国(中世ドイツ)では戦争が絶えなかったため、仕事先は山のようにあった。
【商人】
村に所属できない商人などは外来者として白い目で見られていた。それほどまでに封建制で縛られた社会は閉鎖的なのだ。
当然騎士による保護も受けられず、自分の安全は自分で守らなければならなかった。
そこで現実世界の商人達は領主に一定の金額を払って保護を求めたのだ。
用心棒を雇う場合もあるが、それは騎士階級からますます恨まれる。武装集団は一本化されていれば、その方がいいからだ。
しかし個別に活動していてはすりつぶされてしまう。商人はギルドを作ることで所属団体をつくり、他階級に対して抵抗力をつけた。
【戦争】
中世は騎士の時代であることは間違いないが、戦争は歩兵がいなければ成り立たない。
ヨーロッパ最強であるドイツ人の騎士も、すでに1200年頃にはイタリアの連合軍が所持する歩兵部隊に敗れている。銃器が開発される前のできごとである。
歩兵は数が命だ。その役目を担うのは農民であるかのように思えた。しかし農民に戦場最強という地位を奪われては、騎士階級は揺らいでしまい、それは領主(貴族)の基盤にダメージが入ってしまう。準騎士、農民騎士、のようなものが出来上がる場合もある。
そこで台頭したのが傭兵部隊である。その覇権は常備軍が抱える問題が解決されるまで長らく続いた。
傭兵も国王と契約を結ぶ。スペインでは傭兵に金を払えず、最終的に利息で首が回らずに滅んだ例もある。
--封建制階級の隆盛と衰退--
このように、契約の元に社会は形作られていた。
この契約は一代限りのものとしてはじめは結ばれていたが、蛮族の襲来等、他勢力に絶え間なく脅かされるようになっていく。
抗争が常習化し、代毎に契約を結びなおすのが追いつかなくなると、世代を超えて引き継がれるようになった。これが世襲制の始まりである。
中世では国家という考え方が無く、したがって国民という概念もまだ無い。国を守るという意識も存在しない。
農村社会に属する領民は土地を基準にしっかりと管理され、移住や転職は法律的にも物理的にも難しかった。
封建制は要するに土地で農業をすることに焦点を当てた社会だ。当然土地は動かないものだから、領民が形成する社会を始めとして、全てが閉鎖的なものとして構成される。
やがて他勢力の土地や農業に適さない土地しか残らず拡大する余地がなくなったり、貿易や他勢力との交流が活発になるなどして、根本的なところから崩れていく。
最強を誇る騎士部隊も弓騎兵の台頭や、長槍を持った歩兵集団に負けることが増えていく。
そうこうしているうちに銃器が開発され、騎士は戦場から姿を消し、傭兵も愛国心をもった国民兵に変わり、中世も封建制も終わりを迎えたのだ。
--さいごに 資料の相違点--
ここで資料ごとに記述が異なる点を騎士に絞って何点か上げていく。
これは筆者が資料を疑っているということではなく、頼りの書籍もこういった書き方の違いから結論が揺らいでしまうことを承知していただきたいからだ。
まず騎士の財源はどこかという事だ。
騎士は土地を与えられて農奴を所持していた、とする書籍と、騎士は村や町などに養われていた、とする書籍がある。
どちらも相応の説得力があるし不自然な点はないが、筆者個人のなんとなくな意見では土地を持っていたのではと思う。沢山の従者を養わなければならないし、荒事専門一家ということで土地をもらうという契約を領主と結んだと考えるのもおかしくない。
それだと盗賊騎士の存在が不可解だ。しかし戦後に没落したとかミニステリアーレ(後述)出身とか考えることはできる。
二つ目は、馬に乗って近接兵器をもった兵士(いわゆる騎士)は何に向けて武装したのか、というものだ。端的にいえば、騎士の相手は誰だったかという事だ。
ある本ではバイキング(北欧の戦士)だったし、ある本は騎馬民族と書いている。二つの集団の出現は時期も地域も違う。
もちろん両方正解だろうが、これも考え方次第では騎士成立の根幹に関わってくることだ。
三つ目は歩兵の部隊はいたかという点だ。
これは沢山いた、とする記述と、存在していなかったかもしくはごく少数かのように書かれている。騎士が主体だったのだからいないというのだ。
しかし、たしかにミニステリアーレという、農奴出身の戦士(Wikiでは騎士となっている)は存在していたようだ。
四つ目は戦場での戦い方だ。
戦争はお金を浪費するので領主は戦争を嫌った。
その結果、騎士同士の一騎打ちで決着をつけたとする説と、やはり歩兵は欠かせず砦包囲による陣取りゲームが行われてたとする説がでているのだろう。
これらは記述が少なくわからない。筆者の考えでは後者のほうが現実的な感がある。
五つ目は騎士は主に何によって負け始めたかということだ。
とある本ではイングランド長弓兵がフランス騎士に悪夢を味合わせたことが代表だとしているが、他の本では強力で人員コストが低いクロスボウが原因だとしている。
たしかに農民出身の長弓兵集団が騎士を倒したのは衝撃的だ。
しかし長弓兵はもともと対騎士戦を想定してたわけではなかった(これにも複数の記述がある)。財力があったフランスが高価なクロスボウをそろえてきたのに対し、当時貧乏だったイングランドが長弓を採用した、というだけの話だ。
しかもクロスボウは騎士の鎧に穴をあけるほど強力で、キリスト教徒同士の戦闘では使用禁止になったほどだ。
そもそも、農民出身の長槍兵の集団に負ける、というのが一般論である。
騎士に関することでもパッと五つ出てきた。こまかく挙げていけばきりがないだろう。
まだまだたくさんあるが、とにかく中世は広い地域、長い時間、様々なケースがある時代なのだ。
混迷を極めた時代だ。それゆえに資料が残ってない、あるいは十分に検証されていないこともある。
ファンタジーを書く際には設定を考察、検証することも大事だろうが、そこは自分の世界なのだから、辻褄さえ合っていれば、あとは気を楽にしないと身が持たないかもしれない。
--おまけ 学校を封建制にしてみた--
さて、それでは最後に日本の中学校を封建制のなかに放り込んで、まとめてみよう。
考証は穴だらけだが、面白そうなものが出来上がったので書いてみる。
なお国王という地位を出したが、場合によっては存在しない。
ここでは面白いし分かりやすいかな、と思ったので領主のさらに上を出したが、そこはご承知の上でお読みいただきたい。
【県教委王国と7つの立場】
ここには県教委王国という封建制を敷く国がある。
教育委員会(国王)の元に、学校(領土)をもった校長(領主)達が集まり、封建制的な契約を結んで主従関係になることで国を築くのだ。教育委員会も直属の学校を一つか二つ持っている。
もし教育委員会が契約を破れば、学校は他の教育委員会に属することもできるし、反乱を起こすこともできる。
校長の下には領土経営を支える教諭(家臣)がいる。ちなみにこの教諭は校長の血縁か、よほどの功績を挙げた領民の中から採用される。
経営を補佐する教頭や治安を守る生徒指導教員、会計担当などに教諭が割り振られている。
全教諭は教室という土地を持っていて、その中には領民であるところの生徒がいる。
学校は校長の采配によって直接運営され、教育委員会や他校の校長が介入することはできないし、教室内は教諭(家臣)の独擅場であり、教諭が運営権をもっている。
教諭(家臣)が目にあまる行為をしたとしても、それを命令してやめさせることができるのは校長(領主)だけで、教育委員会(国王)にその権限はない。
逆にいえば校長はルールも法律も自分で作って自分の学校の運営をしなければならないので責任は非常に重い。
各クラスには少量だが風紀委員(騎士)がいた。彼らはクラス予算によって養われ、有事の際には真っ先に立ち上がる。
生徒達(領民)の自由はかなり制限される。クラス替えはおろか、席替えすらなされることは無い。生徒たちに決定権はほぼ無く、勉強(生産活動)等、教諭が定めた活動に専念しなければならないし、戦争に駆り出される際には拒否権はない。
ちなみに部活動なるものも存在しない。まだ社会にそんな余剰生産力がないし、領民たちの権利は低いからだ。
しかし優秀だがクラスに居場所がない、一部の生徒たちが文化祭や購買部の運営によって、徐々に力をつけて、生徒会という組織を運営し始める。
生徒会は宗教的側面や生活集団という帰属意識を強め、強力な結束意識を生んだし、それは経営能力につながり、それが生む経済力はとてつもないものがあった。
生徒会室にはいかなる教諭も権限を持つことができず、生徒会は自身の持つ特権を強化するために動き出す。生徒会と校長は互いに利用し合う形で学校を運営し、次第に生徒会も運営に不可欠な機能を持つようになる。
大きく学校運営に参加するようになると、生徒会室と職員室の仲は悪くなっていく。
この社会が始まる前から存在している組織が一つある。
それがティーン向け雑誌(宗教)だ。この雑誌を信奉する生徒たちは、そこに書かれているファッションや流行などの情報を共有し、それは学校を超えて一つの勢力になる。
この雑誌で批判されようものなら、教育委員会といえども無事では済まない。協賛企業や後援一覧の中には彼らの名前があることだろう。
雑誌(宗教)の中にも更に実体験的な手法を紹介するコーナーがあり、これを行うための同好会(修道会)が各学校に設立されるようになる。
この同好会は、より勤勉に、誠実にといったことを目標に、時には占いや呪い、瞑想などといったオカルトに走るときもあった。
雑誌社はこれらの同好会をサポートし、ステッカーなどを配っている。同好会は雑誌社が分裂しても根強く残った。
【武装する学校】
さて、不良集団(掠奪者)が現れ学校を脅かし始めると、学校の持つ風紀委員(騎士)が制圧に向かう。これは不良集団に対して圧倒的な強さを誇った。
他県の教育委員会(他王国)を相手に大規模な学区の侵略や防衛戦を行う場合は、教育委員会は主従関係にある校長たちから、風紀委員会を無償で招集できる。
各校長はそれぞれの学校の財政から移動費、滞在費、備品代といった遠征費を全て賄わなければならない。それだけで頭数が足りない場合、クラスの一般生徒を強制的に徴兵することで賄った。
そうして各学校から招集された風紀委員(騎士)が勝利すると、教育委員会はその戦争で各学校の挙げた功績に応じて恩賞として、予算(金銭)、もしくは新しい学区もしくは学校(土地)を与えなければならないのだ。
風紀委員は無敵の強さを誇っている。
全学校の風紀委員を動員すれば、他地域の制圧も不可能ではない。徐々に風紀委員は一線を画した存在になっていく。
【十字軍運動の始まりと封建的学校制度の崩壊】
教育委員会や校長達の中で学区獲得の気運が高まると、他の県教委王国と結託して海外の学校を合併(征服侵攻)する動きが始まる。これが十字軍である。
校長は自分で軍を率いて遠征に参加する。自らいかなければ他校に軽んじられ、監督しなければ不正を行うかもしれないからだ。
もし遠征先で校長が倒れると、その学校は教育委員会や他校の校長がこれ幸いにと奪ってしまう。
この遠征団招集の動きは雑誌社(宗教)も積極的に指揮をとった。購読者が増えれば力も増す。海外は魅力的な市場に思えたのだ。
遠征の成功は社内地位を確実のものにするのだ。
社長(法皇)としては教育委員会に力を示す為にも行わなければならない。雑誌社は世論を味方付け、県教委もそれに乗っかる形になった。
雑誌社も自ら読者モデルを使って軍隊を組織する。これが騎士団だ。遠征団(騎士団)は雑誌の内容を信奉し、販促活動もする。
かつての同好会とは多少趣が違い、この読者モデルの遠征団は栄誉や名声が得られる。
生徒達はこの遠征団に選抜されることに憧れた。これはのちに奨学金(騎士称号)という形で残っていく。
海外遠征が頻繁に進み、海外で様々な文化に触れると、交換留学や教員招聘といった交流(貿易)が始まる。
学籍や定員(戸籍、土地)を管理し、それによって成り立っていた教育制度(社会制度)はその動きに対応しきれずに、やがて崩壊するのだった。
今後は中央集権化に成功し、教育委員会をトップにした絶対王政が始まることだろう。
やがて戦乱が終わり、文科省を皇帝とした国が築かれれば、帝国主義の始まりである。
ファッションは現代日本における最大の宗教である、という説は私の持論であります。
おまけのせいで長くしまって申し訳ありません。こんなお話を読みたいな、とおもって書いてしまいました。