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幻想歴史読本 ~ファンタジーを考える~  作者: 走るツクネ
おまけ 主にファンタジーに関わる話
40/84

魔王を倒した後の勇者について 後編

勇者はいつまで勇者でいられるのでしょうか。戦争が大きくなると、戦いの様子も変わってきます。


キーワード:国際規模の戦争、兵器への対抗策

--勇者に出会った集団が採る対抗策--


 さてそんな勇者は例えるなら戦艦のようなものといえるでしょう。

 そうした兵器を敵国が有している、開発に成功したと判明した時、国家がとる方法は三つあります。


 一つは同じものを同数、もしくは上回る数を製造するということです。

 これはおそらくもっとも単純ですが、技術、資金、時間が後発組はどうしても出遅れます。なかなかに難度の高い状況でしょう。技術を盗むとか戦場での鹵獲を待たなければなりません。やがて勇者製造競争が始まります。


 二つ目はその兵器を無効化するような兵器を開発する流れです。

 これが今まで度々ふれた攻撃力と防御力の技術競争です。今までに出した例では、クロスボウに対抗して厚く重い鎧を着る、大砲に対抗して崩れない建築を開発する、高価な戦艦を一撃で沈める水雷を作る、などがあります。騎士の突撃に対して槍衾を作る、というのもこれに相当します。

 もし対抗技術が自国内に転がっていれば、運よく開発できれば非常に効果が高い方法です。何しろ相手の最高の武器をそれと違う方法で無力化できるわけですから、資金面や士気を挫く上でも有効でしょう。対勇者戦術や、防御要塞、阻害魔術の開発が始まるというわけです。


 三つ目は国際世論に訴えるという方法です。

 1900年の頃の話ですが、ドイツが非常にレベルの高い鉄鋼技術を有していました。

 しかしフランスがロシアに発生した鉄鋼事業を銀行の力を活用してドイツから奪い取り、鉄鋼技術を伸ばしました。更にフランスとイギリスが手を組むことで、力を持ったドイツを抑え込みます。それまでノルマンや継承権、新大陸などいろいろなところで争っていたはずのフランスとイギリスは共通の脅威を前にしてあっさり手を結んだのです。

 膨張する国というのは国際的には(それが広範囲にせよ限定的な地域にせよ)共通の敵とみなされやすく、四方八方から攻撃を受ける事になります(こういった国家の均衡論は否定される傾向もありますが)。

 あまり遵守されなかったともどこかで読んだ覚えがありますが、クロスボウをキリスト教徒同士の戦いでは使ってはならない、等のローカルルールのようなものを広めるのも手でしょう。

 これが最も技術も資金も使わず、相手の武力を制限する方法です。

 勇者が人為的に製造できるのであれば、おそらく戦艦は何隻保有してよい、というように勇者何人まで、と国際条約で制限を受けたことでしょう。もしくはアンチ勇者のネガティヴキャンペーンを行うかもしれません。


 このようにして、敵国が所持する兵器の脅威というものに対処します。


 ここで念のために言っておきますが、この場合の勇者の素性は、何も俗に言う勇者のみに止まりません。獣人や吸血鬼でもいいし、大魔導士や魔物から採った素材で武装した冒険者でも同じことです。とにかく、それが国家規模になるとどうかという話です。


 また、本筋からまったく外れますが、別の頁で一つ書き忘れたことがあったのでここで書かせてください。

 傭兵がよく、素晴らしい武技をもったキャラクターにばったばったと倒されていく描写がありますが、あれもゲーム的設定ではないかと思います(というか「騎士に対する傭兵」と「常設軍に対する傭兵」のイメージが混ざってしまっているようです)。

 以前書いたように、歴史的に見れば個人武技に秀でた騎士――これは当時としてはここでいう勇者のようなものでした。蛮族戦では無類の強さを発揮したのです――の侵略に対抗するために、専門の戦闘集団が生まれたのです。

 つまり中世の傭兵も連携等の訓練を積んだ戦闘のプロであり、決して烏合の衆ではありません。傭兵という職業層は自分たちの武技のみが自分たちの生活を金銭的な面でも支えるものだったのであり、当然生きるために必死でしょうから努力や工夫をするでしょう。根本的な差は装備の質だけで、そこは人数と連携でカバーするのです。あまりやられ役として傭兵を出されると、その世界の傭兵の成り立ちはどうだったのかな、という疑問を持つことがあります。



--ランチェスターの法則と勇者--


 では戦場で勇者がどれほど役に立つのか、という話を考えていきたいと思います。


 魔王や魔物の脅威は去って暗黒時代は終わり、近世が到来したとします。そして国家間の戦争が始まります。

 この際、国家はすべて同程度の力を持っているとします。もし突出した国力を持った国があれば周りの国を制圧するか、周辺国が取り囲んで袋叩きにするかの二択です。ある程度の差はあれ、ヨーロッパのような拮抗した勢力状態で、戦乱の時代にはいった時のことを考えてみます。


 この中で勇者は活躍できるでしょうか。


 まずは我々が大好きなランチェスターの法則に基づいてみてみたいと思います(恥ずかしながらあやふやな理解で進めますので、もし間違った記述があればお願いします)。

 

 そもそもランチェスターの法則は事前にいろいろな条件が設定されていて、それを見ると当たり前のことながら一個師団に相当する個人という存在を想定してないようであり、この試みは全くの無意味な気がしますが一考の価値ありだと思うので書いてみます。


 ランチェスターの法則は"「兵士の性能」に、「兵数の二乗」を掛けたものが「戦力」である"という式が大事なのではないかと思います。

 この場合で言うなれば、一万人力の勇者一人と、一人力の兵士一万を比較するのであり、二乗されるのは兵数なので、実際に戦ったら一万対一億の戦力差で一万の兵士の方が勝ちますよ、と言っているようです。


 もちろん、見当違いなことを言っている自覚はあります。その限りではないでしょう。「ドイツ戦車ティーガ―」一両に、「イギリス戦車クロムウェル」十三両が挑んで負けた、という話もあるくらいなので、この式は前提条件が正しく揃っていることが肝要だとはおもいます。

 とはいえ、一万の兵士相手には、さすがに勇者も実際戦うとしたらお手上げなのではないかと思うのです。


 勇者が実態を持った生物である以上、攻略方法が皆無であるとは思えません。(条件が整っていないのかもしれませんが)ランチェスターの法則を持ち出すのであれば、一万人力の勇者を攻略するには百人程度の兵士をぶつければいいという事になります。一般兵の二倍の力を持つちょっとした精鋭部隊であれば、七十人程度でいいのです。



--戦場の中での勇者--


 勇者を持っている国が、勇者を持っていない国に攻め込んだとしたら、どうでしょうか。

 勇者と一万の兵を揃えた国に一万の兵しかいない国が攻め込まれた場合、どう対処したらいいでしょうか。

 戦うことを選ぶのならば、他国に協力を仰ぐでしょう。ある戦場で活躍する勇者も別の戦場にはおらず、そこでは条件は一緒です。


 そもそも国力や国際世論で負けれていれば、勇者がいようがいまいが敗れるのです。仮に小国が勇者を持っていて大国に抗っているという状況だとして、なにも大国は馬鹿正直にその国を攻めなくてもいいのです。

 国力は有り余っているのですから、周りの街道を封鎖するかその国を経済的に孤立させるなどして、干上がらせれば勇者は戦わずして負けることでしょう。



 勇者がその世界の物理法則に則った力を行使するのであれば、多少大型化したとしても対勇者兵器というものが開発されてもおかしくありません。槍を突き出すかのような集団戦術も十分に効果を発揮するでしょう。


 もしも一つの国家が大量の勇者を独占して揃えることができるのであれば、周辺国は可及的速やかに包囲網を整え滅ぼし、その独占技術は出回ることになるでしょう。




--勇者はどの時代まで生きられるか--


 戦艦や核兵器などといった、それ単体で戦略レベルの破壊力、戦闘力を有した兵器というものは、世論的に扱いが難しいし、もし使えたとしてもそれだけで戦争に勝てるほど国際規模の闘争というものは単純ではありません。例えば、戦艦だけあれば海戦に勝利できるわけではないのです。

 現にそれらの兵器を一足先に手に入れた国が世界を征服したかどうかというのは明言できないところがあり、確かに一時的な、局地的なアドバンテージは持ちましたが、前述のような対策を他国に取られたりバランスを重視した他国に不快感を示されたりで、結局現状の勢力図になっているわけです。


 諸外国との関係性や経済的な緻密な利害調整、人々(民間、軍人、政治家、他国)の心情を考慮することが戦争の際には必須であり、なにも要塞を落とすかどうか、軍隊を滅ぼすかどうかだけが戦争というわけではないのです。


 時代が追うごとに武力は個人の手を離れ、その実際的な力とは裏腹に社会的権力はどんどんと落とされていきます。武器の威力と社会的権力は反比例するとも言えます。


 まとめますと、以下のようになります。


 ・権力者は自分に取って代わる危険性のある個人に頼るわけにはいかない。

 ・法に縛られない武力は社会的に健全とは言えない。

 ・大型化、複雑化した戦争に単純な武力では太刀打ちできない。

 ・圧倒的な力もその世界の法則にいる以上無二無双とはいえない。

 ・国内外の世論を気にしなければいけない。


 人間同士の争いならなにも人外の力を借りなくても良いのです。もし勇者などの人外と戦うのであれば、そして欧州的な社会にあれば人間同士はころりと手を結び、例えば宗教の教義により異端審問にかけられ、社会的圧力の前に滅びることでしょう。


 このように社会はなっていきますので、「はじめに」で触れた、絶対王政や高度な冶金技術と、騎士や領主の存在という矛盾に出会ったとき、どちらを選択して時代区分を決定するかという時には、中世の方を選択したわけです。

 ファンタジーの元祖であろう騎士物語は中世のものであり、個人の武が生きるのは中世までです。騎士を先祖とする勇者が王道な英雄物語を展開するのであれば、世相は中世が限界、と筆者は考えています。



 まとまった時間が取れないので、いつも以上に変な文が増えてしまいました。少しずつ手を加えていくつもりですが、話の大筋は変えないつもりでいます。


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