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幻想歴史読本 ~ファンタジーを考える~  作者: 走るツクネ
おまけ 全体に関わる話
22/84

ハイファンタジーとローファンタジーという分類に関する私見

「イタリアの話 傭兵という軍事サービス」、もしくは「宗教の話 ファンタジーと現実の差異」という話で投稿するつもりでしたが、急きょ予定を変更いたしまして、ハイファンタジーとローファンタジーについて書きたいと思います。


 いただいたご意見に、ローファンタジーとハイファンタジーについてのお話があったので書かせていただきます。


 完全な私的な意見である点に注意してください。

 

 また、読む前にWikiにあるハイファンタジーとローファンタジーの記事を、一読していただければと思います。同時に、この問題に関して筆者はこの二つのページのみの知識しかない、という事を予めご承知ください。そしてハイファンタジーとローファンタジーどちらが優れているか、という議論をしたいのではない、という事もご理解ください。




 まず、ハイファンタジーとローファンタジーについてWikiで記事をみると、いくつかの例外があるものの、その物語におけるベースが「我々の現実の世界」かどうか、がポイントになっているとあります。


 異世界や架空の世界で物語が進行するならば「ハイファンタジー」、現実世界に魔法的な要素がやってきた、というのならば「ローファンタジー」、という事のようです。


 ジブリで例えるならば、ナウシカやラピュタはハイファンタジーで、魔女の宅急便やトトロなどはローファンタジーなのでしょう。


 なるほど、なんとなく理解できます。

 では、魔法少女や超能力者が現代で活躍したり、異世界に行って知識チートするのはどうなのでしょうか。例えば、ハリーポッターの時代設定は現代です。ローファンタジーの記事には「氷と炎の歌」という作品が例に上がっています。



--現実度と幻想度、という考え方--


 これは現実度がどれくらいか、という問題に置き換えることができるのではないかと思います。


 現実度、幻想度、とは適当な筆者の造語でありますが、物語に出てくる単語、要素、価値観などがどれだけ現実世界に存在している物なのか、また、どれくらい現実世界の要素をもっているか、という事です。


 例を出して考えてみたいと思います。


 異世界転生した主人公が神から特殊な力を与えられて悪の勢力をやっつける、という物語があったとします。


 これはハイファンタジーで間違いがないでしょう。転生した主人公自体や異世界という要素が持つ幻想度は非常に高いものになっています。


 しかし、主人公の行動があまりにも現実世界に寄っていたらその限りではないかもしれません。


 特殊能力として与えられたのが無限に発射できる突撃銃、となった場合はどうでしょう。

 

 銃が持つ現実度は非常に高いものになりますが、無限に発射できることによって幻想度もそこそこ高くなるでしょう。


 しかし平凡に進むとその物語のテーマは、現実世界の兵器がファンタジー世界の住人に対してどの程度威力を発揮するか、ということになります。

 銃自体が引き起こす現象、すなわち弾丸を撃って敵を殺すという現象は現実度の高いものです。


 さらに話の中ではサイレンサーだとかロングバレルだとか、そういった言葉が飛び交うようになるでしょう。


 そうなってしまうと物語全体の現実度は上がり、それが幻想度(街並みの描写やモンスターの生態など)を上回った時、ローファンタジーになるのではないでしょうか。


 しかし銃がただの攻撃手段という要素にとどまり、且つ、その世界の衆人の目にどう映るか、敵側が銃に対してどのような対策をとってくるかという、ファンタジー世界の住人の行動に重きが置かれるようになれば、総体的に現実度は下がりハイファンタジーになるかもしれません。



 他にも異世界転移という題材であれば、行き来が自由にできるという設定は現実度を大きく上げる要因になりえますが、それが主人公の意思に関係なく行われるようであれば、幻想度が上がることでしょう。


 戦争で魔法が使われてたとして、その利点欠点や運用方法がマスケット銃や土木作業等と全く同じものであれば、魔法が持つ幻想度は一気に下がることになるでしょう。



--ファンタジーにおける史実と現実度--

 

 さて、本編にて散々、私は史実を参考にしてきました。

 魔法が出てきてドラゴンが出てくるなら大体ファンタジーだろう、という乱暴な考えにより書いていたしそれがハイファンタジーのイメージだったのですが、中世イギリス、薔薇戦争をモチーフにした架空戦記がローファンタジーになりうる、とありました。


 筆者はその作品を今の時点では読んでいないので何とも言えませんが、どうやら史実に則するとローファンタジーになる可能性を秘めているようです。ベースが中世イギリスとはっきりしており、現実度の高い舞台になったのだと考えられます。


 ではそうすると本編で書いてきた史実をもとにした考察はすべてローファンタジーなのか。


 おそらくそれは違うといえるでしょう。

 重厚な世界観や壮大な勢力の対立、というのがハイファンタジーの条件でもあるのです。


 進化の収斂という言葉もありますが、人間の技術の進化は大体同じ流れをたどるのではないか、と予想されます。

 いくらハイファンタジーとはいえ人々は農業を営み服を着て、欧州チックな建物に住んでいるでしょう。


 本編で度々書きましたが王様がいるということは、それなりの社会的な発展の経緯があるのです。



 しかし説明しだすと、現実世界のモデルを登場させることになってしまうかもしれません。そうすると、現実度が上がっていくのです。


 「確かに詳しく経緯を考察すればこういうことだが、作中ではその一端だけを見せますよ」、というスタンスをどれくらい貫くかが、"場合によっては"カギになってくるでしょう。


 社会発展システムのモデルというのは、いわばソフトのプログラムのようなもので、内部処理は内部処理のまま、とどめておく方が幻想度があがる場合もあるでしょう。白鳥のバタ足のようなものかもしれません。


 重厚な世界観がカギという点で見れば、どのくらい複雑なプログラミングがされているか、という点も幻想度を上げる要因になっているようです。


 本小説の目的の一つはここにあるといえます。


 本編で出した物を例にあげますと、


 「冒険者がキャラバンサライのような宿屋に泊まっていたとしたら、その背景には、冒険者は都市に宿泊できない、都市国家か農村社会を形成している、外来者に対して不信感がある、国が冒険者を認知して支援している、ギルドが大きな経済力を持っている、文化交流が為される、冒険者同士の交流がある」


 などの可能性が生まれそういった基盤からさらに物語が生まれるのではないか、そしてそれは中世ヨーロッパから逸脱した部分と寄り添った部分があり、辻褄があったファンタジー要素となり、結果的に幻想度を上げることができるのではないか、という事です。



 とはいえ、ここまで物語の中で描写されれば、一気に現実感が増してしまうでしょう。そこで、ある程度隠す必要性が出てきます。


 例えば、浅黒い肌を持つ山岳地帯にいる民族が、やたら高い戦闘技術を持っていたとします。

 そこで、「山岳地帯にて荘園が発達することがなく、傭兵稼業で生計を立てるしかなかった」と直接書いてしまうと知っている人などは、あぁ、スイスがモデルなのかな、として現実度は上がります。

 しかし、食料を輸入に頼ってる様子がちらりと書かれていたりするだけに保たれれば、幻想度が下がることはない、のかもしれません。


 つまりチラ見せがハイファンタジー、もろ見せはローファンタジーなのです。そしてこの一文が何を表しているのか、あえて書かないのがハイファンタジーなのです。そういう、ことなのです。



--ファンタジーとは--


 筆者は本編にてファンタジー世界とは魔法とモンスターが存在する世界で、中世、こと1100年あたりから1200年あたりまで発展した世界である、としています。


 物語としてみた時の全体的なイメージとしてはそうだと思いますが、しかしおとぎ話や童話のようなものもファンタジーであり、それが起こる世界もファンタジー世界です。


 幻想、ありえないこと、起こりえないことをファンタジーというのです。


 以前その結論に達した筆者は、高校以来の友人にこのことを話し、だからクリスマスを楽しむだとか、夏に海を満喫するだとか、恋愛たっぷりな青春、っていうのはファンタジーなんだよ!と、力説したのですがあっけなく敗北しました。

 考えてみれば奴にとってはそういう日常を過ごしていた時期が確かにあり、逆に私のような思考回路がファンタジーだと奴はいうのです。


 私にとっては夏に海を満喫するというイベントは十分に幻想度が高い出来事なのですが、人によってはそうではないようです。



--ファンタジーとSF--


 "魔法"という存在は架空技術なのだから、サイエンスフィクションに分類されてもいいのでは、という考え方もできます。

 十分に発達した科学技術は――、という話もありますが、そうなるとこの二つの境目があいまいになってしまいます。


 そこで、現実度と幻想度という考え方を引っ張り出すのはどうでしょう。

 ある次元に置いて、作品の幻想度が高ければファンタジー、幻想度が限りなく低ければSFと。


 次元が違う話になってしまいますが、そういう考えもできると思います。



--要するに--


 現実度が高ければローファンタジー、幻想度が高ければハイファンタジーといえます。


 そして幻想度を上げたいのなら、


 1、現実世界にない概念を登場させる

 2、現実世界にある物に対して何らかの力を付与する

 3、説明を詳しくしないで、チラ見せにとどめておく

 4、起こりえない現象を描く


 という事が挙げられるでしょう。この逆のことを書けば書くほど、現実度が上がります。


 そしてそれがぼんやりと、作品全体の雰囲気に影響し、これはハイファンタジーだ、ローファンタジーだ、と決定づけられるのです。



 設定づくりの段階に置いては、まだ作品の現実度の変動はないでしょう。いくら社会の設計図を幻想より現実より、にしたところで、作品全体の雰囲気には影響してきそうにありません。


 設定の段階ではハイファンタジー、ローファンタジーのくくりはないだろうと思っています。幻想度が高かろうが低かろうが、物語の辻褄は"多くの場合"、合ってなければならないでしょう。

 魔法が登場するのであれば、納得できる方法で使用され、納得できる理由で進歩するべきではないでしょうか。それがファンタジーか否か、という疑問は次元が違う話題であります。



 こういったことに無頓着に物語が進行していく中で、意図せず現実度と幻想度が大きく変動してしまうと、読者は無意識に混乱します。

 もちろんそれを逆手にとって劇的な効果を狙った作品もあるでしょう。夢落ちなどが相当するでしょう。



 正直なところ、今のファンタジーはこのように分類される限りではないと思います。

 非常に曖昧模糊としていて、その境界線はあやふやです。


 というかここまで書いてきてなんですが、この分け方自体が、まだ物事に多様性が認められていない時期に作られた、ある意味旧時代的な概念であります。


 そんな乱暴な分類方法をとる学問は今時ないでしょう。

 不可思議な昆虫の名前が話題になることが度々ありますが、多様性を持ったものを分類し名付けようとした時にはそのような事が起こるのです。


 自由に創作活動をして、それを自由に発表するという「なろう」において、このような分類を突き付けられることはナンセンスなのではないか、という身もふたもない話になってしまったところで、この話を閉じたいと思います。



 嬉しくなって案外長くなってしまいました。果たして結論はこれでいいのか疑問です。そして、求められた回答になっていないのではないか、という疑問があります。


 いつもアンケートで、"どちらでもない"に丸をつけがちな筆者としては、ジャンルに説明をつけて分類を迫られるとなんだか申し訳なくなります。結果的にこの作品も、「エッセイ……かなぁ」という始末です。どちらかといえば、歴史とかファンタジー、って言いたいのです。


 以前にも書きましたが、歴史とは大きな網です。様々な要素が大きな流れに影響し、行方を決定します。よって、設定を細かく設定すればするほど、主人公たちは身動きが取れなくなってしまう、ということにも注意しなければならないでしょう。

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