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幻想歴史読本 ~ファンタジーを考える~  作者: 走るツクネ
民族や文化、我々の価値観にまつわる話
20/84

番外編3 最先端という錯覚

今を生きる、つまり歴史の先端にいる我々ですが、それゆえに問題も引き起こします。


*今まで社会制度という言葉を何度も使ってきました。正しくは統治体制だろうとも思えますが、やはり社会全体を見るという意味で、社会制度という言葉を使わせていただきました。

 私たちは無意識のうちに、自分たちは今時代の先端にいるという考え方をしている。

 最も進んだ生活、技術、そして社会制度。


 しかし歴史を見ると、どの時代の人々も我らこそが新時代を担う者たちだ、と思っていたのでは無いかと感じる時がある。遠くから流れてきた見たことも無い品や新しい技術、文化、そういったものが生み出されていくのを見たときは、「あぁ人間の技術力はここまで来たか。」と実感することだろう。


 そんな彼らの人生も今では記録テープの一巻にすぎない。

 そして我々もそうなることは明白であろう。


 遠い未来、例えば500年後程度に我々の思想は未来人の中でチンパンジー扱いをされているかもしれない。そう考えることはできないだろうか。

 少し昔の作品で未来のことが書かれると、近未来的な空間なのにブラウン管っぽいモニターを使っていたり、VHSやMDのような記録媒体が登場したり、巨大ロボットが戦う傍らでガラケーが使われていたりする。少々滑稽な様子だと感想を持つのは今だからできることだろう。



--人々の価値観と主人公の価値観--


 我々は長い時代の中で、先人たちが様々な形態を吟味選択し、作り上げ、改良してきた枠組みの中で生きている。


 国の社会体制といっても様々な要素がある。そのルールやシステムのパーツは膨大で、例えば小説で描写しようとしても、とても一人で考えきることなどできるはずがない。

 小説を書く人の多くは法律の専門家でもないし、政治や経済に関する学者でもないだろう。


 そこでなにが起こるかというかと、我々が生きる社会が持っている体系の流用が始まる。


 いかんせん我々は自分たちがもっとも優れた時代にいて、優れた技術や思想を持っていると思いたがるのだ。


 進んでいる国の描写には現代日本が持つ様相に近しいものが書かれるし、遅れた社会は自由がない規制された様が描かれるようだ。


 現代から日本人が転生すれば、当然民主主義、特に立憲民主主義こそが優れていると無意識に思うことだろう。

 そして最も進んでいる例として彼等が挙げるものといえば、「猛スピードですすむ馬のついていない鉄でできた馬車」だとか、「動く絵が見れる箱(今では箱も時代遅れで板になった)」だとか、「離れている場所でも会話できる機械」だろう。


 いや、別にそれが悪いといっているわけではない。

 しかし自分が、自分たちより過去の時代に生きる人々より優れている、などと安易に思ってはいけないのではないかとは思う。


 テレビの使い方や車の存在を知っていて、その恩恵を享受できる社会にいるという事がそんなに偉いのか。

 それはもう我々が馬鹿にしがちな貴族の特権意識と何ら差はないだろう。もし誇れるものがあるとしたら、その中で育った"恐らく先進的であろう"考え方や価値観だけだ。


 話はずれるが、車やテレビなどは筆者のような文系出身者にとっては確かに感心すべきとんでも技術の塊なのだろう。その技術力こそが注目され称えられる描写は多い。

 しかし筆者としては、「時速60キロで鉄の塊が走っても事故を起こさない」という街づくりに目を向けたいと思う。


 街とは集団の生活の場である。

 つまり全員が全員、町の中をとんでもないスピードで駆け回る鉄の塊の存在を容認している、というわけである。


 この状態に行き着くまでは社会として、長い時間が必要だろう。例えば車を容認しない町としては、混み入った道路を持っていたり、歴史的な価値のある建物を多く持っている地域が挙げられる。自転車が主な移動ツールとなっている地域でも、車は自由に走ることができない。

 文明の利器を問題なく享受できる社会づくり、というのは一朝一夕にはできない。その社会自体も、その文明の持つ遺産、成果なのではないかと思うのだ。閑話休題。



 社会としてみたときに、今は国際的、標準的な人権の観念と、流通システムが出来上がっている。その結果、人々が同じ土俵で活動をすることこそが尊い、という価値観が育ってきている。先進国は帝国主義の負債を支払おうと躍起になっているようだ。


 そんな思想が最も進んだ我々が持つ価値観なわけで、最先端で洗練されたものであるとしばしば誤解されがちである。

 歴史に登場する多くの人間たちの行動は、素直に納得できるものではない。


 しかしファンタジー世界は、その納得しがたい価値観を持つ人々が暮らしていることが多い。


 結果として、創作物の中で我々と近しい価値観を持つ登場人物たち(特に主人公)が行動すると、社会に似合わない平等を振りかざしているように見えてしまうという現象が起こる。


 また奴隷に対する嫌悪であるとか、宗教や貴族といった我々になじみのない、言ってしまえば旧時代的な機構を持つ者たちへの侮蔑が、物語の進行においておおきなカギとなっている場合も多い。


 この頁まで筆者の無駄に長い文を読んでいただいた方々はお分かりだと思うが、奴隷も宗教も貴族も、必要だからそこに存在しているに他ならない。


 もしこれらに対して否定的な描写を入れたのなら、その小説のテーマは自然と統治体制の崩壊、という面が書かれることになるだろう。

 

 なぜなら悪く書かれるということは、それらが社会に置いて自らの責任を果たしていないということになるからだ。


 たとえば密輸を行う商人だとか汚職に塗れる官僚だとか、そういったものは社会という枠組みの中で、本来の役割を正しく果たしていない言える。聖職者が俗世の欲の中で生きているとしたら、教会の権威は失墜することとなる。

 その社会で生まれている職業は、その社会に必須の役割を持っているのだ。そういった者たちは、社会を崩壊させる原因となる。


 彼らありきで社会のあらゆる法や制度が定められているのに、それらが機能しなくなったら社会が上手く回らない、というのは想像できるだろう。


 彼等は例えるなら道路やガス管のようなものだ。

 それらは後世から見たら、危険なシステムで今にも大事故を引き起こしかねない、時代遅れなものかもしれない。しかし現状は、多少の問題を引き起こしつつも人々の暮らしになくてはならないものである。

 それがとんでもない事態を引き起こすような代物であれば、それ抜きでの社会の運営が求められることになる。


 統治体制とはインフラのようなものだろう。後ろで威張るばかりで働きもしない貴族だとかがいる場合、その社会はまもなく終焉を迎えるということになるのだ。


 よってみだりに批判したり、否定するような描写をしていては、その社会全体の在り方を否定していく流れになってしまう。


 もし役割につく人々がそれぞれ己の仕事を全うしているという状態に、主人公が押し入っていって旧時代だと指摘したとして、現場に生きる人々の誰が賛同しようか。


 職業やシステムなどといった世界に根付いたものを糾弾するというのは、それなりの状況が手元に揃っていなければ難しい、ということは不自然なことではないだろう。


 私たちが異世界に転生した際には、よくよく社会を観察して、彼らの生活を理解しようと努めなければならない。

 

 そこには何万という人々が、それぞれの歴史の中で作り上げてきた国家体制がある。ポッと現れた青年が、進んでいる(と思われる)知識や驚異的な力で、問答無用に覆していくようでは、それは暴力と一緒だ。多くの人の職や安定した生活を滅ぼすというのは、無差別テロに近いだろう。宇宙人や未来人が我々から電気やガス水道を一方的に奪うようなものかもしれないのだ。



--社会や価値観の行く末とファンタジーの醍醐味--

 

 我々は民主主義こそが至高の国の在り方であると思っているが、本当にそうなのか。

 問題点について考えていきたいと思う。


 民主主義は人1人の持つ力ができうる範囲で最大限に強まった社会制度といえるだろう。集団の方針を決める際に、決定にかかわる人数がどんどん多くなっていき、結果的に今の社会になったのだ。


 一般人が国の政治に参加するというのは、よく考えればとんでもない話だ。

 我々は一票に責任を持たなければならないと教えられる。


 一人一人が部族社会でのリーダーのように、「この先どうするか」という事を真剣に考え、悩み、決断を下した結果の選択が、今の国の在り方なのだ。要するに、国民全員が運営に参加する、中世の領主のような立ち位置だ。決して「個人の責任を分散し無責任である人が居て良い社会」を生み出すための制度ではない。


 当然領主がうっかり選択をミスすればその家は滅んでしまう。よってその家では領主の子息にはたっぷりと教育を施すし、何人か子供をつくってあらゆる事故に備える。


 よく見る描写だ。

 そういう風に育てられた領主というのが、まさに我々であり、そうでなければならない。


 現状はさておき、民主主義とはそういったシステムという事ができるだろう。


 つまり国民全員がレベルの高い教育を受け、高度な思考水準をもっていること、という非常に耳が痛い前提があるのだ。数学などは思考訓練などというが、そういうことかもしれない。


 国民が聡明で真剣であるという前提条件がなければ民主主義は脆い。


 たとえば官僚制を取ることで爆発的に発達してきた中国と言う文明は、なんどもその官僚の腐敗によってその身を滅ぼしてきた。


 それゆえに、ファンタジー世界に民主主義をかざして突撃しても、全くうまくいかないだろうと思うのだ。環境によって適した制度は変わってくる。


 現状完璧な社会制度などないのである。

 以前、エルフは実は少人数でも生きていけるほどの高度な社会を築いているのではないかと書いた。

 彼等のもつ社会体制がいかなるものかはわからないが、民主主義の次にあるものはそれかもしれない。



 また、価値観はどうだろうか。

 太古では大きな獣肉を得ることが大事であった。農作業が始まれば、効率よく作物を生産したり、計画的に貯蓄できるものが優位に立った。

 やがて中世にもなれば土地の奪い合いが始まり、近世になると確立した領域を守りきるために、血が尊重されるようになった。

 近代が始まると個人の思想や才覚に重きが置かれるようになり、社会の成果として奨励されるようになる。

 現代ではそれを如何に物品、ことお金に変換するかということが問いただされるようになった。

 

 ではこの先どこに行きつくのだろうか。


 昨今人工知能が騒がれている。

 数々のボードゲームで人間の様々な要因から成り立つ直感、というものが敗北し始めている。

 人工知能やロボットに仕事を取られる、というネット記事を読むこともある。


 数多くのSF物で見ることができる、人工知能が人間を統治する世界、というのも現実味を帯びてきた。そんなバカなと言えないのが、今の世の中の有りようである。


 そんな中で何が重視され、価値がある物として重宝されるのだろうか。


 

 今の環境に身を置く筆者は当然想像することしかできないが、おそらく人間を人間たらしめるものはなにかという観点から、肉体だとか、感性だとか、そういった原始的なものを再確認する流れになるのではないかと考える。


 五感や三大欲求などの、人間を形作っている感覚を実感することがありがたがられるかもしれない。


 そして宇宙世紀の新人類的な、ああいった悟りだとか新境地というもの、つまりはロボットや人工知能が到達できない場所の探求、という観念がテーマになるのではないか。


 もしくは少子化が進み、そのサポートをロボットが担当することになれば、生命そのものこそが尊ばれる時代になるかもしれない。


 優秀な人工知能を持つのはだれか、という育成ゲームのような価値観で競い合いが始まるかもしれない。


 我々が生きているうちにその変化が行われるかは分からないが、時代によって尊ばれるもの、というのは変わっていくのである。



 ファンタジーの魅力はそこに生きる人々の文化や価値観を体験、観察し、味わうことができるところにあるとおもう。

 中世という時代に加え、魔法にモンスター、神までいるのだ。現代日本に置いてはとても経験できない事柄が、山のように転がっている。まるで大容量のオープンワールドゲームだ。

 広大な世界を垣間見た時の高揚感を持つことを、まだ許されているはずだ。


 これからもたくさんの魅力的な物語が生まれることを願っているし、それに運よく出会えることも楽しみにしたいと思う。

 20話とキリが良く、書きたいことはだいたい書けた気がするので、一応これにて本編完結とさせていただきます。私の最高に読みにくい文章をここまで読んで、かつ楽しんでいただけたのなら、あなたの心はグレートプレーンズ並みに広いのだと思います。その広い心と、この暗号のような文章を理解できる頭脳を用いて、素晴らしい作品を生み出して頂ければと思います。そこに本小説のネタが少しでも生きたのならば、私としてはこんなに嬉しいことはありません。

 今後はおまけと称しまして、2000字に満たないであろう補足やネタを書いていきます。自分ルールがなくなるために、よりフリーダムな投稿になるかもしれません。過去のページの改稿も積極的に行っていきたいと思います。もしネタや質問、反論などを頂くことがあれば、それについても考え、書かせていただきたいと思ってますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。


 また、終盤、というか第3章は全体的に批判めいた文が多くなってしまいましたが、悪意あってのことではございませんので、ご理解ください。

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