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幻想歴史読本 ~ファンタジーを考える~  作者: 走るツクネ
民族や文化、我々の価値観にまつわる話
19/84

文化について 時代の様相と発展

文化とは何でしょうか。どのように発展するのでしょうか。

今回も様々な例を挙げてその様子を探り、ファンタジー世界の文化について考えます。



 文化というのは辞書によれば、「人間の生活様式の全体、人類が築き上げてきた有形無形の成果の総体」とのことで、特に哲学、芸術、科学、宗教などの精神的活動を呼ぶ、とあります。

 「物質的所産は文明であり、文化と区別される」らしいです。


 文明と文化の境は、たくさんの例を用いて詳しく説明されています。

 それほどに文明と文化ははっきりと分けることが難しいのでしょう。



 文化はそこ一帯に住む民族が持つ歴史であり、成り行きであり、結果であり、成果です。


 社会体制、宗教、技術レベル、経済状況、外交情勢などが複雑に作用しあって生み出されたものといえるでしょう。 



 本小説でいえば今まで考えてきたものすべてが、ファンタジーの文化だといえます。つまり歴史を考える、ということは文化の様子や成立の過程を見るということにつながるのです。



 そういう意味でここにきてこれ以上何を書くんだとも思いますが、中世ヨーロッパの文化と絡めつつ、ファンタジー世界で発生するであろう文化、とくに芸術について考えていきたいと思います。


 もちろん文化の中には建築や料理、スポーツも含まれていると承知しておりますが、非常に描写が少なく広い範囲に散っていますので、中でも代表といってもいい芸術という部分について考察を進めていきます。



--ファンタジー小説における文化の描写--


 あらゆるファンタジー小説で、芸術などの文化的な描写は控えめにされています。


 文化は先述したとおりその民族の成果ですので、下手に描写しようとすると文が膨大になってしまったり設定に齟齬が生まれる可能性が生じます。したがって話の大筋と関係ない位置にある文化は省かれるのでしょう。


 そんな中でもよくある描写としては、美しく化粧を施し豪奢なドレスや装飾品を身に着けた婦女子が、男性にエスコートされながら夜会などに参加する、というものがあります。

 そこではバイオリンなどの弦楽器奏者があつまった楽団がワルツなんかを演奏していて、男女が中央にあるスペースにて踊ります。


 このような描写が小説の中で登場しても、とくには違和感を覚えることはないでしょう。

 しかしこれらの様式が広まったのは、おそらく1750年以降ではと考えられます。


 それにはいくつか理由があります。

 まず中世の化粧は非常に難易度が高く、命がけだった点です。技術や科学がそこまで発展しておらず、しばしば生命に危機をもたらす物質が使われていました。よって禁止されていたのではないかという説もあります。


 次に、今ある姿のバイオリンは1500年あたり(正確なことは分かっていません。突如登場したようです)であり、あの有名なストラディバリウスやらアマティやらは1600年から1700年の作者であります。楽器作りはお金がかかるので、権力者たちが制作に力を入れ始めたのがそれくらいなのでしょう。


 また、ワルツの歴史も比較的新しいし、オーケストラの概念も新しいものです。



--中世の音楽--


 では中世ではどんな芸術が流行していたのか。

 それはファンタジーでよく出てくるもう一つの芸術描写です。


 吟遊詩人です。

 

 リュートなどを片手に宮廷市井関係なく物語を吟じる様子は、ファンタジー世界の定番といってもいいでしょう。


 当時の音楽について流行を上げるとしたら、この吟遊詩人による宮廷騎士物語でした。


 「騎士道精神」や「宮廷での愛」を題材に、さらわれた姫を助けたりその姫と恋仲になったりする騎士の様子が描かれます。



 中世ドイツではミンネゼンガー、中世フランスではトルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人が活躍しました。


 特に結婚した恋人への愛を描くものが好まれたようです。このころから不倫は文化だったようです。

 おそらく夜会では広間のような宮廷の一室で吟遊詩人のパフォーマンスを見る、というのが一般的だったでしょう。


 しかしミンネゼンガーは騎士の衰退とともに廃れていくこととなります。


 各地の宮廷を回っていた吟遊詩人は職を失い、都市に定住することになります。


 そして生まれたのがマイスタージンガーです。日本語に直訳すれば親方歌手、となります。

 手工業ギルドによって与えられる称号で、音楽文化を代表することになりました。



 このように音楽は歌が主流でした。クラシック音楽の初期も主にオペラが生産されています。


 もちろんその場にあったもので楽器は作られていたでしょう。

 たとえばリュートは木の胴体に羊の腸を弦として張って楽器になっていますし、タンバリンはイタリア北部の羊飼いが、桶に羊の皮を張ったのが起源だという話も聞きます。馬頭琴もその環境にあって生まれた民族楽器です。


 とはいえ博物館で資料を眺める限り規格が定めらた様子はありません。

 クラシック音楽界にて現代でも普及しているものが生まれるのは1800年前後になります。



--技術の進歩と文化の進歩--


 話はそれますが、私たちにとってなじみ深いピアノは鉄鋼業の発展によって生み出されています。

 

 あの太い鋼線を張り巡らした内部を見たことある方は多いと思いますが、鋼線の張力に対抗するためのボディ(フレーム)は強固でなければなりません。 


 ピアノが開発されるまではチェンバロやクラブサン等が一般的でした。

 ピアノはハンマーで弦を叩いて音を出しますが、チェンバロは弦をはじくようにして音を出します。


 弦が長く張力も強ければ、それだけ大きく強力な音を出すことができます。もはやはじくこともできなくなって、叩く技法が生まれたのかもしれません。

 多くの芸術家に信奉されるかの有名なピアノメーカー、スタインウェイ社のピアノは特許技術の塊だそうです。


 そんなピアノが生み出されて音楽会の様子が変わります。


 強力で大きな音というのはソリストを生み出します。演奏者がホールの舞台で一人、大勢の楽団や観客の視線に立ち向かう、という形式ができたのはこのころ(もちろん協奏曲のスタイルは一足先に生まれていました)です。


 作曲家たちはこの便利なピアノという道具をつかって様々な作品を生み出します。


 リストやショパンといった(直接的に本人に強い影響を及ぼしたのはパガニーニですが)、名人芸が生まれる余地をつくったのは鉄鋼業なのです。


 それまではサロンに集まってピアノの周りを各々が自由にぐるっと囲んで鑑賞する、というのが一般的な様子でした(もちろんコンサート形式が一般的になってもその形は失われませんでした)。


 ほかにも文明の成果として生み出されるものとしては絵の具があります。

 

 例えばラピスラズリを原料とした青色は大変高価でしたが、産業革命や科学革命によって合成顔料が生み出され安価になります。

 他にもイギリス人画家、ウィリアム・ターナーは当時の技術研究によってもたらされた黄色の絵具をよく好んでいました。あまりに使いすぎてカレー野郎と言われたという話もあります。


 ちなみに中世の美術は宗教的な描写が多く見られます。写実的な芸術に否定的でした。つまりどういうことかと言いますと、現実にあるままに書くのなら実際に実物を見ればいいでしょ、というわけです。

 確かにそれも一理あり、その結果人物と建物が同じ大きさで書かれていたりします。


 それが行き過ぎた結果、美術界にルネサンスがおこるのです。そのルネサンスも技術進歩という価値観の革新がなければ起こらなかったことでしょう。



--各分野の発展の様子--


 芸術分野における技術、つまり手法や発想、モチーフはどのように発展するのでしょうか。


 面白いことに分野によって多少のラグがあります。

 これはずっと前、魔法についての頁で触れましたが、新技術というのは開発されてしばらく経ってから他の分野に波及しはじめるのです。



 まずは哲学や文学が一番初めに発達するでしょう。


 社会が安定してきますと人々は余剰生産力を別のものに向け始めます。スポーツも文明を利用してすぐに開発されるでしょう。

 脳みそと肉体の活動は特別な道具を何も必要としないので、最も自由な進歩を遂げることができるのです。思考の飛翔と肉体への賛美という原初的な意識は、案外文化面ではどこでも見ることができます。


 そして美術。

 見たもの感じたものを、自らの手で表現しようとし始めます。これは哲学や思考に影響され感じたり考えたりして、生み出されることになります。


 最後に音楽。

 聴くというもっとも不可解な感覚を使う上に、鑑賞中に強制的に時間の流れを進められてしまう芸術であります。生産するプロセスも、まずは影響を受け感じたり考えたりして、作曲し始めそして演奏をしなければなりません。


 例えば様々な制約や決まり事があるクラシック音楽は、もっとも不自由で発展が遅れる分野に属します。近代に入ればその形態ゆえに発表するのも一苦労です。


 実際、中世において分野ごとの発展環境の整い方はこういった順番にあったでしょう。


 美術と音楽における、印象派の登場時期やルネサンス(実は音楽に置いてはルネサンスは同時期に起きず、バロックがそれに相当するようにも見えます)や新古典派の発生を見ても明らかであると思います。


 さらには技術の進歩は権力者の影響を随分と受けます。中世においては教会が力を持っていましたので、真理を探究する哲学などは随分発展が止まりましたし、ルネサンスが始まるまで漬物石が乗っかったような状況だったでしょう。



--経済と文化--


 芸術と経済は密接にかかわりあっています。最新技術や材料を多く使い、且つ長い時間何も生産しないという芸術家には経済的支援が非常に重要になってきます。

 不景気になれば真っ先に切られるのは文化的分野への支援であるのは明らかであり、その結果文化の進歩は止まってしまいます。



 もっとも有名なものとして、イタリアで交易によってぼろ儲けした商人が芸術家を支援してルネサンスが起こった、というのがあります。


 ほかにも錬金研究の副産物として西洋でも磁器の製法が編み出され、それによって莫大な利益を得たドレスデンの領主は文化発展にお金をつぎ込みました。

 他にもハプスブルク家が強力に支援しなければ、モーツァルトの数々の名曲は生まれなかったでしょう。

 バイオリンの制作にも高価な木材を使ったりニスに膨大な研究時間が必要です。非常に高い材料費がかかりますので、貴族や商人からの依頼でもなければ特別な楽器というのは作ることができません。

 実際にイタリアが不安定になると名器の制作は減少します。再び平定された1900年代になると、バイオリン制作業界に過去の名器を研究しその技法を復活される、というルネサンス期が訪れたりします。


 日本史でいえばすべての文化区分の作品が、当時の大陸や宗教との関係性と権力者が何者でどういう趣味をもっていたのか、というのが伺えるようになってます。


 このように文化と当時の経済状況もよく結びついていました。

 宗教が力を持ってお金を出していたころはイコンが多く生み出され発展しましたし、貴族がパトロンになれば肖像画になります。



--ファンタジー世界の文化--


 つまりここまでで何が言いたいかというと、ファンタジー世界においては力をもっている冒険者達が独自の文化を形成しているのではないか、ということです。


 世の中を旅していろんな文化的な部品を手にしている冒険者は、世俗的文化筆頭として重要な立ち位置になりえます。


 名誉欲の強い冒険者です。彼らは自らの冒険譚を歌にして披露したでしょう。モンスターから有り余るほどの素材が手に入れば、芸術的活動に打ち込むかもしれません。

 芸術に理解を持った冒険者が、莫大な資産を芸術家に投資するという事例もありそうです。


 そうでなくても、馬鹿みたいにでかい骨や角を使って笛を作ったかもしれませんし、竪琴がつくられたかもしれません。多くの打楽器、弦楽器が即興的に生み出されたことでしょう。それによる舞曲が開発されたかもしれません。


 生きるか死ぬかという冒険者が、その日の命を堪能するために、独特な文化が生み出されていてもおかしくはありません。そこには彼らの死生観が伺えることでしょう。

 ギルドカラーみたいなものを用いて派手な格好をしたかもしれませんし、その人生観を謳って詩歌が発展するかもしれません。



 実際、クラシック音楽に見られる多くの舞踏は民間から自然発生したものです。それが宮廷に大流行して問題を引き起こし、禁止された例もいくつかあるのです。

 その場合は酒場等が文化の産出拠点でありました。


 冒険者たちも例にもれず酒場や、もしくは前に書いた冒険者の為の宿屋で独自の文化を生み出していったのではないのでしょうか。


 それらを当時の騎士や貴族、教会勢力などは決して認めようとしないでしょう。しかし徐々に社会的影響力を失い彼らがもつ文化が衰退すると、冒険者的文化の風潮が生まれるに違いありません。



 現代の状況をみて文明が文化を駆逐する、などと偉ぶって嘆く人たちも中にはおりますが、筆者はそうではないと信じています。

 文化と文明は相互扶助しながら発展し続けているのです。興亡する文化は、熾烈な生存競争の様子であり進化なのです。


 そこに魔法や冒険者といった要素も多分に影響を与えることでしょう。


 世俗、教会、宮廷、仏教、大衆、などなど様々な言葉が、文化という単語の頭にくっつきます。

 私は全部魅力的に思えるのですが、サブカルチャーなどという言葉は嫌いです。まだハイカルチャー(ブルジョア階級が愛好するとされる文化で完成度は問わない)は許せますが、人の思考や生産活動である文化に上下をつけるのはいかがなものかと。自称はともかくとして、上から言われるのはなんか違う気がしています。


 とはいえさっき、カルチュラル・スタディーズという言葉を知りました。本小説の試みはまさにここにあったのだ(後付け)

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