1-3 遅れてやってくるもの
◇ ◇
「退屈そうね」
その少年に対して、なんと話しかけるべきなのか。
本来ならば時間をかけ、最適な解を導き出したかったところだが、生憎と時間は押していた。思考に時間を割いているだけの余裕はなかった。
よって、出来る限り当たり障りなく、それでいて余り刺激をすることもないような、在り来りな文言、つまりは相手の状況をそのまま言い表すと言う、比較的簡単な手段を、夜音女八事は取ることにした。
実際、その少年は酷く退屈そうに見えた。何もすることがなく、ただ手持ち無沙汰に立っている――なるほど、それを見れば大抵の人は退屈そうだと判断するかもしれない。
けれど、人が皆、何かをやりたがっているとも限らない。
「そりゃ君のことだろ」
と。
その夜音女八事の言葉に、箱追あざけりはそう返した。
その言葉は、夜音女にとって予想外の返しだったと言える。なんと反応されるか、多少は考えていた。心構えと言っても良い。夜音女の名に恐れ慄くか、露骨に嫌そうな顔をされるか。あるいは何処かおどおどしたような態度をとられるか、もしくは真逆に、喜々として相手をされるか。
しかし、箱追あざけりのその返しは、夜音女の予想の中にはなかった。
微かに、心が揺れる。
「……どういうこと?」
「どう言うことも何もないだろ。退屈そうにしているのは君であって、俺じゃない。どうして俺が退屈そうだと思ったんだ? それは君と俺との状況が同じで、その状況で君が退屈を感じているからだろ。事実として、俺は全く退屈じゃないからな」
「…………」
――何、こいつ。
と、夜音女八事は素直に引いた。
初対面、初会話で、いきなりそんなことを言われるとは思わなかった。
「まあその気持ちは解らないでもない。周りの奴らがことごとく夜音女の名前にビビって、尻尾を巻いて逃げ出してるのがつまらなくて仕方が無い。何だこの退屈な奴らは。臆病者共め。全員くたばってしまえばいい――とか、まあそんなところだろう。流石は天下の夜音女様。凡人を見下すのに余念がないな」
「そ――そんな事思っているわけないでしょう!?」
人前で大声を上げることは、滅多になかった。
それは夜音女の人間としての嗜みでもあったし、彼女自身の性格でもあった。けれど、いきなりそんな謂れのないことを言われて、否定しない方がおかしいと言うものだ。
――本当に?
――本当に謂れのないことなの?
――謂れのないことなら、別に、こんな……むきになって否定するほどでもなかったんじゃないの?
頭の隅で、そんな声がした――ような気がした。
「なんだよ急に。図星を突かれて憤ったか?」
「あ――あなたこそ、そう思っているんじゃないの? あなた自身が、そう思っているから、私がそんな風に考えているって、そう思ったんじゃないの?」
「かもな。けれど、別にそれは、君がそう思っていないことの証左にはならないだろ」
先ほどの箱追の理論をそのまま返すような夜音女の言葉を、箱追は別に否定しなかった。
――ああ。
と、それを聞いて、夜音女八事は、なんとなく……彼がクラスメイトから疎外されている理由の一端が、解ったような気がした。
(……なんて)
夜音女は思う。
(……なんて――どうでも良さそうに、人と話すんだろう……この人……)
これまでの会話の中で、箱追は、一度足りとも夜音女に視線を向けていなかった。ほんの少し、顔を向けることさえせず……まるで片手間のように、話している。
やることもないのに。
片手間のように。
「――で、俺に何の用なんだ? 夜音女さん」
「……っ」
夜音女が言葉に詰まっていると、箱追はあっさりと話題を変えた。否、話題を戻したと言ったほうが良いのかもしれないが……そんなことはどちらでも同じことだ。
「さっさと本題に入れよ。時間を効率よく使えないのは、自分の愚図さを晒すだけで一利無しの愚行だぞ」
「……私には、あなたも時間を無駄にしているように見えるけれど」
「想像力が無いんだな」
いかにも雑な返しだった。夜音女はその言い草に歯噛みしつつも、本来の通り、自分の要求を伝えようと口を開く。
(……落ち着いて……多少、問題を抱えていそうだって言うのは、話しかける前から解っていたことじゃない……)
冷静さを取り戻そうと試みつつ、夜音女は言う。
「……見ての通り、私今、ペア組んでくれる人が居なくて困っているのよ。あなたもそうでしょう?」
「そう見えるか?」
「ええ」
「なるほど、どうやら夜音女家のお嬢さんの目は節穴らしい。眼科への通院を勧めるよ。出来るだけ良いところで見てもらえ。かなりの重症だ」
「……なっ」
箱追の言葉に、夜音女は絶句する。一瞬、何を言われているのか解らなかった……自分に対して、そんな言葉を吐きかける相手がいるだなんて、思わなかった。
――こんな、こんな皮肉を言われたのは、生まれて初めてだ。
冷静さを取り戻しつつあった心が、刺々しさを増していく。
「……誰の目が節穴ですって?」
「目だけじゃなくて耳まで悪いのか? もしくは言葉が聞こえてもそれを理解できるだけの知能が無いのか? そりゃ悪かったな。『夜音女家のお嬢さん』なんて婉曲表現した俺が悪かった。君の目がどうかしているって忠告してやったんだよ。ついでに頭も診てもらえ。高確率でイカれてる。初対面のクラスメイトにここまで忠告してやる俺ってかなり親切だろ?」
「……もしそれを親切だと思っているなら、頭が悪いのはあなたの方よ」
「違うね。俺は性格が悪いんだ」
――ついでに口も悪い……と、夜音女は思った。が、それを口に出せば「そんなことを平然と人に言える君も相当口が悪いだろ」などと返されることは目に見えていたので、あえて何も言わずに黙る。
――こう言う類の人間と、直接関わったことはないけれど……それでも、見たことはある。
(……舌戦は相手の土俵……下手に乗らない方がいいわね)
だが、これだけ散々好き放題に言われて、我慢の出来るほど、夜音女八事もまだ大人ではなかった。
彼女は十五歳の少女である。侮辱の言葉には憤るし、それを抑え切るほどの自制心も、まだ育っていない――そして何より、夜音女家としてのプライドがあった。
これほど、悪意に塗れた言葉を投げつけられて、何もやり返さず終わるわけにはいかない。
「――でも、あなたも、結局ペアは居ないわけでしょう?」
「見て解らないのか? もしくは一般人には見えない、存在しないはずの六十三人目が見えているのか?」
「こんなの、ただの確認でしょう? 何を不機嫌そうにしているのよ」
「悪かったよ。そんな解りきっていることをわざわざ確認してくる馬鹿がいるとは思わなかったんだ。こればっかりは俺が浅慮だったな。この世には想像も出来ないほどの馬鹿がいるらしい。ありがとう。勉強になったよ」
ぴきり、と、夜音女のこめかみに血管が浮きかけた。皮肉に皮肉を返せば、何倍にもなって返ってくる。
――なんて、嫌なやつなんだろう。
けれど、その嫌なやつ以外のクラスメイトは、既に皆、ペアを組んでしまっている。ハズレ籤を引いた形だが、その嫌なやつと組む以外、道はないのだった。
(……それに)
と、夜音女は考える。
(ペアを組めれば、模擬戦として、戦える)
そうなれば。
(この積もり積もった恨みを、晴らすことが出来る)
もう少しの我慢だ。そう考え、夜音女は、目の前の男を蹴散らす瞬間をイメージし、心を落ち着かせた。
そして言う。
「もう他の人はみんな、ペアを組んじゃっていて、残っているのは私達だけみたいだし……ペア、組まない?」
「言うと思った」
そこで、初めて、箱追は夜音女の方へと顔を向けた。
それは、明らかに、嫌悪の混じった表情だった……他のクラスメイトたちに、ペアを断られた時とは、全く違うその表情に、夜音女は戸惑う。
――鬱陶しい……と、言葉が聞こえてきそうなほど、暗澹が篭った視線。
――どうして、初対面の相手に、そんな視線を向けることが出来るのだろう。
(……散々貶された私が、その表情を向けるならまだしも)
なんとなく、割にあわないような気持ちを覚えつつ、しかし夜音女の中に、特に懸念はなかった。
前述したように、もう残っている生徒は夜音女と箱追の二人だけなのだ――だから、どうあがいたところで、最後のペアは決まりきっている。
そう、安心していた。
「――答えはNoだ。なんで俺が君みたいな奴と組まなきゃいけない。死んでもごめんだね。勘弁してくれ」
「……え?」
だから、箱追からそんな返事が返って来た際に、そんな、どこか間の抜けた声を上げてしまった。
――断られた?
――ペアの誘いを?
「――ま、待って。それじゃああなた、どうするのよ。もう他に残っているクラスメイトなんて――」
「だから、欠席するんだよ。消去法も出来ないのか?」
……欠席?
当然のように、全員が出席すると思っていた。
模擬戦は、貴重な実戦の機会だ……魔術師を目指すものとして、その機会を逃すことは大きな損失に繋がる……しかも、今回は高等学院に進学して、初めての模擬戦である。
そんな――そんな貴重な機会を?
欠席?
「ど、どうして」
「何故俺が、君にわざわざ理由を教える必要があるんだ?」
そう言って、箱追あざけりは夜音女八事から視線を外し、そのまま第四訓練場の端の方まで歩いて行く。
「に、逃げるつもり?」
それを夜音女は、小さな声で呼び止めた。
このまま本当に欠席されたら、自分は貶され損だ。やり返すことも出来ず、泣き寝入りである。
だから言葉を投げかける。
「散々、私とペアを組まなかった他のクラスメイトのことを、退屈だとか臆病者だとか言っておいて――結局あなたも、そうなんじゃない」
挑発のつもりだった。
そう言えば、気を変えて、勝負に乗ってくるんじゃないかと――そう、思ったのだ。
そんな夜音女の言葉に、箱追は軽く振り向いて、
「知らなかったのか? 俺は退屈な奴だし、臆病者だ。自分を『そうじゃない』だなんて、烏滸がましくてとても言えないね」
と、それだけ言って、足を止めることもなく、歩を進めていった。