傭兵王の望んだ物
タイトル通りの話
目の前にはそれがある。板状のそれは甘美な匂いを漂わせ、「ほら、食べてごらんなさい?」とでも言いたげな雰囲気を醸し出していた。
「……むぅ」
齧る。ぱきり、と乾いた音を立てながらそれはアリアの口の中に飛び込んだ。続けざまに薄ピンクの下に舐められ――次第に形を無くし、形を小さくし――いつしか消えた。やれやれ、とアリアは肩を竦めながら再び齧る。
「んぅ」
失敗したなぁ、と思いながら時計に目を向ける。時刻は14時半、旦那が帰ってくるまで2時間近くある。だからもう少しやり直せる。そう思い、板チョコの山に目を向ける。
時計の表示されている『14:01』という表示の下にある『2/14』は日付を現している。つまり――バレンタインだ。
「んー、甘い」
甘いから食べ過ぎちゃわないように、と節制する、つもりで三度目の最後の一枚に手を伸ばす。しかし、その手が板チョコに触れる寸前、
『アリア、食べ過ぎは良くないですよ』
「……む、マグナ。何がダメなのよ」
『食べ過ぎと今日の本来の予定はバレンタイン用のチョコ作りです。何をしようとしているのですか、アリアは?』
「良いじゃん美味しいし」
『何一つよくありません。さっさとしなさい』
「はーい」
昔のアリアに戻って入るみたいだ、とマグナは思う。変態で変人のアリアの変な本質の片割れである僕が出て来そうになっていたのだ。
『――ちょっと待ちなさい』
「え?」
『今アリアは何をしようとしたのですか? 見たところ、それはフライパンにしか見えないのですが……?』
「えっと、チョコレートを炒めてみようかなって思ったの」
何故アリアは満面の笑みで言うのでしょうか。マグナはそんな自問自答をし、アリアが変だから、といういつもの結論に達する。そもそもマグナがこうやってアリアを見張っている理由が、柘雄に「アリアが変なことをしないかたまにで良いから見てあげて」だったのだ。しかし
(変じゃない時の方が少ない――っ!)
余りにもゆゆしい事態にマグナは頭を抱えた、つもりになる。肉体があれば実際に抱えていたであろう程だった。
『あの、アリア。お願いですから作り方を調べるなどしてください』
「え、やだ」
『や、やだって……何が嫌なのですか?』
「模倣は嫌よ。自分なりに作りたいわ」
『……いえ、でも、基礎的な知識ぐらいは……お願いします』
「だって見ちゃったら全部見てしまいそうだもん。それはやだ」
もう私まで嫌になってきた。マグナはそう思い、援軍を呼びに行った。
*****
『お祖母様、お願いですから今一度考え直してください』
『そうですよ、お祖母様。知識無しでやっては危険です』
「そうかなぁ?」
アリアはフライパンの隣にまな板を並べながら首を傾げる。まな板を取り出したのはまだ分かるが、フライパンは完全に分からない。孫二人が戸惑いながら慌ててネットの海を探り、
『お祖母様、湯煎って知っていますか?』
「何それ?」
『お湯の中に鍋を入れ、その鍋の中でチョコレートを溶かすのです』
「面倒い」
『お祖母様ァ!?』
そんな二人の様子を眺め、ユリウスは混乱しながら色々と探る。そして
『お祖母様、フライパンでやると焦げ付きます』
「油敷けば良いじゃん」
『いえ、チョコレート自体がまず油です、意味がありません』
そうなの? と、祖母が首を傾げながらフライパンを収納した。勝った、と二人が歓喜の表情を浮かべていると――ホットプレートが出て来た。
「やっぱり炒めないとね」
『あの、お祖母様? 一体何を聞いていたのですか?』
「ん? フライパンだと焦げ付くって」
『では何故ホットプレートを?』
嫌な予感がする。
「フライパンじゃないからよ」
『屁理屈ですかそれは』
もうやだ、とユリアが諦める。その背中をマグナが優しく叩き、まだ頑張れそうなユリウスに期待を預ける。しかしユリウスも内心でげっそりしており、やはり祖母は俺では考えつかないような高みの人間である、と認識するという諦めに至っていたのであった。
「湯煎ってそもそも何さ」
さっきユリアが説明したのだが、アリアはそれを丸っと忘れてふーむ、と首を傾げる。ポケットにはスマホが、そして左手首には時計型のデバイスがあり、ネットにいつでも繋がっているのだが――アリアは頷いて
「よし、聞かなかったことにしよう」
『ちょっと待ってそれはおかしい』
「ン……? 柘雄?」
『そうだよ。このままだと収拾が付かないから、って呼ばれたんだ』
「ほー」
誰にだろう、と思うが多分マグナだ。それから
「どうしたの?」
『いやさ、チョコレートを溶かすには湯煎をするんだよ?』
「湯煎って何?」
速攻で記憶から消し飛ばしたアリアに聞いていたユリアが思わず白目を剥く。それを哀れに思いながらマグナは何も言わず、援軍の言葉を信じる。
『湯煎って言うのはチョコレートを溶かす方法だよ』
「ふーん?」
あれ、同じ事を言っているだけなのにアリアが納得している。それに愕然としていると、
『アリア、僕が帰ってから作るのを手伝うからさ、もう少し待ってよ』
「ん……うーん」
それは果たしてバレンタインで良いのか、と悩む。しかし
「んー、そだね。でもそれとは別に一つは作っても良い?」
『マグナたちの言うことをきちんと聞いてよ?』
「うん、そうする」
『それじゃ、これが最後の授業だから少し待っててね』
「うん、また後でね」
*****
「ヘイ柘雄、アリアちゃんと電話?」
「電話って言うか……うーん、歯止め?」
「はぁ?」
「マグナたちからアリアが変なことをしようとしているから止めて、って頼まれたんだ」
「……ごめんね、あんな妹で」
*****
「この発想は無かったなぁ」
「そう?」
えへへ、と勝利の笑みを浮かべるアリア。一体何と戦っていたのだろうか、とも思うが――まぁ良いや。アリアがそれで良いのなら、僕もそれで良い。
「しかし随分と多いんだね」
「えへへ」
「もしかして止め時が分からなかったとか?」
「えへ?」
「可愛く笑ってもダメ」
ほっぺたを指で突きながら小さく笑う。アリアも笑う。そして鍋に目を戻す。
「融かしたんだ」
「うん、融かした」
「融かして……どうするの?」
「こうするの」
アリアは冷蔵庫を開き、事前に切っておいたのか皿に乗った果物が現われた。そしてそれを箸で掴み、チョコレートの海を潜らせる。
「……えっと、チョコレートフォンデュ、なの?」
「うん」
「……そっか、お疲れ様」
「うむうむ」
アリアは胸を張るが、そこに膨らみは僅かにしかない。ちなみにしたことは大量の湯煎と果物を切っただけである。
ぁ~
「ん」
「うん」
今の声、と二人は同時に反応し、アリアはエプロンを外しながら、柘雄は学生服のボタンを外しながらリビングに向かう。そして
「おはよ、おねむさん」
「ぁぅ~?」
「ふふふ」
アリアは優しく微笑みながら我が子の伸ばした小さな、とても小さな手に指先で触れる。それに我が子、武が嬉しそうに笑い、アリアの指を握りしめる。それを眺めながら柘雄はもう一人の息子、武の手でぺしぺし、と叩かれていた。
「ねぇ、アリア」
「ん?」
「二人の分はあるの?」
「ん……母乳から行くんじゃない?」
それもそうか、と一瞬納得し、しかしやはり疑問を感じながら――それもまたアリアらしいや、と柘雄は笑った。
ではありません。
バレンタイン記念ついでに二人の結婚生活の一端を書いてみました柘雄爆ぜろ
やっぱりアレだね、最後に二人が作るシーン書き忘れているね
脳内保管してくれると助かります
書き加えない理由としては柘雄がアリアちゃんといちゃついていると思うとイラッとするからです。
バレンタインでチョコをもらった人は敵です。嫌いじゃないけど敵です。




