(5)背中の大きさが違うということ。:2
「三浦先生、いますか?1年5組の磯崎です。具合の悪い人を連れてきました」
私をおぶっていることで手が塞がっている磯崎君が、保健室の扉の前で中に声をかける。
するとすぐに横開きの扉が開けられた。そして三浦先生は背負われている私を見て、
「顔色が悪いわね」
と、お母さんのような優しい顔が心配そうなものに変わった。
「中に入って、その子を椅子に座らせてくれるかしら」
先生は磯崎君に指示を出しながら消毒液で手を洗い終えると、丸い椅子に腰を落としている私の前にやってくる。
「横にならせてあげたいけど、診察の間は我慢してね。何があったの?」
「朝からちょっと具合が悪かったんですけど、体育を休むほどは酷いとは思っていなくて。それで、バレーボールの試合が終わった時に目の前が暗くなって、それで倒れちゃって……」
「どこか特別に痛むところはある?」
「体の左側です」
「そう」
先生は私の話を聞きながら診察票に書き込み、そして丹念に私の体を触って調べ始めた。
「頭は打ってないようだわ。今はどんな感じ?吐き気はある?」
「いえ、気持ち悪さはないです。ただ、頭がクラクラしています」
「風邪ということではなさそうね。普段は眠れているの?それと、食事はきちんと摂ってる?」
「いえ、それが……」
ここで私が言葉を濁すと、
「軽い貧血と言ったところかしら。しばらくベッドで寝ていれば、良くなると思うわ。担任の加山先生に連絡しておくわね」
と、先生が優しく微笑む。
すると、私の後ろにいた磯崎君がほぅと息を吐いた。
「よかった……」
磯崎君は授業に戻らず、ずっと私に付き添ってくれている。
こういう優しいところが、やっぱり好きだなぁと思う。
ここでハッとした。
わざわざおぶってまで私を保健室に連れてきてくれたのに、お礼を言っていなかったことに気が付いた。
「あ、あの……、ありがと……」
磯崎君にお礼を言うなんて慣れてなくて、俯いたままゴニョゴニョと小声で告げると、
「元気な高塚が倒れるなんて思ってなかったから、さっきはマジで焦った」
と言って、磯崎君は私の髪をクシャリと撫でたのだった。
足元がふらつく私の事を支えながらベッドまで誘導してくれた磯崎君は、私がベッドに潜り込んで横になるとまた頭を撫でてくる。
「早く元気になれよ。高塚の怒鳴り声が聞けないと、何だかつまんないし」
「何よ、それ。私がいつも怒っているみたいじゃない。それから、勝手に髪を触らないでって言ってるでしょ?」
軽く睨み付けてそう言いながら、自分でも磯崎君にはきつく当たってばかりだと思い当たる。確かに怒ってばかりだ。
―――このままじゃダメだよね。磯崎君はこんな私にも優しくしてくれたんだし、少しは素直になろうかな……。
彼に頭を撫でられているうちにウトウトと眠くなってきた私は、そんな事を心の中で考えていた。
午前中の授業が終わるまで横になったおかげで、だいぶスッキリした。
三浦先生にお礼を言ってから教室に向かうと、入口のところに立っていた菊池さんと田岡さんがこちらに駆けてくる。
「もう大丈夫なの?」
「どこか怪我はしてない?」
「うん、大丈夫。軽く貧血を起こしただけだから。打撲もちょっとだけだし、湿布をしてもらったから」
心配してくれた友人たちに微笑みかけると、二人はホッと胸を撫で下ろした。
「お昼は食べられる?」
田岡さんに訊かれて、頷き返す。
「お母さんがサンドイッチを持たしてくれたの。それなら食べられると思う。二人とも、私を待っててくれたんでしょ?ありがとうね」
「いいの、気にしないで」
「さ、食べよ」
菊地さんに手を引かれ、体操服のまま席に着いた。
三人でいつものように仲良くお昼ご飯を食べている時、ふと、教室内がいつもと違うことに気が付く。
何が違うのかはすぐに分からなくて、私はキョロキョロと辺りを見回した。そんな私に、田岡さんが声をかける。
「どうかした?」
「え?ううん、何でもないの」
そう答えた時、磯崎君が教室に入ってきた。
いつもと違ったのは、彼の姿がなかったからのようだ。それだけでいつもと違うと感じるなんて、自分はどれだけ磯崎君が好きなのだろうか。
―――あとで改めてお礼を言おうかな。
なんてこっそり考えていると、
「ああ、戻ってきたんだね」
「どうなったのかな?」
田岡さんと菊地さんが訳知り顔で囁きはじめる。
「どうしたの?」
私が訊くと、二人は互いにちょこっと目くばせをした。
不自然な様子に、私はもう一度声をかける。
「ねぇ、どうしたの?」
すると二人はしばらくモゴモゴと言葉を濁らせた後、
「あの……。さっき、6組の菅原さんが教室に来て……」
「磯崎君に話があるって、二人でどこかに行って……」
と、気まずそうにポツリポツリと説明を始めた。
「それって……」
わざわざ呼び出して、それでどこかに行ったということは……。
そんな定番のシチュエーションから想像できるのは、たった一つしかない。
―――磯崎君が、菅原さんに告白されたってこと?
黙り込んだ私に、二人は少し慌てる。
「わ、私たちが気にすることじゃないよね。それに、磯崎君や菅原さんを冷やかつもりなんて全然なくて!」
「う、うん、これは二人の問題だしね。私たち、別にお節介をやきたいってことじゃないんだよ!」
田岡さんと菊地さんは、第三者が首を突っ込むことに対して私が怒ったと思ったようだ。
実際はそんな事ではなかった。私が黙ってしまったのは、ただ驚いたから。
だけど明るくてカッコいい磯崎君の事だから、こうやって誰かに告白されることがあっても当然なのだ。今までそんな事がなかった方が不思議なくらいだ。
半分ほどサンドイッチを食べたところで手が止まっていた私は、そのままお弁当箱の蓋を閉める。
「田岡さんと菊地さんに怒ったわけじゃないんだよ。私、そろそろ制服に着替えるね。二人はゆっくり食べてて」
そう言って私は制服を手に席を立った。
どこで着替えようかと考えた挙句に、私は保健室に向かう。
三浦先生に事情を話して中に入れてもらうと、衝立ての陰で体操服を脱いだ。
その時、午前中寝ていたベッドが目に入る。
―――ほんのついさっきまで、磯崎君には素直になろうと決めたのにな。
その矢先に彼が告白されたという話を聞いてしまったら、その決心も揺らいでしまう。
それに今更素直になったところで、手遅れなのではないだろうか。
菅原さんというのは、同性の私から見ても小型犬みたいで可愛い小柄な女の子だ。
体育の授業は隣のクラスの女子と合同で行われるので、5組の私たちは6組の女子たちと同じ授業となる。
これまでに何度も顔を合わせたことがあるし、少しは話したこともある。
顔がいい子は高飛車なところがあるなんて誰かが言っていたけれど、彼女は少しも嫌な子じゃなかった。
明るくて可愛くて思いやりがあって、そして、自分の意見がはっきりと言えるしっかりとした女の子だった。
―――そんな菅原さんに告白されたら、断る理由なんてないよね……。
菅原さんなら、私のように身長のことで彼に嫌味を言うこともないだろうし。
髪を触られたくらいで怒鳴ったりしないだろうし、睨んだりもしない。
きっと、『ごめんなさい』も『ありがとう』も言えるはず。
―――菅原さんだったら、磯崎君の頼もしい背中に素直に甘えることが出来るんだろうな。
自分とは違う男の子らしい大きくて頼もしい彼の背中を思い浮かべながら、私は深いため息をついたのだった。