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(2)視線の高さが同じということ


 磯崎君の姿が消えてからしばらくして、私はガクンとその場に崩れ落ちる。

 ペタリと座り込み、そして、震える左手で自分の唇を覆った。

「な、何、今の……?」

 私は夢でも見ているのだろうか。

 教室に一人残っているうちにうたた寝してしまって、夢を見ている最中なのだろうか。

 磯崎君が好きすぎて、こんな夢を見てしまったのだろうか。


 だけど、唇に残っている感触は確かに現実で。


「う、そ……」

 今更になって、カァッと顔が熱くなる。


 何で?

 何でっ?

 何でっ!?


「何で、磯崎君が、私に……」


“キス”という言葉があまりに恥ずかしくて、実際には口に出来ない。

 さっきのことを思い返すだけで、顔から火が出そうだ。

 私は床の上で体育座りをし、膝に顔を埋めて泣きそうな声で呟く。

「もう、何なのよ……」

 

―――何で磯崎君は、あんなことをしたの?


 愕きと恥ずかしさと困惑で、目頭がどんどん熱くなる。

 涙が溢れそうになる瞼をグリグリと膝に押し付け、『うぅ……』と低く唸ったのだった。




 どのくらいその格好でいたのか分からないくらい、長い間座り込んでいた。 

 床の冷たさがスカート越しに伝わってきたおかげで、少しずつ頭の中が冷静さを取り戻してゆく。

「そっか……。私が意地悪なことを言ったから、磯崎君は仕返しであんなことを……」

 見るからにこの手のことに慣れていない私をびっくりさせようとして、彼はあんなことをしたのだ。それ以外には考えられない。 

 悔しいけれど、彼の作戦は大成功だ。何しろ、腰が抜けるほど驚いたのだから。

 だけど、私は彼を怒ることが出来ない。だって、悪いのは私。

 身長とか、体重とか、人の見た目のことであれこれ言うのは良くない事だってお母さんに言われていたのに。

 思春期の男子が身長のことを気にするのは、分かっていたことなのに。

「……やっぱり、私って可愛くない」

 大きなため息が誰もいない教室に響いた。


 あれからどうにか立ち直って、私はカバンを持ってノロノロと教室を出てゆく。

 昇降口で外履きには着替えようとしたところで、廊下の先にある体育館からにぎやかな声が聞こえてきた。

 確か、バスケ部が体育館で活動していたはず。見学をしている磯崎君もそこにいるのだろう。

「やっぱり、謝るべきだよね」

 悪いことをしたら、その人に謝る。

 助けてもらったら、その人にお礼を言う。

 それはとても大事なことだと、小さな頃から教えられていた。

 その教えを思い起こし、一旦靴箱に入れた上履きを取り出して床に置く。だけど、それを履いて体育館に行く勇気が今はない。 

「私って本当に情けないなぁ……。ごめんね、磯崎君。明日、ちゃんと謝るから」

 今日一番の大きなため息をついて、私は上履きを再び靴箱にしまった。




 翌日。

 いつもより少しだけ緊張気味に教室に入った。

「おはよう、高塚さん」

「おはよう」

 先に来ていた菊池さんと田岡さんが、私に気が付いて声をかけてくれる。

「おはよう」

 普段どおりにニコッと笑ったつもりだけど、いまいちだったらしい。

「どうしたの?」

「何だか疲れた顔をしてるよ」

「え?ああ、うん、また寝不足で」

 あいまいに笑ってごまかす。

 そういえば、昨日も同じやり取りをしたっけ。

 磯崎君のことになると、私はあれこれ考えすぎてぎこちなくなってしまうらしい。

 これ以上二人に心配をかけたくないから、早いうちに磯崎君に謝ってしまおう。


 とはいえ、人に謝るというのはなかなかタイミングが難しいもので……。


 今日に限って磯崎君は遅刻すれすれの時間に登校してくるから、始業前に声を掛けることが出来ず。

 休み時間には、やたらと友達と盛り上がっていて。楽しそうな彼の邪魔をするのも忍びないので、やっぱり声を掛けることが出来ず。

 普段のお昼休み、磯崎君は食後にメールのチェックをしてのんびり過ごしている。なのに、友達とバスケをするのだといって体育館に行ってしまった。

 そして、とうとう放課後となってしまう。

 今日も菊池さんと田岡さんは、合唱部へと出向いていった。彼女たちはほぼ入部を決めているので、早速練習に加わるのだとか。

 二人を見送り、私は帰り支度をしている磯崎君へとこっそり視線を向けた。

 その時、ふいに顔を上げた彼と目が合う。

 とっさに視線を逸らす私。


―――今、私が見ていたこと、バレてないよね?


 平静を装っているが、心臓がドキドキと大きな音を立てている。

 自分に『落ち着け、落ち着け』と必死になって言い聞かせていると、私の前にスッと影が落ちた。

 何だろうと顔を上げれば、そこに立っていたのは磯崎君。

「な、何よ!いきなり立たれたら驚くじゃない!」

 やっと磯崎君と話せるチャンスが巡ってきたのに、つい、いつものように可愛げのない口調で突っぱねてしまった。

 そんな自分に内心でこっそり自己嫌悪をしていると、磯崎君はニコッと笑った。

「高塚ってさ、Mシリーズを全巻持っていたよね?」

 Mシリーズとは、今、高校生の間で流行っている推理小説のことだ。

 内容には身近な題材が多くて分かりやすく、ストーリー展開のテンポも良い。

 だけど、最後の謎解きには思わずアッと声に出して驚いてしまうどんでん返しが用意されているので、あまり本を読まない高校生でもついつい夢中になってしまう。

 私もこのMシリーズの大ファンで、これまでに刊行された8巻全てを持っていた。

「持っているけど、それがどうかした?」

 素っ気無く尋ねれば、磯崎君は軽く首を傾げる。

「貸してもらえる?」

「何で私が磯崎君に貸さなくちゃならないの?三浦君とか、村瀬君だって持ってるでしょ?」

 三浦君と村瀬君はいつも磯崎君とふざけあっていて、いつだってすごく仲がいい。その二人もMシリーズのファンだと口にしているのを聞いたことがあった。

 怪訝な顔で磯崎君を見遣れば、

「あの二人はお菓子を食べながら読んだりするから、本が汚れてんだよ。俺が貸した漫画の本だって、返ってくると必ず何かの染みが付いててさ。せっかくの推理小説なのに、そういう汚れが目に入ると興ざめするじゃん」

 確かに、彼の言うことには一理ある。

 話が終盤に差し掛かり、いよいよ犯人とトリックが明らかになるという時に、ジュースやお菓子の染みが付いていたりすると、そこでテンションが一気に下がるものだ。

 彼の言い分は理解できた。

 でも、ここで『うん、いいよ』と言えないのが高塚 波那。

「それなら、図書室で借りたら?」

 本は皆のもので、その管理はかなり厳しい。汚れ、破れなど、返本時にチェックされる。

 そのおかげで、図書室の本はどれも綺麗だ。

 せっかくまともなアドバイスをしたというのに、磯崎君は浮かない顔で盛大にため息をついた。

「いつも貸し出し中なんだよ。返本されても飛び飛びだから、順番どおりに読めないし」

 私は好きな本なら買ってしまうので、宿題をこなすために資料を借りる時以外、図書室を利用したことがなかった。

 実情を知らなかった私に、『人気のある本はいつだってそんな感じだ』と、磯崎君がまたため息をつく。

 基本的には限られたお小遣いをやりくりしなければならない高校生にとって、少しでも出費を抑えたいのであれば、図書室の利用は有効な手段だ。

 ただ、そう考えている生徒が磯崎君以外にもたくさんいるということが問題だった。なるほど。確かに、彼がうなだれるのも無理はない。

 ほんのちょっとだけ磯崎君のことを可哀想に思っていると、

「だから、貸して」

 顔を上げた彼が笑顔でお願いしてきた。

 磯崎君はいつものようにニッコリ穏やかに笑っているけれど、これまでとは違って何となく逆らいがたい雰囲気が。

 昨日のことが後を引いていて、私としても彼に対して強く出ることに引け目がある。


 だからといって、『はい、そうですね』と素直になれないのが、やっぱり高塚 波那なのだ。


「嫌よ!」

 ムッとした顔で言い返す。

 すると磯崎君が不思議そうな顔をした。

「どうして?」

「どうしてって……。それは、その、ええと、磯崎君は貸してもらう立場なのに、何か偉そうなんだもん!」

 あまり筋の通らない理由を述べていると、彼はクスッと笑う。

「別に偉そうに言ってるつもりはないよ」

「で、で、でも、そういう風に思えるの!」

 素っ気なく突っぱね、私はプイッと横を向いてしまった。

 本当は素直に本を貸してあげて、それで、『昨日はひどいことを言ってごめんね』と謝ってしまえば、事は丸く収まるのに。

 分かっているのに、それが出来ない。

 本当に、本当に可愛くない私。


 黙ってしまった私の横顔を見ていた磯崎君は、同じようにしばらく黙り込んでいる。

 そして何を思ったのか、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてきて、やんわりと私の頬を包んだ。

 それから少しずつ手の平に力を入れて、私の顔を自分の方へと向けさせる。

 結果、私は否応無しに彼と視線を合わせる羽目に。

 昨日と同じように、この時間になると、みんなは部活見学やら予備校通いやらで、教室には私たち以外の生徒は残っていない。

 この現場を誰にも見られないのはありがたいけれど、私の心臓にとってはちっともありがたくなかった。

 バクバクと激しい心臓の音が耳に大きく響いている。


 いや、その、大人しくされるままになっているなんて、自分のキャラじゃないことは分かってるよ!

 だけどね、突然の彼のこの行動に理解が追いつかなくて、動けなくなってしまったんだよ!


 唖然としている私とは対照的に、磯崎君は楽しそうだ。

「今日一日、ずっと俺の事を見ていたでしょ?」

 確信を持って問いかける彼の目が、更に楽しそうに細められる。

「べ、別に!磯崎君のことなんて見てないもん!」

「嘘だね」 

「嘘じゃない!」

 大きな声を出せば、それを嗜めるように彼の親指が私の頬をソッと撫でた。

 私の指よりも少し固い感触の指が、ゆっくりと頬の丸みを辿る。

 その仕草は優しいのに、どうしたって逆らえない。まるで金縛りにあったかのように、私は立ち尽くす。

 そんな私に、彼は緩やかに口角を上げた。

「そうそう。同じくらいの身長だと、もう一個いいことがあるんだよ」

 静かな口調でそう言った磯崎君はゆっくりと顔を近づけてきて、コツンと私の額に自分の額を着ける。

 自分とまったく同じ位置に、彼の瞳があった。

 コクリ、と小さく息を呑めば、すぐ目の前の瞳がまっすぐに私を見つめる。

「目線の高さが同じだから、どこを見ているのかすぐに分かるんだ。……俺のこと、見ていたでしょ?」

 そう言った彼の目が、一段と楽しそうな色に染まった。


●先日の活動報告内で「とある方」と称していたのは、可愛らしい作品を書かれることで定評のある篠宮楓様です。

お名前を出すことに関して最終確認を取ったところ、快諾してくださいました。

心の広いお方です!


さて。ずいぶん前に第一話のネタ振りを楓様にしたところ、

以下のような返信を頂きまして。


チュッてした後、男の子はくすりと笑って立ち去っちゃって。

それを女の子が手のひらで口を覆ったまま、見送って。

かくんって足から崩れて、ぎゅって体育座りをして感触を思い出しちゃったりなんだりして悶えて♪


翌日から、表面上は変わらなくても、根底の力関係というかそういうのが逆転!

でも懸命に強気な自分を保とうとする女の子が、また可愛くて≧▽≦

意識するあまり、男の子を見る回数が増えて。


ある日、男の子にぎゅって抱きしめられて。

「もう一個、いいことあった。同じくらいの身長だとさ...」

その手に力を込めて。

「視線の先、すぐにわかるよね。俺のこと、見てたでしょ?」




以上のネタを元に、第二話は書かせて頂きました。

楓様、素敵な設定をありがとうございました♪



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