第十四章 お母さんに会いに
一
お母さんは、長野に住んでいた。
武川から連絡先を教えてもらい、みずはが電話した。その時の声は、緊張して震えていた。でも電話が終わった後のみずはの顔は、少し温かくなっていた。
「……会ってくれるって」
「そりゃそうだよ」
「電話で、泣いていました、お母さん」
「みずはも泣いてた」
「……泣いてませんでした」
「泣いてたよ」
みずははちょっと黙った後、「……少し、泣きました」と認めた。
長野への日帰り旅行を計画した。新幹線で長野まで行き、在来線に乗り換え、小さな駅で降りる。
お母さんは駅まで迎えに来ていた。
四十代くらいの、温かそうな雰囲気の女性だった。みずはに少し似た目をしている。みずはを見た瞬間、顔が崩れた。
「みずは……」
「……お母さん」
二人は駅のホームで抱き合った。
僕はちょっと離れて待った。
「……大きくなった」とお母さんが言った。
「五年経ちましたから」
「皿が……なくなったのね」
「はい。最近」
「よかった。これで……もっと楽になれるかもね」
「そうかもしれません」
お母さんが僕を見た。「あなたが悠太くん?」
「はい、片桐悠太です。みずはの……友人です」
「友人?」とみずはが横から言った。
「えと、友人以上の」
「彼氏です、お母さん」とみずはがきっぱり言った。
「……みずは」
「本当のことです」
お母さんは少し驚いた顔をして、それから笑った。「そうなの。ありがとう、みずはをよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お母さんの家で、昼ご飯をごちそうになった。みずははしきりにお母さんの料理を手伝っていた。「料理が上手になったね」とお母さんが言うと、「悠太さんから米の炊き方を教わって」とみずはが答えた。「農家の人ね」「はい、岐阜の」という会話が聞こえた。
帰り際、お母さんが僕に言った。「みずはが一人で出ていった時、毎日心配していたの。でも、ちゃんと生きていてくれて……良かった。悠太くんのことは、信頼しています」
「ありがとうございます。大切にします」
「そうしてあげて」
帰りの電車の中、みずははずっと窓の外を見ていた。
「良かった?」
「……はい。すごく」
「また行けばいい、定期的に」
「……お母さんに、長野の川を教えてもらいました。綺麗な川があるらしくて」
「今度行こう」
「悠太さんも来ますか?」
「行きたい」
みずはは窓の外を見たまま、「……ありがとうございます」と言った。
「何に対して?」
「全部に」
全部、か。
「こちらこそ」と言った。「全部に」
二
十一月。
大学受験の願書を出した。
農学部、生態環境コース。みずはの第一志望だ。
「受かるといいな」と言ったら、みずはは「受かります」と言った。
「自信ある?」
「水生生態学は自信があります。あとは国語をもう少し」
「国語は?」
「現代文は大丈夫ですが、古文が……時代劇だけでは限界があります」
「古文、一緒にやろう」
「はい、お願いします」
二人で古文の参考書を開いた。
「この助動詞の使い方が」
「はい?」
「カッパが出てくる昔話の言葉に近いですね」
「それ、本当に時代劇で覚えてるな」
「時代劇の恩恵は大きいです」
「ニッチな恩恵だけど」
勉強は続いた。毎晩、テーブルを挟んで。それは大学一年の春から変わらない習慣になっていた。
三
十二月。
クリスマス。
去年は圭介のパーティに参加したが、今年は二人で近所を散歩することにした。
イルミネーションの多い通りを歩いた。みずはは光の装飾を見て「ほう」と言った。
「きれい?」
「きれいです。水のように光が揺れているので」
「それはどういう見え方なの?」
「光が……波みたいに見えます。水面がきらきら光る感じと似ていて」
「それ、詩みたいだな」
「詩?」
「きれいな表現。みずはって、たまにそういうことを言う」
みずははちょっと照れた。「……普通に感じたことを言っているだけです」
「普通の感じ方が、人間とちょっと違う。それが面白い」
「変、ですか?」
「いや、好き。そういうところが」
みずははまた照れて、顔を逸らした。
光の通りを歩きながら、気づいたら手が繋がっていた。
「……手、温かいです」
「みずははいつも冷たいな。冷え性?」
「川育ちなので」
「川育ちで冷え性。なるほど」
「悠太さんは農業育ちで、手が荒れています」
「バレてたか」
「好きですよ、そういう手」
「荒れた手が?」
「ちゃんと働いてきた手だと思うので」
「……それはなんか、上手いな」
「上手い、というか本当のことです」
「ありがとう」
みずははにっこりと笑った。
光の中を、二人で歩き続けた。




