第十一章 二年目の春
一
東京に戻った。
何かが変わって、でも何も変わっていない感じがした。二人でいる時間の密度が少し変わった。そういう感じ。
高橋と圭介はなぜかすべてを察した。
「えっと、付き合ったの?」と圭介が直球で聞いた。
「まあ」と僕は言った。
「まあって何。カッパとの交際を『まあ』で片付けるな」
「変な言い方だな」
「でも良かった」
「うん」
「みずはちゃん、嬉しそうだった。岐阜で帰り道」
「気づいてたの?」
「明らかだったよ」
「そうか」
みずははその頃から少しずつ変わり始めた。外に出る時の帽子の位置が、以前より浅くなった。完全に外すことはないが、隠す気持ちが弱くなったのかもしれない。
「帽子、最近浅いな」と言ったら、「皿が見えても、いいかなと思って」と言った。
「見えていいの?」
「全員に見られるのは怖いですが……別に隠さなくてもいい人たちには、隠さなくていいかなと」
「それは良かった」
「……悠太さんが、皿を綺麗と言ってくれたので」
「あの時の言葉、覚えてたの?」
「覚えています。ずっと」
奥多摩の川で、皿が光っていると言った時のことを、まだ覚えていてくれた。
「……大事にしてくれてありがとう」とみずはが言った。
「皿を?」
「皿も。私のことも」
二
高卒認定の勉強が、みずはの中で本格的に始まった。
数学と理科は想定通り得意で、特に物理の「波動」「流体力学」は直感的に理解できた。「水の動きが関係するので」という理由だった。
苦戦したのは歴史だった。
「こんなに覚えることがあるんですか?」とみずはは呆れた顔で歴史の教科書を見た。
「歴史は暗記が多い」
「……時代劇を見ていたので、江戸時代はわかりますが」
「江戸時代以外は?」
「よくわかりません」
「じゃあ江戸時代以外から始めよう」
「でも、江戸時代のカッパについての記述が、教科書にないのはなぜですか?」
「え?」
「江戸時代には確かにカッパがいたのに、記録には『伝承』とだけ書かれています。歴史の記録に、カッパは入らないんですか?」
なるほど、それはみずはならではの視点だ。
「人間が書いた記録だから、人間目線になっちゃうのかな。カッパ視点の歴史書があれば違うかも」
「……カッパの歴史書、存在するんでしょうか」
「叔父さんに聞いてみたら?」
「武川叔父さんは、歴史書より釣りの方が好きなので……」
「それはそれで武川さんらしい」
勉強は続いた。毎晩二人でテーブルを挟んで教科書を広げ、みずはが問題を解いて、僕が解説する。農学部の勉強もあったので、互いに自分の勉強をしながら時々教え合う形になっていった。
「悠太さんは、生態学の問題が得意ですね」とみずはが言った。
「まあ、好きだし」
「水生生態系の問題は……私の方が早く解けそうです」
「じゃあ水生生態系は教えてもらおう」
「いいんですか?」
「むしろそっちの方が正確な気がする。教科書の内容より体験が豊富だし」
みずはははっとして、それから嬉しそうに笑った。「……ありがとうございます」
「じゃあ今日は水生生態系の問題解いて、解説してもらおう」
みずはは張り切って教科書を開いた。その表情が生き生きしていて、なんか良かった。
三
五月。
高卒認定の願書を出した。
「本当に受けるの?」と確認したら、みずはは「はい」と明確に答えた。
「落ちても来年また受けられるから、今年は練習のつもりでもいい」
「落ちてもいいと思うと、気楽です」
「そうそう、試験は練習から」
「でも……できれば受かりたいです」
「当然だよ。受かるといいな」
みずははこくんと頷いた。「受かったら……来年、大学受験もしてみたいです」
「それは応援する」
「農学部、受けてもいいですか?」
「もちろん。同じ大学になったら楽しいな」
みずははちょっと照れた顔をした。「……同じ授業を受けたいです」
「受けよう。一緒に」
「……はい」




